旧三井家下鴨別邸を出て下鴨神社の横を通り、世界文化遺産である加茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)=上賀茂神社にウオーキング(約5km)しながら行った。
初めての参拝かと思っていたが、到着すると見たことのある風景が目に飛び込んできて、随分昔に参拝したことを思い出した。
本殿に参拝後に「国宝・本殿特別参拝とご神宝拝観」(拝観料500円)をした。ここで、神職より加茂別雷神社(上賀茂神社)の由緒・歴史、加茂祭(葵祭)の起源及び変遷などの話があって、簡単なお祓いがあった。そして神職の案内で普段入ることの出来ない神域へ、千年の時の流れを越えて、古の姿そのままの国宝である「本殿・権殿」の前にたたずみ、改めて参拝した。心も癒され安らぎを覚えた。神宝のある庁屋では、神社に参拝する様子の屏風や絵画、神職の衣装や織田信長・明智光秀・豊臣秀吉から上賀茂神社宛の書面なども展示されていた。
帰りは市バスで河原町三条で下車して京阪三条から帰宅したが、運動も十分出来たし京都で最も古い社での参拝も出来てよい一日だった(´▽`)
2016年10月4日火曜日
旧三井家下鴨別邸
重要文化財・旧三井家下鴨別邸(京都市左京区)の一般公開が1日から始まり出かけた。
豪商で財閥だったこの旧三井家の別邸は、下鴨神社の南のこんもりとした森の中にある。1925(大正14)年に建築された後、1949(昭和24)年に国に譲渡され、京都家裁所長宿舎に使われていた。2011年に重文に指定され、管理することになった京都市が翌年から保存修理を進めてきて、初めての一般公開となった。
この別邸の主屋は木屋町三条上ルにあった明治期の建物を、この地にあった三井家の祖霊社である顕名霊社(あきなれいしゃ)の参拝の休憩所として移築されたもの。現在その顕名霊社は昭和期に東京に移されているのでない。
今回の一般公開は主屋の1階部分と庭園のみで、望楼など2~3階は特別公開の11月19日~12月4日に見学ができる。通常日は望楼の2~3階が有料で利用できることになっている。
今回、池やこけが配置された庭園と座敷などが一体となった開放的な造りを堪能。玄関棟では、書院造りを基調としつつ天井を高くする洋式居室をも味わうことが出来た。 また、三井家が藤原道長の六男長家の五代孫右馬之介信生が近江国に土着し、武士になったのが三井家の始まりである。そして織田信長の上洛によって六角氏とともに三井家は逃亡し、伊勢国松坂に居住するようになったとされる。その後、武士を廃業して松坂に質屋兼酒屋を開き、商人としての三井家が創業されたとのことなど三井家の系譜などを学ぶことが出来たヽ(;▽;)ノ
豪商で財閥だったこの旧三井家の別邸は、下鴨神社の南のこんもりとした森の中にある。1925(大正14)年に建築された後、1949(昭和24)年に国に譲渡され、京都家裁所長宿舎に使われていた。2011年に重文に指定され、管理することになった京都市が翌年から保存修理を進めてきて、初めての一般公開となった。
この別邸の主屋は木屋町三条上ルにあった明治期の建物を、この地にあった三井家の祖霊社である顕名霊社(あきなれいしゃ)の参拝の休憩所として移築されたもの。現在その顕名霊社は昭和期に東京に移されているのでない。
今回の一般公開は主屋の1階部分と庭園のみで、望楼など2~3階は特別公開の11月19日~12月4日に見学ができる。通常日は望楼の2~3階が有料で利用できることになっている。
今回、池やこけが配置された庭園と座敷などが一体となった開放的な造りを堪能。玄関棟では、書院造りを基調としつつ天井を高くする洋式居室をも味わうことが出来た。 また、三井家が藤原道長の六男長家の五代孫右馬之介信生が近江国に土着し、武士になったのが三井家の始まりである。そして織田信長の上洛によって六角氏とともに三井家は逃亡し、伊勢国松坂に居住するようになったとされる。その後、武士を廃業して松坂に質屋兼酒屋を開き、商人としての三井家が創業されたとのことなど三井家の系譜などを学ぶことが出来たヽ(;▽;)ノ
2016年9月25日日曜日
京都迎賓館
京都迎賓館の参観に、ネット申込みができない状態のため当日申込みで出かけた。迎賓館西門に10時5分前に着いたがすでに50名程の列が出来ていた。整理券が配布される11時頃には100名程?の長蛇の列になっていた。11時前から12時15分、30分、45分、13時15分・・・の当日申込のガイドツアー(定員30名)の整理券が配布され、12時30分ツアーの整理券を得ることが出来た。約1時間があり隣の一般公開されている京都御所に行って時間を潰した。
12時30分ツアーに全員(30名)が揃った時点で、係員(女性ガイド)の案内で、地下駐車場にて荷物検査・身体セキュリティーチェックが行われ、自動販売機で入場料1500円支払う。係員から事前の注意説明があり12時30分に出発し地下から地上に出て、正門→正面玄関→聚楽の間→夕映えの間→藤の間→桐の間→廊橋・庭園の概要説明を受けながら約60分の見学をした。
この京都迎賓館は日本の歴史、文化を象徴する京都で、海外からの賓客を心をこめて迎え、日本への理解と友好を深めてもらうことを目的に2005年(平成17年)4月に建設された。歴史的景観や周辺の自然環境との調和を図るため、日本の伝統的な住居である入母屋屋根と数寄屋造りの外観をいかし、築地塀を巡らせた品格のある和風の佇まいを創出している。建設に当たっては、数寄屋大工、左官、作庭、截金(きりかね)など、数多くの伝統的技能を活用し、京都を代表する伝統技能者の技が生かされている。また、調度品についても西陣織や蒔絵(まきえ)、漆などの伝統的技能を活用した家具が配置されている。
