5日付け朝日新聞に江戸時代の絵師、伊藤若冲(1716~1800)ゆかりの黄檗宗「石峰寺」を訪ねて!という記事が掲載された。少し興味もあり京阪深草駅下車して徒歩約10分にあるこの黄檗宗「石峰寺」を訪ねてみた。(上の写真)
命日の9月10日若冲忌に合わせて、「石峰寺」が所蔵している掛け軸や版画など、若冲の作品を一般公開する秋の特別展示会が、9月1日から若冲忌の9月10日まで行われていて、うまい具合に若冲の掛け軸(動植物を描いた彩色画)を鑑賞することが出来た。また今、若冲ゆかりの相国寺(承天美術館)でも生誕300年記念伊藤若冲展が行なわれている。機会があればみに行きたいものだ。
斗米庵とも号した伊藤若冲は、五百羅漢(羅漢とは人々から尊敬・布施をうける資格のある人の意で,悟りをひらいた高僧を指す)はもちろんのこと、動植綵絵が代表作の一つとして知られる、江戸時代中期の京都で活躍した日本画家。元は錦小路の青果問屋の主で、30代より禅に親しみ、40歳の時に隠居したのちは画作に専念し、独特な作風で数多くの作品を生み出している。 晩年には「石峰寺」門前に庵を結び、85歳でその生涯を終えた。石峰寺の境内には、斗米庵若冲居士墓とある若沖の墓がある。(下の写真) 本堂の裏手の竹林にある五百羅漢は、伊藤若冲が60才になった時、五百羅漢を刻むことを思い立ち、五百体にも及ぶ下絵を描き、石職人に頼み、10年をかけて五百羅漢を配したとのこと。当時は千体以上のもの石蔵が配されていた。現在では五百数十体の石蔵で長い年月を物語るように丸くなり、苔が生え風化に伴い表情や姿態に一段と趣を深めているそうだ。(中の写真)
今回、はじめて画家伊藤若冲という人や、若冲ゆかりの「石峰寺」のことが勉強になった。
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