2013年10月14日月曜日

五個荘近江商人屋敷見物

金堂まちなみ保存交流館→堂中通りから外村繁邸→外村宇兵衛邸→中江準五郎邸→寺前・鯉通りの弘誓寺・浄栄寺→五個荘観光センターを散策しながら見物。 平成10年12月、金堂の町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。 各邸の概要は以下の通り。
外村繁邸】隣家外村宇兵衛の分家に当たり、明治40年当主吉太郎が本家から独立、東京に呉服木綿問屋を開いたのが始まり。外村繁は明治35年に三男として生まれ、京都第三高等学校を経て東京帝国大学に進み、文学を志した。父の死後、一時家業を継いだが、 再び文学の道に入り、「草筏」「筏」「花筏」など近江商人を題材とした小説や自らの人生を綴った数多くの作品を残し、昭和36年58歳で亡くなった。本邸は、「外村繁文学館」として作品を紹介している。
外村宇兵衛邸】初代外村宇兵衛(1777~1820)は、近江商人であった六代目外村与左衛門の末子。後に分家し、1813年に独立経営。主に呉服太物を商う。明治期には全国の長者番付に名を連ねる。明治29年(1896)ころの隆盛時には、2720㎡の敷地に主屋・書院・大蔵など、蔵が十数棟建ち並んでいた。外村繁邸の本家にあたる。平成4年に町指定史跡「近江商人屋敷旧外村宇兵衛邸」として指定、平成6年6月より一般公開。
中江準五郎邸】昭和初期、朝鮮半島や中国で三中井百貨店を築いた中江家4兄弟の末弟の準五郎の本宅。明治38年(1905)、朝鮮大邱に三中井呉服店を創業し、昭和9年(1934)に株式会社三中井百貨店となる。戦前まで、本宅を金堂に置き、朝鮮半島・中国で約20店舗を経営した。蔵の中には五個荘が生んだ郷土玩具・小幡人形と全国の土人形を多数展示紹介している。
以前から訪れてみたいと思っていたのが、やっとかなって金堂まちなみをゆっくりと散策し、五個荘の近江商人を改めて学ぶことが出来た。また、大阪商人、伊勢商人と並ぶ日本三大商人の一つと言われる近江商人が自分たちだけに好都合な取引のみでは満足せず、第三者の目、すなわち周囲や地域の人々のことを絶えず視野に入れていたと言う「売り手よし、買い手よし、世間よし」の3方よしも改めて学び認識を深めた。近江商人として成功した商人の屋敷や庭園は、さすがに立派であることも改めて知ることができた。

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