没後20年の特別展「星野道夫の旅」(写真展)が高島屋大阪店7階グランドホールで開催されたので見てきた。
アラスカに魅せられ、かの地を棲家にして壮大な自然の世界を描写した、たぐいまれな写真家・故星野道夫(1952~1996年)。彼がカムチャツカの地で、取材中に不慮の死を遂げてから2016年8月で20年となり、残された多くの写真や文章は、いまだに多くの人々の心を魅了し続けている。そこで、今回は星野道夫が駆け抜けた、幾多の道をひもとく未発表作を含むおよそ250点の写真をはじめ、自筆の文章や手紙、撮影に使用したカメラなどを展示するとともに、愛用したカヤック、スノーシュー、毛皮のパーカー(アノラック)も展示されていた。アラスカの大自然と動物たちの写真は、素晴らしく見ごたえのあるもで感動した。
1996年8月8日ヒグマに襲われて不慮の死を遂げた事件の概要は、関連サイトに掲載されていた。それはTBSの『どうぶつ奇想天外!』の放送番組の取材目的で、「ヒグマと鮭」を題材にした写真を撮影するためTBSのクルーと共にロシアのカムチャッカ半島南部のクリル湖畔(ロシアで熊が最も多いとこ)へとやってきた。付近には身の安全を確保できる小屋や「鮭観察タワー」などの宿泊施設があったものの、彼は敢えて湖畔のほとりにテントを設置し、そこへ寝泊りすることを選択。この季節は7月。「この時期は、サケが川を上って食べ物が豊富だから、ヒグマは襲ってこない」との見識に基づいた判断だった。体長2m超・体重250 kgの巨大な額に傷を負ったヒグマが到着してから2日後の夜、宿泊用の小屋に備え付けてある食糧庫によじ登り、飛び跳ねて荒らしていた。 このヒグマ、数日前にも食糧庫を荒しており、どうやら空腹のようだった。それはこの年、サケの遡上が例年よりも遅れていたためらしい。さらに、この額に傷を負ったヒグマが、地元テレビ局の社長によって餌付けされていたため、人間への警戒心が薄かったとも考えられている。しかしこの時、そんなことは分かっていなかった。「たまたまだろう」と思ったのか、星野は再三に渡るガイドの忠告を聞き入れず、テントでの宿泊を続行。そして、2週間が経過したある日の深夜に悲劇は起こった。キャンプ場に突如として響き渡る絶叫。その声がすぐに星野のものだと分かったTBSスタッフは、急いで小屋から出て懐中電灯で照らすと額に傷のある例のヒグマが彼を咥えて、悠々と森の中へ戻っていく姿が見えた。テントはひしゃげてポール(支柱)は折れ、星野の寝袋は切り裂かれていた。ガイドが無線で救助を要請し、ヘリコプターで到着した捜索隊は上空からヒグマを捜索し、発見すると射殺した。星野の遺体は森の中でヒグマに喰い荒らされた姿で発見されたという。アラスカでグリズリーの写真を幾度も撮影してきた実績のある、いわばその道のプロフェッショナル。当然、熊の習性などは熟知していたはずなのになぜ、このような悲劇が起こってしまったのか謎になっている。
0 件のコメント:
コメントを投稿