一休寺の方丈、方丈庭園、一休禅師木像の本堂、一休禅師の墓、少年一休銅像などをみて回った。
一休禅師は室町時代を生きた臨済宗大徳寺派の禅僧。京都生まれで幼名は千菊丸。一休の名付け親は大徳寺の高僧。さまざまな人生の紆余曲折を経てここ酬恩庵で後半の生涯を送り81歳で大徳寺住職となった時も、この寺から通われた。文明13年(1481年)11月21日88歳で病没、遺骨は当所に葬られた。
このように禅師が晩年を過ごされたことにより「一休寺」の通称が知られるに至った。(関連サイトから転記)
2019年8月5日月曜日
2019年6月7日金曜日
平安神宮神苑の無料公開
年2回行われている無料公開に、雨が時々ひどく降る中出かけてみた。
雨が降っている影響もあり、来苑者は少なくてゆっくりとみられたが、肝心の花菖蒲が少し遅かったのか?あまり咲いていなかったし、枯れかかった花もみられた。また、睡蓮の花ももう一つだった。
昨年は8日の無料公開に行っているが、その時の動画のように、綺麗に咲いることを期待していたが、残念な結果だった。
雨が降っている影響もあり、来苑者は少なくてゆっくりとみられたが、肝心の花菖蒲が少し遅かったのか?あまり咲いていなかったし、枯れかかった花もみられた。また、睡蓮の花ももう一つだった。
昨年は8日の無料公開に行っているが、その時の動画のように、綺麗に咲いることを期待していたが、残念な結果だった。
2019年5月3日金曜日
天授庵の庭園
同じ南禅寺境内にある「天授庵」を訪れた。天授庵は臨済宗南禅寺派大本山である南禅寺の塔頭寺院のひとつ。2013年秋のJR東海の「そうだ京都、行こう。」キャンペーンに取り上げられたため注目度が高い庭園でもある。
この天授庵は1339年に南禅寺開山し、無関普門の塔所として建立された。その後応仁の乱で大きな被害を受けたが1602年に細川幽斎によって再建されている。天授庵には白砂と苔が特徴の「方丈前庭(東庭)」と、南北朝時代の古庭の味わいを持つ池泉回遊式庭園の「書院南庭」の2つの庭園がある。今は新緑が綺麗で趣もあり素晴らしい庭園、秋の紅葉シーズンにも訪れたい。
この天授庵は1339年に南禅寺開山し、無関普門の塔所として建立された。その後応仁の乱で大きな被害を受けたが1602年に細川幽斎によって再建されている。天授庵には白砂と苔が特徴の「方丈前庭(東庭)」と、南北朝時代の古庭の味わいを持つ池泉回遊式庭園の「書院南庭」の2つの庭園がある。今は新緑が綺麗で趣もあり素晴らしい庭園、秋の紅葉シーズンにも訪れたい。
南禅院の庭園
蹴上浄水場のツツジの一般公開を見てから南禅寺境内にある庭園(南禅院と天授庵)をみようと、まず水路閣をくぐってすぐの南禅院へ。ここは亀山天皇が正応2年(1289)離宮で出家して法皇となられ、離宮を寄進して禅寺とし大明国師を開山とされたところ。ここは離宮の遺跡であり、また南禅寺発祥の地でもあるとのこと。
ここの庭園は当時のおもかげを残し、鎌倉時代末の代表的池泉回遊式で、周囲を深い樹林で包まれた幽玄閑寂の趣は格別である。作庭は亀山法皇ともいわれ、早くから、京都の三名勝史跡庭園の一つに指定されている。今は新緑が綺麗で、こじんまりとした落ち着いた庭園だった。
ここの庭園は当時のおもかげを残し、鎌倉時代末の代表的池泉回遊式で、周囲を深い樹林で包まれた幽玄閑寂の趣は格別である。作庭は亀山法皇ともいわれ、早くから、京都の三名勝史跡庭園の一つに指定されている。今は新緑が綺麗で、こじんまりとした落ち着いた庭園だった。
2019年3月15日金曜日
2018年6月8日金曜日
