2017年3月30日木曜日

日本美術と高島屋

京都高島屋にて高島屋史料館所蔵の日本美術と高島屋~交流が育てた秘蔵コレクション~と【特別展示】豊田家・飯田家 寄贈品展が29日から開催されたのでみに出掛けた。
1831年、京都で産声をあげた高島屋は、創業期の呉服店時代から誇りと伝統を有し、その長きにわたる歴史の中で、高島屋の名のもとに集まった日本画の名品を一堂に展観し、近代日本の画家たちが高島屋と如何なるかかわりをもって自らの芸術を高めていったのかがよく分かるようになっていた。
横山大観、竹内栖鳳をはじめ、前田青邨や川端龍子、東山魁夷など、約60点に及ぶ展示作品が高島屋に収まったエピソードも交えての紹介だった。また今回は、高島屋四代飯田新七の娘・二十子(はたこ)が嫁いだトヨタ自動車創業家の豊田家と高島屋創業家の飯田家から、大阪の高島屋史料館に寄贈された貴重な作品も特別展示されていた。そして高島屋とトヨタ自動車の繋がりもよく分かった(^-^)/

2017年3月29日水曜日

「日野駅再生プロジェクト」寄付

昨年12月に「近江鉄道日野駅再生プロジェクト」への寄付(1万円)を行い、その礼状と記念品が藤澤町長から届いた。
お礼の品は創業百周年記念の煎餅とレールで作った文鎮だった。 この文鎮は明治31年(1898年)にイギリスのBARROW STELL社で製造されたレールで作られたとのこと。
今もこのレールが日野駅構内にも残され敷設されたままで、舶来レールとして全国的にみても珍しいものだそうだ。 現在、日野駅舎の再生改修工事が進んでおり、完了予定日は平成29年9月末とのこと、楽しみだなぁ~(*゚▽゚*)
この近江鉄道日野駅は1916年に建てられ(初代の駅は1900年、現駅が1916年で二代目)、昨年で100年を迎え、現存する木造駅で100年を越える数少ない駅のひとつ。その味わい深いレトロな駅は、映画のロケやテレビ放映でも多く使われ、住民と鉄道ファンからもこよなく愛されていた。 しかし、長い年月によって老朽化がすすみ、このままいけば簡単な駅に建て替えが余儀なくされ、なつかしさや愛着のある駅が消えてしまうため、まちのシンボルである駅の存続に危機感を抱いた日野町と地元住民が、寄付金を募る「近江鉄道日野駅再生プロジェクト」を立ち上げ、近江鉄道に協力を呼びかけ、再生修復工事が行われることとなった。

2017年3月28日火曜日

京都随心院「はねず踊り」

3月の最終日曜日に行われている京都山科区にある随心院の奉納の舞「はねず踊り」をみに行った。 この踊りは、花笠を被りはねず色(白色を帯びた紅色の古名)の段絞りの小袖を着た少女(小学4~6年生)が、はねず踊り伴奏(はねず踊り邦楽グループ)での踊りと「今様」踊り、京都瓜生山舞子連中による「大蛇」があり、多くの人々で賑わっていて華やかな舞台を楽しんだ(*゚▽゚*)
この随心院は、真言宗善通寺派の大本山であり、弘法大師より8代目の弟子にあたる仁海僧正の開基にして、一条天皇の正暦二年(西暦991年)奏請して、この地を賜り一寺を建立されたという。(詳細は省略) 
また、ここは平安時代の絶世の美女である小野小町の住居跡ともいわれ、特に知られている。(詳細は省略)








京都随心院の「はねず踊り」

2017年3月23日木曜日

「春うららコンサート」へ

 
寝屋川市立地域交流センター「アルカスホール」の主催で、寝屋川演奏家クラブ出演の気軽にクラッシク♪「春うららコンサート」が午後6時半から行われ聴きに行ったヽ(*´∀`)ノ。
メンバー5名(ピアノ2名、ソプラノ2名、クラリネット1名)で、約1時間半弱のミニコンサートで市民、常連、知人の方など約60名が聴きに来られて、このスタイル(夜間の1Fギャラリーコンサート)での演奏会では盛況だった。 ただ、ギャラリーでの演奏会で音楽には向かない部屋だったのが少し残念。
演奏曲はモーツアルト、シューベルト、ヘンデル、ウェーバーなどの歌、ブラームス、シュトラウス、ベートーベンのピアノ曲などクラシック曲約13曲の演奏を楽しむことが出来てよかった(*゚▽゚*)
この「寝屋川演奏家クラブ」は年3回程度演奏会を開催し、今日まで17年間続いている演奏家クラブ(長女と次女が当初からのメンバーで、次女が代表)。 メンバーも発足当時とは大分変わり、また生活環境も変わる中で、今日まで続いているのは大したもの。継続は力なりで、知名度も随分とアップしてきて、楽しみにしている人も多い(^O^)
次の演奏会は、第17回寝屋川フレッシュコンサート&定期演奏会が8月5日(土)14時から行われる予定で、また楽しみにしたいものだ(^O^)








