2013年12月28日土曜日

琵琶湖南湖岸のコハクチョウ

久しぶりに琵琶湖南湖岸(草津市志那町)のコハクチョウを見たくて立ち寄った。 が、今年は飛来数はゼロとのことでみられず残念だった。 毎年冬季に飛来するコハクチョウや水鳥の観測と保護活動をしている「草津湖岸コハクチョウを愛する会」(ボランティア団体)によると2008年から飛来数が激減し、昨年度(2012~2013年3月)は延べ79羽(最大1日3羽)で、2001年に観測を開始以来、過去最低の飛来数となったとのこと。
その考えられる要因は、地球温暖化も考えられるが、人間によって湖岸の開発が進み生息地を脅かしている問題もあるとのこと。 来年1~2月には何羽かの飛来があるだろうとの話だったが、もっとも近場の琵琶湖南湖岸で見られないのは寂しいものだ。水鳥はたくさん飛来していた。(写真の右下は、湖岸に設置された観測小屋、ここにコハクチョウの写真や資料が展示されている。)

2013年12月26日木曜日

映画「永遠の0」鑑賞

21日から一般公開された東宝映画「永遠の0」を久しぶりに鑑賞。 主演は岡田准一、我が枚方市御殿山(自宅から自転車で約10分に実家あり) 出身で、テレビや映画でも大活躍。最近の映画では「天地明察」(2012年)、「図書館戦争」(2013年)の主演や来年NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」(黒田官兵衛の役)を演じるなど、すごい活躍ですごいなぁ~と改めて思う。
芸能界に入った切っ掛けは、中学2年のとき、母親が本人に言わずに「天才・たけしの元気の出るテレビ」内のコーナー「ジャニーズ予備校」に応募し、合格したことでこの世界に。平成7年に「V6」のメンバーとしてデビュー、その後俳優としてもドラマや映画で活躍し今日に至っている。 本人は顧問の先生に憧れて教師を目指そうと考えていたそうだが、母親がピアノの先生であったこともあり、先見の目があったのではないだろうか。 昔から住んでいる人の話では、他の子ども達とは随分と顔立ちも含めて抜き出ていたそうだ。 くりっとした目や眉毛などなかなかの顔立ちでカッコイイ。現在ひらかたパークのイメージキャラクターー「超ひらパーの兄ちゃん」として枚方を盛り上げようと頑張っているし、枚方の誇れるスターといえるだろう。応援をしたいものだ。 来年広報1月号に新春インタービューが掲載されている。(写真は広報1月号から転載) 枚方出身の俳優は、故森繁久彌・内藤剛志・賀来千香子・ 森脇健児さんなど有名な俳優が多い。              
この映画「永遠の0」の概略ストーリは、司法試験に落ち続け人生の目標を失いかけた青年・佐伯健太郎()は、フリーライターの姉・慶子と一緒に、太平洋戦争で特攻により戦死した祖父・宮部久蔵について調べ始める。凄腕を持ちながらも異常なまでに死を恐れ、生きることに執着した戦闘機乗りだった久蔵。なぜそんな彼が特攻に志願したのか。元戦友たちの証言から祖父の意外な姿が浮かび上がってくる。そして、次第に戦後60年にわたり封印されてきた驚きの事実が明らかになる。(続きは映画や公式サイトで) 

2013年12月16日月曜日

大阪中之島のイルミネーション

梅田に用事で行った帰り、16日から開催されている恒例の中之島「OSAKA光のルネサンス2013」を見た。今年は光と音楽が織りなすファンタジックな空間が楽しめるようになっていて、その中でも約100年の歴史ある大阪市中央公会堂正面で繰り広げるストーリー仕立ての3Dマッピングに見ごたえがあった。
それ以外に有料であるが「あべの・天王寺イルミナージュ」(昨年から日本イルミネーション協会が主催、1000円)、「大阪城3Dマッピングスーパーイルミネーション」(今年から大阪観光局・ハウステンボスが主催、2000~3000円)があり、今年中に見に行きたいが時間が取れず、来年になりそうだ。1月末頃までやっているので機会を見つけて行ってみたい。(写真は16日に撮影)

2013年12月9日月曜日

警部シリーズの2回目エキストラ

2日に続いて9時~17時過ぎまで、「総本山圓満院門跡」にて撮影が行われた警部シリーズのエキストラとして参加(約60名)。 今回、和服が似合うと聞いて、もうすっかり忘れていた着物を着て行こうと、箪笥にしまい込んでいた着物を取り出し、30数年?ぶりに着て参加した。(これは亡き母親が、50年前?に縫ってくれた着物)
そのお蔭か? よいポジションで出演が出来て、非常にラッキーだった。 放送はまだまだ先と思われるが楽しみなドラマになりそうだ。
(撮影の詳しい掲載は、ルール違反になるため省略、放送後に記載の予定)

2013年12月2日月曜日

警部シリーズのエキストラ

8時~18時過ぎまで三井寺内にある「総本山圓満院門跡」にて警部シリーズの撮影が行われエキストラとして参加(約60名)。今回、初めて羽織・袴を着たお金持ちの旦那役(今まで一般の見物客、通行人など)として3人が選ばれた。2人は背も高く恰幅よく羽織・袴を着ると本当に金持ちの旦那にみえるが、自分はどうも金持ちの旦那には縁が遠いのに何故と疑問に思って人選した人(若い職員女性)に聞くと、和服が似合っているからとのこと、それを聞いて少し納得・・・。 今回は出番もそれなりに多く男・女優の横に立つこともあって、よい役でよかった。バッチリとTVに映るだろう!(^○^) (撮影の詳しい掲載は、ルール違反になるため省略、放送後に記載の予定)
この総本山圓満院門跡は、今から約1,000年前の平安時代、村上天皇の皇子悟円法親王によって開創された天台宗の寺院で長く天台寺門宗総本山園城寺(三井寺)の中枢に位置していた。園城寺は西暦869年には延暦寺別院となっている。圓満院は歴代皇族の入室する門跡となり、その師跡は三井寺内平等院(圓満院)と相承され、圓満院門跡は歴代平等院と号し、のちには宇治に平等院ができるに至ってその名を譲り以後圓満院とのみ称するようになった。圓満院は全国17ヶ寺しかない門跡寺院で、門跡寺院とは皇族その他の出身者によって相承される特定の寺院を指す称号で、元来経済的にも豊かで格式の備わった寺観を造営し、また仏像や仏殿の創造にも資力を投入して、宗教美術史的な点から見ても門跡寺院の文化価値はきわめて高いものと言われている。 重要文化財である宸殿は京都御所より正保4年(1647年)移築された書院造りの建築物で桧皮葺の唐破風玄関を除き柿葺で、桃山文化をよく伝えている内裏建築、いわゆる御所建築の遺構としてきわめて重要なものである。写真が重要文化財である宸殿で、ここで撮影が行われた。庭園の紅葉は少し時期が過ぎていたが、よい庭園だった。

