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2020年3月5日木曜日

乃木神社に参拝

伏見桃山御陵の近くにある乃木神社に参拝してきた。
この乃木神社は、文武にわたる功績この上なき乃木希典命とその賢婦人であられた乃木静子命を鎮め祀る神社である。
ここ京都伏見桃山に乃木神社が建てられたのは、明治天皇の崩御に際して乃木大将が遂げた「殉死」の一事にある。明治の御維新以来、国運の進行を図らせたまわれた明治天皇は、明治45年7月30日、遂に崩御あそばされた。御陵は「朕が百年の後は必ず陵を伏見に営むべし」との御遺志により、伏見桃山の地と定められた。明治から大正へと元号が改められた9月13日、国民の深い悲しみの中、東京青山葬場殿にて御大喪の儀が行われた。天皇の霊柩が御轜車に移され、皇居から斎場に向けいよいよ車列の出発を告げる号砲が鳴り響いたまさにその刻に、軍事参議官兼学習院長陸軍大将従二位勲一等伯爵乃木希典は、妻靜子とともに赤坂の屋敷にて皇居に正対端座し自刃された。
この神社は、神戸・大阪・京都など近畿圏をはじめ、全国各地の乃木大将を尊崇する人々の尽力により、大正5年(1916)9月に創建された。境内内には長府乃木邸(復元)、宝物館、記念館などが公開されている。

2019年8月18日日曜日

涼をもとめて高野山へ

京都京阪バスの旅うららバスツアー「涼をもとめて高野山へ」に家内の付き合いで出かけた。
京阪樟葉駅でツアー客を乗せて8時10分出発、JR松井山手駅でもツアー客を乗せ、計34名で出発した。
途中、高速の岸和田サービスエリアでトイレ休憩して、高野山には11時20分頃に到着した。
まず、金剛峯寺に拝観約1時間、そのあと珠数屋四郎兵衛の2階で精進料理の昼食と買い物、午後は男性のガイドのもと約1時間半奥の院へ参拝し見学した。
高野山15時に出発して、樟葉駅には6時10分頃到着した。
涼をもとめての高野山であったが、日中でもあり結構暑かった。



2019年3月15日金曜日

城南宮の神苑

ご祈祷が終わり、城南宮の「神苑」を見て回った。
ここは四季折々の花や紅葉に彩られ、また清流や池を随所に配した「楽水苑」は、『源氏物語』に描かれた80種あまりの草木が植栽されている。「源氏物語花の庭」としても親しまれ、季節ごとに美しさが楽しめる、心安らぐ庭園である。
この時期は「しだれ梅と椿まつり」が行われていたが、しだれ梅は、残念ながら見ごろが過ぎてしまっていた。写真は3年前に撮ったものである。

2019年1月2日水曜日

「石清水八幡宮」の初詣

一昨年に続いて「石清水八幡宮」に初詣した。天気もよく運動を兼ねて八幡の男山麓まで往復自転車(往路、復路共約50分)、男山の本殿へも往復徒歩(往路:表参道で約25分、復路:裏参道で約10分)、往復自転車と徒歩での初詣で、表参道の登りの石段はきつくて4回ほど小休憩したが特に心配した心臓の具合も問題なく、初詣ができホットした。
今年も何といっても「心身共に健康が第一」であり、そのことを祈願すると共に「楽しく楽しく楽しく~」をモットーに穏やかなよい年にしたいものだ。

2018年2月2日金曜日

「多賀大社」参拝

田舎(滋賀日野)に帰省してから妹達と「多賀大社」に、2年ぶりに参拝した。境内には残雪があり、明日3日の節分祭の準備が行われていた。
古くから「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県第一の大社。 日本最古の書物「古事記」によると、ここの祭神の伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ・男神)、伊邪那美大神(いざなみのおおかみ・女神) の両神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、我国の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられた。
このように、命の親神様であることから、古くから延命長寿、縁結び、厄除けの霊神として信仰を集め、鎌倉から江戸時代にかけては、武家や民衆の信仰が一気に広まった。例えば、甲斐の武田信玄は25歳の厄年に際し、黄金2枚を寄進して厄除けを祈願、また太閤秀吉は母大政所の病気に際して「命の議、三カ年、ならずんば二年、げにげにならずんば三十日にても」と祈願文を寄せ、米一万石を寄進、幸いに大政所は治癒され(五年後に亡くなる)、その一万石で正面の太閤橋や奥書院庭園が築造されたと伝えられている。
「お伊勢参らばお多賀へ参れ、 お伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」との俗謡もある。