今回、入母屋屋根と数寄屋造りの外観や聚楽の間、夕映えの間、藤の間、桐の間の和室などで伝統的技能者によって和の技が生かされた多くの建造物をみることが出来た。
12時30分ツアーに全員(30名)が揃った時点で、係員(女性ガイド)の案内で、地下駐車場にて荷物検査・身体セキュリティーチェックが行われ、自動販売機で入場料1500円支払う。係員から事前の注意説明があり12時30分に出発し地下から地上に出て、正門→正面玄関→聚楽の間→夕映えの間→藤の間→桐の間→廊橋・庭園の概要説明を受けながら約60分の見学をした。
この京都迎賓館は日本の歴史、文化を象徴する京都で、海外からの賓客を心をこめて迎え、日本への理解と友好を深めてもらうことを目的に2005年(平成17年)4月に建設された。歴史的景観や周辺の自然環境との調和を図るため、日本の伝統的な住居である入母屋屋根と数寄屋造りの外観をいかし、築地塀を巡らせた品格のある和風の佇まいを創出している。建設に当たっては、数寄屋大工、左官、作庭、截金(きりかね)など、数多くの伝統的技能を活用し、京都を代表する伝統技能者の技が生かされている。また、調度品についても西陣織や蒔絵(まきえ)、漆などの伝統的技能を活用した家具が配置されている。
今回、入母屋屋根と数寄屋造りの外観や聚楽の間、夕映えの間、藤の間、桐の間の和室などで伝統的技能者によって和の技が生かされた多くの建造物をみることが出来た。
2016年9月24日土曜日
映画「ハドソン川の奇跡」
映画「ハドソン川の奇跡」が一般公開された。あらすじは2009年1月15日、150名の乗客、5名の乗員の155名を乗せたUSエアウェイズ1549便は、シアトルに向かいニューヨークを離陸した。しかし、160万人が住む大都会・マンハッタンの上空850メートルで、数羽の鳥がエンジンに吸い込まれ突如全エンジンが完全停止。制御不能となるトラブルが発生。機長は、ベテラン操縦士のチェズレイ・サリー・サレンバーガー機長(トム・ハンクス)が制御不能となった機体の墜落までのリミットはわずかに208秒しかない中で、機長は機体の安定を図りながら、着陸の方法を模索し、このままでは乗客の命はおろか、大都会ニューヨークの街中に墜落する危険性がある中、機長は決断をする。「ハドソン川に着水するぞ!」究極の状況の中、機長・サリーは、見事難易度の高いハドソン川への着水を成功させる。乗客155人は全員生存・救出され、サリーは一躍国民的英雄になる。が、機長の「究極の決断」に思わぬ疑惑がかかり、容疑者になり国家運輸安全委員会(事故調査委員会)の厳しい追及が行われる。飲酒、睡眠不足、健康状態、家庭不和などの追求、本当にハドソン川への不時着以外の選択肢はなかったのか?その判断は、乗客たちを命の危機にさらす乱暴な判断ではなかったか?などと問い詰められる。容疑者になってしまったのは、事故からわずか208秒間のことだった。この208秒がコンピュータによるシュミレーションやボイスレコーダーから、機長の冷静な判断と無事着水の技術力などが明らかになり、また副操縦士スカイルズの存在や客室乗務員の存在で、手順通り冷静に事態の対処にあたったことも全員生存に大きく貢献した。そして管制室や救助にあたった水上タクシーと沿岸警備隊、観光ヘリの存在もあり、それらすべてが重なり合ったのが「ハドソン川の奇跡」となった。 厳しい追求の中で機長の決して揺らぐことのない人間性が描き出された映画だった。
2016年9月18日日曜日
京都「仙洞御所」参観
前から京都の仙洞御所を参観したく、4日前にネットを調べると、この18日(日)11時から4名申し込み可能になっており早速申し込みして出かけた。 自宅を出るときはどしゃ降りであったが、京阪神宮丸太町駅に着いた頃には雨もやみ助かった。10時40分過ぎに着くと当日券の受付が始まっていて20名程並んで手続きをしていた。待合所に行くと自分一人で、いつも40~50名の参観者があるらしいが、予約の11時は以外に少なく、たったの10名。11時から男性ガイドによって12時まで説明しながら庭園を案内してもらった。参観コースの概要は、大宮御所の車寄せ→御常御殿の南庭→北池を一回(六枚橋→紅葉橋)→南池を一回り(八つ橋)→醒花亭→又新亭だった。雨がしとしと降る中で庭園のもみじや木々が青々として、また苔も大変綺麗でさすがに素晴らしい庭園だった。秋は紅葉で特によいだろうから機会があれば、また参観したい。ただ、ネットの申し込みは申し込み人員が少数であり取れそうにない状況のようだ。当日券を朝早く並んで取るしかないと思う。
この仙洞御所とは、退位した天皇(上皇・法皇)の御所。仙洞とは本来仙人の住み処をいう。そこから転じて退位した天皇(上皇・法皇)の御所をいい、さらに転じて上皇・法皇の異称としても使われた。 現在、京都御所の南東に仙洞御所が位置している。これは1627年に後水尾上皇のために造営されたもので、正式名称は桜町殿という。東部には広い池を中心に庭園が広がっている。初め小堀遠州によって築庭されたが、のちに後水尾上皇の意向により大きく改造されている。仙洞御所の建築群は1854年の火災後再建されず、現在では庭園のみが残っており、1867年以降には隣りの御常御殿が残る大宮御所に組みいれられ、皇室の京都における邸宅として整備されて今日に至っている。
この仙洞御所とは、退位した天皇(上皇・法皇)の御所。仙洞とは本来仙人の住み処をいう。そこから転じて退位した天皇(上皇・法皇)の御所をいい、さらに転じて上皇・法皇の異称としても使われた。 現在、京都御所の南東に仙洞御所が位置している。これは1627年に後水尾上皇のために造営されたもので、正式名称は桜町殿という。東部には広い池を中心に庭園が広がっている。初め小堀遠州によって築庭されたが、のちに後水尾上皇の意向により大きく改造されている。仙洞御所の建築群は1854年の火災後再建されず、現在では庭園のみが残っており、1867年以降には隣りの御常御殿が残る大宮御所に組みいれられ、皇室の京都における邸宅として整備されて今日に至っている。
