2010年2月27日土曜日

「5000人の第九」コンサートへ

第26回国技館「5000人の第九」コンサートへ5回目の参加をした。今回は阪急交通社のフリープラン(27日から2泊3日のプラン、往復飛行機+アワーズイン阪急ホテル込みで25000円)を使って、27日大阪空港12:00発で羽田へ、その後アワーズイン阪急ホテルにチェックインして、両国国技館に14時45分頃到着。14時45分からの合唱練習も始まっていた。16時~17時までオケ合わせがあったが、時間はきっちりと計画通り守られているので助かる。座席は向のマス3側13番だった。夕食は今回初参加の仲間と一緒に両国駅近くの居酒屋で乾杯。 写真は当日(28日)の会場風景。

2010年2月21日日曜日

映画鑑賞「人間失格」観賞

太宰治の生誕100年を迎える今年、代表作にして最高傑作である「人間失格」が映画化され、20日より封切られ観賞した。
太宰自身を投影したといわれる主人公の大庭葉蔵(生田斗真)は幼い頃から作り笑いを練習し、体育の授業でわざと失敗して笑いを取るような少年だった。自意識にまみれ、世間とうまくなじめないまま青年に成長し、高等学校に行くため上京。画塾で6歳年上の堀木と出会う。遊び人の堀木は葉蔵を、律子が営むバー青い花に連れていく。それが最初の女性、大楠道代だった。そして寺島しのぶ、石原さとみ、小池栄子、坂井真紀、室井滋、三田佳子というそうそうたる顔ぶれの女優7人と渡り合っていく点は、見事な演技だった。主演の紙蔵役は、映画初出演の生田斗真だった。

「ヨシ原焼き」へ!

淀川(高槻市側)に春の訪れを告げる「鵜殿のヨシ原焼き」が、9時から正午にかけて行われたので、写真を撮りに出かけた。これは伝統行事・文化の継承と市街地に残された貴重な自然の保護・保全のために、高槻市上牧町から道鵜町の淀川河川敷一帯で、地元の実行組合などが中心となって行われるもの。
この地域は丁度、牧野の対岸にあり、家から自転車で10分程度行った堤防や川に下りて観ることができる。川岸までヨシが焼けてくると思ったが来ず、残念にもあまりよい写真が撮れなかった。写真は川岸から望遠で撮影したもの。

2010年2月19日金曜日

京都北野天満宮に参拝

時間が取れたので京都北野天満宮に参拝と梅花の写真を撮りに出かけた。この北野天満宮は全国各地に菅公をお祀りする天満宮や天神社の宗祀(中心的な神社)であり、約2万坪の境内に50種約2000本の梅の木がある。早咲きの梅は咲いていたが、全体的には5分咲きだった。あと1週間過ぎでないと見ごろを迎えないようだ。 時間が取れたらもう一度写真を撮りに行きたい。

2010年2月16日火曜日

坂本龍馬がいた街

坂本龍馬がいた洛中(木屋町・河原町)を散策してみた。まず、坂本龍馬・中岡慎太郎が暗殺された河原町の大通りの旧近江屋、現在はコンビニになっていたが石碑と案内板が立っていた。(写真)
当時(1867年11月15日)龍馬と慎太郎は醤油商近江屋の母屋2階にて密談中であった。午後9時過ぎ、何者かが龍馬に面会を求めてやってきた。そして、彼らは取り次ぎにでた下僕の山田藤吉(滋賀県三井寺町の出身で龍馬の世話役・用心棒)のあとから近江屋に潜入、龍馬のいる2階に向かった。二人の刺客は2階に上がるとまず藤吉を斬殺。龍馬らの座敷に乱入し、いきなり龍馬、中岡に斬りかかった。龍馬は額を真横に斬られ、ほとんど即死。中岡は数十箇所に傷を受け、2日後に絶命した。 龍馬と慎太郎、藤吉は17日に近江屋で葬儀が行われ、東山霊山護国神社横の墓地に埋葬された。
その後、河原町から少し入った近江屋に移る前に住んでいたとされる材木商「酢屋」(現在も「酢屋」として残っていた)に行った。2階には龍馬が住んでいたとされる部屋と関連資料が展示されているとのことだったが500円が必要で今回はやめた。次は池田屋騒動の址→長州藩屋敷跡(桂小五郎の像)→幾松(桂小五郎と幾松の寓居址で現在も残っていた)に行った。
今から143年前の龍馬の足跡(洛中)を追ってみて、NHK大河ドラマ「龍馬伝」がより楽しめると思う。

「THEハプスブルク」展へ

京都国立博物館で開催されている「THE ハプスブルク」展を観に行った。この展示は日本とオーストリア・ハンガリー二重帝国(当時)が国交を結んで140年の節目にあたる今年、ウィーン美術史美術館(オーストリア)とブダペスト国立西洋美術館(ハンガリー)の所蔵品からハプスブルク家ゆかりの名品を核に選りすぐり、絵画の至宝75点に華麗な工芸品を加えた計約120点を展示する美術・工芸品展だった。
ヨーロッパで13世紀に勃興し、20世紀の初頭まで600年以上君臨したハプスブルク家の歴代の王たちは、優れた審美眼と熱意をもって芸術保護に乗り出し、ヨーロッパ美術の真髄を伝える質の高いコレクションを形成した。本展では、イタリア絵画、オランダ・フランドル絵画、ドイツ絵画、スペイン絵画の代表作や工芸品も紹介されていた。
また、明治天皇が皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に友好のしるしとして贈った画帖(当時の絵師による日本の風景や暮らしを描いた100点の絵画が綴じられたもの)がウィーン美術史美術館に、同時期に贈ったとされる蒔絵棚がオーストリア国立工芸美術館に保管されており、本展でこれらが初めて里帰りし、一般公開されていた。 休館明けであったが、多くの観客(ほとんど女性で、男性はざ~とみて20%程度)があり、ゆっくりと観れないことも多かった。久しぶりにヨーロッパの美術観賞が出来てよかった。