2018年3月29日木曜日

「仙洞御所」参観

高校クラス会の29日は11時から「仙洞御所」を参観した。ここの参観は無料であるが申し込みは3カ月前の1日からで、今回は昨年12月1日AM5時からネットでの受付が始まってネットと往復ハガキで行った。1回の申し込みは代表者1名と他3名(計4名)であり、それ以上であると代表者を決めて別途申し込む必要がある。今回、12名参観としてネットと往復ハガキ2通で行った。
予定時間(11時)の20分前に入口門から申込許可書を警備員に提示し、待合所受付では代表者が許可書を提出し、身分証明書を提示、他の参観者3名には名前を言ってくださいと言われて確認される。結構厳しいもの。予定の11時になって女性ガイドさんの案内で、説明を受けながら庭園内を約1時間回って楽しむことが出来た。今回2回目であるが桜も咲く素晴らしい庭園を見ることができた。ここは秋の紅葉シーズンがお勧めとのこと、今年12月1日に学友会のフォト同好会で訪れたいと思う。


2018年3月28日水曜日

高校クラス会の幹事


今回、16回目の高校クラス会(進学Dクラス)を28日(水)~29日(木)に幹事として行った。
当時のクラスは45名であったが、このクラス会に出席する人は限られて第1回目は先生も入れて約半分の23名であったが、年と共に先生や級友も亡くなり、病気や体調不良の人も多くなり、今回は過去最低の9名(前回は10名)の出席となってしまった。これからいつまで続くか分からないが、2年に1回にしていたのを1年毎にして、これからの名称を「三四有志会」として続けて行くことになった。今後、出席者が減ることがあっても増えることはないだろうと思われる。
今回、昨年12月に予約した嵐山「花のいえ」で宿泊し、翌日は京都御苑「仙洞御所」を参観することで行った。この嵐山「花の家」は、もう亡くなられた知人(一級建築士)から、この「花のいえ」はよい宿と聞いていたのでここを使ってみた。この「花のいえ」は保津川の開削や朱印船貿易で有名な江戸時代初期の豪商・角倉了以(すみのくらりょうい)邸趾で、小堀遠州作と伝わる枯山水庭園などが遺る風情ある和の宿、いえに帰ったような雰囲気が漂うところで大変よいところだった。
28日は天候に恵まれ、日中は汗が滲む5月上旬の陽気で、桜も満開となり言うことなしの絶好の日であった。16時に宿に集合して18時から宴会、ここでは幹事として「どじょう掬い」を披露した。二次会は「カラオケ室」を借りてワイワイと賑やかな楽しい時間を過ごした。出席者の皆さんから大変喜んでもらえたことがよかった\(^o^)/

桜守佐野邸のしだれ桜


今回、高校クラス会(進学コース)の幹事で嵐山「花のいえ」(28日、PM4時集合・宿泊~29日「仙洞御所」参観)で行うので出かけた。
その前に桜守佐野右衛門邸(植藤造園)のしだれ桜を見に行った。この佐野藤右衛門邸は、京都市右京区広沢池近くにあり、桜の名所であるが雑誌にもほとんど掲載されないが、美しい桜が観賞出来るという噂を聞きつけて、多くの人が訪れている。
佐野藤右衛門邸は個人の家で、春には無料で一般開放されており、誰でも桜を観賞する事が可能である。今回は2度目であるが、綺麗なしだれ桜も満開で楽しむことができた。
 佐野藤右衛門とは、嵯峨野にある「植藤造園」の当主が代々引き継ぐ名である。この佐野藤右衛門は桜守としても有名で、その活動は14代目から行われており、現在は16代目で三代目桜守。円山公園のしだれ桜、蹴上のインクラインの桜などを育てたのも佐野藤右衛門氏だったとのこと。

2018年3月27日火曜日

京都府庁旧館の桜

京都御苑の桜をみてから京都府庁旧本館中庭にある桜見物に行った。ここの桜は円山公園の初代「祇園枝垂れ桜」の孫にあたるシダレザクラをはじめ7本の桜があり、多くの府民に親しまれている。そのうちの1本が造園家・佐野藤右衛門氏の調査により、オオシマザクラとヤマザクラの特徴を持つ、珍しい品種であることが判明。2010(平成22)年には佐野藤右衛門氏により、「容保桜(カタモリザクラ)」と命名された。今年も「観桜祭(かんおうさい)」が行われて館内が一般公開されていてたくさんの人で賑わっていた。