「平安神宮神苑」無料公開
「平安神宮神苑」の無料の一般公開(年2回)があり、昨年に引き続いて見に行ってきた。公開時間は8時30分から16時30分で、到着したのが9時半頃であったがすでに多くの見物者で賑わっていた。花菖蒲と睡蓮が綺麗に咲いていた。
2018年6月3日日曜日
滋賀甲賀市の「大池寺」拝観
田舎に行く途中にある滋賀県甲賀市水口の臨済宗妙心寺派「大池寺」(だいちじ)を拝観・蓬莱庭園を鑑賞した。今回、サツキが咲いている時期なので訪れてみたが、昨年(6/6)の時よりは咲いていたが、満開で綺麗な時期が少し遅かったようだ。書院からみるサツキの庭園を眺めながら、しばしのひと時を過ごした。この大池寺は、今から約1250年前、諸国行脚の高僧、行基菩薩(668~749)がこの地(滋賀県甲賀市水口町名坂)を訪れた際、日照りに悩む農民のため、灌漑用水として「心」という字の形に4つの池を掘り、その中央に寺を建立し、一彫りごとに三拝したという「一刀三礼の釈迦丈六坐像」を安置したと伝承されている。(詳細は「大池寺」サイトを参照)
ここの蓬莱庭園は、江戸初期寛永年間に小堀遠州の作として伝えられサツキの大刈り込み鑑賞式枯山水庭園。書院前方正面の二段刈り込みと左右の大刈り込みは大洋の大波小波を現し白砂の水面上に刈り込みを以て宝船を浮べ中に七つの石と小さな刈り込みで七宝と七福神を象徴しているとのこと。
昨年6月6日に撮影した動画。
2018年4月26日木曜日
「圓通寺」参拝
妙満寺から徒歩で約16分にある「圓通寺」へ、7年ぶりに訪れた。ここ圓通寺は、寛永16年(1639)後水尾天皇が造営された幡枝(はたえだ)離宮の跡であり、幡枝小御所、幡枝茶園とも呼ばれていた。延宝6年(1678)文英尼を開基とし、後水尾上皇より山号を大悲山、寺号を圓通寺とする勅額を賜り、霊元天皇の祈願所となった。この地は後水尾天皇が長い年月をかけて探された土地で、真東を向いた約400坪の平坦な杉苔に覆われた地に、40個余りの紀州の海石を配した枯山水平庭がある。その周囲は躑躅、山茶花などの低い混ぜ垣で囲われ、その外に植えられた杉と檜の間から比叡山を望むことが出来る借景庭園である。ここから望む比叡山はその稜線の美しさから「みやこ富士」とも言われている。借景とは「景色を借りる」というように庭園の背景に在る景色自体を庭園の一部として利用するもので、この比叡山の借景を得るために後水尾天皇は各所をまわってようやくこの地を探し当てたという。修学院離宮といい、ここ圓通寺といい、後水尾天皇のセンスの良さには脱帽である。(関連サイトから抜粋)
外に植えられた杉と檜の間から比叡山を望むことが出来る借景庭園は素晴らしく見事であった。庭の左右にはもみじがあり、特に秋はもっと素晴らしいだろう。今日の比叡山は霞んでいたので、もう一つだったが、比叡山の山の景色によって、この庭園が変化するのは見事と思う。
2018年3月29日木曜日
「仙洞御所」参観
高校クラス会の29日は11時から「仙洞御所」を参観した。ここの参観は無料であるが申し込みは3カ月前の1日からで、今回は昨年12月1日AM5時からネットでの受付が始まってネットと往復ハガキで行った。1回の申し込みは代表者1名と他3名(計4名)であり、それ以上であると代表者を決めて別途申し込む必要がある。今回、12名参観としてネットと往復ハガキ2通で行った。