2016年9月17日土曜日
特別展「星野道夫の旅」
没後20年の特別展「星野道夫の旅」(写真展)が高島屋大阪店7階グランドホールで開催されたので見てきた。
アラスカに魅せられ、かの地を棲家にして壮大な自然の世界を描写した、たぐいまれな写真家・故星野道夫(1952~1996年)。彼がカムチャツカの地で、取材中に不慮の死を遂げてから2016年8月で20年となり、残された多くの写真や文章は、いまだに多くの人々の心を魅了し続けている。そこで、今回は星野道夫が駆け抜けた、幾多の道をひもとく未発表作を含むおよそ250点の写真をはじめ、自筆の文章や手紙、撮影に使用したカメラなどを展示するとともに、愛用したカヤック、スノーシュー、毛皮のパーカー(アノラック)も展示されていた。アラスカの大自然と動物たちの写真は、素晴らしく見ごたえのあるもで感動した。
1996年8月8日ヒグマに襲われて不慮の死を遂げた事件の概要は、関連サイトに掲載されていた。それはTBSの『どうぶつ奇想天外!』の放送番組の取材目的で、「ヒグマと鮭」を題材にした写真を撮影するためTBSのクルーと共にロシアのカムチャッカ半島南部のクリル湖畔(ロシアで熊が最も多いとこ)へとやってきた。付近には身の安全を確保できる小屋や「鮭観察タワー」などの宿泊施設があったものの、彼は敢えて湖畔のほとりにテントを設置し、そこへ寝泊りすることを選択。この季節は7月。「この時期は、サケが川を上って食べ物が豊富だから、ヒグマは襲ってこない」との見識に基づいた判断だった。体長2m超・体重250 kgの巨大な額に傷を負ったヒグマが到着してから2日後の夜、宿泊用の小屋に備え付けてある食糧庫によじ登り、飛び跳ねて荒らしていた。 このヒグマ、数日前にも食糧庫を荒しており、どうやら空腹のようだった。それはこの年、サケの遡上が例年よりも遅れていたためらしい。さらに、この額に傷を負ったヒグマが、地元テレビ局の社長によって餌付けされていたため、人間への警戒心が薄かったとも考えられている。しかしこの時、そんなことは分かっていなかった。「たまたまだろう」と思ったのか、星野は再三に渡るガイドの忠告を聞き入れず、テントでの宿泊を続行。そして、2週間が経過したある日の深夜に悲劇は起こった。キャンプ場に突如として響き渡る絶叫。その声がすぐに星野のものだと分かったTBSスタッフは、急いで小屋から出て懐中電灯で照らすと額に傷のある例のヒグマが彼を咥えて、悠々と森の中へ戻っていく姿が見えた。テントはひしゃげてポール(支柱)は折れ、星野の寝袋は切り裂かれていた。ガイドが無線で救助を要請し、ヘリコプターで到着した捜索隊は上空からヒグマを捜索し、発見すると射殺した。星野の遺体は森の中でヒグマに喰い荒らされた姿で発見されたという。アラスカでグリズリーの写真を幾度も撮影してきた実績のある、いわばその道のプロフェッショナル。当然、熊の習性などは熟知していたはずなのになぜ、このような悲劇が起こってしまったのか謎になっている。2016年9月15日木曜日
酔芙蓉の寺「大乗寺」
一週間程前に京都山科の旧東海道沿いの山裾にある「酔芙蓉の寺」として知られる小さなお寺「大乗寺」の酔芙蓉が見頃になっているとNHKが放送したので、去年とは大分早いと思いながら訪れてみた。やはりまだチラホラと咲いている程度で放送とは程遠い状況だった。住職(婦人)に聞くとNHKが撮影した時はある程度咲いていて、それをすごく咲いているようにうまく撮影していて、あとで放送をみて感心したとの話があった。ということで、見頃は今月末頃にならなとダメという感じだった。

ここの酔芙蓉は約1300本が小さな本堂を囲むように植えられている。 芙蓉といえば木芙蓉のことを指し、朝に咲き、夕方には萎んでしまう一日花である。早朝に開花したときには本来の淡紅色、夕方になるにしたがって、その色は次第に濃くなり、そして萎んでいく。 一方、酔芙蓉は、朝のうちは純白、午後には淡い紅色、夕方から夜にかけては紅色になる。酒を飲むと顔色がだんだんと赤みを帯びるのに似ていることからこの名がついたといわれている。
芙蓉は、全国各地の庭先や公園など、どこででも目にすることができるが、群生している名所となると寺の境内が多いようである。一方、酔芙蓉となるとなかなか群生しているところは少なく、千本以上あるこの大乗寺は珍しい存在であるとのこと。 今回、残念ながら早すぎた感じだが、機会があれば今月末に再度訪れたいものだ。

ここの酔芙蓉は約1300本が小さな本堂を囲むように植えられている。 芙蓉といえば木芙蓉のことを指し、朝に咲き、夕方には萎んでしまう一日花である。早朝に開花したときには本来の淡紅色、夕方になるにしたがって、その色は次第に濃くなり、そして萎んでいく。 一方、酔芙蓉は、朝のうちは純白、午後には淡い紅色、夕方から夜にかけては紅色になる。酒を飲むと顔色がだんだんと赤みを帯びるのに似ていることからこの名がついたといわれている。芙蓉は、全国各地の庭先や公園など、どこででも目にすることができるが、群生している名所となると寺の境内が多いようである。一方、酔芙蓉となるとなかなか群生しているところは少なく、千本以上あるこの大乗寺は珍しい存在であるとのこと。 今回、残念ながら早すぎた感じだが、機会があれば今月末に再度訪れたいものだ。
2016年9月10日土曜日
「超高速!参勤交代リターンズ」
2014年7月に公開された「超高速参勤交代」が大ヒットし、次作として本日公開された。前作の「超高速参勤交代」がよかったので、今回も見に出かけた。
