2019年8月27日火曜日

「ネパール料理専門店」でランチ

二学期が26日から始まったが小学1年生の孫娘が風邪を引き26日休み、まだ完全に治っていないため27日も休んだ。そのため自宅に来ていて昼食は樟葉中央交差点近くの「ネパール料理専門店」に出かけた。
以前、ここで夕食をしたことがあり2回目だったが、ランチは初めて。人気があるようで満席だった。孫娘はお子様ランチ、大人は日替わりランチにして美味しくネパールのカレーを味わった。




2019年8月23日金曜日

ヨシダナギ写真展「HEROES 2019」

阪急百貨店でヨシダナギ写真展「HEROES 2019」があり観て来た。この写真展では、撮影がOKだったのでスマホで主な写真を撮りスライドショーにしてみた。
ヨシダ ナギは、1986年生まれの女性写真家。主にアフリカをはじめとする世界の少数民族や先住民を被写体に撮影、少数民族と同じ格好になって写真を撮影するスタイルでも知られている。「ヨシダナギ」という名前は本名ではない(ネット上では非公開)。幼少期にテレビ番組でマサイ族を見てアフリカ人に憧れを抱くようになる。母親からフィリピンに留学する子供たちのサポートの手伝いを頼まれ、一緒にフィリピンに行った。ヨシダにとって初の海外フィリピンで撮影した子供たちの写真をブログに載せたところ、褒められたのをきっかけにカメラを片手に東南アジアを回り始める。その後お金を貯めて2009年の23歳の時に単身でアフリカに向い、最初に行ったのはエジプトとエチオピア。そして2012年に初めて少数民族と同じ格好になって撮影を行った。3度目のアフリカ渡航の時で、カメルーンの山岳地帯に暮らすコマ族との撮影であった。コマ族の女性は上半身は裸で、下半身は葉っぱで隠している。このとき、着替えを手伝ってくれた長老の4人の妻たちに反対されながらもパンツも脱いだところ、女性たちは歌いだし、歓喜の舞でヨシダを歓迎したとのこと。 独学で写真を学び、アフリカをはじめとする世界中の少数民族を撮影し発表していることは、この若さで勇気のいるすごいことと感動した。また、この世界の少数民族の写真をみると民族衣装も化粧も様々であることがよく分かり、写真を楽しめた。


2019年8月18日日曜日

涼をもとめて高野山へ

京都京阪バスの旅うららバスツアー「涼をもとめて高野山へ」に家内の付き合いで出かけた。
京阪樟葉駅でツアー客を乗せて8時10分出発、JR松井山手駅でもツアー客を乗せ、計34名で出発した。
途中、高速の岸和田サービスエリアでトイレ休憩して、高野山には11時20分頃に到着した。
まず、金剛峯寺に拝観約1時間、そのあと珠数屋四郎兵衛の2階で精進料理の昼食と買い物、午後は男性のガイドのもと約1時間半奥の院へ参拝し見学した。
高野山15時に出発して、樟葉駅には6時10分頃到着した。
涼をもとめての高野山であったが、日中でもあり結構暑かった。



2019年8月17日土曜日

映画「ライオン・キング」


9日に公開されたDisney 映画「ライオン・キング」を観に行った。 あらすじは、動物たちが幸せに暮らす王国・プライドランド。その国を治めるのはオスライオンのムファサ。妃であるサラビとの間に生まれたシンバは、ムファサから王としてのありかたや生命の連環(サークル・オブ・ライフ)について教えられるも、遊びたい盛り。毎日幼馴染のナラと遊んでばかりであった。みんなから慕われる王ムファサと、同じくみんなに愛されて育ってきたシンバでしたが、それらを良く思わないものもいた。それはムファサの弟であるスカー。弟であるがゆえに王になれなかったことを恨み続け、ムファサとシンバがいなくなることを願っていた。スカーはいよいよその野望を叶えるべく、ムファサとシンバを罠にはめて、ムファサの命を奪い、ムファサの死の責任をシンバになすりつけて王国を追放し、王の座を奪い取った。
王国を追われ、父も失ってしまったシンバは絶望の中行き倒れに。そんなシンバを見つけたのは、ミーアキャットのティモンとイボイノシシのブンバァ。自由気ままに生きる2匹につれられて、シンバは立派なオスライオンへと成長する。一方プライドランドでは、スカーの支配によってかつての楽園は姿をなくしてした。助けを求めて国を飛び出したナラは、偶然にもシンバたちと再会。プライドランドへ戻ってきてほしいと頼むも、シンバはムファサの死の原因は自分だと、過去を引きずったままで首を縦には振らなかった。しかし、過去と向き合うことを決意したシンバはナラと共にティモンとプンバァをつれてプライドランドへ戻ることに。国を守るために帰還したシンバは、見事スカーを倒し、プライドランドに平和を取り戻した。そしてシンバは新たな王となり、妃となったナラとの間には新しい生命が誕生する。(関連サイトから)
CGによるライオンをはじめ動物たちの動きもリアルで、まるで本当に生きているかのような躍動感が素晴らしいものだった。また虫も沢山出てきて、リアルに描かれていていた。ライオン・キングはミュージカル作品で、エルトン・ジョンの「愛を感じて」など、今作も音楽がとても素晴らしいものだった。