2018年1月2日火曜日

伏見稲荷大社の初詣

昨年に引き続き伏見稲荷大社へ参拝に出かけた。正月2日ということもあって、鳥居をくぐり本殿に参拝するまですごい参拝客で随分と時間がかかった。
その後、千本鳥居⇒奥社奉拝所⇒熊鷹社⇒三ツ辻⇒三徳社⇒《四ツ辻》までは、上りの石階段が続き、スポーツジムで毎日約1時間のウオーキングをして鍛えていることや多くの人でゆっくりだったので、しんどくもなく登れた。 《四ツ辻》を右回りの三ノ峰⇒間ノ峰⇒二ノ峰⇒頂上の一ノ峰標高233Mに到着。後は下り階段なので御膳谷奉拝所⇒《四ツ辻》に、そして本殿まで戻ることができた。約2時間かかったかなぁ~?
二年連続、外人の人気ナンバーワンになっているだけに中国(台湾)人をはじめ多くの外人が、来ていた。
身近な神社といえる「お稲荷さん」は、全国に3万社あるといわれ、全国各地で老若男女を問わず親しまれている。が、その総本宮が伏見稲荷大社。当社の御祭神である稲荷大神がこの稲荷山に御鎮座されたのは、奈良時代の和銅4年(711)2月初午の日のこと。その日から数えて平成23年(2011)に御鎮座1300年を迎えた。 

2017年10月4日水曜日

総本山「智積院」参拝

京都市内でクラス会の宿泊先(京都駅前の京都新阪急ホテル、新・都ホテル、ホテル吉野家、天然温泉花蛍の湯など)を下見に行った帰りに立ち寄り参拝、庭園を鑑賞してきた。
ここ総本山智積院は、真言宗智山派三千ヵ寺の総菩提所・総祈願所で、七条通りの突き当たりの東山にある。数々の伽藍と多くの貴重な文化遺産があり、特に長谷川等伯(1539-1610)とその弟子達によって描かれた「楓図」「松に立葵図」や等伯の長男・久蔵の作とされる「桜図」は、桃山時代を代表する障壁画であるとともに、日本が世界に誇り得る第一級の絵画とのこと。
また、大書院東側の名勝庭園は、桃山時代に造られた庭園で、中国の廬山を形どって作られた利休好みの庭としても有名である。
やはり利休好みの庭と言われるだけあって、いい眺めでしばし鑑賞した。

2017年3月18日土曜日

仁徳天皇陵・履中天皇古墳参拝

初めて仁徳天皇陵古墳と履中天皇陵古墳へ出かけた。JR阪和線の百舌鳥駅で下車して、まず仁徳天皇陵古墳拝所にて参拝、その後大仙公園を抜けて履中天皇古墳拝所にて参拝した。
が、両天皇陵も大きくて全体を見るには航空写真をみるしかないので、想像しながら歩いた。帰りに堺役所の新ビル21階(約80m)にある展望台からみてもこの天皇陵古墳の輪郭が見られなくて、ただ単にこんもりとした森にしか見えない。(上の写真) そこそこ全体がみえる展望台がほしいものだ。この展望台は基本的に年中無休で360度堺市内が見渡せる。
仁徳天皇陵古墳は、エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓の一つといわれ、上から見ると円と四角を合体させた前方後円墳という日本独自の形で、5世紀中ごろに約20年をかけて築造されたと推定されている。日本最大の前方後円墳で北側の反正天皇陵古墳(田出井山古墳)、南側の履中天皇陵古墳(石津ヶ丘古墳)とともに百舌鳥耳原三陵と呼ばれて、現在はその中陵・仁徳天皇陵として宮内庁が管理している。前方部を南に向けた墳丘は全長約486m、後円部径約249m、高さ約35.8m、前方部幅約307m、高さ約33.9mの規模で3段に築成されている。(詳細は省略)
履中天皇陵古墳は百舌鳥古墳群で仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)に次ぐ巨大前方後円墳で、10基ほどの陪塚を従えていたが、現在は寺山南山古墳など4基が残るのみで、形や出土した埴輪、陪塚の出土品などから仁徳天皇陵古墳より古く5世紀前半頃に造られたことがわかっているとのこと。墳丘の全長約365m、後円部径205 m、高さ約27.6m、前方部幅約235m、高さ約25.3mの規模の日本で3番目に大きい、前方部を南に向けた巨大前方後円墳である。(省略は省略)