あらすじは、前作で見事江戸への参勤を成し遂げた磐城国(現在の福島県いわき市)の湯長谷藩だったが、そもそも参勤交代とは、〈参勤〉だけでなく、藩に帰る〈交代〉まで終えてこそ完結するもの。湯長谷藩の参勤交代は、まだ終わっていなかった・・・!藩主・内藤政醇(まさあつ:佐々木蔵之介)率いる一行は故郷を目指し、ゆっくり江戸を出発したが、その道中、湯長谷で一揆が起きたとの知らせが入る。2日以内に一揆を収めなければ、藩のお取り潰しは免れない。彼らは行きの倍の速さで帰るはめに。川でおぼれ、お尋ね者になり、謎の刺客に襲われ、命からがら湯長谷にたどり着くが、すでに城は乗っ取られた後だった。帰ってみると田畑は荒らされ、家族は城内で人質になり、ひどい状態だった。そこで、まず策略でうまく城内の連中を外に出し、城を奪い返すが、悪家老である松平信祝(のぶとき)が1000人を連れてやってくる。それに立ち向かい農民とともに大ピンチを切り抜ける。ここでやっと交代が終わって農民とともに喜び合うというもの。
この映画の滋賀県のロケ地は高島市(安曇川町)と彦根市(彦根城)で、城が乗っ取られ戦いを挑む場面は高島市安曇川町で、また爆破やスモークなど派手なシーン、湯長谷藩に帰る途中の「大沼宿」もここで撮られた。帰路に刺客に襲われるシーンや、城内での戦いのシーンは彦根城で撮影された、とのこと。 前回と同じように滋賀のロケ地が使われたようだ。 前回と同様に困難を奇策で切り抜けることなど面白い映画だった。
あらすじは、前作で見事江戸への参勤を成し遂げた磐城国(現在の福島県いわき市)の湯長谷藩だったが、そもそも参勤交代とは、〈参勤〉だけでなく、藩に帰る〈交代〉まで終えてこそ完結するもの。湯長谷藩の参勤交代は、まだ終わっていなかった・・・!藩主・内藤政醇(まさあつ:佐々木蔵之介)率いる一行は故郷を目指し、ゆっくり江戸を出発したが、その道中、湯長谷で一揆が起きたとの知らせが入る。2日以内に一揆を収めなければ、藩のお取り潰しは免れない。彼らは行きの倍の速さで帰るはめに。川でおぼれ、お尋ね者になり、謎の刺客に襲われ、命からがら湯長谷にたどり着くが、すでに城は乗っ取られた後だった。帰ってみると田畑は荒らされ、家族は城内で人質になり、ひどい状態だった。そこで、まず策略でうまく城内の連中を外に出し、城を奪い返すが、悪家老である松平信祝(のぶとき)が1000人を連れてやってくる。それに立ち向かい農民とともに大ピンチを切り抜ける。ここでやっと交代が終わって農民とともに喜び合うというもの。
この映画の滋賀県のロケ地は高島市(安曇川町)と彦根市(彦根城)で、城が乗っ取られ戦いを挑む場面は高島市安曇川町で、また爆破やスモークなど派手なシーン、湯長谷藩に帰る途中の「大沼宿」もここで撮られた。帰路に刺客に襲われるシーンや、城内での戦いのシーンは彦根城で撮影された、とのこと。 前回と同じように滋賀のロケ地が使われたようだ。 前回と同様に困難を奇策で切り抜けることなど面白い映画だった。
2016年9月8日木曜日
神戸三宮「游の会」作品展


親友から誘いがあり、神戸市役所の市民ギャラリーで「游の会」作品展を見に親友3名で出かけた。この「游の会」作品展には油絵22点、水彩画12点、水彩・パステル、ペン10点、ハガキ絵10点、扇子絵8点などと旅のスケッチブック数冊が展示されていた。広々とした会場にこれらの作品が展示されていて、ゆっくりとみて楽しむことが出来た。(上の写真)
この会の講師の旅のスケッチブックをみると海外の教会、建築物、風景、植物、花、人物などがスケッチされて、これらは約5分程度で仕上げるとのこと、すごいなぁ~と感心、その程度で描けるようになれないかと思うが、努力してもダメかなぁ~~。
その後、市役所24階にある展望ロビーから東は六甲アイランドやHAT神戸の街並みが、南からは東遊園地からポートアイランド(中の写真)、西はハーバーランドの街並みなどが見ることができた。また、反対方向(北)からは、三宮から北野の街並みや六甲山系の山並みまでが眺望できて楽しむことが出来た。昼食は神戸国際会館9Fの「維新號點心茶室」にてランチ「點心茶室セット(1600円)」で美味しく食した。
その後、神戸港遊覧船(オーシャンプリンス)で約45分の久しぶりの神戸港内クルーズを楽しんだ。(下の写真が乗船した神戸港遊覧船:オーシャンプリンス)
2016年9月7日水曜日
京都黄檗宗「石峰寺」
5日付け朝日新聞に江戸時代の絵師、伊藤若冲(1716~1800)ゆかりの黄檗宗「石峰寺」を訪ねて!という記事が掲載された。少し興味もあり京阪深草駅下車して徒歩約10分にあるこの黄檗宗「石峰寺」を訪ねてみた。(上の写真)
命日の9月10日若冲忌に合わせて、「石峰寺」が所蔵している掛け軸や版画など、若冲の作品を一般公開する秋の特別展示会が、9月1日から若冲忌の9月10日まで行われていて、うまい具合に若冲の掛け軸(動植物を描いた彩色画)を鑑賞することが出来た。また今、若冲ゆかりの相国寺(承天美術館)でも生誕300年記念伊藤若冲展が行なわれている。機会があればみに行きたいものだ。
斗米庵とも号した伊藤若冲は、五百羅漢(羅漢とは人々から尊敬・布施をうける資格のある人の意で,悟りをひらいた高僧を指す)はもちろんのこと、動植綵絵が代表作の一つとして知られる、江戸時代中期の京都で活躍した日本画家。元は錦小路の青果問屋の主で、30代より禅に親しみ、40歳の時に隠居したのちは画作に専念し、独特な作風で数多くの作品を生み出している。 晩年には「石峰寺」門前に庵を結び、85歳でその生涯を終えた。石峰寺の境内には、斗米庵若冲居士墓とある若沖の墓がある。(下の写真) 本堂の裏手の竹林にある五百羅漢は、伊藤若冲が60才になった時、五百羅漢を刻むことを思い立ち、五百体にも及ぶ下絵を描き、石職人に頼み、10年をかけて五百羅漢を配したとのこと。当時は千体以上のもの石蔵が配されていた。現在では五百数十体の石蔵で長い年月を物語るように丸くなり、苔が生え風化に伴い表情や姿態に一段と趣を深めているそうだ。(中の写真)