2017年3月19日日曜日

「ひらかた男性合唱団」演奏会

第17回「ひらかた男性合唱団」(団員35名)の定期演奏会が、枚方市民会館大ホールで開催されるので、聴きに出かけた。会場はほぼ満席で盛況だった。
今回、高槻市の女性コーラス「今城エコー」(団員43名)の協助出演もあり、華やかな演奏会でもあった。
演奏会は、第一ステージ(ひらかた男性合唱団):男声アラカルトとして「知床旅情」、「サライ」、「北酒場」、男声合唱曲「富士山」から「Ⅱ作品第肆」。第二ステージ(今城エコー):女性アラカルトとして「赤いスイートピー」、「春一番」、女性合唱組曲「よかったなあ」から「小鳥たち」「ケヤキ」、「星☆ステラ☆の歌」。第三ステージ(ひらかた男性合唱団):男性合唱組曲「水のいのち」から「雨」「水たまり」「川」「海よ」。第四ステージ(合同演奏):「上を向いて歩こう」、「愛燦燦」、「夕焼け」、「群青」だった。
知っている演奏曲もあり、それなりに楽しめた。その中で昨年9月に神戸で開催された全国シルバー合唱コンクールにて銀賞を受賞した「サライ」は、楽譜を持たず暗譜での合唱であり、これはよかった(゚∀゚) その他は楽譜を持っての合唱で、この程度であれば暗譜で歌ってほしいものだぁ…と。高齢者の合唱団であり仕方ないか~?と思うけどね。
第二ステージの女性のみの合唱は、すべて暗譜で姿勢もよくてよかったなぁ~(´∀`)

2017年3月18日土曜日

堺市「大仙公園」

仁徳陵古墳や履中陵古墳を擁する百舌鳥古墳群内に位置するこの「大仙公園」は、「日本の歴史公園100選」に入選しており、古代史のロマンを秘めた百舌鳥古墳群のほぼ中心にあり広大で緑豊かな公園に、中央図書館、堺市博物館日本庭園、堺市都市緑化センター、自転車博物館サイクルセンターなどがあり、市民の憩いの広場にもなっている。今回は市立博物館と日本庭園を見物した。どちらも入場料は大人200円であるが、他市でも65歳以上であれば免許書など証明するものを見せれば無料だった。
堺市博物館は、市制90周年記念事業として昭和55年に開館。生涯学習と市民文化の向上のため、堺市の歴史、美術、考古、民俗に関する博物館として、多くの資料が展示されていた。
また、日本庭園では堺の歴史を背景にして作庭された庭園様式の『築山林泉回遊式』で中国大陸を望む名勝を模して造られており、全国各地で見られるような藩主が作った名庭園とは趣が異なる造りになっていて、なかなかよい庭園だった。

仁徳天皇陵・履中天皇古墳参拝

初めて仁徳天皇陵古墳と履中天皇陵古墳へ出かけた。JR阪和線の百舌鳥駅で下車して、まず仁徳天皇陵古墳拝所にて参拝、その後大仙公園を抜けて履中天皇古墳拝所にて参拝した。
が、両天皇陵も大きくて全体を見るには航空写真をみるしかないので、想像しながら歩いた。帰りに堺役所の新ビル21階(約80m)にある展望台からみてもこの天皇陵古墳の輪郭が見られなくて、ただ単にこんもりとした森にしか見えない。(上の写真) そこそこ全体がみえる展望台がほしいものだ。この展望台は基本的に年中無休で360度堺市内が見渡せる。
仁徳天皇陵古墳は、エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓の一つといわれ、上から見ると円と四角を合体させた前方後円墳という日本独自の形で、5世紀中ごろに約20年をかけて築造されたと推定されている。日本最大の前方後円墳で北側の反正天皇陵古墳(田出井山古墳)、南側の履中天皇陵古墳(石津ヶ丘古墳)とともに百舌鳥耳原三陵と呼ばれて、現在はその中陵・仁徳天皇陵として宮内庁が管理している。前方部を南に向けた墳丘は全長約486m、後円部径約249m、高さ約35.8m、前方部幅約307m、高さ約33.9mの規模で3段に築成されている。(詳細は省略)
履中天皇陵古墳は百舌鳥古墳群で仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)に次ぐ巨大前方後円墳で、10基ほどの陪塚を従えていたが、現在は寺山南山古墳など4基が残るのみで、形や出土した埴輪、陪塚の出土品などから仁徳天皇陵古墳より古く5世紀前半頃に造られたことがわかっているとのこと。墳丘の全長約365m、後円部径205 m、高さ約27.6m、前方部幅約235m、高さ約25.3mの規模の日本で3番目に大きい、前方部を南に向けた巨大前方後円墳である。(省略は省略)

