
2013年12月28日土曜日
琵琶湖南湖岸のコハクチョウ

2013年12月26日木曜日
映画「永遠の0」鑑賞

この映画「永遠の0」の概略ストーリは、司法試験に落ち続け人生の目標を失いかけた青年・佐伯健太郎()は、フリーライターの姉・慶子と一緒に、太平洋戦争で特攻により戦死した祖父・宮部久蔵について調べ始める。凄腕を持ちながらも異常なまでに死を恐れ、生きることに執着した戦闘機乗りだった久蔵。なぜそんな彼が特攻に志願したのか。元戦友たちの証言から祖父の意外な姿が浮かび上がってくる。そして、次第に戦後60年にわたり封印されてきた驚きの事実が明らかになる。(続きは映画や公式サイトで)
2013年12月16日月曜日
大阪中之島のイルミネーション

2013年12月9日月曜日
警部シリーズの2回目エキストラ
2013年12月2日月曜日
警部シリーズのエキストラ

2013年12月1日日曜日
「サントリー一万人の第九」本番

2013年11月30日土曜日
「サントリー一万人の第九」リハーサル

2013年11月25日月曜日
京都東福寺の紅葉

当初11月24日(日)を計画をしていたが、相当混雑が予想されると思われるので1日ずらして25日(月)に実施。24日の状態を尋ねると天候もよくて通天橋などでは身動きが出来ない程の混雑だったようで、1日ずらしたことが正解とのことだった。しかし、残念にも天候には恵まれず午前中は何とか撮影には差し支えない状況で幸いだったが、12時半過ぎからは本降りとなり撮影する状況ではなくなっていた。「東福寺」の撮影では、通天橋など観光客で混雑していたが、それなりに撮影して楽しむことが出来た。また、天候のよい日にゆっくりと撮りに行きたいものだ。(今年はチョット無理やけど・・・) また、「フォト禅」の第31回写真展「四季有情」(28名の41点の写真展示)では、それぞれ一味違う素晴らしい風景を中心にした写真を鑑賞することが出来た。 風景写真を撮影する上で一つ勉強になったかなぁ~と思われる。
2013年11月21日木曜日
秋のレクリェーションに参加

2013年11月18日月曜日
タイ旅行(カンチャナブリ観光)

2013年11月17日日曜日
タイ旅行(アユタヤ観光)


2013年11月16日土曜日
タイ旅行(バンコク観光)
2013年11月2日土曜日
「プーシキン美術館展」を鑑賞
神戸市立博物館で9月28日から開催されているフランス絵画300年「プーシキン美術館展」を観に行った。この美術館は、ロシアの首都モスクワの中心地に位置し、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館とならんで、世界的な西洋絵画コレクションを誇る国立美術館。絵画、版画、彫刻など67万点を超す収蔵作品は、古代エジプトから近代にいたるヨーロッパ美術の流れを幅広く概観できる、その多様性が特徴。なかでも、印象派からマティス、ピカソまで、屈指の名品を揃えたフランス近代絵画のコレクションは極めて高い水準を誇っている。1912年、「モスクワ大学附属アレクサンドル3世美術館」として開館し、ロシア革命を機に「モスクワ美術館」と名を変え、さらに文豪アレクサンドル・プーシキンの没後100年を記念して、1937年に現在の名称に改められた。(省略)
17世紀古典主義の巨匠プッサンにはじまり、18世紀ロココの代表ブーシェ、19世紀のアングル、ドラクロワ、ミレー、印象派やポスト印象派のモネ、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、そして20世紀のピカソやマティスまで――。プーシキン美術館のコレクションの中核をなすフランス絵画の質の高さは、フランス本国もうらやむほどのもの。今回は、選りすぐりの66点で、フランス絵画300年の栄光の歴史をたどり、なかでも、ルノワールの印象派時代最高の肖像画と評される≪ジャンヌ・サマリーの肖像≫が売りだった。(下の写真)
2013年10月27日日曜日
伊藤忠兵衛記念館へ