予定時間(11時)の20分前に入口門から申込許可書を警備員に提示し、待合所受付では代表者が許可書を提出し、身分証明書を提示、他の参観者3名には名前を言ってくださいと言われて確認される。結構厳しいもの。予定の11時になって女性ガイドさんの案内で、説明を受けながら庭園内を約1時間回って楽しむことが出来た。今回2回目であるが桜も咲く素晴らしい庭園を見ることができた。ここは秋の紅葉シーズンがお勧めとのこと、今年12月1日に学友会のフォト同好会で訪れたいと思う。
予定時間(11時)の20分前に入口門から申込許可書を警備員に提示し、待合所受付では代表者が許可書を提出し、身分証明書を提示、他の参観者3名には名前を言ってくださいと言われて確認される。結構厳しいもの。予定の11時になって女性ガイドさんの案内で、説明を受けながら庭園内を約1時間回って楽しむことが出来た。今回2回目であるが桜も咲く素晴らしい庭園を見ることができた。ここは秋の紅葉シーズンがお勧めとのこと、今年12月1日に学友会のフォト同好会で訪れたいと思う。
2018年1月30日火曜日
清水寺成就院の庭園
第52回「京の冬の旅」非公開文化財特別公開(1月6日~3月18日)が開催されていて、その一箇所の清水寺塔頭の一つである「成就院」を訪れた。
ここの庭園は相阿弥が作庭し小堀遠州が補修したとも、また松永貞徳の作とも伝えられる江戸時代初期を代表する名庭で、国の「名勝」に指定されている素晴らしく趣のある庭園である。
庭園の面積は約1500㎡と、さほど広くないが、庭境の生垣を特に低くして、北正面の高台寺山を大きく借景し、更に山中に1基の石灯篭をたてて、巧みに遠近法を活用して庭と周辺の山景とをひとつに結びつけ、庭に無限の広大さを感じさせている。模範的な借景式庭園である。庭中の地泉と石組みは見事で、中でも縁先の豊臣秀吉が寄進した伝える誰が袖手水鉢、中の島にある烏帽子石、蜻蛉灯篭、小島の籬島石、手鞠石などである。
サツキが多く植えられているので、初夏には見事に咲いていいだろうと思う。この時に特別拝観があるので、また来てみたい。
2018年1月25日木曜日
伏見稲荷大社の御茶屋
第52回「京の冬の旅」非公開文化財特別公開(1月6日~3月18日)が開催されていて、その一箇所の「伏見稲荷大社の御茶屋」を訪れた。この御茶屋(重文)は、御所の古御殿の一部であったもので、寛永18年(1641年)に後水尾院より賜ったもの。書院造のなかにも数寄屋造の意匠がうかがえ、宮廷好みの雰囲気を醸し出す建物だった。稲荷山を借景とした緑豊かな回遊式庭園「松の下屋庭園」(名勝)は、夜に降った雪がうっすらと積り白くなっていた。もう少し積もっていると素晴らしい庭園風景が見られるのにと、少し残念だった。庭園内の「松の下屋」では、棟方志功筆の襖絵や七大星韻図の壁画のうち「日昇昂韻図(にっしょうこういんず)」「火華旺韻図(かかおういんず)」、そして「初午ポスター原画」が公開されていて鑑賞した。
2017年9月19日火曜日
「がんこ」高瀬川二条苑

「がんこ」の枚方・京橋・天満橋・淀屋橋・くずは店などには、「美味しくて案外安い」ということもあり、食事に行くことがよくある。今回、初めて京都の「がんこ」高瀬川二条苑を訪れて、ランチした後日本庭園の高瀬川源流庭苑をみて回った。
ランチは「やわらぎ」(税込2000円)を食べたが美味しかった。その後、高瀬川源流庭苑を散策しながら写真も撮り、ひと時を楽しんだ。この庭園は最終的に小川治兵衛が手を入れただけあって高瀬川の源流が流れる素晴らしく落ち着いた庭園でよかった。
今回、ここでは毎月舞妓さんに出会える日(月3回)、舞妓さんお座敷遊び体験(月1回)、楽器の演奏会、絵手紙体験などいろいろなイベントが行われており、特に「舞妓さんお座敷遊び体験」にも参加し舞妓さんの写真も撮りたいので「フリーミアム二条会」に入会(無料)した。