2017年1月10日火曜日

片埜神社の枚方えびす祭

1月9日・10日・11日、自宅から徒歩約10分にある片埜神社で「枚方えびす祭」が行われているので、10日の夜に久しぶりに出かけ参拝して佐久間美華さんの奉仕歌謡ショー(約40分)を楽しんだ。 この歌謡ショーは、毎年「えびす祭り」と「秋の祭り」に行われている恒例の行事である。

佐久間美華さんの最新のオリジナル曲「炎の器」(YouTubeより)

2017年1月6日金曜日

お伊勢さんまいり

3年ほど前からお伊勢さんにと思いながら、9年ぶりにやっと実現。今まで2~3回は車でのおまいりだったが、今回は近鉄特急で出かけた。
宇治山田駅に11時頃到着してバスで皇大神宮(内宮)へ。まず大鳥居をくぐり宇治橋を渡り神苑を右に見ながら第一鳥居を過ぎたところに五十鈴川の御手洗い場がある。が危険性もあるので御手洗はその第一鳥居の前に設けられている。第二鳥居をくぐり参道を進む、この参道を行くことでお清めになるという。皇大神宮(正宮)に参拝し、帰りの途中に荒祭宮にも参拝する。
参拝後は、おはらい町通りをぶらぶらして昼食と赤福を食べたが、久しぶりの赤福は非常に美味しかったなぁ~。(最近、血糖値を気にして甘いものを控えている関係だろう)
おまいりする順番が逆になったが時間もあり、バスで豊受大神宮(外宮)へ向かう。 第一・第二鳥居をくぐり豊受大神宮(外宮)に参拝、また風宮・多賀宮・土宮にも参拝した。
参拝後、第62回神宮式年遷宮を期して、創建されたせんぐう館に入館。ここは20年に一度行われる神宮式年遷宮の社殿造営・御装束神宝奉製の技術、我が国が誇る技と心の精華を永く後世に伝える理念のもとに創設されたという。
ここでの展示の主なものとしては「遷御の儀」を再現した渡御御列模型、御装束神宝の調整工程品、社殿造営の技として「外宮正殿の原寸大」の展示、神宮の建築様式「神明造り」の技や造営作業に合わせて工夫した匠たちの大工道具などの紹介がされて伊勢神宮のことがよくわかるようになっていた。また、伊勢サミットG7首脳の伊勢神宮の印象も展示されていた。
今回、伊勢神宮おまいりが実現し、心も安らぎご利益をもらったので健康で穏やかな年を過ごせそう~と思う。

2017年1月2日月曜日

飛行神社の参拝

 「石清水八幡宮」のある麓から東方向に徒歩約10分のところにあるこの飛行神社は、大正4年(1915年)に日本で最初に動力飛行機を飛ばした二宮忠八翁によって、自邸内に私財を投じて創建され、航空安全と航空事業の発展を祈願したのが当神社の起こりである。この動力飛行機を飛ばした時期がライト兄弟が飛行に成功を発表した時期とほぼ同じで、忠八翁は非常に悔しがり、日の目を見ることなく中止したという。
現在の社殿、拝殿、資料館は平成元年飛行原理発見100周年を記念して、二宮忠八翁の次男二宮顕次郎によって建てかえられたという。
本殿は1つの棟に3つの社殿があり、正面には磐船神社(交野市)御神祭であるニギハヤヒメノミコト、向かって右は航空殉難者並びに先覚者の御霊を祀る祖霊社、左は薬祖神として薬業界の父である長井博士を始め制約業界の方を御祭神として合祀されている。この神社は航空安全・交通安全・合格祈願はもちろん、種々の祈願も行われている。 境内には昭和58年大阪湾から漁網にかかり揚げられた零式戦闘機のエンジンや正面にはF104戦闘機のジェットエンジンも展示されていた。
また、併設されている飛行神社資料館(二宮忠八資料館)では、忠八翁本人が撮った当時の写真や自筆の飛行原理発見に関しての資料、また本人が晩年に作り残した玉虫型飛行器(模型)を展示する他、忠八翁が集めた航空業界初期の歴史資料が展示されていた。 石清水八幡宮と比べても参拝者が随分と少ないが、正月でもあり参拝者が絶えなかった。以前からこの神社の存在は知っていたが、参拝したのは初めてだった。二宮忠八翁が電力飛行機への取り組み経緯など学ぶことが出来た。