初代忠兵衛がわずか15歳(1958年)の若さで、大阪経由、泉州、紀州へ近江麻布を持ち下り商いをはじめて以来、幕末から明治の初・中期という激動の時代に、全く独立独歩で各種の事業を興し、それらを大きく育て上げた。そこには革新と慈悲が生涯を貫き、偉業を達成させた原動力になった。伊藤忠商事㈱の創業日は、初代忠兵衛が15歳(1958年)で持ち下り商いをはじめた年になっている。
1903年初代忠兵衛が61歳で逝去、次男が二代目を相続襲名(17歳)し、初代から事業を受け継ぎ、それをさらに近代的な経営体へ変革するとともに取り扱い商品の幅を広げ、海外へ事業フィールドを拡張させた。いわば、今日の総合商社の基礎を作り上げた実業家だといえる。しかも、恐怖と戦争の時代に巨大化する組織を率いて見事にそれを成し遂げたのである。 総合商社の丸紅㈱は、初代伊藤忠兵衛の伊藤忠商店と伊藤長兵衛商店が合併(1921年)し、その後1945年にそれぞれ独立(伊藤忠商事㈱、丸紅㈱に独立)して今日に至っている。伊藤長兵衛邸の旧屋敷跡もすぐ近く(旧豊郷小学校と「伊藤忠兵衛記念館」の中間)にあった。
今回、伊藤忠商事㈱、丸紅㈱の創業者が豊郷町と知っていたが初めて訪れ見学し、その偉大さを改めて痛切に感じた。
旧豊郷小学校を訪問


故ヴォーリズ氏が設計した建物は全国で教会や学校、ホテルなど1600件にものぼるが、この旧小学校にも故ヴォーリズ氏らしいところが随所にみられた。
2013年10月26日土曜日
2013年10月24日木曜日
最近の映画を鑑賞


【そして父になる】の概要は、大手建設会社に勤める野々宮良多(福山雅治)は、都内の高層マンションで妻みどり(尾野真千子)と6歳の息子慶多と3人で暮らしていた。ある日、慶多が生まれた病院から連絡がある。DNA鑑定の結果、慶多は他人の子だった。病院の仲介で会った相手方は、群馬で小さな電気店を営む斎木一家(リリーフランキー・真木よう子)。粗野で境遇も違う斎木夫婦に嫌悪感を抱く良多だが、交流を深めるうちに実子である琉晴に自分とのつながりを見いだして行く。思い悩んだ良多の決断は・・・わが実の子を引き取ることだった。お互いの夫婦が悩み抜く過程が見ものだった。
【おしん】の概要は、明治40年の冬。山形県最上川の寒村に暮らす7歳のおしん(濱田ここね)は、川下にある中川材木店に子守にとして一年間の年季奉公に出る。厳しい女中頭のつねにしごかれ、食事も満足に与えられない中、おしんは辛抱の日々を送っていた。ある日、おしんは50銭を盗んだのではないかと疑われ、そのまま店を飛び出してしまう。逃げる途中におしんは雪山の中で倒れるが、脱走兵の俊作が彼女を助けてくれた。俊作はおしんに文字を教え、ハーモニカをくれるが、脱走兵として殺される。おしんは、その後の奉公先である山形県・酒田市の米問屋「加賀屋」で、当家の跡取り娘、八代加代との深い友情と、その後の、おしんの生き方に多くの影響を与えた大奥様のくに(泉ピン子)の教えを受け、立派な女性へ成長していく・・・というもの。約2,500名の応募者の中からおしん役に選ばれたのは、まだ9歳の濱田ここねちゃん。冬の山形で約5カ月にもおよぶロケが行われ、親元を離れれ大変なロケだったようだが、さすがに演技はすばらしかった。
【ダイアナ】の概要は、現代のシンデレラストーリー。1981年保育士だったダイアナが、イギリスのチャールズ皇太子と結婚、20歳の可憐なプリンセスに人々は熱狂した。翌年には長男、続いて次男が誕生するが、伝統を重んじる王室と、現代的な都市生活を愛するダイアナとの間に溝ができていく。さらにチャールズの不倫と、ダイアナの秘密の恋が発覚。おとぎ話は離婚で終わった。初めて自分の人生を歩み始めたその矢先、1997年8月31日、事故により全世界を夢中にした36年の生涯を閉じる。彼女自身の人生・・・・、それはほんのわずか2年のことだった。
パリでの交通事故により不慮の死を遂げてから16年が経った今なお愛されるダイアナ元英国皇太子妃。伝統を重んじる王室の中で個性を押し殺して生きることができなかった彼女の葛藤とチャーミングな素顔、意外な一面がナオミ・ワッツ(ダイアナ役主演)の好演で明かされていた。よく似合っていたしすばらしい演技だった。
2013年10月18日金曜日
「ぎゃらりぃ西利」で洋画・書を鑑賞


