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2013年9月10日火曜日

「二ノ宮神社」に参拝し取材

OB会(松愛会枚方支部)HPの「ひらかた発見」の第4シリーズとして枚方市内の神社を取材し、私たちの眼から見た神社を紹介しようと昨年スタート。今回7回目として自宅から自転車で約8分のところにある「二ノ宮神社」に参拝し、HP委員4名で取材した。宮司さんから詳しい説明を受け、近くの神社でありながらあまり知らなかったこともあって勉強になった。(詳しくは後日、パナソニック松愛会枚方支部HPで紹介)
この神社の概要は、創起は社伝によれば、「仁徳天皇29年春の勧請にして、用明天皇は当国を堅め給ひし矛を納めて郷の巨鎮となし、云々」とあり、その由来は5世紀に遡るとしているが、1460年(寛正元年)久修恩院上座知西の記した社蔵文書『牛頭天王記』によると、社殿創立は738年(聖武天皇の天平10年)であるとしている。社伝によればその後、「桓武天皇は797年(延暦16年)大納言藤原継種を遣わして奉幣祭祀せしめ、文徳天皇は856年(斉衛3年)大納言藤原良由を遣はして奉幣祭祀せしめ給ひしといふ」とあり、戦国時代には交野郡の二宮牛頭天王社と称された。天正年中(1573~92年)織田信長は社殿の修繕や采地を寄せるなど崇拝の念が強かったが、豊臣秀吉は社地の没収を行うなどした。1603年(慶長8年)豊臣秀頼が大阪城鬼門鎮護の神社として片桐且元を奉行として、交野郡の一之宮(牧野坂の片埜神社)、二之宮(当社)、三之宮(穂谷)を修復させた。当社はその折、本殿や摂社、お旅所などが再建され、それ以後は牛頭天王と称していたのを改め、「二ノ宮神社」と称するようになった。
今回、宮司さんの話から結構古くて歴史ある神社であること。約7年前から なんでも『おかげさま参り』なるお参りの方法があって、願い事の成就に物凄いご利益があるとのことが小さなブームになっていること。話によれば北は北海道から、南は九州からお参りに来られることもあったとのことであるが、最近は少しブームも落ち着いてきているらしい。初めて『おかげさま参り』というものを知った。これは500円の一見普通のお守りを買うと一枚の小さな紙に朱印が押してあり、そこにお願いごとを書いて、小さく折りたたんで、お守りに中に入れておく。願いがかなうとそのお守りをもってお参りし神様に報告するというもの。そもそも「おかげさま」とは自分の先祖のことを指し、感謝する意味でお参りに来る人も多いそうだ。

2013年5月24日金曜日

「御殿山神社」に参拝し取材

OB会(松愛会枚方支部)HPの「ひらかた発見」の第4シリーズとして枚方市内の神社を取材し、私たちの眼から見た神社を紹介しようと昨年スタート。今回5回目として京阪御殿山駅から徒歩約10分にある「御殿山神社」に参拝し取材を行い、若い声楽家でもある異色の宮司さんから神社の歴史などを詳しく聞くことができてよい勉強になった。(詳しくは後日、パナソニック松愛会枚方支部HPで紹介)
 この神社は、元は渚の院跡の観音寺境内に設けられていた小倉の粟倉神社のお旅所であった。江戸文政年間(1818~29年)、渚村に産土神勧請の話が起こり、お旅所に八幡大神を勧請して西粟倉神社と称した。明治初年の神仏分離令によって、1869年(明治2年)御殿山に社殿を造営し、翌年当地に遷宮し、御殿山神社と改称し、現在に至っている。御殿山の名は江戸初期に領主永井伊賀守がこの山に陣屋を設けたところから、呼ばれるようになったと言われる。御殿山神社としての歴史は浅い。
東京芸大卒で声楽家でもある異色の宮司さん(38歳)は、脚本・演出家、オペラ歌手、御殿山森の混声合唱団を作り、その指導など幅広く音楽活動をもしながら宮司職をされているのだ。\(◎o◎)/!スゴイなぁ~。 神職として7年目になるとのことであるが、地域に密着したいろいろなイベントを精力的に開催され、地域とのコミュニケーションを大事にされていることに大変感心した。