「石清水八幡宮」の初詣

今年の初詣は、天気もよく運動を兼ねて男山の麓まで往復自転車(往路約50分、復路約1時間強)男山の本殿へも往復徒歩(往路:表参道で約25分、復路:裏参道で約12分)で、昨年に続いて「石清水八幡宮」に初詣した。往復自転車と徒歩での初詣で、結構よい運動量になり、ちょっと疲れてしまった感じ(;´ρ`)だが、晴れ晴れしい正月気分だった。 
今年も何といっても「心身共に健康が第一」であり、そのことを祈願すると共に、「楽しく楽しく楽しく~」をモットーに穏やかなよい年にしたいものだ。  \(*⌒0⌒)♪

2016年11月17日木曜日

「春日大社」特別参拝

今年11月6日に第60次式造替が行われ、御本殿やそれ以外の社殿も美しく蘇った「春日大社」の正遷宮を奉祝し、12日~17日の午後から御本殿の特別参拝が行われているので出かけてみた。多くの特別参拝者や一般参拝者であった。
南門をはじめ本殿と、その周りも大変綺麗に修復され、一千基の釣燈籠が架けられた回廊を歩き、厳かな気持ちで御本殿にお参りした。が、本殿の第一、第二、第三、第四殿内には入れなかったのが少し残念だった。
ここ春日大社は、今からおよそ1300年前、奈良に都ができた頃、日本の国の繁栄と国民の幸せを願って、遠く鹿島神宮から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)様を神山御蓋山(ミカサヤマ)山頂浮雲峰(ウキグモノミネ)に迎えたことから始まる。その後香取神宮から経津主命様、また枚岡神社から天児屋根命様・比売神様の尊い神々様を招いた。祭神はこの4つの神様である。
御創建以来当社は、千古の森の中に朱の柱、白い壁、そして自然の檜皮屋根の本殿・社殿が往古と変わらぬ壮麗で瑞々しく鎮まっていた。これを20年毎に斎行される式年造替という制度により、社殿の御修繕、御調度の新調、祭儀の厳修により日本人の命が連綿と受け継がれてきた。これにより、清々しくも尊厳ある気が境内に満ち、神様の広大無辺なるお力や有り難さがしみじみと感じられる名社として今日に至っている。

2016年10月30日日曜日

「石清水八幡宮」拝観

28日から秋期京都非公開文化財特別公開が行なわれており、その中の1箇所である「石清水八幡宮」に自転車(約1時間)で、途中国史跡「樟葉台場跡」に立ち寄ってから行ってみた。
本殿への行きは八幡駅からケーブルカーに乗車、帰りは表参道を下り、途中「松花堂弁当」の由来となった石清水八幡宮の僧であった松花堂昭乗の晩年の住居・草庵跡地である「松花堂跡」にも立ち寄ってみた。
この日は日曜日でもあり、七五三参りや特別公開の関係で賑わっていた。本殿に参拝後に文化財特別公開を拝観、本殿の廻廊の2箇所にて文化財関係者から祭神、八幡造りの本殿、楼門などの説明を受け、欄間の鳥や動物植物などの彫刻、織田信長が寄進したという「黄金の雨樋」(通常は非公開)などを見て回った。
上の写真は本殿、中の写真は主な象・龍などの彫刻で見事なもの。下の写真右上は展望台から京都市内方面を望む、微かに京都タワーが見える。左下は廻廊、右下は「松花堂跡」である。