この「洋画」は第19回目の出展ということで、21点が展示されていた。その内10点が海外の風景と残りが国内の祭り、風景などの洋画であった。今までみた洋画とは少し違っていたが、それなりに楽しめた。
「書」の方は洋画の人と友人ということで、初めての合同出展とのこと。 この「書」は全て左手で書いたもので、すごくうまいと感心した。 「書」は普通利き手の右で書くことであるが、あえて左手に興味を抱き挑戦したものとのことすごい。左手で書いたり、食事や歯磨きなどの生活に使うと脳の活性化のみならず何か利き手とは違うものを得ることがあるそうである。はじめはギコチないが2ヶ月もすると慣れるとのこと、一度やってみようかなぁ~!
2013年10月15日火曜日
「花の郷 日野ダリヤ園」へ


友人に聞くと、悩みは若い60代のボランティアが来てくれないとのこと、どこでもボランティア団体となると同じような悩みがあるようだと思う。 無償ボランティアではなかなか長続きしないし来てくれない、有償ボランティアにしていかないと難しいのではないかなぁ~。
ダリヤの見ごろは少し過ぎたようだったが、いろいろなダリヤを鑑賞することができてよかった。(*^_^*) 次は来年4月末~5月初めのボタン、芍薬が良いそうだ。 また訪れてみたい。
友人に「行くよ!」と言ってから早や5~6年が過ぎ、やっとその約束が果たせた。(^○^)
2013年10月14日月曜日
五個荘近江商人屋敷見物


【外村繁邸】隣家外村宇兵衛の分家に当たり、明治40年当主吉太郎が本家から独立、東京に呉服木綿問屋を開いたのが始まり。外村繁は明治35年に三男として生まれ、京都第三高等学校を経て東京帝国大学に進み、文学を志した。父の死後、一時家業を継いだが、 再び文学の道に入り、「草筏」「筏」「花筏」など近江商人を題材とした小説や自らの人生を綴った数多くの作品を残し、昭和36年58歳で亡くなった。本邸は、「外村繁文学館」として作品を紹介している。
【外村宇兵衛邸】初代外村宇兵衛(1777~1820)は、近江商人であった六代目外村与左衛門の末子。後に分家し、1813年に独立経営。主に呉服太物を商う。明治期には全国の長者番付に名を連ねる。明治29年(1896)ころの隆盛時には、2720㎡の敷地に主屋・書院・大蔵など、蔵が十数棟建ち並んでいた。外村繁邸の本家にあたる。平成4年に町指定史跡「近江商人屋敷旧外村宇兵衛邸」として指定、平成6年6月より一般公開。
【中江準五郎邸】昭和初期、朝鮮半島や中国で三中井百貨店を築いた中江家4兄弟の末弟の準五郎の本宅。明治38年(1905)、朝鮮大邱に三中井呉服店を創業し、昭和9年(1934)に株式会社三中井百貨店となる。戦前まで、本宅を金堂に置き、朝鮮半島・中国で約20店舗を経営した。蔵の中には五個荘が生んだ郷土玩具・小幡人形と全国の土人形を多数展示紹介している。
以前から訪れてみたいと思っていたのが、やっとかなって金堂まちなみをゆっくりと散策し、五個荘の近江商人を改めて学ぶことが出来た。また、大阪商人、伊勢商人と並ぶ日本三大商人の一つと言われる近江商人が自分たちだけに好都合な取引のみでは満足せず、第三者の目、すなわち周囲や地域の人々のことを絶えず視野に入れていたと言う「売り手よし、買い手よし、世間よし」の3方よしも改めて学び認識を深めた。近江商人として成功した商人の屋敷や庭園は、さすがに立派であることも改めて知ることができた。
五個荘近江商人博物館・屋敷見物