今回、はじめて画家伊藤若冲という人や、若冲ゆかりの「石峰寺」のことが勉強になった。
命日の9月10日若冲忌に合わせて、「石峰寺」が所蔵している掛け軸や版画など、若冲の作品を一般公開する秋の特別展示会が、9月1日から若冲忌の9月10日まで行われていて、うまい具合に若冲の掛け軸(動植物を描いた彩色画)を鑑賞することが出来た。また今、若冲ゆかりの相国寺(承天美術館)でも生誕300年記念伊藤若冲展が行なわれている。機会があればみに行きたいものだ。
斗米庵とも号した伊藤若冲は、五百羅漢(羅漢とは人々から尊敬・布施をうける資格のある人の意で,悟りをひらいた高僧を指す)はもちろんのこと、動植綵絵が代表作の一つとして知られる、江戸時代中期の京都で活躍した日本画家。元は錦小路の青果問屋の主で、30代より禅に親しみ、40歳の時に隠居したのちは画作に専念し、独特な作風で数多くの作品を生み出している。 晩年には「石峰寺」門前に庵を結び、85歳でその生涯を終えた。石峰寺の境内には、斗米庵若冲居士墓とある若沖の墓がある。(下の写真) 本堂の裏手の竹林にある五百羅漢は、伊藤若冲が60才になった時、五百羅漢を刻むことを思い立ち、五百体にも及ぶ下絵を描き、石職人に頼み、10年をかけて五百羅漢を配したとのこと。当時は千体以上のもの石蔵が配されていた。現在では五百数十体の石蔵で長い年月を物語るように丸くなり、苔が生え風化に伴い表情や姿態に一段と趣を深めているそうだ。(中の写真)
今回、はじめて画家伊藤若冲という人や、若冲ゆかりの「石峰寺」のことが勉強になった。
2016年9月3日土曜日
「サントリー1万人の第九」練習
今年、第34回を迎える「サントリー1万人の第九」の練習がスタートした。 本番の12月4日(日)までに6回の合唱練習、佐渡指揮者の総合レッスン、前日3日のリハーサルがある。 クラスは「森ノ宮2」(約150名)で、指導は昨年と同じく有本正人先生だった。
この「サントリー1万人の第九」は、2000年に初めて参加して以来、今回で16回目、1999年フェスティバルホールで朝日新聞120周年記念演奏会の第九に初出場して、通算で50回目(11月6日のかがわ第九含む)となる。 すごいかなぁ~?? 何となく惰性で出場している間に出場回数も上がって今日に至った。目標としている50回は今年で達成できそうだ。 まずは、今回の本番に向けて頑張ろう!!
この「サントリー1万人の第九」は、2000年に初めて参加して以来、今回で16回目、1999年フェスティバルホールで朝日新聞120周年記念演奏会の第九に初出場して、通算で50回目(11月6日のかがわ第九含む)となる。 すごいかなぁ~?? 何となく惰性で出場している間に出場回数も上がって今日に至った。目標としている50回は今年で達成できそうだ。 まずは、今回の本番に向けて頑張ろう!!
2016年8月27日土曜日
映画「後妻業の女」
大阪を主な舞台に、中高年の婚活の危うい一面をサスペンスと笑いを交えて描いた映画「後妻業の女」が、本日全国公開され朝一番(9時45分~上映)にみに出かけた。あらすじは、「武内小夜子、63歳、好きなことは読書と夜空を見上げること…わたし、尽くすタイプやと思います」結婚相談所主催のパーティで可愛らしく自己紹介する小夜子(大竹しのぶ)の魅力に男たちはイチコロだった。 実は裕福で孤独な高齢者を色香で惑わせて後妻になり、その財産を奪う「後妻業」のエースだった。 裏で手を引く結婚相談所所長の柏木(豊川悦司)のもくろみ通り、小夜子は80歳になる中瀬耕造(津川雅彦)の後妻におさまった。二人は惹かれあい幸せな夫婦生活を送っていた、はずだったが・・・、2年後耕造は亡くなり、葬式の場で耕造の娘・朋美(尾野真千子)と尚子(長谷川京子)は、小夜子から遺言公正証書を突き付けられ、小夜子が全財産を相続する事実を言い渡される。納得の行かない朋美が調査をすると、衝撃の事実が発覚。小夜子は、後妻に入り財産を奪う『後妻業の女』だったのだ。(後は省略)
主なキャスターは関西出身(豊川悦司、笑福亭鶴瓶、水川あさみ、奈良県:尾野真千子、京都:津川雅彦など)でロケも大阪各地で行われた。中之島を周遊する遊覧船で婚活パーティーの画面、通天閣の見える駐車場や大阪城のみえる喫茶店などが撮影されていた。 みものは何と言っても悪女を演じた小夜子役の大竹さんの演技や大阪弁で、さすがにうまいなぁ~と感心。また、中高年の婚活の危うい一面をサスペンスと笑いを交えて描いた映画であり、面白くてよかった。
2016年8月22日月曜日
オリンピックリオ大会閉会式
第31回オリンピック競技会リオデジャネイロ大会は2016年8月21日、ブラジル・リオデジャネイロ市のマラカナン競技場で閉会式が行われた。南米で初開催となるリオを中心に繰り広げられた17日間の祭典は、日本選手のメダル最多の41個(金12、銀8、銅21)で、日本中に大きな感動と勇気を与えて無事に幕を閉じた。次回大会は、東京で2020年7月24日から開かれる。この大会に世界3位(今回6位)のメダル数を取るとの目標とのこと、大いに期待したい。 約2年前に東京にオリンピックが決まり、我々多くの高齢者の人は何とかオリンピックまで元気に健康で長生き(目標に)してオリンピックをみたいと思われたが、我自身もそう思いで今日まで来た。さあ~~あと4年もう少しだ。何とか健康に十分留意して元気で、是非とも開会式を国立競技場に見に行きたいなぁ~~。それ以外に体操、卓球、レスリングもみたい~と思う。 頑張ろう!!