この高瀬川二条苑は、1611年(慶長16年)、高瀬川開削者である豪商角倉了以がその源流に建設した別邸跡にある。そしてそこにある庭園が高瀬川源流庭苑とも呼ばれている。庭園の一角には、江戸時代初期に小堀遠州により作られた茶庭が現存する。ここは明治時代になって、元勲山県有朋が当地に第二無鄰菴と称される別邸を建設した。このときに庭園は、無鄰菴を作庭した小川治兵衛により改修され、現在に至っている。山県以降は、日本銀行総裁川田小一郎らが当地に別邸を構えていた。そして、現在は日本料理レストラン「がんこ高瀬川二条苑」となっている。
2017年9月9日土曜日
「しょうざんリゾート京都」庭園
初めて「しょうざんリゾート京都」を訪れ、そこの日本庭園を拝観した。ここへは京阪三条駅から市バスに乗車し、千本北大路または金閣寺前のバス停下車して徒歩10~15分にある。
ここの「しょうざんリゾート京都」は左大文字山の麓、金閣寺に隣接する景勝の地にあり、前方には鷹ケ峯、そして広大な敷地三万五千坪の中央には、「紙屋川」が流れている緑豊かなところである。
この洛北に日本の「庭園美」そして「建築美」を集めた「しょうざん」の建設は、昭和26年にさかのぼるという。 西陣に生まれ戦後いちはやくウールお召しを開発して世に広めた創設者、故・松山政雄が思い描いた「花と緑の観光工場」である。 京の山々を借景に、さらに手をほどこした庭園。またそこに戦後消失の運命にあった美しい日本の建造物を移築し、広く万人におとずれてもらい公開を始めたのが「しょうざん」の始まりという。
四季折々に表情を変える庭園には、点在する日本の粋を集めた茶屋や屋敷があった。ここの見頃は梅の開花、春の新緑、紅葉がよいと思う。この時期にまた訪れたいものだ~と。
ここ「しょうざんリゾート京都」には、庭園の他に結婚式場、宴会場、会員制のホテル、ボウリング場、プール、工芸館、京料理・和食の店やカフェテラスなどが点在しているところである。
昼食は、このリゾート内にある鳥料理と和食の「わかどり」でお刺身定食を食べた。
ここの「しょうざんリゾート京都」は左大文字山の麓、金閣寺に隣接する景勝の地にあり、前方には鷹ケ峯、そして広大な敷地三万五千坪の中央には、「紙屋川」が流れている緑豊かなところである。
この洛北に日本の「庭園美」そして「建築美」を集めた「しょうざん」の建設は、昭和26年にさかのぼるという。 西陣に生まれ戦後いちはやくウールお召しを開発して世に広めた創設者、故・松山政雄が思い描いた「花と緑の観光工場」である。 京の山々を借景に、さらに手をほどこした庭園。またそこに戦後消失の運命にあった美しい日本の建造物を移築し、広く万人におとずれてもらい公開を始めたのが「しょうざん」の始まりという。
四季折々に表情を変える庭園には、点在する日本の粋を集めた茶屋や屋敷があった。ここの見頃は梅の開花、春の新緑、紅葉がよいと思う。この時期にまた訪れたいものだ~と。
ここ「しょうざんリゾート京都」には、庭園の他に結婚式場、宴会場、会員制のホテル、ボウリング場、プール、工芸館、京料理・和食の店やカフェテラスなどが点在しているところである。
昼食は、このリゾート内にある鳥料理と和食の「わかどり」でお刺身定食を食べた。
2017年7月9日日曜日
妙心寺塔頭「桂春院」
2017年7月5日水曜日
関西花の寺「浄瑠璃寺」