近江商人博物館では、近江商人を知る第一歩として、映像やジオラマを用いて地域の歴史、近江商人の商法や家訓、その暮らしや文化、教育などさまざまな角度から、展示紹介されていた。
藤井彦四郎邸では、藤井彦四郎(1876-1956)が近江商人の三代目藤井善助の次男として生まれ、後に分家して藤井糸店を創業。当時、珍しかった人造絹糸や「小町糸」の発売、「スキー毛糸」の製造販売など時代を敏感にとらえて、一代で成功したこと。屋敷地には、藤井彦四郎自身の構想で珍石・名木を配し、琵琶湖を模した池を中心に設けた池泉廻遊式の大庭園をはじめ、主屋、客殿、洋館、土蔵が建ち並んでいて大変立派なもので見ごたえがあった。
2013年10月11日金曜日
第12回ナルク「秋のつどい」に参加


いつものように10回目の広報担当で写真・ビデオ撮影をしたが、この「秋につどい」も今回で終了、来年はまた違った形で行われる予定。
第一部は11時から開会され実行委員長の話があり、ナルク本部役員による乾杯後食事・懇親が行われた。食事の用意は各地区会の人達が、それぞれヤキソバ・焼き鳥・焼肉・おにぎり・デザートを担当。飲み物も多く用意され、楽しい昼食懇親会が行われた。
第二部は13時10分から体育館(ホール)にてオー・ジンズ(中村・小松・早川氏の3名グループ)のフォークソングの演奏、大正琴演奏、口笛(演奏)、抽選会があり終了した。
当初、雨降りとの予報であったが、早朝には雨も上がり9時には晴れ間も出て参加の皆さんは楽しい一日を過ごせたようだった。
これから写真やビデオ編集をして、DVD作成やHPへの掲載が残っており、ヤレヤレ終わったということではなく、これからが大変だぁ~~。
2013年10月5日土曜日
2013年9月29日日曜日
「ThePartner」放送


2013年9月22日日曜日
2013年9月19日木曜日
パナホーム本社工場を見学

第三地区の工場はパナホームの外壁パネルを完成する「外壁パネルライン」「屋根パネルライン」「ロール成形ライン」「床パネルライン」があり、外壁パネルに戸や網戸などを取り付け、一邸ずつ完成し出荷される工場を見学した。また、バスで第二地区に移動して、住宅試験センターで住宅まるごと試験する装置(防水試験、熱・水の繰り返し試験、地震再現装置による水平圧力試験など)やセルフ洗浄機能のあるパナホームの外壁と加工のない外壁との比較実験、大型台風の風速30mの体感、地震体感コーナーでは起震ルームで震度3および震度7の体験もした。エコライフパーク(住宅展示場)では6棟の先進技術を結集した住宅(価格1億円するという住宅など)を見学した。広大な敷地にパナホームのプレハブ住宅を生産する工場を初めて見学して、改めてその規模に驚かされた。今は消費税アップに伴う駆け込み需要で、工場はフル生産が続いているとの嬉しい悲鳴が聞けた。写真はバス1号車の人の記念写真。
OB会の「社会見学会」に参加

2階のシアタールームで滋賀工場やジャマイカと米国ハワイ州にある直営農園などの概要を7分程度の映像をみてから工場案内が始まった。2班に別れて、まず秘密基地を思わせる扉(セキュリティーゲート)をくぐると2階からガラス越にみる見学通路があり、まずコーヒーの抽出・調合工程、リキャップ缶充填自動ラインなどの概要をモニターでみながら見学した。また、品質管理室とモニターを通して検査員による官能検査、外観検査など検査方法の説明や検査員との直接応答もできるようになっていた。一通り見学した後は、100%レギュラーコーヒー(UCCコーヒー)と濃縮エキスによるコーヒーとの「飲み比べ体験」があり、匂いを嗅いで2種類のコーヒーを味わい、100%レギュラーコーヒーはどれかと言う味覚テスト。参加者の内70%前後の人が正解だった。シアタールームに戻り、巨大なコーヒー缶の形をしたフォトシステム(プリクラ)で滋賀工場のシンボルマークのジャンボコーヒーカップなどを背景にしての記念写真や100%レギュラーコーヒーのアイス、またはホットを各人が注文して見学後のひと時を過ごした。
2013年9月11日水曜日
京都高島屋で開催の「杉山寧展」へ