2013年1月16日水曜日

「菅原神社(長尾)」を参拝し取材

パナソニック松愛会枚方支部HPの「ひらかた発見」の第4シリーズとして枚方市内の神社を取材し、私たちの眼から見た神社を紹介しようとスタート。今回4回目として長尾にある「菅原神社」の取材を行い、神司さんから詳しい話を聞くことで、歴史ある神社を改めて認識した。(詳しくは後日、パナソニック松愛会枚方支部HPで紹介)   この神社は、寛永二十年(1643年)、領主の久貝因幡守(いなばのかみ)正俊(まさとし)は、家臣の細谷善兵衛に命じて八田川の川筋で当時八田広と呼ばれた荒地を開梱させ、新田開発を行った。新田は開墾の翌年に福岡村と名付けられたが、貞享三年(1686年)に長尾村と改称された。菅原神社は、慶安三年(1650年)に正俊(まさとし)の子正世(まさよ)が、長岡天神の分霊を勧請して社殿を造営したのが始まりとされている。祭神は菅原道真で、社殿は文化四年(1807年)の再建であるという。歴史的にはまだ新しい神社。
社の付近はデンダイウヤクの群生地で、市内でも重要な植物群落である。デンダイウヤクは中国原産で日本へは享保年間(1716 - 1735年)に伝来し、九州や近畿などで野性化している。根を健胃薬として利用する。古く中国で、秦の始皇帝が不老長寿の霊薬くを求めて、徐福という人を日本に派遣したという話もある。この時の霊薬というのが、このテンダイウヤクであるとされている。


2012年4月25日水曜日

「交野天神社」のHP取材

「交野天神社」の入口
パナソニック松愛会のHP委員をして9年になり、もう辞めたいと申し入れて3年が経過した。しかし、代わりの担当者がなかなか見つからず、今年委員長も代わり何とか応援をしてほしいと懇願され、この一年も担当を続けねばならないこととなった。
今回新たにパナソニック松愛会HPの「ひらかた発見」の第4シリーズとして枚方市内の神社を取材し、私たちの眼から見た神社を紹介し、広く会員や一般の市民の方にも知ってもらう活動をすることとなった。その第1回目として楠葉にある「交野天神社」の取材を行い、神司さんから詳しい話を聞くことで、歴史ある神社であることを改めて認識した。(詳しくは後日、パナソニック松愛会HPで紹介)
この神社の周りは住宅地が迫って囲まれているが、1歩足を踏み入れると鬱蒼とした原生林に囲まれ、昼間でもひっそりとして、安らぎを覚える森となっている。鳥居の手前の石碑は右側「樟葉宮旧蹟」と左側「桓武天皇先帝御追尊之地」とある。第26代継体天皇が507年2月4日に樟葉で即位して1500年を迎えたのを記念して、2007年4月29日(日)、「樟葉宮」1500年記念祭典が交野天神社・貴船神社の主催で開催され、今年も29日に「春まつり」として行事が行われるそうだ。交野天神社は「かたの あまつかみのやしろ」と呼ぶのが正式な呼び方で、一般的には「かたのてんじんじゃ」ともいう。
資料によると、当神社は787年(延暦6年)第50代桓武天皇が当地に、郊祀壇(こうしだん)を設け父の光仁天皇を天神(あまつかみ)として祀ったのが起源とされる。これは、中国では皇帝が毎年冬至に、都の南に天壇を設け、天帝を祀る例にならっている。桓武天皇がこの地に、父光仁天皇を祀ったのは、この地が継体天皇即位地の楠葉宮伝承地であったこととが最も大きな理由と思われる。創建当時から、皇室とは関係が深く、社殿の修理などの際には、朝廷よりの奉幣の儀が度々あり、神社の記録によれば、1238年(嘉禎4年)の修理、1401年(応永8年)の再建、1442年(嘉吉2年)の屋根の葺き替えの時には朝廷より特使の参向があった。一般的にいえば、天神=菅原道真のイメージが強くあるが、ここの神社は、それ以前の天神の形を保っている。尤も、この神社も、1872年(明治5年)菅原道真を合祀している。拝殿の後方に社殿が2棟(本殿と八幡神社)あり、いずれの社殿も『鎌倉時代の様式を残した室町時代初期の建造物で、一間社流造、桧皮葺』である。1950年(昭和25年)国の重要文化財の指定を受けている。(関連のサイト抜粋)

2011年6月24日金曜日

老人福祉センター「楽寿荘」取材

パナソニック松愛会枚方北南支部のHPに「ひらかた発見」の第3シリーズとして枚方の施設を訪問し、私たちの眼から見た施設を紹介し、広く会員や一般の市民の方にも枚方市を理解してもらう活動を続けている。今回は前回枚方市福祉老人総合センターの取材を行い、続けて福祉に関連する施設として京阪光前寺駅から徒歩約6分にある桜の有名な枚方市立老人福祉センター「楽寿荘」を取材した。この「楽寿荘」は、昭和35年大阪府により府民の憩いの施設として開設され、平成12年4月より建物について、平成21年10月には敷地について無償譲渡を受け、枚方市立老人福祉センターとして運営されている。平成22年8月から老朽化・耐震化対策とともに可能な限りのバリアフリー化・アメニティ向上などの改修工事を行い、平成23年4月1日よりリニューアルオープンした。家族や友人との語らい、会合、趣味の集い、食事などに利用できる施設で、個人から団体まで、誰でも低廉な料金で利用できる。桜の木々などに囲まれて落ち着いた雰囲気で気楽に利用できるのがよい。