2017年3月13日月曜日

「クイーン・エリザベス号」入港

開港150年目を迎えた神戸港に13日、世界で最も有名で、一生に一度は乗ってみたい豪華客船「クイーン・エリザベス号(3代)」が入港するということで、一度見ようと友人と3人で昼食(中華料理)後、神戸ポートターミナルに出掛けた。 
午後1時半過ぎにポートターミナルに着いたが、一目見ようと見学者や乗客などで混雑していた。 客船内部の見学者募集も事前に行われたようであるが、何倍?という応募での抽選もすでに終わって、外から見るしかなかった。まあぁ~バカでかい、ビルを見上げるようだった。また、夜間遊覧の募集も行われたようで約10倍の応募があり抽選で130名が恩恵に預かったと、今朝の朝日新聞に掲載されていた。(下の写真が新聞に掲載された写真、転載)
この「クイーン・エリザベス号」は2010年に竣工され、姉妹船のクイーン・ヴィクトリアに比べ、公室アレンジの違いなどにより90,400トンとヴィクトリアより400トンほど大きい。全長294m、全幅32.3m、旅客定員2,092名。2010 年10月の処女航海は29分14秒で完売という、史上最速の記録を樹立し、その人気の高さを証明したという。
13日午前6時に入港し、同日夜8時に日本発着する初めてのクルーズが出発、鹿児島、釜山(韓国)、広島を回って20日神戸に朝6時に再入港するという。 そして同日8時に上海に向けて出港するという。次の計画によると来年2018年3月15日大阪港に入港し、大阪港発着のクルーズ(釜山と広島・高知周遊、35万円)があるとのこと。一度乗ってみたいなぁ~と、しかし結構値段もするしねぇ。

2017年3月12日日曜日

京都伏見・淀の河津桜の第二弾

2月28日に行った京都伏見の淀地域の淀水路沿いの「河津桜」が満開になっていた。ヽ(・∀・)ノ

2017年3月11日土曜日

ヤンマー新本社の社員食堂

創業以来、100年以上にわたり食づくりに携わってきた企業として、生産者と消費者が直接的により深く繋がる場を提供したいとの想いから、ヤンマー新本社ビル(愛称:YANMAR FLYING-Y BUILDING、2014年秋竣工)の社員食堂を週末ランチ限定で一般開放されるとのことが新聞で報道され(2月初旬)、今回梅田に用事があり立ち寄って食事(昼食)をしてきた。
新本社ビル竣工以来、食づくりに携わる企業として、社員が生産者の想いをより身近に実感できることをコンセプトとした社員食堂を運営してきたとのこと。産地や生産者が見える旬の食材を積極的に使用した一汁三菜スタイルのセットメニューでは、おいしさと健康にこだわったメニュー作りを行っており、社員はもとより来社のお客様からも好評を得ているとという。今まで「Premium Marché CAFÉ」として運営してきた社員食堂を「Premium Marché OSAKA」へと名称を改め、2月4日(土)より週末ランチ限定で一般開放されている。
朝10時半頃にヤンマー本社に到着、整理券が配られていて既に63人が待っている状態で、64番の整理券をもらう。すごい人気らしく肉料理・魚料理(各150食)、カレー(50食)の計350食はほぼ売り切れるいう話だった。
11時頃か20人単位でエレベーターへ誘導され、64番目だったので11時20分頃に12階にある食堂へ。まず先に精算(3種類とも1000円、フリードリンク付き)してメニューの肉料理、魚料理、カレーの3種類から選ぶが、今回は肉料理を選んでみた。肉料理のカードをもらって受け取り場で料理を受け取り、席は自由であるが、もう窓際の席がなくて2人用のテーブルにて食事をとった。食堂は150席あるそうで、広々として大変綺麗であった。
肉料理は鶏肉だったが美味しかったし、ご飯も最高。フリードリンクは食中はウーロン茶、食後にコーヒー、紅茶を、ちょっと欲張りかと思うが…?
こんなに人気なのは、①産地や生産者が見える旬の食材を積極的に使用した健康的な一汁三菜スタイルであること。②値段も手頃(1000円)でフリードリンク付きだこと。③食堂も綺麗だし広々として眺めもよいことか…と。