2013年12月1日日曜日

「サントリー一万人の第九」本番

第31回「サントリー一万人の第九」の本番を迎えた。喉風邪は治っているが、本番に歌えるか心配だったが、声は最後の第九だけにとの思いで出場した。 今年のゲストは加山雄三さん、仙台の中継で華原朋美さん、朗読で仲間由紀恵さん。第1部は「オリンピックファンファーレ&テーマ」でオープニング、続いて加山雄三さんの歌、お馴染みの1965年発売の5枚目のシングル盤で、セリフの「幸せだなあ」が流行語になった『君といつまでも』、若いころから船に憧れ、造船技術にも長けている海の男・加山雄三の『海 その愛』、この歌は男性合唱団も斉唱した。その後仙台の中継で華原朋美さんの歌『LOVE IS ALL MUSIC』、次に加山雄三さんのイギリス人牧師ジョージ・ニュートン作詞による讃美歌で、ゴスペルの名曲『アメイジング・グレイス』、この歌も合唱団全員が合唱した。仙台の中継を除いて、指揮は佐渡さん、演奏は兵庫芸術文化センター管弦楽団、淀工吹奏楽部、スーパーキッズ・オーケストラ。
第2部は、まず仲間由紀恵さんの朗読『歓喜に寄せて』がありベートーヴェン『交響曲第9番二短調作品125「合唱付き」』演奏が始まった。指揮は佐渡裕さん、ソリストは並河寿美(ソプラノ)、手嶋眞佐子(メゾ・ソプラノ)、西村悟(テノール)、キュウ・ウォン・ハン(バリトン)さん、演奏は一万人の第九オーケストラ、合唱は一万の第九合唱団と第九東北合唱団。 最後は『蛍の光』を全員で歌って会場も盛り上がって終わる。風邪で心配した声も出て歌うことが出来て、感動した今年最後の第九も終わった。\(^o^)/ 毎年、終われば京橋で打上げをしていたが、今年は出場申込みで落選、法事で不参加、急逝されたりなどで、自分ひとりで少し寂しい第九だった。 今回で第九演奏会出場43回だったが、目標の50回へ来年も( Θ_Θ)挑戦!

2013年11月30日土曜日

「サントリー一万人の第九」リハーサル

今年で12回目出場となる「一万人の第九」のリハーサルが行われた。先日25日の「工学部学友会」の「フォト同好会」で、タイ旅行で引いた喉風邪も治っていたが、予防もかねてマスクをかけていたのを京都駅(10時頃)からもう大丈夫との思いで午後4時頃まで外して過ごした。午後から雨降りで寒さも少しあってか夕方から喉の具合が少しおかしく、朝起きるとすっかり扁桃腺も腫れて喉風邪になってしまい、シマッタトと後悔。 何とか30日のリハーサルまでには治そうと、医院で早く治る薬をもらい服用、その影響で当日にはほぼ治って歌えるだろうと思って歌うと咳がでてなかなか止まらない。 そのため仕方なく口パクで、明日は何とか最後の本番(第九)にはちゃんと歌いたいとなぁ~と願いつつ早く寝た。 今年31回目を迎えた「サントリー一万人の第九」会場のスタイルが、今までの横長方向から縦長方向(写真の通り)に変わっていた。今までの横長方向が良いのにと思うが・・・・来年はどうなる??   今回、座席は昨年と同様、アリナ席で舞台から向かって右6列、前に椅子がなかったので、足も延ばせたりトイレに行くにもよかった。ヨカターヨ・゚・(ノД`)・゚・

2013年11月25日月曜日

京都東福寺の紅葉

第6回「工学部学友会」フォト同好会(「東福寺の紅葉撮影兼写真鑑賞会」)を実施。行程は10時に京都駅中央改札口出た0番ホームに集合⇒JR奈良線で東福寺駅で下車⇒「東福寺の境内(通天橋の紅葉)」で1時間撮影(~11時半頃)⇒「東福寺の方丈庭園」⇒東福寺の三門などでの撮影(12時半頃)⇒東福寺北側にある「栗棘庵」で昼食と庭園撮影(~13:40頃)⇒京阪電車で祇園四條下車⇒「ぎゃらりい西利」京都祇園店3~4階にて写真グループ「フォト禅」の第31回写真展「四季有情」を鑑賞⇒「ぎゃらりい西利」京都祇園店2階の喫茶で歓談、15時半頃解散。
当初11月24日(日)を計画をしていたが、相当混雑が予想されると思われるので1日ずらして25日(月)に実施。24日の状態を尋ねると天候もよくて通天橋などでは身動きが出来ない程の混雑だったようで、1日ずらしたことが正解とのことだった。しかし、残念にも天候には恵まれず午前中は何とか撮影には差し支えない状況で幸いだったが、12時半過ぎからは本降りとなり撮影する状況ではなくなっていた。「東福寺」の撮影では、通天橋など観光客で混雑していたが、それなりに撮影して楽しむことが出来た。また、天候のよい日にゆっくりと撮りに行きたいものだ。(今年はチョット無理やけど・・・) また、「フォト禅」の第31回写真展「四季有情」(28名の41点の写真展示)では、それぞれ一味違う素晴らしい風景を中心にした写真を鑑賞することが出来た。 風景写真を撮影する上で一つ勉強になったかなぁ~と思われる。

2013年11月21日木曜日

秋のレクリェーションに参加

会社OB会の秋のレクリェーション(奥丹波の紅葉狩と味覚三昧の旅)に参加。今回、参加者115名、バス3台のバス旅行は、今までにない多くの参加者だった。奥丹波紅葉三山である光源寺円通寺石龕寺(せきがんじ)へ参拝し、知る人ぞ知る紅葉の名所を楽しむ企画だった。まず、光源寺は、1325年(鎌倉時代)に遠谿祖雄(えんけいそゆう)禅師によって開創された臨済宗中峰派の本山である。「天目かえで」が有名であるが、それ以外の紅葉も2週間ほど前がピークで大分散って綺麗な紅葉を観ることが出来なかった。 円通寺は、南北朝時代1382年、時の将軍足利義満が、後円融天皇の勅命を奉じて創建し、今日まで六百余年の歳月を経た禅宗の古刹である。ここの紅葉も一週間ほど前がピークで多くの紅葉の葉っぱの先が枯れて写真にはもう一つだった。 石龕寺(せきがんじ)587年、聖徳太子による創建と伝えられる。聖徳太子が深く帰依した毘沙門天を本尊とし、寺号の「龕」とは、仏像などを安置する厨子や壁面の窪みを意味する。本堂から山上約800mに奥の院があり、その石窟が石龕寺の寺号の由来となっている。ここの紅葉も円通寺と同じく一週間ほど前がピークであったようだ。 今回、奥丹波の三山の紅葉を大いに期待していたが、全く期待外れに終わった。ザンネン!

2013年11月18日月曜日

タイ旅行(カンチャナブリ観光)

バンコク市内からバスで約3時間半のところにあるカンチャナブリ観光へ。 クワイ川に架かる全長300メートルのクワイ川鉄橋は、日本軍が敷設した泰緬鉄道が通る橋。映画「戦場に架ける橋」の舞台になったことでもよく知られている。 約7000名の連合軍兵士らが眠る墓地や周辺に点在する戦争関連施設の一つ「戦争博物館」の見物、クワイ鉄橋を往復歩いて渡ったりした。 また、クワイ川鉄橋駅からナムトック駅まで、泰緬鉄道の列車に乗車(約70分)した。木造のアルヒル桟道橋付近にあるS字カーブをゆっくりとギシギシと音をたてながら通過し、車窓からゆるやかに流れるクワイ川の眺めも楽しだ。 クワイ川の水は茶褐色(泥水)で、あまり綺麗ではなかった。当初、クワイ鉄橋駅10時半発の予定が11時になり、遅れに遅れて12時50分発になってしまい、昼食は14時40分だった。日本では考えられない状態で待ち疲れてしまった。(写真の上左:クワイ鉄橋、上右:乗車した列車、 下左:アルヒル桟橋鉄橋S字カーブ、下右:クワイ川の風景)