2010年7月21日水曜日

枚方市東部清掃工場へ

パナソニック松愛会枚方南北支部のHPで紹介している枚方市の施設で、未見学(取材)の「枚方市東部清掃工場」に出かけた。
枚方市東部清掃工場は、老朽化した穂谷川清掃工場の第2プラントに代わる施設として、平成16年度から建設工事がスタートし、平成20年6月から市内の各家庭から排出されたごみを実際に焼却して、各機器の調整や性能試験などの試運転を行い、平成20年12月10日に完成し正式に稼働した。東部清掃工場は、廃棄物の適性処理・公害防止対策の強化・エネルギーの効果的利用など、環境に配慮した最新の高度な設備を備えた施設で、市が委託した民間の専門業者により24時間連続で運転をしている。現在、市内の一般ごみは東部清掃工場の稼働により、穂谷川清掃工場と東部清掃工場の2カ所で処理(おおむね4:6)をしているが、今後も4Rの推進を基本にしながら、東部清掃工場は安全・安定的に適正なごみ焼却処理を行って行くとのことだった。
【4R】とは、◇ Refuse(断る):買い物袋を持っていく。過剰包装を断る。◇ Reduce(減らす):ごみになるものを作らない、家庭に持ち込まない。最後まで使い切る。 ◇ Reuse(再利用):使えるものはもう一度使う。使っていない物をバザーに出したり、必要としている人に譲る。◇ Recycle(再資源化):ルールを守ってしっかりと分別する。再生品を利用する。  
以上であるが、一市民として、この4Rを守っていくことの重要性を改めて認識した。また、一般市民にこの4RのPRの必要性も強く感じた。

2009年10月9日金曜日

関西医科大の取材

枚方市内にある6大学を取材(見学)して、その内容を松愛会枚方支部のHPに掲載し、広く会員や一般の人に紹介しようとする企画で取り組んでいる。本日は5大学目に「関西医科大学教養部牧野キャンパス」(自宅から徒歩で約5分にある)を訪問して取材した。
ここ牧野キャンパスは、昭和3年(1928年)6月に大阪女子高等医学専門学校を設立し、今日の関西医科大学になった発祥の地である。約9000坪の校内に本館、講堂、体育館、図書館、1・2・3号館の教室、食堂等があり、入学した1学年(116名、男性65%、女性35%)が1年間学ぶ場所になっている。2~6学年は滝井キャンパスで学び、医師国家試験合格後医師として育っていく。その合格者のうちで付属病院等に残る医師は20%、それ以外の人は条件の良いところへ行ってしまうとのこと、昔は50%だったが、何とかこの数字に近づけることが一つの課題とのことであった。
本館は約80年が経過し、正面の壁にはツタが張い独特な校舎になっている。これらの校舎は平成25年4月には、現在の付属枚方病院横に新校舎が建設され、専門部との合同校舎になり引っ越しとなるとのこと。この校舎・敷地は売却はしないという話であるが少し気になるところ。

2009年7月16日木曜日

関西外大へ

枚方市内にある6大学を取材(見学)して松愛会の会員や一般の方に広く紹介しようとの企画で、今回4校目になる関西外国語大学中宮キャンパスをHP委員6名で訪問した。校内の案内は課長補佐の橋本様で、パナソニックから5年前に出向として勤務されて、本年定年になられた方だった。同じOBであり気さくに話をすることが出来てよかった。
関西外大(大学院・大学・短大)の学生数は約13,000人(中宮キャンパス10,000人、穂谷キャンパス3,000人)のマンモス大学で、外語大学の中でも勝ち組に入っているとのことである。 この大学の特徴は、1)海外の大学(50カ国322大学)と提携し、留学派遣学生総数は約1,600人で国際交流のネットワークを広げていること。2)別科コースとして春コース(2・3・4・5月)と秋コース(9・10・11・12月)に海外の学生を受け入れている。3)社会に出てすぐ役立つ実学を身につけることに力点をおいていること。
片鉾の地から小松製作所の跡地に引っ越して6年が経過したが、広々とした校内に学舎、運動場、体育館、外人教員の宿舎、御茶室、創業者の庭、学長宅等があった。また、校内にはマクドナルド、コーヒーショップ、一般のレストランと少し高級?レストランや書店、コンビニなどもあり、若者達の1つの街に入った感じがした。 あと2つの大学(大阪国際大学、関西医科大学)の取材(見学)である。