「岩船寺」の近く(車で約10分)にある「浄瑠璃寺」を、ここもはじめて訪れた。ここも当尾の山里(京都府木津川市加茂町)でひっそりと千年の歴史を刻む。小さな山門がある北側だけが開かれ、東から南、西の三方は深々とした山に囲まれている。山門をくぐると、宝池を中心に西側に九体阿弥陀堂(本堂・国宝)、東側に三重塔(国宝)を配した浄瑠璃寺庭園(特別名勝及史跡)が広がる。気負いもなく、山の自然を生かした悠然たる雰囲気。この庭は鑑賞ではなく、深く篤い祈りの庭。煩悩の河を越え、阿弥陀仏に迎えられて西方浄土に至ることが感じられる仏の庭だ。今回、本堂内の拝観はやめて外からの参拝、浄瑠璃寺庭園を一回りした。関連サイトによると九体阿弥陀堂(本堂)に入ると、その圧倒的な迫力に引き込まれ、息をもつけない。丈六像(224cm)の中尊と半丈六像(139~145cm)の8体の阿弥陀如来像(国宝)が金色を放って一列に並んでいるとのこと。この阿弥陀如来は未熟な私たちを理想の未来へ迎えてくれる仏様。祈らずにはいられない存在感があるそうだ。また、五穀豊穣、天下泰平を授けるたおやかな吉祥天女像(重文・開扉日限定)なども祀られているとのこと、後で考えると拝観しなかったことを少し後悔した。
関西のあじさい寺「岩船寺」
関西花の寺25カ所霊場の1つで「関西のあじさい寺」と呼ばれる岩船寺へはじめて訪れた。
ここは摩崖仏や石地蔵が数多く見られる当尾(とうの)の里(京都府木津川市加茂町)にあり、三方を深い樹林に囲まれ、緑の中にすっぽりと入ってしまったようなたたずまい。その境内にそこかしこにアジサイが咲く。その数は35品種・5000株ほど。淡い紫、赤紫、青紫と一雨ごとに微妙に色を変え、その幽玄な景色はまさに花曼荼羅。 昭和12年頃に先代住職が植え始め、現在の住職が引き継いで育て上げたという。
ここのアジサイは境内を埋め尽くす壮観の美ではなく、背後の緑や本堂・三重塔の建造物、庭の木々などを考慮に入れた配し方が素晴らしい。
この岩船寺は、天平元年(729)に聖武天皇の勅願によって行基が阿弥陀堂を建てたのが始まりと伝わる。その後、弘法大師と智泉大徳(弘法大師の姉の子)によって堂塔伽藍を建立。最盛期は広大な境内に39坊が立ち並ぶ大寺だったが、承久の変(1221)によって大半が焼失した。しかし、貴重な寺宝は数多く残されている。まずは本尊の阿弥陀如来坐像(重文)である。平安時代の行基作と伝わり、そのおおらかで包容力のある表情に自ずと心が鎮まる。これは10世紀彫刻の基準作例となる。平安時代の普賢菩薩騎象像、鎌倉時代の石室不動明王立像も重要文化財だ。また、平成の大修理が完了し、朱色と白色の対照美が樹影に美しく映える三重塔と十三重石塔も重要文化財である。(関連サイトから抜粋)
ここは摩崖仏や石地蔵が数多く見られる当尾(とうの)の里(京都府木津川市加茂町)にあり、三方を深い樹林に囲まれ、緑の中にすっぽりと入ってしまったようなたたずまい。その境内にそこかしこにアジサイが咲く。その数は35品種・5000株ほど。淡い紫、赤紫、青紫と一雨ごとに微妙に色を変え、その幽玄な景色はまさに花曼荼羅。 昭和12年頃に先代住職が植え始め、現在の住職が引き継いで育て上げたという。
ここのアジサイは境内を埋め尽くす壮観の美ではなく、背後の緑や本堂・三重塔の建造物、庭の木々などを考慮に入れた配し方が素晴らしい。