2013年11月17日日曜日

タイ旅行(アユタヤ観光)

バンコク市内からバスで約2時間にある世界遺産アユタヤ遺跡に。1351年にウートン王によって建都されてから、1767年にビルマ軍の攻撃で破壊されるまでの417年間、アユタヤ王朝の都としてタイの中心であり続けた都市。チャオプラヤー川とその支流に囲まれた地形は水運に恵まれ、17世紀はじめにはヨーロッパと東アジアを結ぶ国際貿易都市として繁栄した。素晴らしい建築美を誇る歴代王の離宮、かつて栄華を極めた古都の壮大な歴史が眠る遺跡の街・アユタヤ。現代にその当時の姿をつたえる荘厳な遺跡群を観ることが出来た。(1991年にユネスコ世界遺産にも登録) 夕食後、マンボ・キャバレーで、19時15分からのニューハ―フショー(毎晩3回公演)をみた。前1列のVIP席でテーブルとドリンク付で最高の席だった。1時間ほどで15~16の出し物があり、ダンスも演出もテンポ良く飽きさせないし、衣装も豪華でだった。 聖子ちゃんに似ているニューハーフを含めて非常にきれいで、時々客席まで握手しにきてくれるサービスなどもあって楽しめた。 フィナーレは、ダンサー全員が客席に降り握手をしてくれるなどのサービスもあり盛り上がっていた。女性客も多かった。ショーが終わりロビーに行くと、ダンサーが全員集合し、記念写真に気軽に応じていた。友人と一緒に聖子ちゃんに似ているニューハーフと記念写真を撮った。チップとして一人50バーツ(約170円)を払った。タイの人口約6500万人で女性が約60%、男性が約40%、内ニューハーフが約5%とのことで少し驚いた。(女性ガイドの話)


2013年11月16日土曜日

タイ旅行(バンコク観光)

15日~19日、3都市巡り5日間ツアー(バンコク・アユタカ・カンチャナプリ)に友人と出かけた。大まかな行程は、15日:関空に14時50分集合、17時10分出発(JL727便)→バンコク空港午後8時20分(現地時間で日本時間は午後10時20分)→WINDOSOR SUITES HOTELで宿泊(3日間)、16日:バンコク市内観光で暁の寺(ワット・アルン)へ、渡し舟でチャオプラヤー川を往復→歴代の国王によって建築された王宮やエメラルド寺院→(午後)メークロン市場の見物(路線市場で有名な市場)→(夜)船でホタル観賞クルーズ、17日:世界遺産アユタヤ遺跡公園の観光→アユタヤの水上マーケット散策→バンコクで夕食しながらタイ古典舞踊ショーを鑑賞、オプションのニューハーフショーを見物、19日:映画「戦場にかける橋」の舞台になったクウェー川鉄橋の見物→泰緬鉄道の列車約70分乗車→夕食(中華料理)→バンコク空港午前1時30分発(日本時間3時30分、JL728便)→関空8時10分着で帰国。16日午前は、まず「ワットアルン」は、『ワット』はタイ語でいう「お寺」、『アルン』は「暁」を表し、三島由紀夫の小説の舞台にもなった「暁の寺」。チャオプラヤー川の向こう岸に位置するワットアルンへは、「ターティアン船着場」から渡し舟に約5分乗るがチャオプラヤー川とワットアルンを全体的に見渡せるので絶好の写真撮影のポイントであった。ワットアルンは、この高くそびえる色とりどりの5基の仏塔。大仏塔の高さは75メートル、台座の周りは234メートル。色とりどりの飾りは、砕いて嵌め込まれた陶器。他のタイ仏教寺院とは趣を異にしたつくりになっている。すばらしい仏塔だった。 王宮「ワットプラケオ」は、タイで最高の地位と格式を誇る仏教寺院で、王室の守護寺でもある由緒正しき寺院。広大な敷地にある仏塔には仏舎利(仏陀の遺骨)が収められており、その美しい姿(黄金色の仏塔)に圧倒されるほどで素晴らしい。ワットポー(涅槃仏寺)は市内の3大寺院のひとつで、バンコク最古の歴史を持つ寺院。巨大な涅槃仏が横たわっていることで有名、またタイ古式マッサージの総本山としても知られている。午後はタイ国鉄運営のローカル線・メークロン線の線路上の市場で、列車が通る時にみんなで協力してサッと片付け、通り過ぎるとまた営業再開するというもの。列車が通るときの風景をみる予定だったが残念にも見られなかった。また、水上マーケット(川の水は泥水)も見物したが、どちらもあまり衛生的な市場ではなく、あっちこっちにゴミも散乱し、何ともいえない臭いも漂っていた。今回、胃腸が悪くならないことを考えて生水、生野菜、氷の入ったソフトドリンク、皮をむいた果物などは敬遠した。(参加者の中には、そんなことを考えず?平気で飲食する人もいた。)

2013年11月2日土曜日

「プーシキン美術館展」を鑑賞

http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/main.html

神戸市立博物館で9月28日から開催されているフランス絵画300年「プーシキン美術館展」を観に行った。この美術館は、ロシアの首都モスクワの中心地に位置し、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館とならんで、世界的な西洋絵画コレクションを誇る国立美術館。絵画、版画、彫刻など67万点を超す収蔵作品は、古代エジプトから近代にいたるヨーロッパ美術の流れを幅広く概観できる、その多様性が特徴。なかでも、印象派からマティス、ピカソまで、屈指の名品を揃えたフランス近代絵画のコレクションは極めて高い水準を誇っている。1912年、「モスクワ大学附属アレクサンドル3世美術館」として開館し、ロシア革命を機に「モスクワ美術館」と名を変え、さらに文豪アレクサンドル・プーシキンの没後100年を記念して、1937年に現在の名称に改められた。(省略)
17世紀古典主義の巨匠プッサンにはじまり、18世紀ロココの代表ブーシェ、19世紀のアングル、ドラクロワ、ミレー、印象派やポスト印象派のモネ、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、そして20世紀のピカソやマティスまで――。プーシキン美術館のコレクションの中核をなすフランス絵画の質の高さは、フランス本国もうらやむほどのもの。今回は、選りすぐりの66点で、フランス絵画300年の栄光の歴史をたどり、なかでも、ルノワールの印象派時代最高の肖像画と評される≪ジャンヌ・サマリーの肖像≫が売りだった。(下の写真) 

2013年10月27日日曜日

伊藤忠兵衛記念館へ

旧豊郷小学校から南に約300mのところにある「伊藤忠兵衛記念館」を初めて見物した。この伊藤忠兵衛記念館は、初代伊藤忠兵衛の百回忌を記念して、初代忠兵衛が暮らし、二代忠兵衛が生まれた豊郷町にある旧邸(1998年に財団法人豊郷済美会に寄贈)を整備し、2002年4月より一般開放されている。入場料は無料であった。初代忠兵衛、二代忠兵衛の愛用品をはじめ、多くの資料が展示され、繊維卸商から「総合商社」への道を拓いたその足跡が紹介されていた。
初代忠兵衛がわずか15歳(1958年)の若さで、大阪経由、泉州、紀州へ近江麻布を持ち下り商いをはじめて以来、幕末から明治の初・中期という激動の時代に、全く独立独歩で各種の事業を興し、それらを大きく育て上げた。そこには革新と慈悲が生涯を貫き、偉業を達成させた原動力になった。伊藤忠商事㈱の創業日は、初代忠兵衛が15歳(1958年)で持ち下り商いをはじめた年になっている。
1903年初代忠兵衛が61歳で逝去、次男が二代目を相続襲名(17歳)し、初代から事業を受け継ぎ、それをさらに近代的な経営体へ変革するとともに取り扱い商品の幅を広げ、海外へ事業フィールドを拡張させた。いわば、今日の総合商社の基礎を作り上げた実業家だといえる。しかも、恐怖と戦争の時代に巨大化する組織を率いて見事にそれを成し遂げたのである。 総合商社の丸紅㈱は、初代伊藤忠兵衛の伊藤忠商店と伊藤長兵衛商店が合併(1921年)し、その後1945年にそれぞれ独立(伊藤忠商事㈱、丸紅㈱に独立)して今日に至っている。伊藤長兵衛邸の旧屋敷跡もすぐ近く(旧豊郷小学校と「伊藤忠兵衛記念館」の中間)にあった。
今回、伊藤忠商事㈱、丸紅㈱の創業者が豊郷町と知っていたが初めて訪れ見学し、その偉大さを改めて痛切に感じた。