京都御苑のしだれ桜

高校クラス会(29日)で「仙洞御所」を参観に伴う下見を兼ねて京都御苑を訪れた。京都御苑北西部のに五摂家の一つ、摂政や関白を多く出した近衞家の邸宅跡で、枝垂れ桜の大木が約60本植わっていて見頃を迎えていた。ほぼ毎年、この近衞家の邸宅跡の桜を見に来ているが、今回も多くの市民や外人観光客などで大賑わいだった。
ここは御苑で一番早く咲き始める桜で、3月中旬にはほころび始める。この近衛邸跡の庭園に塀や建物はないが、大きな池を囲むように庭園は保存されて、その池は、同じ御苑内の堺町御門近くの九条家の九条池に対し近衛池とよばれている。また、御苑内には所々にしだれ桜、ソメイヨシノ、山桜なども満開で楽しむことができた。

2018年3月25日日曜日

京都随心院「はねず踊り」

3月の最終日曜日(25日)に行われている京都山科区にある随心院の奉納の舞「はねず踊り」をみに行った。この踊りは、花笠を被りはねず色(白色を帯びた紅色の古名)の段絞りの小袖を着た少女(小学4~6年生)が、はねず踊り伴奏(はねず踊り邦楽グループ)での踊りと「今様」踊りがあり、多くの人達と一緒に華やかな舞台を楽しんだ(*゚▽゚*)
この随心院は、真言宗善通寺派の大本山であり、弘法大師より8代目の弟子にあたる仁海僧正の開基にして、一条天皇の正暦二年(西暦991年)奏請して、この地を賜り一寺を建立されたという。また、ここは平安時代の絶世の美女である小野小町の住居跡ともいわれ、特に知られている。(詳細は省略)




2018年3月24日土曜日

両親の50回忌法要


24日(土)10時から故郷(滋賀県日野町)本誓寺にて、両親の50回忌(母親50回忌、父親は来年50回忌)法要を、参列者19名のもと営んだ。母親が49年前の2月24日に59歳で、翌年5月21日に父親が66歳で二人共早死、それ以来4人兄妹が、それぞれ結婚・出産などを経て、今日に至った。今日までには語り尽くせない程、嬉しいことや苦労したことなどいろいろなことがあったが何とかここまで一人も欠けることなく来れた。また、両親の孫7名(甥姪)もみんな結婚し、子ども(両親の曾孫)も13名となり、みんな元気に育ってくれている。そんな現状を大変喜んでくれているのではないかぁ~と思う。

2018年3月14日水曜日

霊山歴史館「大西郷展」

霊山歴史館にて「大西郷展」~第一期西郷隆盛と薩摩藩~(~3/18)が開催されているので見に行った。
この「大西郷展」は、薩長同盟から王政復古、鳥羽伏見の戦い、江戸城無血開城と主導的役割を果たした西郷隆盛。幕末維新の英傑のなかで最も愛された人物の一人、西郷に焦点をあて、多くの資料でその生涯を辿るもの。西郷をとりまく龍馬や新選組の資料も豊富に展示されていた。
第1期は「西郷隆盛と薩摩藩」で、西郷は薩摩藩主・島津斉彬の薫陶を受け、御庭番としてよく仕えた。江戸在勤中に水戸の藤田東湖、越前の橋本左内と会い「わが師は東湖、わが友は左内」といって親交を結んだ。しかし斉彬の死を境に西郷の人生は一変し、国父・島津久光との確執から遠島の処罰を受けることになる。だが、藩政への復帰後は朋友である大久保利通と薩摩藩を代表する存在となった。これらのことが詳しく絵図と説明文にて展示されていた。
第2期は「西郷隆盛と安政の大獄」(3/20~)で、安政の大獄で処罰の対象となった僧月照の和歌や近藤正慎の血染めの巾着などの展示。また井伊直弼襲撃図も見られるとのこと。
NHKの大河ドラマ「西郷どん」を見る上でも参考になったねぇ。