この岩船寺は、天平元年(729)に聖武天皇の勅願によって行基が阿弥陀堂を建てたのが始まりと伝わる。その後、弘法大師と智泉大徳(弘法大師の姉の子)によって堂塔伽藍を建立。最盛期は広大な境内に39坊が立ち並ぶ大寺だったが、承久の変(1221)によって大半が焼失した。しかし、貴重な寺宝は数多く残されている。まずは本尊の阿弥陀如来坐像(重文)である。平安時代の行基作と伝わり、そのおおらかで包容力のある表情に自ずと心が鎮まる。これは10世紀彫刻の基準作例となる。平安時代の普賢菩薩騎象像、鎌倉時代の石室不動明王立像も重要文化財だ。また、平成の大修理が完了し、朱色と白色の対照美が樹影に美しく映える三重塔と十三重石塔も重要文化財である。(関連サイトから抜粋)
2017年6月23日金曜日
大本山「東福寺」
臨済宗大本山「東福寺」は京都を代表する紅葉の名所、今まで紅葉時期にはよく訪れている。が今回、新緑の時期と言っても少し遅いのでもみじの新緑が、少し濃い緑に変わってきているが、紅葉とは違った趣があった。紅葉のシーズンではないので訪れる観光客もちらほら~といった感じで随分と空いていた。また紫陽花も所々に咲いていて庭園に色を添えていてよかった。
2017年6月19日月曜日
「両足院」の半夏生
建仁寺塔頭「両足院」の”半夏生の庭園と茶室公開(6月10日~25日)”がされていて、半夏生がみられるので出かけてみた。
半夏生という名の由来は、雑節(暦で二十四節気以外の季節の移り変わりの目安となる日の総称で、節分・八十八夜・入梅・半夏生・二百十日・土用・彼岸ひがん)などの一つで、夏至から11日目頃(太陽暦では7月2日頃)に咲く花であることからこの名前が付いたドクダミ科の多年草である。花が咲く頃、葉の表面が白色に変化していくので、片白草や半化粧とも呼ばれている。
緑豊かな庭園の池辺には、白く化粧を施した半夏生(半化粧)が群生しており、本堂からは説明を聞きながら観賞することが出来た。今回、はじめて半夏生をみたが、葉の表面だけが白色して、まるで花が咲いたような光景で見頃であった。
また、別途庭園内の散策と茶室「水月亭」特別拝観・呈茶が「臨池亭」にてあったが別途500円いるので節約した。
半夏生という名の由来は、雑節(暦で二十四節気以外の季節の移り変わりの目安となる日の総称で、節分・八十八夜・入梅・半夏生・二百十日・土用・彼岸ひがん)などの一つで、夏至から11日目頃(太陽暦では7月2日頃)に咲く花であることからこの名前が付いたドクダミ科の多年草である。花が咲く頃、葉の表面が白色に変化していくので、片白草や半化粧とも呼ばれている。
緑豊かな庭園の池辺には、白く化粧を施した半夏生(半化粧)が群生しており、本堂からは説明を聞きながら観賞することが出来た。今回、はじめて半夏生をみたが、葉の表面だけが白色して、まるで花が咲いたような光景で見頃であった。
また、別途庭園内の散策と茶室「水月亭」特別拝観・呈茶が「臨池亭」にてあったが別途500円いるので節約した。
妙心寺塔頭「退蔵院」


「東林院」の拝観を終えて、妙心寺内にある塔頭「退蔵院」をも拝観した。妙心寺の山内には46の塔頭があり、退蔵院はそのうちでも屈指の古刹として知られている。境内には、国宝「瓢鮎図(ひょうねんず)」(模本)や史跡名勝・枯山水庭園「元信の庭」、景色が美しい池泉回遊式庭園「余香苑(よこうえん)」などがある。
今の季節の花(サツキ、菖蒲など)も先頃終わった時期でもあったが、緑豊かな庭園を見てまわり楽しんだ(^O^)
ここは、今から600年ほど前(1404年)、室町時代の応永年間に当時の京洛に居を構えた波多野出雲守重通が高徳のきこえ高い妙心寺第3世をつとめる無因宗因禅師への深い帰依によって、無因宗因禅師を開山として建立されたという。退蔵院の名前の由来は「退蔵」という言葉には、「価値あるものをしまっておく」という意味があるように、陰徳(人に知られないようにして良い行いをする)を積み重ね、それを前面に打ち出すのではなく、内に秘めながら布教していくということを示しているとのこと。