YouTubeの【NHKリオ】2020へ期待高まる!トーキョーショーをhttps://youtu.be/sk6uU8gb8PA リンク投稿。概要は「五輪閉会式で披露された2020年の東京大会プレゼンテーションをノーカットで、クリエーティブ スーパーバイザーと音楽監督は椎名林檎さん、総合演出と演舞振付はMIKIKOさん。青森大学男子新体操部のダイナミックな演技も必見!」とのこと。
YouTubeの【NHKリオ】2020へ期待高まる!トーキョーショーをhttps://youtu.be/sk6uU8gb8PA リンク投稿。概要は「五輪閉会式で披露された2020年の東京大会プレゼンテーションをノーカットで、クリエーティブ スーパーバイザーと音楽監督は椎名林檎さん、総合演出と演舞振付はMIKIKOさん。青森大学男子新体操部のダイナミックな演技も必見!」とのこと。
2016年8月21日日曜日
2016天神天満阿波踊り
天神天満阿波踊り実行委員会、天神橋商店連合会、関西阿波踊り協会の主催のもとに行われ(今回で2回目?)、暑い暑い中出かけた。
関西阿波踊り協会に加盟している11連が、AグループとBグループに分かれて、AグループはJR天満駅から14:30~扇町総合高校吹奏楽部オーキーズのオープニングパレード、続いて神戸ちるど連→にしき連→姫路・城東連→なにわ連→大阪天水連が、またBグループは、同時刻に天神橋筋商店街3丁目南側から南大阪連→深雪連→てんばらみとら連→神戸六甲山連→河内連→神戸楠公連による商店街の流し踊りが南方向に行われた。また、阿波踊り教室に参加者による天神天満連も3丁目南側から流し踊りがあったようだ。(パンフレットに記載あり)
その後、16時40分からは天満宮の境内にて9つの連の演舞があったが暑くて暑さに負けて早く帰宅した。今回、関西阿波おどり協会所属連の踊り子と鳴り物、総勢約360名による流し踊りだったが、繊細な鉦の音色や、威勢のいい迫力ある男踊り、元気と笑顔いっぱいの踊りを魅せるちびっ子達などで、天神橋筋商店街は熱気に包まれていた。
昔、所属の「なにわ連」の踊りも久しぶりに見ることができて、格好もよくてすご~く踊ってみたいなぁ~~~と。 しかし、気力は十分だが、この暑さでなくても体力が踊り(10~15分の踊り)についていけないからもう無理だなぁ~諦めるしかないかね。
関西阿波踊り協会の天満宮境内での各連の踊り https://youtu.be/VhbHs7vBStA
関西阿波踊り協会に加盟している11連が、AグループとBグループに分かれて、AグループはJR天満駅から14:30~扇町総合高校吹奏楽部オーキーズのオープニングパレード、続いて神戸ちるど連→にしき連→姫路・城東連→なにわ連→大阪天水連が、またBグループは、同時刻に天神橋筋商店街3丁目南側から南大阪連→深雪連→てんばらみとら連→神戸六甲山連→河内連→神戸楠公連による商店街の流し踊りが南方向に行われた。また、阿波踊り教室に参加者による天神天満連も3丁目南側から流し踊りがあったようだ。(パンフレットに記載あり)
その後、16時40分からは天満宮の境内にて9つの連の演舞があったが暑くて暑さに負けて早く帰宅した。今回、関西阿波おどり協会所属連の踊り子と鳴り物、総勢約360名による流し踊りだったが、繊細な鉦の音色や、威勢のいい迫力ある男踊り、元気と笑顔いっぱいの踊りを魅せるちびっ子達などで、天神橋筋商店街は熱気に包まれていた。
昔、所属の「なにわ連」の踊りも久しぶりに見ることができて、格好もよくてすご~く踊ってみたいなぁ~~~と。 しかし、気力は十分だが、この暑さでなくても体力が踊り(10~15分の踊り)についていけないからもう無理だなぁ~諦めるしかないかね。
関西阿波踊り協会の天満宮境内での各連の踊り https://youtu.be/VhbHs7vBStA
2016年8月18日木曜日
世界報道写真展2016
ハービスOSAKA地下2階のハービスHALLにて、「世界報道写真展2013」が9日から18日まで行われ、最終日に見に出かけた。
この写真展は、世界中の報道カメラマンを対象にオランダで実施される「世界報道写真コンテスト」の受賞作を紹介するもの。今年は128の国と6千人近いプロの写真家から、合計8万点の作品が応募され、41人がコンテストでの入賞を果たした。コンテストの部門は全部で8つ(スポットニュース、一般ニュース、スポーツ、現代社会の問題、長期取材、自然、日常生活、人々)。 それぞれの部門で「単写真(写真1枚)」と「組写真(複数の写真で構成)」に分かれて選ばれた。約150点の入選作があったなかで、今回は各部門の単写真、組み写真の1位から3位までが展示(総62パネル)されていた。
入賞の中から、その年の最も優れた写真1点に対しては「世界報道写真大賞」が贈られた。それは、スポットニュースの部の単写真1位のウォーレン・リチャードソン氏(オーストラリア)。2015年8月28日 レスケ(ハンガリー南部)にてセルビアとハンガリーの国境を越えようとするシリア難民の男性と子どもが、国境の有刺鉄線付きフェンスができあがる前に、ハンガリー側へ渡ろうとする瞬間を、警備員に見つからないように月明かりの下で撮られたもの。緊迫した様子が伝わってくるという写真だった。(上のチラシの写真)
今回、世界で起こっている様々な事件や出来事の写真を見ることが出来た。 隣のブースでは、昨年と同様東北大震災の写真が展示されていた。
この写真展は、世界中の報道カメラマンを対象にオランダで実施される「世界報道写真コンテスト」の受賞作を紹介するもの。今年は128の国と6千人近いプロの写真家から、合計8万点の作品が応募され、41人がコンテストでの入賞を果たした。コンテストの部門は全部で8つ(スポットニュース、一般ニュース、スポーツ、現代社会の問題、長期取材、自然、日常生活、人々)。 それぞれの部門で「単写真(写真1枚)」と「組写真(複数の写真で構成)」に分かれて選ばれた。約150点の入選作があったなかで、今回は各部門の単写真、組み写真の1位から3位までが展示(総62パネル)されていた。
入賞の中から、その年の最も優れた写真1点に対しては「世界報道写真大賞」が贈られた。それは、スポットニュースの部の単写真1位のウォーレン・リチャードソン氏(オーストラリア)。2015年8月28日 レスケ(ハンガリー南部)にてセルビアとハンガリーの国境を越えようとするシリア難民の男性と子どもが、国境の有刺鉄線付きフェンスができあがる前に、ハンガリー側へ渡ろうとする瞬間を、警備員に見つからないように月明かりの下で撮られたもの。緊迫した様子が伝わってくるという写真だった。(上のチラシの写真)
今回、世界で起こっている様々な事件や出来事の写真を見ることが出来た。 隣のブースでは、昨年と同様東北大震災の写真が展示されていた。
2016年8月14日日曜日
日野「火ふり祭り」


毎年8月14日・15日に盆の夜空を彩る近江日野町の夏の風物詩「火ふり祭り」が行われ昨年に続いて見物。
これは日野祭のお旅所である上野田の通称「ひばり野」(松の木などが数本あるこじんまりとした公園、ここに武将「蒲生氏郷像」もある)で古くから行われている祭。上野田(こうずけだ)の氏神、五社(ごしゃ)神社で、町内の人たち百数十人が松明(竹材とわらで作った2.5~3mのもの)に火をつけ、 その年の日野祭のお稚児さん3人を中心に松明の行列が、午後7時半から「ひば り野」(約2km)へ向かう。
「ひばり野」へ午後8時頃に到着後(松明の長さがちょうど投げられる程の長さになる)、太鼓の合図とともに百数十本の松明が一斉に松の木に投げ上げられる。 枝に留まると大きな歓声があがり、松の木に松明が多く溜まれば、その年は豊作といわれる、勇壮なお祭。今年も多くの松明が溜まっていたので豊作か?