2009年4月28日火曜日

摂南大学薬学部の見学

4月27日、枚方市北山にある摂南大学薬学部にパナソニック松愛会枚方支部HP委員9名で見学・取材に出かけた。これは、松愛会枚方支部のHPに「枚方市の6大学紹介」で枚方市内の6大学を見学・取材し、その内容を会員や市民など一般の方に広く紹介しようと企画した一環である。すでに「大阪歯科大学」楠葉・牧野キャンパス、「大阪工業大学情報学科」北山キャンパスを見学・取材し、その内容をHPに掲載している。
この摂南大学は1975年に工学部を寝屋川市に開設し、現在の学部別学生数は寝屋川キャンパスに工学部2054人、法学部985人、外国語学部1005人、経営情報学部1175人、枚方キャンパスに薬学部1121人、合計6340人。(2008年度)
薬学部は1983年に現在地に設置された。キャンパスは枚方台地の北端、国道1号線沿い洞ヶ峠に接する丘陵地で、樟葉から20分、長尾から10分の所にあり、付属薬用植物園も含め総面積は2万5千平米という広大な環境に位置している。薬学部は6年制一貫教育プログラム(2006年度から)で、『基礎教育からキャリア形成教育まで、そして科学者としての薬剤師の育成』を図り、チーム医療・地域医療・医薬品開発に貢献できる薬剤師の育成を目指している。薬剤師になるために数学・物理・化学・生物等の基礎科目及び教養科目・専門科目を4年間で確り習得し、5年から6年は病院・薬局実務実習と臨床薬学演習等を学ぶ。薬剤師の国家試験は6年の最終・卒業近くに受けることができ、今年の試験は3月に実施され、摂南大学の合格率は全国平均を約14%上回って88%とのこと。尚1987年の1期生から2009年23期生まで4689人の卒業生の総合格率は99%という大変輝かしい実績の薬学部である。 詳しい概要は近日中に松愛会枚方支部HPに掲載の予定である。

2009年1月27日火曜日

大阪工業大学情報科学部の見学

昨日(1/26)、枚方市北山にある大阪工業大学情報科学部に松愛会枚方支部HP委員7名で見学をした。この見学は松愛会枚方支部のHPに「枚方市の施設紹介」で枚方市にある6大学を見学し、その内容を会員や市民など一般の方に広く紹介しようと企画した一環である。すでに枚方市「大阪歯科大学」楠葉・牧野キャンパスを見学し、その内容をHPに掲載している。
大阪工業大学(大阪市旭区大宮)の情報科学部として、1996年にこの枚方市北山に新設された。この建物の外観は国会議事堂だ。元総長・理事長の故藤田 進氏(1913年2月10日~2003年3月1日、昭和期の政治家、元日本社会党参議院議員。元総評議長。経済学博士(法政大学))が国会から許可を受け建設されたもので、すでに12年が経過したが地元では、国会議事堂の建物として有名である。
現在、学科構成はコンピュータ科学科、情報ネットワーク学科、情報システム学科、情報メディア学科の4学科があり約1870名、大学院生約60名が学んでいる。使命として、さまざまな問題に対応できる「実践的職業人」の育成を図っており、この学部の就職率は96~100%、他の大学の平均90%程度と比べても圧倒的に高いとのこと。見学を通じて、戻れるものなら学生に戻ってもっとIT情報の勉強をしたいものだと思う。

2008年9月16日火曜日

「天の川クラブ」のカラオケ取材

NALC(ナルク)「天の川クラブ」の文化活動の一つに「カラオケ友の会」があり、毎月第一と第三の火曜日に枚方市駅近くのカラオケ喫茶「おおの」でメンバーが集まって行われている。 この「カラオケ友の会」の活動の様子を「天の川クラブ」のHPに紹介しようとの企画で取材に出かけた。 
本日の参加者は12名(男性3名、女性9名、いつもこの程度の参加者らしい)で、おまり大きなカラオケ喫茶ではないので、カウンター席は一杯だった。 いつもの親しいメンバーであり新曲に挑戦して唄う人、懐メロ、昔の懐かしい歌など競って和気あい合いと楽しく唄っていた。 「カラオケ」はストレスの解消に繋がるし、仲間との触れ合いも出来て結構楽しそうだった。
何か一曲ということで言われ、断り切れず一曲だけということで千葉一夫の「吉野川」を唄う。 もう1年程は唄っていなかったので、少し間違っているところや声の出がおかしいところもあったが、それなりに唄えた。  その後に是非、「カラオケ友の会」に入って一緒にとの誘いがあった。 が、これもやり出すと新曲も覚えないといけないし、現時点ではあまり興味もないので行くつもりはない。 
今回、取材し写した写真・ビデオで近日中にまとめてHPへ掲載する予定。