2016年10月18日火曜日

「下鴨神社」参拝

世界文化遺産「賀茂御粗神社(かもみおやじんじゃ)」(下鴨神社)本殿に参拝して、非公開の東御本宮・西御本宮、大炊殿、葵の庭、三井神社、御車舎などを見学した。昨年4月、式年遷宮が行われたこともあって、東御本宮・西御本宮(国宝)共に大変綺麗な本宮になっていたし、神聖なところに入れて心が和み落ち着いた。大炊殿(重要文化財、下の写真の右上))では神饌の煮炊き、調理を行う台所で、昔のままの状態でみることが出来た。また、ここから見える庭は双葉葵が自生し、「葵の庭」「カリンの庭」と呼ばれて、カリンの実も落ちていて趣のあるよい庭だった。
下鴨神社の正式名称を「賀茂御祖神社」という。京都を流れる鴨川と高野川に挟まれた三角地帯に位置する。御祭神の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は古代の京都山城を開かれた神さまで西御本宮。玉依媛命(たまよりひめのみこと)は賀茂建角身命のお子さまで東御本宮にそれぞれ祀られている。 下鴨神社の歴史は古く平安京が造営される遙か以前から神聖な場所だった。例えば、崇神天皇七年(紀元前90年頃)に神社の瑞垣の修造がおこなわれたという記録も残っている。平安京の造営に当たって、下鴨神社で造営祈願が行われ以来、国民の平安をご祈願する神社と定められた。 玉依媛命のお子さん「賀茂別雷大神」は上賀茂神社の御祭神で、下鴨神社と共に賀茂神社と総称され、京都三大祭りの一つ葵祭(賀茂祭)が両社で催されている。

鴨社資料館秀穗舎

平成28年度秋期京都非公開文化財「特別公開」が28日から11月27日まで21箇所で行われるが、上賀茂神社と下鴨神社だけが昨日(17日)より早く始まった。先般上賀茂神社は特別拝観したので、今回下鴨神社に行った。
参道の入口にある第34回式年遷宮奉祝事業の一環として、下鴨神社の学問所で絵師だった浅田家の旧邸を改修した鴨社資料館「秀穂舎(しゅうすいしゃ)」が10月1日に開館していたので入館してみた。神社に代々仕えた神職の家柄である社家はかつて同神社周辺に数多くあったが、現在は2軒だけが残る。中でも浅田家旧邸は江戸時代中期の全国でも数少ない伝統的社家建築で木造2階建て延べ90平方メートル。その保存と継承を目的に、旧社家の日常生活を復元した常設展示や、下鴨神社に縁のある人物や品を紹介する企画展などが開催されている。が、今回は開館記念特別企画展として「鴨長明資料展」として、「方丈記」の作者として知られる長明が使っていたとされるすずりを75年ぶりに公開のほか、狩野益信による江戸時代前期の肖像の掛け軸(初公開)など、長明ゆかりの資料30点が展示されていた。鴨長明のことが改めてよくわかった。
下鴨神社の糺の森にある「河合神社」は、鴨長明ゆかりの神社であり参拝した。鴨長明は、この河合神社の神官の家に1155年に生まれたが、さまざまな事情によりこの重職を継ぐことができなかった。このことから強い厭世感を抱くようになり、世の無常と人生のはかなさを随筆として著わした『方丈記』(行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらずの書き出し)を書くにいたったといわれている。大原から方々を転々として、58歳(1208年)のころに現在の京都市伏見区日野町に落ち着き、栖(すみか)としたのが「方丈」で、ここで『方丈記』を仕上げたとのこと。1216年6月8日(丁度800年前)、62歳で歿しがこの「方丈」は、移動に便利なようにすべて組立式になっていて、広さは1丈(約3m)四方、約2・73坪、畳約5帖半程度、間口、奥行とも1丈四方というところから「方丈」の名がある。この「方丈の庵」が河合神社にて公開されていた。(下の写真の右下)

2016年10月4日火曜日

上賀茂神社に参拝

旧三井家下鴨別邸を出て下鴨神社の横を通り、世界文化遺産である加茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)=上賀茂神社にウオーキング(約5km)しながら行った。
初めての参拝かと思っていたが、到着すると見たことのある風景が目に飛び込んできて、随分昔に参拝したことを思い出した。
本殿に参拝後に「国宝・本殿特別参拝とご神宝拝観」(拝観料500円)をした。ここで、神職より加茂別雷神社(上賀茂神社)の由緒・歴史、加茂祭(葵祭)の起源及び変遷などの話があって、簡単なお祓いがあった。そして神職の案内で普段入ることの出来ない神域へ、千年の時の流れを越えて、古の姿そのままの国宝である「本殿・権殿」の前にたたずみ、改めて参拝した。心も癒され安らぎを覚えた。神宝のある庁屋では、神社に参拝する様子の屏風や絵画、神職の衣装や織田信長・明智光秀・豊臣秀吉から上賀茂神社宛の書面なども展示されていた。
帰りは市バスで河原町三条で下車して京阪三条から帰宅したが、運動も十分出来たし京都で最も古い社での参拝も出来てよい一日だった(´▽`)