「沢田教一」写真展

京都高島屋にて写真家「沢田教一」展(14日~25日)が開催され、初日に観に行った。
この沢田教一(1936-70)は、1965年からベトナム戦争で米軍に同行取材し、最前線で激しい戦闘や兵士の表情などを数多く写真に収めた写真家。輝かしい実績を残し、その中で「安全への逃避」でピュリッツァー賞を獲得している。この画面には戦争写真の「主役」である兵士や兵器、砲撃によって崩れ落ちた建物、そして血の一滴すらもない。が、この1枚が、ベトナム戦争の本質を世界に伝えた。米軍の爆撃から逃れ、必死の形相で増水した川を渡る2組の親子。軍服姿の沢田が向けるレンズにおびえた表情を浮かべる写真である。
受賞は、このピュリッツァー賞以外にも世界報道写真コンテスト2年連続大賞、ロバート・キャパ賞などがある。
34歳でカンボジアにて取材中に凶弾に倒れ殉職した沢田の輝かしい業績として、ベトナム戦争などを写した作品約150点や遺品とその生涯をたどる展示だった。妻・サタさん(93歳)が、初日でもあり来場されていた。

2018年3月12日月曜日

映画「北の桜守」鑑賞

日本を代表する大女優の一人、吉永小百合の120作目となる映画出演作『北の桜守』が10日より公開されたが、2日遅れて鑑賞してきた。この映画は『北の零年』『北のカナリアたち』に続く「北の三部作」でラストを飾る作品との位置づけられて制作されたもの。物語の時は、太平洋戦争の戦時下から戦後。北海道を舞台に過酷な自然と時代の荒波を懸命に生き抜いた親子の30年を描くヒューマンドラマである。
あらすじは「太平洋戦争末期をむかえた1945年。当時、日本の領土だった樺太で暮らしていた一組の家族。ソ連軍が突然侵攻してきたことにより、追われるように江蓮てつ(吉永小百合)と息子2人は、北海道の網走に命からがら辿り着く。てつは、厳しい自然環境や飢えに苦しむ貧困と懸命に戦いながら、息子2人を立派に育て上げる。そして、ときは過ぎて1971年。アメリカでビジネスに成功した次男の修二郎(堺 雅人)が、15年ぶりに網走の地を訪れると……。兄の姿はなく、老いた母だけが、いまだ帰らぬ夫を待ち続けながらつつまし過ぎるほどの日々を送っていた。が、戦争のPTSD(心的外傷後ストレス障害)で変わってしまった母のてつだった。そんな母を見て修二郎は家族として一緒に暮らすことを決意する。しかし、立派になった修二郎に迷惑をかけたくないと、てつは一人網走に戻ろうとする。母に寄り添いたいと願う修二郎は、二人で北海道の各地を巡り、共に過ごした記憶を拾い集めるように旅を始める。」
北の三部作の『北の零年』『北のカナリアたち』も見たことがあるが、どれもさすがにすばらしいものだった。
 

2018年3月9日金曜日

パナソニックミュージアム

1918年3月7日の松下電気器具製作所創業から100周年を迎えたパナソニック株式会社が「パナソニックミュージアム」をオープンし、9日から一般公開されたので見に出かけた。
この「パナソニックミュージアム」は、「松下幸之助歴史館」、「ものづくりイズム館」、「さくら広場」(2006年4月開園)で構成されている。「松下幸之助歴史館」は、第3次本店(1933年竣工)の外観や建設場所を忠実に再現したもので、今回新たに建設し、創業者松下幸之助94年の生涯を「道」にたとえた展示を通じて、その事業観や経営理念が紹介・解説されていた。改めて学ぶことができた。
「ものづくりイズム館」は、旧・松下幸之助歴史館をリニューアルし、当社のこれまでの家電製品から選りすぐったおよそ150点をジャンル別に展示されていた。また、三種の神器と言われた白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機の第1号製品のほか、デザインやエンターテインメント、小型化や長寿命などのテーマに分けて550の家電製品が並べられていた。50年代から活躍したマスコットキャラクター「ナショナル坊や」の人形が並ぶ写真撮影スポットもあった。
創業100周年を記念するモニュメントとして、次の100年に向かうパナソニックの発展を象徴的に表現した現代アート3作品を各所に配置されていた。①宮島達男先生作 「Time Waterfall -Panel #2」(ものづくりイズム館・中庭)、②植松奎二先生作 「浮くかたち-垂 Floating form - vertical 2018」」(ものづくりイズム館・エントランス前)、③西野康造先生作 「気流 風になるとき2018」(さくら広場)のモニュメントである。