旧豊郷小学校を訪問




滋賀豊郷町にある旧豊郷小学校をある用件で訪れた。数年前に古くなった校舎の建て替えか保存かで町が二分し、大きく新聞やテレビで報道され全国的に有名になった小学校である。結果的には建て替えせず旧小学校が保存され、その裏に新しい小学校が建てられた。この旧小学校は、昭和12年(1937年)5月30日、設計を担当した故ヴォーリズ氏により「日本一、東洋一」と人々にいわれた白亜の殿堂・豊郷小学校が落成した。当時としては最新設備を整えるものであった。 「国運の進展は国民教育の振興にある」と考える故古川鉄治郎氏が老朽化した母校の移転新築を提案。幾多の試行錯誤の上、当時60万円(現在の物価で十数億円)という、実に彼の私財の3分の2にあたる巨費を投じて、この一大事業を完遂させた。この篤志の行為に歓喜した村人から賛辞が述べられるたびに、「貧者の一灯ですよ」と彼は笑った、という。故鉄治郎氏は12歳の時より叔父伊藤忠兵衛のもと、丸紅の丁稚奉公から商魂を鍛えあげ、重役として活躍し、大実業家となる。そこで培われた情味豊かな「篤」の精神が、故郷に結実したとのこと。 旧校舎の耐震補強と大規模改修工事に着手し、 平成21年5月30日リニューアルオープンした。校門、通路、校舎の外壁、廊下、講堂なども復元されて大変綺麗になっていた。現在、旧豊郷小学校の史料展示室、教育委員会、子育て支援室・老人会の事務所、豊郷町の観光室などに、また映画・ドラマの撮影などにも多く利用されている。2階に上がる手すりに銅製の「うさぎとカメ」が置かれている。これは、故古川鉄治郎氏が幼いころ先生から「誰にも見ていないところで努力し、ゆっくりと進んでいきなさい」と童謡の「うさぎとカメ」のことを教えてくれたことが、成功し財をなした一つであるとことを聞いた故ヴォーリズ氏が感動し取り入れたためとのこと。故古川鉄治郎氏の銅像は正面入り口の右側にあった。
故ヴォーリズ氏が設計した建物は全国で教会や学校、ホテルなど1600件にものぼるが、この旧小学校にも故ヴォーリズ氏らしいところが随所にみられた。

2013年10月26日土曜日

第9回「湖風会テニスの集い」に参加

第9回「湖風会テニスの集い」が滋賀県立大学のテニスコートで行われ参加。 現役の硬式テニス部員、県立大学軟式テニス部OB、工業・家政・農業学部のOBが約30名参加したが、今回OBの参加が台風27号の影響などもあってか?少なかったのは残念な結果だった。 一年ぶりにラケットを握って打ってみたが、素振りは上々だが打ってみると足がもつれてうまく打てずガタガタだった。 練習もしていないし、歳だから仕方ないのだが・・・・・。 
それでも一年ぶりの再会と少し運動も出来て楽しめたのはよかったなぁ~。

2013年10月24日木曜日

最近の映画を鑑賞

最近の映画『許されざる者』『そて父になる』『おしん』『ダイアナ』を鑑賞。
【許さざる者】の概要は、明治維新の際に北海道に落ち延びた幕府軍の生き残りである釜田十兵衛(渡辺謙)は、僻地で幼子と暮らしていた。そんな十兵衛のもとに、かつての幕府軍の仲間である馬場金吾(柄本明)がやって来た。開拓民に顔を切り刻まれた女郎がおり、その女郎仲間が犯人の開拓民に千円の懸賞金を懸けたというのだ。刀を捨てた十兵衛だが、子どもたちの冬支度の金を稼ぐため、女郎たちのいる鷲路の町へ向かう。その町は、大石一蔵(佐藤浩市)という冷酷な警察署長が支配していた。十兵衛は自分のためではなく他の者のために、あらゆる覚悟を背負い、再び刀を手にするという苦渋の決断をするというもの。主役をはじめ、役者の演技はすごいものだった。
【そして父になる】の概要は、大手建設会社に勤める野々宮良多(福山雅治)は、都内の高層マンションで妻みどり(尾野真千子)と6歳の息子慶多と3人で暮らしていた。ある日、慶多が生まれた病院から連絡がある。DNA鑑定の結果、慶多は他人の子だった。病院の仲介で会った相手方は、群馬で小さな電気店を営む斎木一家(リリーフランキー・真木よう子)。粗野で境遇も違う斎木夫婦に嫌悪感を抱く良多だが、交流を深めるうちに実子である琉晴に自分とのつながりを見いだして行く。思い悩んだ良多の決断は・・・わが実の子を引き取ることだった。お互いの夫婦が悩み抜く過程が見ものだった。
【おしん】の概要は、明治40年の冬。山形県最上川の寒村に暮らす7歳のおしん(濱田ここね)は、川下にある中川材木店に子守にとして一年間の年季奉公に出る。厳しい女中頭のつねにしごかれ、食事も満足に与えられない中、おしんは辛抱の日々を送っていた。ある日、おしんは50銭を盗んだのではないかと疑われ、そのまま店を飛び出してしまう。逃げる途中におしんは雪山の中で倒れるが、脱走兵の俊作が彼女を助けてくれた。俊作はおしんに文字を教え、ハーモニカをくれるが、脱走兵として殺される。おしんは、その後の奉公先である山形県・酒田市の米問屋「加賀屋」で、当家の跡取り娘、八代加代との深い友情と、その後の、おしんの生き方に多くの影響を与えた大奥様のくに(泉ピン子)の教えを受け、立派な女性へ成長していく・・・というもの。約2,500名の応募者の中からおしん役に選ばれたのは、まだ9歳の濱田ここねちゃん。冬の山形で約5カ月にもおよぶロケが行われ、親元を離れれ大変なロケだったようだが、さすがに演技はすばらしかった。
【ダイアナ】の概要は、現代のシンデレラストーリー。1981年保育士だったダイアナが、イギリスのチャールズ皇太子と結婚、20歳の可憐なプリンセスに人々は熱狂した。翌年には長男、続いて次男が誕生するが、伝統を重んじる王室と、現代的な都市生活を愛するダイアナとの間に溝ができていく。さらにチャールズの不倫と、ダイアナの秘密の恋が発覚。おとぎ話は離婚で終わった。初めて自分の人生を歩み始めたその矢先、1997年8月31日、事故により全世界を夢中にした36年の生涯を閉じる。彼女自身の人生・・・・、それはほんのわずか2年のことだった。
パリでの交通事故により不慮の死を遂げてから16年が経った今なお愛されるダイアナ元英国皇太子妃。伝統を重んじる王室の中で個性を押し殺して生きることができなかった彼女の葛藤とチャーミングな素顔、意外な一面がナオミ・ワッツ(ダイアナ役主演)の好演で明かされていた。よく似合っていたしすばらしい演技だった。