8月14日・15日のお盆の時期に行われるこの祭りは日野町各地で行われている盆行事の精霊火が転化したものと考えられている。
ずいぶん昔、幼少~小学生のころはよく母親の里のお盆に連れられて、「ひばり野」の前にある親戚の2階の特等席でみたことが、改めて懐かしく思い出された。(下の写真は日野観光協会の写真を借用)
2016年8月10日水曜日
北海道旅行最終日



小樽の山麓にある「かんぽの宿小樽」で宿泊し、朝5時に起床して宿から5分にある朝里川の湖畔散策を約30分楽しんだ。気温もちょうど良く清々しくて、気持ちよかったヽ(;▽;)ノ
最終日で飛行機が15時発で、手荷物預けの待ち時間、昼食・お土産を買う時間も考えるとほとんど観光時間がなく、小樽運河観光のみにした。9時頃に着いて、まず観光写真によく出ている小樽運河を約50分散策した。
ここは、北海道開拓の玄関口として発展してきた。当時は大きな船を沖に泊め、はしけ(台船)を使って荷揚げしていたが、取り扱う荷量が多くなり、はしけが直接倉庫の近くまで入って行ける水路を作った。これが「小樽運河」である。
この小樽運河は、大正12年に完成し、内陸を掘り込んだ運河ではなく、海岸の沖合いを埋立てて造られたため、直線ではなく緩やかに湾曲しているのが特徴となっている。しかし、時代が変わり戦後になると、港の埠頭岸壁の整備により、その使命は終わりを告げることとなる。昭和61年、運河は、十数年に及んだ埋立てを巡る論争の末に一部を埋立て、幅の半分が道路となり、散策路や街園が整備された現在の姿に生まれ変わった。運河の全長は1140mで、幅は道に沿った部分が20m。散策路には63基のガス灯が設置され、運河沿いの石造倉庫群は当時の姿のまま残されておりレストランなどに再利用されている。夕暮れ時には、ガス灯がともるとともに石造倉庫群がライトアップされ、昼間とは違った雰囲気を演出している。(関連資料から抜粋)
今回、朝のため倉庫内の店も開いておらず周辺の散策のみだったが、こういうところだと納得してよかったなぁ~ヽ(;▽;)ノ
その後、オリエンタルのへレンタルカー千歳店へ、新千歳空港に11時半過ぎに到着し、昼食・お土産の買物。15時発のANA984で、大阪伊丹空港には予定通り16時55分無事に到着。
今回は次女家族との旅行で、幼児の世話でいろいろと大変なこともあったが、無事に帰宅することができたし、思い出に残るよい旅行だった。
2016年8月9日火曜日
北海道旅行3日(札幌)

8日は定山渓温泉「鹿の湯(花のもみじ)」に宿泊。ここは「札幌の奥座敷」とも呼ばれていて、札幌市の中央部を流れる豊平川上流の山峡にある北海道の代表的な温泉である。古くアイヌに知られ、江戸時代には通行した和人が入り、1866年に美泉定山と言う人が温泉宿を開いた。1918年に定山渓鉄道線が通ったことで発展した。札幌の至近にある温泉で、市内の人々のほか、札幌観光の一環として多くの道外や外国からの観光客が利用している。この日も中国・台湾などからの客で賑わっていた。翌日の朝に温泉街の散策をしたかったが、疲れて起床が遅くなりできなかったことが、ザンネンだった。
札幌市内観光をどうするか? 明日は午後3時の飛行機なので小樽市内観光をしたいが時間がない。そのため札幌は一箇所に絞って「モエレ沼公園」で遊んでから小樽市の堺本町通りの商店街に行ってみた。まず、モエレ沼公園は、札幌市の市街地を公園や緑地の帯で包み込もうという「環状グリーンベルト構想」における拠点公園として計画された総合公園。1982(昭和57)年に着工し、2005(平成17)年に グランドオープンした。基本設計は世界的に著名な彫刻家イサム・ノグチが手がけ、「全体をひとつの彫刻作品とする」というコンセプトのもとに造成が進められた。広大な敷地には幾何学形態を多用した山や噴水、遊具などの施設が整然と配置されており、自然とアートが融合した美しい景観を楽しむことができた。広大な公園で子どもたちが自由に遊び楽しめる公園で、レンタル自転車で回ってみた。台風5号の影響か風が少し強く吹いていたが、涼しくてサイクリングを楽しむことができて子どもたちも喜んでいた。(上の写真)
その後、小樽市に移動し、堺本町通りの商店街(上から3枚目写真)を散策しながらルタオの原点である本店に(下の写真)。オープン以来毎日手づくりのケーキを作り続けているところで、今回2Fカフェでこだわりの紅茶と一緒に手づくりのケーキを楽しんだ。人気があるだけにやはり美味しいケーキだったなぁ~。その後、宿泊の「かんぽの宿小樽」へ。
2016年8月8日月曜日
北海道旅行2日(旭山動物園)
日本最北の動物園の旭山動物園へ。2009年2月公開の「旭山動物園物語」をみてから一度訪れたいと思っていたのが実現。この日は朝から台風5号の影響か、朝から少し蒸し暑く日中は、すごく暑く(33~4℃)て、子どもたちも暑さと混雑でうんざりだった。
ここは、動物にとって快適な空間を作り出し、動物が本来持っている生態・行動を引き出して見てもらうという「行動展示」の手法で、一躍全国的に有名になり、月間入場者数で東京の上野動物園を抜くなど、超人気の動物園である。この日も夏休みでたくさんの子どもたちで混雑していた。
マリンウェイと呼ばれる水中トンネルを泳いで上下する姿が見られる「あざらし館」、モグモグタイムには地上17mでの空中散歩(綱渡り)が見られる「おらんうーたん館」、ヒョウの昼寝が頭上に見える、ライオン・トラ・ヒョウなどが間近に見られる「もうじゅう館」、巨大遊具で自由に遊ぶ姿が見られる「チンパンジーの森」、樹上生活者としての習性が引き出され上手な木登りを見ることができる「レッサーパンダの吊り橋」など約2時間にわたって見て回った。が、暑さの影響かあまり動かずじっとしている動物が多かった。