本展では、初期から晩年までの代表作を含む約70点を一堂に展示された。 杉山芸術の力強い歩みと日本画の素晴らしい作品を鑑賞した。(;´Д`)スバラスィ (^○^)
2013年9月10日火曜日
「二ノ宮神社」に参拝し取材

今回、宮司さんの話から結構古くて歴史ある神社であること。約7年前から なんでも『おかげさま参り』なるお参りの方法があって、願い事の成就に物凄いご利益があるとのことが小さなブームになっていること。話によれば北は北海道から、南は九州からお参りに来られることもあったとのことであるが、最近は少しブームも落ち着いてきているらしい。初めて『おかげさま参り』というものを知った。これは500円の一見普通のお守りを買うと一枚の小さな紙に朱印が押してあり、そこにお願いごとを書いて、小さく折りたたんで、お守りに中に入れておく。願いがかなうとそのお守りをもってお参りし神様に報告するというもの。そもそも「おかげさま」とは自分の先祖のことを指し、感謝する意味でお参りに来る人も多いそうだ。
2013年8月27日火曜日
健康寿命の長い都道県は?

この放送に伴い、大阪では7月21日に足腰の筋肉年齢チェックテスト・撮影が20名(男女各10名)参加のもと、地下鉄本町駅近くのTURUYAホールにて行われ参加した。 このチェックテストの様子がどのようにTV放送され映るのか期待していたが、空振りに終わりザンネン! それはこのようなテーマで大阪府が最下位では、その20名のデータが使えなかったこととのためだろう・・・・・。 こういうことも時にはある。
2013年8月22日木曜日
「げんきー」Gのボランティア活動

今回も観客は要介護の方で、同じような年齢の方やそれ以上のお歳の方など約30名であった。 出来ることならこのような施設に厄介にならないように、ピンピンコロリを心掛けて一生を終えたらといつもながら思う。
今回、持ち時間も十分あったので「げんきー」Gのすべての演技を出して楽しんでもらった。(●´ω`●) 上の写真は歌体操、下の写真は踊り「どじょうすくい」(今回は3名で)
2013年8月18日日曜日
「寝屋川演奏家クラブ」演奏会へ
第一部は、昨年・今年に音楽大学を卒業した人の第14回の寝屋川フレッシュコンサートで、ピアノ独奏、クラレネット独奏、独唱、サックスフォン二重奏があった。
第二部は、「どこかで聴いた名曲コレクション」として独唱、フルート独奏、ピアノ独奏などと最後に全員合唱があった。
約2時間の演奏会で独唱、ピアノ独創、クラレネット独奏、サックスフォン独奏などといろいろとあって、クラッシック曲を結構楽しめてよかった。(●´ω`●)
この「寝屋川演奏家クラブ」は年3回程度演奏会を開催し、今日まで13年続いている演奏家クラブ。メンバーも発足当時とは大分変わり、また生活環境も変わる中で、今日まで続いているのは大したもの。寝屋川・枚方市のこの辺りでは、知名度も当初と比べると大分アップしている。 写真は最後出演者と来客との合唱の風景。
第二部は、「どこかで聴いた名曲コレクション」として独唱、フルート独奏、ピアノ独奏などと最後に全員合唱があった。
約2時間の演奏会で独唱、ピアノ独創、クラレネット独奏、サックスフォン独奏などといろいろとあって、クラッシック曲を結構楽しめてよかった。(●´ω`●)
この「寝屋川演奏家クラブ」は年3回程度演奏会を開催し、今日まで13年続いている演奏家クラブ。メンバーも発足当時とは大分変わり、また生活環境も変わる中で、今日まで続いているのは大したもの。寝屋川・枚方市のこの辺りでは、知名度も当初と比べると大分アップしている。 写真は最後出演者と来客との合唱の風景。
2013年8月17日土曜日
第31回「一万人の第九」練習スタート
2013年8月16日金曜日
Pocket WiFiとタブレット端末