2013年10月18日金曜日

「ぎゃらりぃ西利」で洋画・書を鑑賞

京都祇園四条の「ぎゃらりぃ西利」を久しぶりに訪れてみた。この4階で偶然にも会社OBの人が「洋画」と「書」を展示していたので鑑賞。
この「洋画」は第19回目の出展ということで、21点が展示されていた。その内10点が海外の風景と残りが国内の祭り、風景などの洋画であった。今までみた洋画とは少し違っていたが、それなりに楽しめた。
「書」の方は洋画の人と友人ということで、初めての合同出展とのこと。 この「書」は全て左手で書いたもので、すごくうまいと感心した。 「書」は普通利き手の右で書くことであるが、あえて左手に興味を抱き挑戦したものとのことすごい。左手で書いたり、食事や歯磨きなどの生活に使うと脳の活性化のみならず何か利き手とは違うものを得ることがあるそうである。はじめはギコチないが2ヶ月もすると慣れるとのこと、一度やってみようかなぁ~! 

2013年10月15日火曜日

「花の郷 日野ダリヤ園」へ



日野町出身で還暦を迎えた同志(高校の友人も4名程参加)が地域の恩恵に感謝し、郷づくりの一端を担えればとボランティアで発起し、2002年「花の郷 ダリア園」がオープンした。10,000㎡あまりの休耕田にダリヤを主体に季節に応じた花・果樹等(いちご狩り等)の観光ファームを形成している。 現在、30名弱の人がボランティアで従事し、年間12、000~13、000人が訪れるという日野町の観光スポットの一つになっている。当日も大阪から観光バス1台がダリヤ園に来ていた。
友人に聞くと、悩みは若い60代のボランティアが来てくれないとのこと、どこでもボランティア団体となると同じような悩みがあるようだと思う。 無償ボランティアではなかなか長続きしないし来てくれない、有償ボランティアにしていかないと難しいのではないかなぁ~。
ダリヤの見ごろは少し過ぎたようだったが、いろいろなダリヤを鑑賞することができてよかった。(*^_^*)  次は来年4月末~5月初めのボタン、芍薬が良いそうだ。 また訪れてみたい。
友人に「行くよ!」と言ってから早や5~6年が過ぎ、やっとその約束が果たせた。(^○^)

2013年10月14日月曜日

五個荘近江商人屋敷見物

金堂まちなみ保存交流館→堂中通りから外村繁邸→外村宇兵衛邸→中江準五郎邸→寺前・鯉通りの弘誓寺・浄栄寺→五個荘観光センターを散策しながら見物。 平成10年12月、金堂の町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。 各邸の概要は以下の通り。
外村繁邸】隣家外村宇兵衛の分家に当たり、明治40年当主吉太郎が本家から独立、東京に呉服木綿問屋を開いたのが始まり。外村繁は明治35年に三男として生まれ、京都第三高等学校を経て東京帝国大学に進み、文学を志した。父の死後、一時家業を継いだが、 再び文学の道に入り、「草筏」「筏」「花筏」など近江商人を題材とした小説や自らの人生を綴った数多くの作品を残し、昭和36年58歳で亡くなった。本邸は、「外村繁文学館」として作品を紹介している。
外村宇兵衛邸】初代外村宇兵衛(1777~1820)は、近江商人であった六代目外村与左衛門の末子。後に分家し、1813年に独立経営。主に呉服太物を商う。明治期には全国の長者番付に名を連ねる。明治29年(1896)ころの隆盛時には、2720㎡の敷地に主屋・書院・大蔵など、蔵が十数棟建ち並んでいた。外村繁邸の本家にあたる。平成4年に町指定史跡「近江商人屋敷旧外村宇兵衛邸」として指定、平成6年6月より一般公開。
中江準五郎邸】昭和初期、朝鮮半島や中国で三中井百貨店を築いた中江家4兄弟の末弟の準五郎の本宅。明治38年(1905)、朝鮮大邱に三中井呉服店を創業し、昭和9年(1934)に株式会社三中井百貨店となる。戦前まで、本宅を金堂に置き、朝鮮半島・中国で約20店舗を経営した。蔵の中には五個荘が生んだ郷土玩具・小幡人形と全国の土人形を多数展示紹介している。
以前から訪れてみたいと思っていたのが、やっとかなって金堂まちなみをゆっくりと散策し、五個荘の近江商人を改めて学ぶことが出来た。また、大阪商人、伊勢商人と並ぶ日本三大商人の一つと言われる近江商人が自分たちだけに好都合な取引のみでは満足せず、第三者の目、すなわち周囲や地域の人々のことを絶えず視野に入れていたと言う「売り手よし、買い手よし、世間よし」の3方よしも改めて学び認識を深めた。近江商人として成功した商人の屋敷や庭園は、さすがに立派であることも改めて知ることができた。

五個荘近江商人博物館・屋敷見物

近江商人とは、近江を本宅・本店とし、他国へ行商した商人の総称で、個別には「高島商人、八幡商人、日野商人、湖東商人」などと呼ばれ、それぞれ特定の地域から発祥し、活躍した場所や取り扱う商品にも様々な違いがあるのも特徴である。今回、湖東商人と呼ばれる五個荘の商人邸を見物した。 まず、近江商人博物館→藤井彦四郎邸→金堂まちなみ保存交流館→堂中通りから外村繁邸→外村宇兵衛邸→中江準五郎邸→寺前・鯉通りの弘誓寺・浄栄寺→五個荘観光センターを見物した。
近江商人博物館では、近江商人を知る第一歩として、映像やジオラマを用いて地域の歴史、近江商人の商法や家訓、その暮らしや文化、教育などさまざまな角度から、展示紹介されていた。
藤井彦四郎邸では、藤井彦四郎(1876-1956)が近江商人の三代目藤井善助の次男として生まれ、後に分家して藤井糸店を創業。当時、珍しかった人造絹糸や「小町糸」の発売、「スキー毛糸」の製造販売など時代を敏感にとらえて、一代で成功したこと。屋敷地には、藤井彦四郎自身の構想で珍石・名木を配し、琵琶湖を模した池を中心に設けた池泉廻遊式の大庭園をはじめ、主屋、客殿、洋館、土蔵が建ち並んでいて大変立派なもので見ごたえがあった。

2013年10月11日金曜日

第12回ナルク「秋のつどい」に参加

ナルク「天の川クラブ」恒例の第12回「秋のつどい」2013が交野市「星の里いわふね」で約220名の参加のもとで開催され参加した。
いつものように10回目の広報担当で写真・ビデオ撮影をしたが、この「秋につどい」も今回で終了、来年はまた違った形で行われる予定。
第一部は11時から開会され実行委員長の話があり、ナルク本部役員による乾杯後食事・懇親が行われた。食事の用意は各地区会の人達が、それぞれヤキソバ・焼き鳥・焼肉・おにぎり・デザートを担当。飲み物も多く用意され、楽しい昼食懇親会が行われた。
第二部は13時10分から体育館(ホール)にてオー・ジンズ(中村・小松・早川氏の3名グループ)のフォークソングの演奏、大正琴演奏、口笛(演奏)、抽選会があり終了した。
当初、雨降りとの予報であったが、早朝には雨も上がり9時には晴れ間も出て参加の皆さんは楽しい一日を過ごせたようだった。
これから写真やビデオ編集をして、DVD作成やHPへの掲載が残っており、ヤレヤレ終わったということではなく、これからが大変だぁ~~。