その後、美瑛のレストラン「花七曜」でランチし、国道237号線沿いの上富良野町と美瑛町の境界にある丘の農園「かんのファーム」(7年前にツアーで訪れたところで2回目)で、ラベンダーの他、数10種類の花々の丘をみながら少し散策。 ここで3時過ぎになり、宿泊の札幌定山渓温泉「鹿の湯(花もみじ)」へ到着したのは、午後7時半になって、長距離で結構疲れてしまい┐(´∀`)┌ヤレヤレだった。
ここは、動物にとって快適な空間を作り出し、動物が本来持っている生態・行動を引き出して見てもらうという「行動展示」の手法で、一躍全国的に有名になり、月間入場者数で東京の上野動物園を抜くなど、超人気の動物園である。この日も夏休みでたくさんの子どもたちで混雑していた。

マリンウェイと呼ばれる水中トンネルを泳いで上下する姿が見られる「あざらし館」、モグモグタイムには地上17mでの空中散歩(綱渡り)が見られる「おらんうーたん館」、ヒョウの昼寝が頭上に見える、ライオン・トラ・ヒョウなどが間近に見られる「もうじゅう館」、巨大遊具で自由に遊ぶ姿が見られる「チンパンジーの森」、樹上生活者としての習性が引き出され上手な木登りを見ることができる「レッサーパンダの吊り橋」など約2時間にわたって見て回った。が、暑さの影響かあまり動かずじっとしている動物が多かった。
その後、美瑛のレストラン「花七曜」でランチし、国道237号線沿いの上富良野町と美瑛町の境界にある丘の農園「かんのファーム」(7年前にツアーで訪れたところで2回目)で、ラベンダーの他、数10種類の花々の丘をみながら少し散策。 ここで3時過ぎになり、宿泊の札幌定山渓温泉「鹿の湯(花もみじ)」へ到着したのは、午後7時半になって、長距離で結構疲れてしまい┐(´∀`)┌ヤレヤレだった。
2016年8月7日日曜日
北海道旅行初日(旭川市)
7日(日)から10日(水)まで次女家族(夫婦・もうすぐ2歳と4歳になる孫娘)と北海道旅行。主な行先は旭山動物園、上富良野の「かんのファーム」、札幌市のモエレ沼公園、小樽市堺町本町通り、小樽運河などの観光。初日は大阪伊丹空港発11時10分発A773便にて新千歳空港へ。大阪伊丹空港に10時に到着したが、手荷物の手続き(荷物検査)に長蛇の列で搭乗出来たのは出発の5分前、その後、まだ30名の未搭乗者が出て約20分遅れの出発だった。夏休みの影響もあり空港内はごった返ししていた。
新千歳空港に到着後、オリックスレンタカー新千歳空港店へ送迎バス(約10分)で移動し、ミニバンワゴンをレンタル(運転:娘婿)。14時半、ここから旭川に向けて出発、途中千歳航空祭で大渋滞、また途中、幼児のトイレ休憩や車酔もあって予定より大幅に遅れて6時半に宿泊の「アートホテルズ旭川」に到着。(上の写真) 夕食は6日にオープンした最上階15階にあるワンフロアまるごと270度パノラマビューを望む「北海道スカイテラス MINORI(ミノリ)」にてバイキング。まだ、オープンして2日目で内部は大変綺麗で、料理の種類も多くて美味しかったよ!(中の写真)
当日、ホテル近辺の散策ができなかったので、翌日朝6時半から約12~3分のJR旭川駅まで散策。その後駅構内をみてから駅前の平和通り(両側に樹木が植えられた買物公園で、両側にはいろんな店屋が並びちょっとした憩いの場、下の写真で正面が旭川駅)を散策した。約30分の散策だったが、道路も広いし緑も多いよいところだと感じた。
2016年8月2日火曜日
ポケモン探し
2~3日前の朝日新聞に、大阪北区の扇町公園にはポケモンが多く、また変わった種類のポケポンが出現、多くの人たちが集まってGETしているとのことが掲載された。そのこともあってポケモン探しに扇町公園に出掛けてみた。京阪北浜駅から北に向かって扇町公園まで約30分、暑い中ウオーキングの途中スマホの電池切れやトレーナーが動かない、何らかの原因でAPPがダウンしたりでスマホの調子が悪く? 結果的には一匹もGETできなかった。扇町公園に着くと木陰のいたるところで、ポケモンGOをする人たちが多く集まっていた。やはり情報通りポケモンが出現してGETできるポイントになっているようだった。
今回はスマホの電池切れなどもあってGETできなかったのが残念だった。が、乗車の京阪牧野駅で6匹GETできたのはよかったなぁ~。
そのあと、天神橋商店街を歩いて「繁昌亭」の方から境内に入り大阪天満宮に参拝。参拝後正門左に曲がって斜向いにある料亭「相生楼」の門前に『川端康成生誕之地』と記された石碑がひっそりと建っていた。ここで生まれたということを初めて知った。
日本人初のノーベル文学賞を受賞し、「伊豆の踊り子」「雪国」「古都」などの作品で知られる川端康成は、明治32年(1899)6月14日、大阪市北区此花町1丁目79番地(現在の北区天神橋1)で生まれた。康成の父で医師だった栄吉はこの地で開業していたのだが、しかし結核を患い、明治34年(1901)に死去。翌年、母・ゲンも亡くなり、康成は姉と共に祖父母に引きとられ、大阪府三島郡豊川村(現在の茨木市)に移り住んだ。その後、康成は茨木中学校から東京の第一高等学校、東京帝国大学へ進み、文壇で活躍するが1974年4月16日に死去。1985年には茨木市に川端康成文学館が開館し、いまも多くのファンが訪れている。機会をつくって訪れてみたい。
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