OB会(松愛会枚方支部)HPの「ひらかた発見」の第4シリーズとして枚方市内の神社を取材し、私たちの眼から見た神社を紹介しようと昨年スタート。今回7回目として自宅から自転車で約8分のところにある「二ノ宮神社」に参拝し、HP委員4名で取材した。宮司さんから詳しい説明を受け、近くの神社でありながらあまり知らなかったこともあって勉強になった。(詳しくは後日、パナソニック松愛会枚方支部HPで紹介)
この神社の概要は、創起は社伝によれば、「仁徳天皇29年春の勧請にして、用明天皇は当国を堅め給ひし矛を納めて郷の巨鎮となし、云々」とあり、その由来は5世紀に遡るとしているが、1460年(寛正元年)久修恩院上座知西の記した社蔵文書『牛頭天王記』によると、社殿創立は738年(聖武天皇の天平10年)であるとしている。社伝によればその後、「桓武天皇は797年(延暦16年)大納言藤原継種を遣わして奉幣祭祀せしめ、文徳天皇は856年(斉衛3年)大納言藤原良由を遣はして奉幣祭祀せしめ給ひしといふ」とあり、戦国時代には交野郡の二宮牛頭天王社と称された。天正年中(1573~92年)織田信長は社殿の修繕や采地を寄せるなど崇拝の念が強かったが、豊臣秀吉は社地の没収を行うなどした。1603年(慶長8年)豊臣秀頼が大阪城鬼門鎮護の神社として片桐且元を奉行として、交野郡の一之宮(牧野坂の片埜神社)、二之宮(当社)、三之宮(穂谷)を修復させた。当社はその折、本殿や摂社、お旅所などが再建され、それ以後は牛頭天王と称していたのを改め、「二ノ宮神社」と称するようになった。今回、宮司さんの話から結構古くて歴史ある神社であること。約7年前から なんでも『おかげさま参り』なるお参りの方法があって、願い事の成就に物凄いご利益があるとのことが小さなブームになっていること。話によれば北は北海道から、南は九州からお参りに来られることもあったとのことであるが、最近は少しブームも落ち着いてきているらしい。初めて『おかげさま参り』というものを知った。これは500円の一見普通のお守りを買うと一枚の小さな紙に朱印が押してあり、そこにお願いごとを書いて、小さく折りたたんで、お守りに中に入れておく。願いがかなうとそのお守りをもってお参りし神様に報告するというもの。そもそも「おかげさま」とは自分の先祖のことを指し、感謝する意味でお参りに来る人も多いそうだ。
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