2013年10月5日土曜日

「げんき~」Gのボランティア活動

障害福祉サービス事業所「南海香里のさと」のふれあいまつりが行われ、「げんき~」Gがボランティアとして6名が参加。 出し物はいつもの「歌体操」「新舞踊」「どじょうすくい」「南京玉すだれ」で約30分間の活動。それ以外には、マジックショー、みんなで歌おう、仲間の歌や踊りの発表などがあり、結構賑わっていた。 従来は老健施や老人会などへの活動が多かったが、今回は初めて障害者の施設だった。 終わって昼食に模擬店でカレー、みたらし団子、コーヒーを飲食して、謝礼金(1万円)をもらって終わった。今回、なぜか待遇がよかったなぁ~。(*^_^*)

2013年9月29日日曜日

「ThePartner」放送

TBS系(毎日放送)のSPドラマ『The Partner 〜愛しき百年の友へ〜』が放送された。このドラマは日本とベトナムの国交樹立40周年を記念して、日本のTBSテレビとべトナムのVTVによる、初の共同制作で作られたもので、両国で同日放送された。今から40年前の9月21日に日本とベトナムは国交を結んだが、実はそれよりももっと前、今から100年前の明治時代に日本人とベトナム人の厚い友情の結びつきがあったのである。このドラマは、その100年前の実話を元にした歴史物語と、現在の日本とベトナムの話を織り交ぜたストーリーで、日本とベトナムの知られざる歴史上の秘話を描いている。主役を務めるのは海外でも大人気の東山紀之・そしてパートナーを組むのは、ベトナムの大人気俳優、ファン・フィン・ドン。二人とも明治時代と現代のパートで一人二役を演じている。その他日本からは武井咲、芦田愛菜など。ベトナムからは若い世代に絶大な人気がある女優のグェン・ラン・フォンなど、『The Partner』のタイトルにふさわしい顔ぶれである。このSPドラマに6月29日に龍谷大学大宮キャンパスでの明治時代の駅前広場での通行人、7月15日敦賀港にて行われた同じく通行人として出演。明治時代のため大宮キャンパスでは、その洋装でヒゲを付け帽子を被って、敦賀港では和装で眼鏡をかけ、杖をついてのスタイルで出演。放送では大宮キャンパスで東山紀之・ファン・フィン・ドンのすぐ横にいたのでバッチリト映る筈だったが、カットされて首から下しか映っていなかった。 ザンネン!! 敦賀港ではファン・フィン・ドンが走るシーンの左横だったので映ったが、ピントがずれていたのでボケて映っていた。下の写真の電車、上の写真の船はCGで制作されたもの、上の写真は絵に描いたようなシーンで、うまくできるものだと感心。 (^○^)。

2013年9月22日日曜日

くずは写真クラブの写真展へ

くずは写真クラブの第16回写真展が八幡市立松花堂にて行われたので観に出かけた。昨年まではくずはモールにて行われたいたが改築のため、今年のみ場所が変わった。知人や講師も含め22名の力作が、「自由課題」(45点)と「音」(22点)テーマに合計67店が展示されていた。休日でもあったので、多くの入場で賑わっていた。 久しぶりの写真展を楽しんだ。終わってから松花堂内にある京都「吉兆」でコーヒーを奢ってもらって、ゆっくりとした時間を過ごした。

2013年9月19日木曜日

パナホーム本社工場を見学

パナホーム本社滋賀工場(第一・二・三・四地区)は、琵琶湖の東近江市に位置し設立は1969年10月、敷地10万坪に製造・物流・商品開発・技術研究・人材開発部門があり、今年で創業50周年を迎えた。
第三地区の工場はパナホームの外壁パネルを完成する「外壁パネルライン」「屋根パネルライン」「ロール成形ライン」「床パネルライン」があり、外壁パネルに戸や網戸などを取り付け、一邸ずつ完成し出荷される工場を見学した。また、バスで第二地区に移動して、住宅試験センターで住宅まるごと試験する装置(防水試験、熱・水の繰り返し試験、地震再現装置による水平圧力試験など)やセルフ洗浄機能のあるパナホームの外壁と加工のない外壁との比較実験、大型台風の風速30mの体感、地震体感コーナーでは起震ルームで震度3および震度7の体験もした。エコライフパーク(住宅展示場)では6棟の先進技術を結集した住宅(価格1億円するという住宅など)を見学した。広大な敷地にパナホームのプレハブ住宅を生産する工場を初めて見学して、改めてその規模に驚かされた。今は消費税アップに伴う駆け込み需要で、工場はフル生産が続いているとの嬉しい悲鳴が聞けた。写真はバス1号車の人の記念写真。

OB会の「社会見学会」に参加

OB会(松愛会枚方北支部)の2013年「社会見学会」が行われ、昨年に引き続き参加。今回はUCC滋賀工場、パナホーム本社(滋賀)工場の見学と湖東三山の一つ百済寺の散策。樟葉駅前に94名が集合し、バス2台で出発した。
UCC滋賀工場は、琵琶湖の東岸にあり930ml入りなどのペットボトルコーヒーと300・400ml入りのリキャップ缶コーヒーの製造ラインがありペットボトル・缶コーヒーなどの飲料製品を製造している。滋賀工場は延べ3万4千平方メートル、従業員80名の工場で昨年5月に完成し、UCC滋賀工場ファクトリーツアーは今年4月から開始されて多くの見学者が訪れ大変好評らしい。ここの特徴は①コーヒー濃縮エキスを使用せず、すべてレギュラーコーヒー100%挽きたてドリップ抽出し、フレッシュな香りと風味を逃がさないようにしコーヒー本来の味わいを出している。②水は良質な硬水でコーヒー抽出に適した鈴鹿山系の天然水を使用している。③瞬間殺菌・冷却のシステムを導入し、熱による劣化を最小限に抑えている。
2階のシアタールームで滋賀工場やジャマイカと米国ハワイ州にある直営農園などの概要を7分程度の映像をみてから工場案内が始まった。2班に別れて、まず秘密基地を思わせる扉(セキュリティーゲート)をくぐると2階からガラス越にみる見学通路があり、まずコーヒーの抽出・調合工程、リキャップ缶充填自動ラインなどの概要をモニターでみながら見学した。また、品質管理室とモニターを通して検査員による官能検査、外観検査など検査方法の説明や検査員との直接応答もできるようになっていた。一通り見学した後は、100%レギュラーコーヒー(UCCコーヒー)と濃縮エキスによるコーヒーとの「飲み比べ体験」があり、匂いを嗅いで2種類のコーヒーを味わい、100%レギュラーコーヒーはどれかと言う味覚テスト。参加者の内70%前後の人が正解だった。シアタールームに戻り、巨大なコーヒー缶の形をしたフォトシステム(プリクラ)で滋賀工場のシンボルマークのジャンボコーヒーカップなどを背景にしての記念写真や100%レギュラーコーヒーのアイス、またはホットを各人が注文して見学後のひと時を過ごした。