ときどきヨドバシカメラに立ち寄ってみていたら、丁度休日にキャンペンをやっていてポケットWiFiを契約(NTT、SoftBank、EMOBAILE製のWiFi)するとタブレット端末が無料のサービスがあって(2週間前にみた時は、タブレット端末nexus7が9,800円だった)、WifiはEMOBAILE製のPocket WiFiを購入、タブレット端末はGooglのnexus7。 問題の費用はWiFi本体を一括支払いし、月当たり2,420円の2年間、従来のSoftBankのWiFiよりか月当りは少し安くつきそう。 もったいない感じではあるが、これも勉強や趣味のためと・・・・・。 使いだすと大変便利、外出するときにも持ち歩いて、電車内やちょっとした打ち合わせなどに使っている。 写真の右下がEMOBILE Pocket WiFiとその上がタブレット端末、左が東芝のDynabook(Windows7)。
2013年8月14日水曜日
滋賀県日野の「火ふり祭り」見物


2013年8月11日日曜日
映画「少年H」を鑑賞
10日に公開された映画「少年H」を鑑賞。1997年に発表されベストセラーを記録した、妹尾河童の自伝的小説を実写化したヒューマンドラマ。 戦前(1941年春)から戦後までの異国情緒あふれる神戸を舞台に、軍国化や戦争という暗い時代の影をはねつけながら勇気と愛情をもって生き抜いた「名もなき家族」の物語。実際の夫婦(水谷豊と伊藤蘭)が、少年Hの父母を演じる。監督は名匠・降旗康男氏。
今年も戦争にまつわる映画「終戦のエンペラー」「風立ちぬ」、そして今回の「少年H」を観たが、いつもどうして、このような馬鹿げた戦争をしたのであろうか? とつくづく・・・・と思う。映画館を出るとなんと平和な日本であろうかとも・・・・・。
あらすじは、昭和初期の神戸の洋服仕立て職人の父・盛夫(水谷豊)とキリスト教徒の母・敏子(伊藤蘭)の間に生まれた肇(吉岡竜輝)は、胸にイニシャル「H」が入ったセーターを着ていることからエッチというあだ名が付いていた。好奇心旺盛で曲がったことが嫌いな肇だったが、オペラ音楽について指南してくれた近所の青年が特別高等警察に逮捕されるなど、第2次世界大戦の開戦を機にその生活は暗い影を帯びていく。やがて、盛夫に対するスパイ容疑、学校で行われる軍事教練、妹の疎開といった出来事に直面し・・・・、やっと終戦を迎えたが空襲で街は焼け野原になってしまい、震災住宅で新たに生活を始め、少年Hは15歳になり独立していくというもの。
この映画を観て、戦前~戦後の実情が身近なものとして改めて強く感じられた。少年Hの父母(水谷夫婦)を演じた役は、さすがに実夫婦であり仲の良さがシーン一杯出ていて大変よかった。また、少年Hの肇(吉岡竜輝)の正義感の強い演技もなかなかのもの、素晴らしかった。妹の好子(花田優里音)の優しい心の持ち主の演技もよかった。また、昭和初期の街並みのオープンセットも見ごたえがあった。
今年も終戦の15日がもうすぐ、今でも終戦の当日のことは、ほとんど記憶にない。ただ、終戦に近くなる昭和20年の初め頃からのことはおぼろげながら記憶にある。それは、田舎(我が生まれた30数軒の集落)にも街の2軒の親戚から空襲に備えて家具が持ち込まれたこと、空襲に備えて夜の電燈に黒い布をかぶせての生活だったこと、実際に田舎には空襲がなかったが、今思い起こすと3~5月と思うが、空襲警報が鳴り響き、北の方から数機のB29が飛んできて、急いで物陰に隠れた記憶などが数回思い出されことなど。今年も戦争にまつわる映画「終戦のエンペラー」「風立ちぬ」、そして今回の「少年H」を観たが、いつもどうして、このような馬鹿げた戦争をしたのであろうか? とつくづく・・・・と思う。映画館を出るとなんと平和な日本であろうかとも・・・・・。
2013年8月6日火曜日
田舎での夏野菜づくり

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