2016年2月28日日曜日

伏見稲荷大社

今年、早々に伏見稲荷大社に参拝し、まだ行っていない稲荷山の山頂(一ノ峰、標高233M)までと思いながら本日になってしまった。
京阪電車伏見稲荷駅で下車、楼門をくぐり本殿に参拝後、千本鳥居⇒奥社奉拝所⇒熊鷹社⇒三ツ辻⇒三徳社⇒《四ツ辻》までは、上りの石階段が続き、スポーツジムで毎日約1時間のウオーキングをしているにも関わらず、何度も休憩しないとしんどくて上がれない状態。 もうここで(四ツ辻)やめようと思うが、休憩するとなんとか行けそうなので、ゆっくりと右回りの三ノ峰⇒間ノ峰⇒二ノ峰⇒頂上の一ノ峰に到着。 後は下り階段なので御膳谷奉拝所⇒《四ツ辻》に、そして本殿まで戻ることができた。┐(´д`)┌ヤレヤレ
二年連続、外人の人気ナンバーワンになっているだけに中国(台湾)人をはじめ多くの外人が、また日曜日で多くの老若男女の参拝者で賑わっていた。
身近な神社といえる「お稲荷さん」。全国に3万社あるといわれ、全国各地で老若男女を問わず親しまれているが、その総本宮が伏見稲荷大社。当社の御祭神である稲荷大神がこの稲荷山に御鎮座されたのは、奈良時代の和銅4年(711)2月初午の日のこと。その日から数えて平成23年(2011)に御鎮座1300年を迎えた。 

2016年1月9日土曜日

甲賀市若宮神社参拝

滋賀県甲賀市大河原にある若宮神社に参拝。もうかれこれ60数年前に母親と一緒に参拝して以来、今日に至っている。 この神社は甲賀武士53家のひとつで大河原氏の祖である足利又太郎を祀っている商売繁盛と選挙の神様である。境内社に熱田神社、津島神社、愛宕神社、そして元伊勢の伝承が残る皇大神宮がある。 ここの神主は神様のお指図で、大河原の部落の人たちがなり、1年間交代しながら今日まで続けられている。
この神社の横には野洲川ダムのすぐ下流側の野洲川のほとりに国民宿舎「かもしか荘」がある。 数年前に改築され大変綺麗な国民宿舎に生れ変わっている。 昨年は20~30CMの積雪があったが、今年は暖冬で積雪もなく参詣することができた。 今年も心身健康でより良い年であるように祈った。

2015年9月4日金曜日

多賀大社参拝

2日から4日まで田舎へ。夏野菜のキュウリやトマトの後始末、その後に毎年のことであるが9月2~6日が大根と水菜の種まきに最適な日のため行った。
畑作業も終わり、4日に久しぶりの多賀大社参拝と境内の奥書院・庭園を拝観した。
古くから「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県第一の大社。 日本最古の書物「古事記」によると、ここの祭神の伊邪那岐大神 (いざなぎのおおかみ)伊邪那美大神(いざなみのおおかみ) の両神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、我国の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられた。
このように、命の親神様であることから、古くから延命長寿、縁結び、厄除けの霊神として信仰を集め、鎌倉から江戸時代にかけては、武家や民衆の信仰が一気に広まった。例えば、甲斐の武田信玄は25歳の厄年に際し、黄金2枚を寄進して厄除けを祈願、また太閤秀吉は母大政所の病気に際して「命の議、三カ年、ならずんば二年、げにげにならずんば三十日にても」と祈願文を寄せ、米一万石を寄進、幸いに大政所は治癒され(五年後に亡くなられた)、その一万石で正面の太閤橋や奥書院庭園が築造されたと伝えられている。庭園は国名勝指定になっている。秋の奥書院の紅葉などは見事なものらしいので、秋には再度訪れてみたいものだ。
お伊勢参らばお多賀へ参れ、 お伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」との俗謡もある。年間約170万人の参拝者があるとのこと。