2013年9月11日水曜日

京都高島屋で開催の「杉山寧展」へ

京都高島屋の7階で開催されている「杉山寧展」を鑑賞。この画家は戦後日本を代表する日本画家の一人、杉山寧で没後20年の回顧展として開催されたもの。杉山寧は1909年(明治42)、東京に生まれ、東京美術学校日本画科に在学中から、第13回帝展で特選を受賞するなど、早くから才能を開花。その後、1963年(昭和38)には、ピラミッドなどをモチーフにした、旺盛な連作を発表し人気を博した。対象をしっかりと捉え、すぐれた造形から生まれる作品はどれも強い生命力をたたえているもの。1970年(昭和45)日本芸術院会員、1974年(昭和49)文化勲章受章、文化功労者となり、その後、1993年(平成5)に84歳で没するまで、精力的な活動を続けた画家。
本展では、初期から晩年までの代表作を含む約70点を一堂に展示された。 杉山芸術の力強い歩みと日本画の素晴らしい作品を鑑賞した。(;´Д`)スバラスィ (^○^)

2013年9月10日火曜日

「二ノ宮神社」に参拝し取材

OB会(松愛会枚方支部)HPの「ひらかた発見」の第4シリーズとして枚方市内の神社を取材し、私たちの眼から見た神社を紹介しようと昨年スタート。今回7回目として自宅から自転車で約8分のところにある「二ノ宮神社」に参拝し、HP委員4名で取材した。宮司さんから詳しい説明を受け、近くの神社でありながらあまり知らなかったこともあって勉強になった。(詳しくは後日、パナソニック松愛会枚方支部HPで紹介)
この神社の概要は、創起は社伝によれば、「仁徳天皇29年春の勧請にして、用明天皇は当国を堅め給ひし矛を納めて郷の巨鎮となし、云々」とあり、その由来は5世紀に遡るとしているが、1460年(寛正元年)久修恩院上座知西の記した社蔵文書『牛頭天王記』によると、社殿創立は738年(聖武天皇の天平10年)であるとしている。社伝によればその後、「桓武天皇は797年(延暦16年)大納言藤原継種を遣わして奉幣祭祀せしめ、文徳天皇は856年(斉衛3年)大納言藤原良由を遣はして奉幣祭祀せしめ給ひしといふ」とあり、戦国時代には交野郡の二宮牛頭天王社と称された。天正年中(1573~92年)織田信長は社殿の修繕や采地を寄せるなど崇拝の念が強かったが、豊臣秀吉は社地の没収を行うなどした。1603年(慶長8年)豊臣秀頼が大阪城鬼門鎮護の神社として片桐且元を奉行として、交野郡の一之宮(牧野坂の片埜神社)、二之宮(当社)、三之宮(穂谷)を修復させた。当社はその折、本殿や摂社、お旅所などが再建され、それ以後は牛頭天王と称していたのを改め、「二ノ宮神社」と称するようになった。
今回、宮司さんの話から結構古くて歴史ある神社であること。約7年前から なんでも『おかげさま参り』なるお参りの方法があって、願い事の成就に物凄いご利益があるとのことが小さなブームになっていること。話によれば北は北海道から、南は九州からお参りに来られることもあったとのことであるが、最近は少しブームも落ち着いてきているらしい。初めて『おかげさま参り』というものを知った。これは500円の一見普通のお守りを買うと一枚の小さな紙に朱印が押してあり、そこにお願いごとを書いて、小さく折りたたんで、お守りに中に入れておく。願いがかなうとそのお守りをもってお参りし神様に報告するというもの。そもそも「おかげさま」とは自分の先祖のことを指し、感謝する意味でお参りに来る人も多いそうだ。

2013年8月27日火曜日

健康寿命の長い都道県は?

27日午後7時~9時50分まで、ABC朝日放送の「みんなの家庭の医学」で「あなたの県は第何位?大発見!全国都道府県別 健康長寿の秘密 SP 第5弾」(厚生労働省の健康日本21推進の資料に基づきまとめたもの)の特別放送があった。 結果は第1位(健康寿命の最も長い)が静岡県、最下位(健康寿命が最も短い)の第47位は大阪府で、えぇ~~それ本当!? ガッカリ。 
健康寿命を延ばすためには、脳・心臓・足腰を鍛えることが重要で、足腰を鍛えることで脳・心臓にもよい影響を与えるとのこと。では静岡県ではと、レポートがあった。平均70歳の老人会20名の足腰の筋肉年齢の2ステップテスト(大股で2歩いた距離を身長で割った数値で、足腰の筋肉年齢の目安をはじき出す。参考として40歳代:1.50、50歳代:1.47、60歳代:1.42、70歳代:1.27、80歳代:1.12) があったが、全員実年齢よりも若い年齢だった。その要因は無意識にウオーキング、自転車などで足腰を鍛えている。また食事にカルシュームのシラスや桜エビをとって骨を強くしているなどで、「ヤマハ発動機」㈱の社員(よく歩く、自転車に乗る社員)の例として放送されていた。 要はウオーキング、自転車などで足腰を鍛えることが重要。
この放送に伴い、大阪では7月21日に足腰の筋肉年齢チェックテスト・撮影が20名(男女各10名)参加のもと、地下鉄本町駅近くのTURUYAホールにて行われ参加した。 このチェックテストの様子がどのようにTV放送され映るのか期待していたが、空振りに終わりザンネン! それはこのようなテーマで大阪府が最下位では、その20名のデータが使えなかったこととのためだろう・・・・・。 こういうことも時にはある。

2013年8月22日木曜日

「げんきー」Gのボランティア活動

6月に訪問した老健施設「しらかば」へ。 この日は「しらかば夏祭り」(22日~23日)で、イベントの一環として「げんきー」Gによるボランティア活動を行った。 その概要は、歌体操(3曲)→新舞踊(2曲)→踊り「どじょうすくい」→南京玉すだれ→踊り「おてもやん」→踊り「炭坑節」と盆踊り「河内音頭」の約1時間。
今回も観客は要介護の方で、同じような年齢の方やそれ以上のお歳の方など約30名であった。 出来ることならこのような施設に厄介にならないように、ピンピンコロリを心掛けて一生を終えたらといつもながら思う。
今回、持ち時間も十分あったので「げんきー」Gのすべての演技を出して楽しんでもらった。(●´ω`●)  上の写真は歌体操、下の写真は踊り「どじょうすくい」(今回は3名で)

2013年8月18日日曜日

「寝屋川演奏家クラブ」演奏会へ

「寝屋川演奏家クラブ」の第14回寝屋川フレッシュコンサート&定期演奏会があり、長女の出演もあり、その子ども(2歳の女の孫)の守を兼ねて久しぶりに聴きに出かけた。
第一部は、昨年・今年に音楽大学を卒業した人の第14回の寝屋川フレッシュコンサートで、ピアノ独奏、クラレネット独奏、独唱、サックスフォン二重奏があった。
第二部は、「どこかで聴いた名曲コレクション」として独唱、フルート独奏、ピアノ独奏などと最後に全員合唱があった。
約2時間の演奏会で独唱、ピアノ独創、クラレネット独奏、サックスフォン独奏などといろいろとあって、クラッシック曲を結構楽しめてよかった。(●´ω`●)  
この「寝屋川演奏家クラブ」は年3回程度演奏会を開催し、今日まで13年続いている演奏家クラブ。メンバーも発足当時とは大分変わり、また生活環境も変わる中で、今日まで続いているのは大したもの。寝屋川・枚方市のこの辺りでは、知名度も当初と比べると大分アップしている。 写真は最後出演者と来客との合唱の風景。

2013年8月17日土曜日

第31回「一万人の第九」練習スタート

第31回「サントリー1万人の第九」の「森ノ宮1」経験者クラス(約150名)の練習がスタート。これから6回の練習、佐渡指揮者の総合練習、11月30日のリハーサル、12月1日(日)が本番(1万人の第九コンサート)となる。
会場はアネックスパル法円坂(大阪市教育会館)、このクラスの合唱指導は、有本正人氏であるが、当日急用でピンチヒッターとして木村孝夫氏から受ける。
この「サントリー1万人の第九」は、2000年に初めて参加して以来、今回で13回目、第九演奏会の出場は、通算で43回目となる。目標の50回までは、まだ先であるが、まずは本番に向けて頑張ろう!