沙羅双樹の寺「東林院」
特別公開(6/15~6/30)されている沙羅双樹の寺といわれる妙心寺の塔頭「東林院」に出かけた。
ここの方丈庭園には、10数本の沙羅双樹(二本並んだ沙羅の木の下で釈尊が入滅したことから、沙羅樹は沙羅双樹とも呼ばれている)の木があり、沙羅双樹(夏椿)は、お釈迦様が入滅した時に、その死を悲しんで一斉に花を開いた、という言い伝えもある仏教にゆかりの深い花という。 インドと日本の沙羅双樹は種類が違うそうで、椿に似た五弁の花は、朝に咲き夕に散り行く1日花で、はかなさの象徴として平家物語にも登場している。
「沙羅の花を愛でる会」では、抹茶や精進料理を味わいながら「一日花」と呼ばれる可憐ではかない沙羅双樹の白い花を、ゆっくり観賞することができるという。
今回は、拝観と抹茶・和菓子付きで1600円と結構高いが、抹茶・和菓子をゆっくりと食しながら庭園をみて心穏やかなひと時を過ごした。
東林寺のパンフレットの「花のささやき」の中に、「お釈迦さまは『今日なすべきことを明日に伸延ばさず、確かにしていくことがよき一日を生きる道である』とお教えになっています。沙羅の花は一日だけの生命を悲しんでいるのではなく、与えられた一日だけの生命を精一杯咲き尽くしています。 人間の生命にはいつしかは限りがきます。そこから『生かされている人生をどう生きるか。今日を無駄にはできない』、つまり『今はいましかない。二度とめぐり来ない今一日を大切に、悔いなき人生を送らねば……』という気持ちがわいてはこないでしょうか。 この仏縁深き花の下で、静かに座って自分を見つめ、『生きる』ことについて考えてみてください」ということが書かれてあった。
ここの方丈庭園には、10数本の沙羅双樹(二本並んだ沙羅の木の下で釈尊が入滅したことから、沙羅樹は沙羅双樹とも呼ばれている)の木があり、沙羅双樹(夏椿)は、お釈迦様が入滅した時に、その死を悲しんで一斉に花を開いた、という言い伝えもある仏教にゆかりの深い花という。 インドと日本の沙羅双樹は種類が違うそうで、椿に似た五弁の花は、朝に咲き夕に散り行く1日花で、はかなさの象徴として平家物語にも登場している。
「沙羅の花を愛でる会」では、抹茶や精進料理を味わいながら「一日花」と呼ばれる可憐ではかない沙羅双樹の白い花を、ゆっくり観賞することができるという。
今回は、拝観と抹茶・和菓子付きで1600円と結構高いが、抹茶・和菓子をゆっくりと食しながら庭園をみて心穏やかなひと時を過ごした。
東林寺のパンフレットの「花のささやき」の中に、「お釈迦さまは『今日なすべきことを明日に伸延ばさず、確かにしていくことがよき一日を生きる道である』とお教えになっています。沙羅の花は一日だけの生命を悲しんでいるのではなく、与えられた一日だけの生命を精一杯咲き尽くしています。 人間の生命にはいつしかは限りがきます。そこから『生かされている人生をどう生きるか。今日を無駄にはできない』、つまり『今はいましかない。二度とめぐり来ない今一日を大切に、悔いなき人生を送らねば……』という気持ちがわいてはこないでしょうか。 この仏縁深き花の下で、静かに座って自分を見つめ、『生きる』ことについて考えてみてください」ということが書かれてあった。
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