2018年3月8日木曜日

「げんき」Gの演芸ボランティア

今年、4回目の芸能ボランティア活動を枚方市の老人介護施設「しらかば」にて、ディーサービス者約15名を対象に芸能ボランティアをメンバー5人で行った。
出し物は歌体操(4曲)→新舞踊(大阪スズメ、火の国の女)→踊り「どじょうすくい」→皿まわしと南京玉すだれ→踊り「ヨネスケ長生音頭」→阿波踊り→踊り「おてもやん」(熊本のおてもやん民謡)で、予定時間の約70分間を行った。 ディサービスでそこそこ元気な人の集まりでもあり、職員も含めて大変喜んでもらったのはよかったかなぁ~。
前回からの出し物「ヨネスケ長生音頭」や「阿波踊り」を行い、「げんきー」Gの演芸題目も増えて、メンバーで都合が悪い人がいても十分対応が可能になった。
 写真は、上から踊り「ヨネスケ長生音頭」を職員も加わり踊った、下が「阿波踊り」の一シーン。

2018年3月4日日曜日

京都伏見・淀の河津桜

京都伏見の淀地域の淀水路沿いに超早咲きの「河津桜」や普通の「河津桜」があり、昨年の2月末の状況(つぼみでちらほら咲いている状況)からして、そろそろ咲いているかと思い出かけてみた。超早咲きの河津桜はほぼ満開であったが、他の桜はほとんどがつぼみで、日がよく当たる1~2本は、ちらほら咲いていた。これからであと1週間~10日(3月10日~14日)で満開になるだろう、また訪れてみようと思う。
ここは地域の名所にしようと、住民でつくる「淀さくらを育てる会」が静岡県発祥の河津桜を2002年から植樹しているところ。この植樹の取り組みは、水路のほか小学校や地域の公園にも広がり、現在は約240本を育てているとのこと。この超早咲きの「河津桜」をみると心も癒される思いがする。 もうすぐ本格的な桜シーズン(しだれ桜、ソメイヨシノ、御室の桜、八重桜など)がやってくる。心もウキウキするなぁ~~。

2018年3月2日金曜日

大阪城の梅林

天気もよく暖かな日なので、「船場のおひなさま展」を観た後、運動を兼ねて大阪城の梅林までウオーキング、梅花をみてきた。全体的には5~6分咲き程度であるが、春先を感じる梅の花を求めてカメラマンや見物客、海外観光客など多くの人が訪れて賑わっていた。
この梅林園は大阪万縛の2年後1872年に北野高校同窓会から22種880本を寄贈されたのを機会に1947年3月に開園された。現在では97品種1240本を数える規模になっており、品種の豊富さでは関西随一の梅園。大阪城をバックに、またツインタワーなどの高層ビル群をバックに梅林を見るのもよい。

船場のおひなさま展

2月27日~3月3日まで開催されている「船場のおひなさま展」を見てきた。
この「船場のおひなさま展」は船場ゆかりの旧家に伝わるひな飾りを公開することで、船場の歴史や文化の厚みに思いを馳せてもらう取り組みとして、北船場ゆかりの6家に伝わる雛人形の展示ほか、様々なイベントが行われていた。
その6家のお雛さまが、神宗淀屋橋本店の「尾嵜家のお雛様さま」、芝川ビル4Fの「芝川家のお雛さま」、少彦名神社の「別所家のお雛さま」、田辺三菱製薬1階エントランスの「船場商家のお雛さま」、生駒ビルジングの「生駒家のお雛さま」、伏見ビル1階「新井家のお雛さま」の6カ所で展示してあった。
その中で「芝川家のお雛さま」、「別所家のお雛さま」(写真)がよかった。 豪華な郷里日野のお雛さまや五個荘町のお雛さまをみているので、あまりすごいなぁ~と大した感動もなかった。
下に2016年3月の「日野ひなまつり紀行」を掲載したが、今年2018年も同じように開催されている。

日野ひなまつり紀行

日野ひなまつり紀行:2016年3月に行った日野のひなまつり紀行ですが、再掲載した。
2月14日~3月13日まで開催されている「日野ひなまつり紀行」をみて歩いた。 ここ日野町は蒲生氏の城下町であり、また近江日野商人の故郷でもある。 日野町の大窪から村井にかけて昔ながらの町並が今も残り、どこか懐かしさを感じるそんな街角や商家、商店...