2013年8月16日金曜日

Pocket WiFiとタブレット端末

2年程前、SoftBankのWiFi(C01HW)と東芝Dynabook(ミニパソコン)を購入し、2年間の契約期限が切れ、費用も月当たり1,000円程度アップするし、通信速度の速い製品も出ているので一旦解約。 その後、新しいWiFiを購入しようかどうしょうか? あるいは現SoftBankの携帯をiphone5(テザリング、WiFi対応)のスマートフォンにするか? など考えたが、これにすると月当りの費用も約1,500~2,000円アップする。 必要なのは月に1~2度田舎に滞在する時(1~3日宿泊滞在)やたまの旅行などでメールをみたい時だけで、もったいないしとの思いで日が過ぎていた。 
ときどきヨドバシカメラに立ち寄ってみていたら、丁度休日にキャンペンをやっていてポケットWiFiを契約(NTT、SoftBank、EMOBAILE製のWiFi)するとタブレット端末が無料のサービスがあって(2週間前にみた時は、タブレット端末nexus7が9,800円だった)、WifiはEMOBAILE製のPocket WiFiを購入、タブレット端末はGooglのnexus7。 問題の費用はWiFi本体を一括支払いし、月当たり2,420円の2年間、従来のSoftBankのWiFiよりか月当りは少し安くつきそう。 もったいない感じではあるが、これも勉強や趣味のためと・・・・・。 使いだすと大変便利、外出するときにも持ち歩いて、電車内やちょっとした打ち合わせなどに使っている。 写真の右下がEMOBILE Pocket WiFiとその上がタブレット端末、左が東芝のDynabook(Windows7)。

2013年8月14日水曜日

滋賀県日野の「火ふり祭り」見物

毎年8月14日・15日に盆の夜空を彩る夏の風物詩「火ふり祭り」が行われ見物。これは日野祭のお旅所である上野田の通称「ひばり野」(松の木などが数本あるこじんまりとした公園、ここに武将「蒲生氏郷像」がある)で古くから行われている祭。上野田(こうずけだ)の氏神、五社(ごしゃ)神社で、町内の人たち百数十人が松明(竹材とわらで作った2.5~3mのもの)に火をつけ、 その年の日野祭のお稚児さん3人を中心に松明の行列が「ひば り野」(約1.8km)へ向かう。「ひばり野」へ到着後(松明の長さがちょうど投げられる程の長さになる)、太鼓の合図とともに百数十本の松明が松の木に投げ上げられる。枝にかかると大きな歓声があがる。松の木に松明が多くたまれば、その年は豊作といわれる、勇壮なお祭。8月14日・15日のお盆の時期に行われるこの祭りは日野町各地で行われている盆行事の精霊火が転化したものと考えられている。 ここ数十年はみに行ったことがなかったが、本当に久しぶりに見物。幼少~小学のころはよく母親の里のお盆に連れられて、「ひばり野」の前にある親戚の2階の特等席でみたことが懐かしく思い出される。今年の松明は枝に数える程度(数本程度?)しか、かからなかったが、今年は不作? 数十年ぶりに懐かしく楽しんだ。o(^o^)o  写真の上、五社神社を出る松明の行列、途中燃えすぎる松明の火を竹でたたいて消す小学生達。

2013年8月11日日曜日

映画「少年H」を鑑賞

10日に公開された映画「少年H」を鑑賞。1997年に発表されベストセラーを記録した、妹尾河童の自伝的小説を実写化したヒューマンドラマ。 戦前(1941年春)から戦後までの異国情緒あふれる神戸を舞台に、軍国化や戦争という暗い時代の影をはねつけながら勇気と愛情をもって生き抜いた「名もなき家族」の物語。実際の夫婦(水谷豊と伊藤蘭)が、少年Hの父母を演じる。監督は名匠・降旗康男氏。
あらすじは、昭和初期の神戸の洋服仕立て職人の父・盛夫(水谷豊)とキリスト教徒の母・敏子(伊藤蘭)の間に生まれた肇(吉岡竜輝)は、胸にイニシャル「H」が入ったセーターを着ていることからエッチというあだ名が付いていた。好奇心旺盛で曲がったことが嫌いな肇だったが、オペラ音楽について指南してくれた近所の青年が特別高等警察に逮捕されるなど、第2次世界大戦の開戦を機にその生活は暗い影を帯びていく。やがて、盛夫に対するスパイ容疑、学校で行われる軍事教練、妹の疎開といった出来事に直面し・・・・、やっと終戦を迎えたが空襲で街は焼け野原になってしまい、震災住宅で新たに生活を始め、少年Hは15歳になり独立していくというもの。 
この映画を観て、戦前~戦後の実情が身近なものとして改めて強く感じられた。少年Hの父母(水谷夫婦)を演じた役は、さすがに実夫婦であり仲の良さがシーン一杯出ていて大変よかった。また、少年Hの肇(吉岡竜輝)の正義感の強い演技もなかなかのもの、素晴らしかった。妹の好子(花田優里音)の優しい心の持ち主の演技もよかった。また、昭和初期の街並みのオープンセットも見ごたえがあった。
今年も終戦の15日がもうすぐ、今でも終戦の当日のことは、ほとんど記憶にない。ただ、終戦に近くなる昭和20年の初め頃からのことはおぼろげながら記憶にある。それは、田舎(我が生まれた30数軒の集落)にも街の2軒の親戚から空襲に備えて家具が持ち込まれたこと、空襲に備えて夜の電燈に黒い布をかぶせての生活だったこと、実際に田舎には空襲がなかったが、今思い起こすと3~5月と思うが、空襲警報が鳴り響き、北の方から数機のB29が飛んできて、急いで物陰に隠れた記憶などが数回思い出されことなど。
今年も戦争にまつわる映画「終戦のエンペラー」「風立ちぬ」、そして今回の「少年H」を観たが、いつもどうして、このような馬鹿げた戦争をしたのであろうか? とつくづく・・・・と思う。映画館を出るとなんと平和な日本であろうかとも・・・・・。

2013年8月6日火曜日

田舎での夏野菜づくり

今年も5月6日に植えた夏野菜のキュウリ4本、満願とうがらし5本、長ナス5本、トマト4本、黒スイカ3本、カボチャ7本、ミニ冬瓜2本も7月中旬からキュウリの収穫から始まり、今も続いている。キュウリは毎年同じような収穫、満願とうがらしと長ナスは初めて品種を替えてみたが大豊作、カボチャも毎年あまりとれなかったが今年は豊作、トマトもミニ冬瓜もそれなりにとれている。 今年、残念なことに黒スイカ(5個)がカラスに全部やられたこと。昨年も植えたがカラスの被害に遭わなかったので、大丈夫と安心していたのがダメで、どうも今年のカラスは賢い? そのため遅きに期した感があるが、まだ2個ほど実がついているので防鳥ネットで覆った。1個でもとれたらよいのにとの思いで・・・・・。 写真は収穫した夏野菜のほんの一部とカラスにツツカレタ無残な黒スイカ。