2019年8月12日月曜日

牧野スポでの写真をSNS投稿

牧野スポーツクラブでスタッフと一緒に写真を撮り、それをSNSに投稿すると商品がもらえるというイベントあり。よく知っている女性スタッフから声がかかり男性スタッフと一緒に撮った。 
それをFacebookとInstagramに投稿した。商品は期待するほどのものではなく、子どものお菓子だった。もう少しいいものを期待したが残念。

2019年8月10日土曜日

子どものメンテナンス教室

今年3月に小学1年生の孫娘が枚方家具団地にあるハーモニックハウス本店で学習机を買ってもらった。それをメンテナンスする教室が開かれ、その母親と一緒に参加してみた。約15名の子どもと保護者が参加していた。
まず学習机の上の汚れをとる方法や何かが当たってへこみが出来た場合の治し方など実演しながら子どもたちにも実践してもらうものだった。
それが終わってから木工材料でえんぴつ立人形を一緒に作った。後で子どもたちの完成品が一堂に展示され、それをみるとそれぞれに個性のある人形が作られていて感心もした。

2019年8月5日月曜日

酬恩庵一休寺

小学2年生の孫娘が、以前一休さんの伝記を読んだこともあり、京田辺の「酬恩庵一休寺」を訪れた。
一休寺の方丈、方丈庭園、一休禅師木像の本堂、一休禅師の墓、少年一休銅像などをみて回った。
一休禅師は室町時代を生きた臨済宗大徳寺派の禅僧。京都生まれで幼名は千菊丸。一休の名付け親は大徳寺の高僧。さまざまな人生の紆余曲折を経てここ酬恩庵で後半の生涯を送り81歳で大徳寺住職となった時も、この寺から通われた。文明13年(1481年)11月21日88歳で病没、遺骨は当所に葬られた。
このように禅師が晩年を過ごされたことにより「一休寺」の通称が知られるに至った。(関連サイトから転記)

2019年8月3日土曜日

寝屋川演奏家クラブ定期演奏会

「寝屋川演奏家クラブ」の第19回「寝屋川フレッシュコンサート&定期演奏会が8月3日、京阪天満橋駅近くの府立労働センターの「プチ・エル」(BF1)であり聴きに出かけた。 
毎年、門真文化会館ルミエール小ホールで開催しているが、改築工事のため、今回やむなく初めてこの「プチ・エル」(定員80名程のホール)となった。来年7月25日には、改築が終わったルミエール小ホールで開催されることになる。
第一部は「寝屋川フレッシューコンサート」で、昨年・今年に音楽大学を卒業した2人のピアノ独奏。第二部は「定期演奏会」でマリンバ演奏、サクソフォン演奏、ソプラノ独唱、ピアノ連弾、ピアノ独奏と最後に出場者全員での合唱があった。
約2時間の演奏会で、いろいろなクラッシック曲を楽しむことができてよかった。
終わって、夕食を家族(大人4名、孫娘3名)で天満橋駅の京阪シティモール9階のインド料理のレストランでインド料理を食べて帰った。

2019年8月2日金曜日

時計の工作キット

朝から孫娘3人のお守りを兼ねて、家内が買ってきた時計の工作キットを完成した。
四角い木枠作りの接着等は、小学1・2年と幼稚園では少し無理なので応援。その後の色塗りや各ピースの接着等はワイワイガヤガヤと言いながら自由に任せてやらせた。最後時計の取り付けを応援して完成させた。
左から幼稚園、小学1年生、小学2年生が作った時計。