2017年3月7日火曜日

新選組屯所「八木家」

京の冬の旅「壬生寺・狂言堂」を参観したあと、壬生寺を出てすぐ近くにある新選組の屯所(宿所)があった「八木家」に立ち寄った。この八木家は、室町時代後期より壬生の地に住み、以来400年15代にわたり続いている家。幕末の1863年春、14代将軍家茂上洛にあたりその警護の為に上洛した浪士の芹澤鴨、近藤勇、土方歳三、沖田総司、山南敬助、新見錦、原田佐之助、藤堂平助、野口健司、井上源三郎、平山五郎、平間重助、永倉新八ら13名がここ洛西壬生村の八木家を宿所とした。そして1863年3月16日八木家の右門柱に松平肥後守御領新選組宿という新しい表札を掲げて、ここに新選組が誕生したという。(上の写真の門柱)
そして、9月18日(島原の角屋で大宴会日)のどしゃ降りの深夜に八木家の奥座敷において新選組三大内部抗争で芹澤鴨、平山五郎ら4人が斬殺された。その時の刀傷の一部が現存し、その凄惨さを物語っている。(下の写真)
こうして近藤が実権をにぎってから隊規も厳しくなり、又池田屋事件など新選組の最盛期を築いたが、1865年夏、壬生が手狭になってきたのを理由に西本願寺の太鼓番屋(現存)に屯所を移した。
その後、鳥羽伏見の戦いに敗れるまで、あしかけ3年、壬生を洋式調練の場所にするなどした新選組の歴史がここにあったことを改めて知ることが出来た(´▽`)

2017年3月4日土曜日

京の冬の旅「知恩院」

先日に続いて京の冬の旅「知恩院」に出かけた。よく知恩院三門前を通ったり、本堂(御影堂)を参拝したことがあるが、内部の拝観(大方丈、小方丈、方丈庭園など)は初めてだった。今回、三門をくぐり、御影堂は修理中で新玄関より入り、法然上人御堂(集会堂)で参拝し、大方丈、小方丈、方丈庭園を回って拝観した。その後は法然上人の遺骨が安置されているという御廟で参拝、大鐘楼などをみた。
ここ「知恩院」は法然上人を祖師と仰ぐ浄土宗の総本山で、地位が確立したのは、室町時代の後期とされ、また「知恩院」の建物が拡充したのは、徳川時代になってからとのこと。徳川家は古くから浄土宗に帰依しており、家康は生母伝通院(でんつういん)が亡くなると知恩院で弔い、また亡母菩提のため寺域を拡張し、ほぼ現在の境内地にまで広げて今日に至っている。
知恩院には古くから伝わる七不思議(鶯張りの廊下、忘れ傘、白木の棺、抜け雀、大杓、瓜生石、三方正面真向の猫)がある。が、その中で特に不思議だと思うのは、方丈の廊下にある杉戸に描かれた狩野信政筆の猫の絵で、どちらから見ても見る人の方を正面からにらんでいる(中の写真で、クリック・拡大して正面、左右からみると見る方向に目が向いている)。親猫が子猫を愛む姿が見事に表現されており、親が子を思う心、つまりわたしたちをいつでもどこでも見守って下さっている仏様の慈悲をあらわしているとのこと。また、御影堂から集会堂、大方丈、小方丈に至る廊下は、全長550メートルもの長さがあり、歩くと鶯の鳴き声に似た音が出て、静かに歩こうとするほど、音が出るので「忍び返し」ともいわれ、曲者の侵入を知るための警報装置の役割を担っているとされているとのこと。また鶯の鳴き声が「法(ホー)聞けよ(ケキョ)」とも聞こえることから、不思議な仏様の法を聞く思いがするともいわれている。(下の写真の右) また、大方丈入口の廊下の梁に置かれている大きな杓子。大きさは長さ2.5メートル、重さ約30キログラム。このような大杓子はあまりないところから、非常に珍しいもの。伝説によると三好清海入道が、大坂夏の陣のときに大杓子をもって暴れまわったとか、兵士の御飯を「すくい」振る舞ったとか。 「すくう」すべての人々を救いとるといういわれから知恩院に置かれ、阿弥陀様の慈悲の深さをあらわしているとのこと。 今回、「知恩院」が徳川家の菩提寺であること、七不思議があることを知ることが出来た(´∀`)