2016年6月24日金曜日

大阪舞洲ゆり園


 大阪舞洲に新たなる名所「大阪舞洲ゆり園」が誕生して3年、今回パナソニック株主総会を途中退席して3年ぶりに訪れてみた。
この日は午後から雨との予報で、JR環状線西九条駅で下車する頃(12時頃)には本降りとなり行くべきかやめるべきかを悩んだ。 が、ここまで来たので、とりあえず行ってみようと「大阪舞洲ゆえ園」直行の市営バスに乗車して「舞洲スポーツアイランド」で下車、徒歩約5分でゆり園に到着した。この間も本降りの雨で、大阪湾に面しているので風も吹いて腰の下はびしょびしょに。途中一瞬風も雨も止む時間もあったが、それは一瞬ですぐ空が真っ黒となり風と雨が強くなり雨宿りをしないといけない状態もあった。そのため、仕方なく約30分程度園内をみて写真を撮って早く引き上げた。
ここは大阪湾を臨む最高のロケーションにゆり畑が作られ、250万輪のゆりが植えられているそうであるが、花がしぼんでいたり枯れかかっていたりもあって、写真を撮るにはもうすこし早く行かないといけないと反省。(*^_^*)

パナソニック株主総会

パナソニックの第109回定時株主総会が、大阪城ホールにて午前10時から行われ、2年ぶりに出席した。株主約2000名出席のもと報告事項として、1)第109期(平成27年4月~平成28年3月)の事業報告、2)会計監査人及び監査役会での連結計算書類の監査結果報告の2点と決議事項として、1)取締役17名選任、2)監査役2名選任、3)取締役の報酬額改定であったが拍手で承認された。その後、質疑応答があったが、途中で退席した。
今回、パナソニックの事業報告で、事業のセグメント別(アプライアンス・エコソリューション・AVCネットワークス・オートモーティブ&インダストリアルシステム・その他)の経過及び成果、家電・住宅・車載・BtoBソリューション領域による成長を目指す取り組みや対処すべき課題などがよくわかってよかった。

2016年6月20日月曜日

真田幸村終焉の地・安居神社

大坂夏の陣で真田幸村が戦死したといわれている安居神社境内を訪れた。
慶長20年(1615)5月7日、天王寺口の茶臼山に布陣した真田幸村は、毛利勝永らとともに徳川幕府軍と大激戦を繰り広げる。一時は幸村や勝永らの獅子奮迅の戦いぶりに幕府軍が大混乱になり徳川家康を窮地に追い込んだ。
しかし、大兵力の幕府軍相手にさすがの幸村も力尽き、安居神社境内の一本松の下で休息しているところを松平忠直隊の武将に討ち取られといわれている。享年49歳。神社境内には幸村の像と戦死跡の碑、そして幸村が休息していたといわれる二代目の一本松「さなだ松」がある。NHK大河ドラマ「真田丸」の影響で多くの参拝者や見物者で賑わっていた。
この神社は天王寺区逢坂1丁目に鎮座、少彦名神(すくなひこなのかみ)、菅原道真を祀る古社。昌泰4年(901)菅原道真が太宰府に左遷された際、河内の道明寺にいた伯母覚寿尼を訪ねて行く途中、ここへ立ち寄って安井(休憩)した。当時、道真に同情した村人がおこしを差し上げると、お礼にと菅原家の紋所「梅鉢」をもらった。これが、今でも大阪名物の「粟おこし」の商標の梅鉢となったといわれている。安居天神社は、その道真の死後の天慶5年(942)、道真の霊を祀るために村人たちが建てたもの。また、当地は四天王寺の僧侶がここで夏安居(げあんご:雨季の間に外出を控え寺院で修行に専念すること)することもあり、「安井」が「安居」になったという。境内には、道真も口にしたといわれる天王寺七名水のひとつ「かんしづめ(癇鎮め)の井」がある。

2016年6月19日日曜日

父・昌幸と幸村の九度山

真田昌幸と幸村が蟄居した九度山へ。南海電鉄「九度山駅」に降りて散策しながら「真田庵」「真田古墳」、今年3月にオープンした「九度山・真田ミュージアム」、「旧萱野家(大石順教尼の記念館)」などを訪れた。
「真田庵」は真田昌幸・幸村父子が隠れ住んでいた屋敷跡に建つ寺院(善名称院、中の写真)や真田昌幸のお墓(善名所院の前にある)や資料館がある。
「真田古墳(真田の抜け穴伝説)」『真田のみち』から真田庵に続く道の途中にある真田古墳。 真田庵から東へ170mほどの所にあり、長い間真田幸村はこの抜け穴を使って大坂に出向いたとも言われていたそうだ。
2016年1月放送のNHK大河ドラマ「真田丸」を記念して、真田幸村が生涯で一番長く住んだと言われる九度山に「九度山・真田ミュージアム」が3月にオープン。九度山での幸村親子のことや生活が詳しく展示されていた。また、NHK「真田丸」の出演者のパネルやドラマで着用した衣装や小道具などが展示されていた。(下の写真)
「旧萱野家(大石順教尼の記念館)」は、若くして両腕を失いながらも、口に筆をとって優れた芸術作品を遺した大石順教尼の書画や愛用品が展示されていた。
真田昌幸と幸村が蟄居され、幸村が大坂夏の陣で戦死するまでのあらすじは以下の通り。 1600年の関ヶ原の戦いで、父・昌幸と幸村は西軍に、兄・信幸は東軍につくことになる。昌幸と幸村は上田城で東軍の徳川秀忠軍を食い止め、決戦場(関ヶ原)に遅参させるなど奮闘したものの、肝心の関ヶ原では、西軍が敗れてしまう。徳川家康は昌幸と幸村を死罪にするつもりであったが、兄・信幸と義父・本多忠勝の懇願もあり、特例として2人に高野山での謹慎を命じた。高野山があまりにも寒かったため、その年の冬に高野山の麓・九度山に移り住み、来るべき日に備えて兵術や水練の特訓を重ねる。また、刀の柄に巻く丈夫な真田紐を織り、家来に全国各地に売り歩かせて、諸国の動静を探ったり、資金集めをしたりしていたと言われている。豊臣と徳川の関係が悪化すると、豊臣の使者が「徳川を滅ぼすため、幸村殿の力を貸していただきたい。」と幸村のもとに尋ねてくる。幸村は感極まって、すぐさま快諾する。14年間住んだ九度山で、幸村は周辺の農民とも親しくなっており、幸村の心境を察した農民は幸村親子の出立に協力したようである。こうして、幸村は九度山の人々に温かく見送られながら、妻と子・大助とともに大坂城に入城する。1614年、大坂冬の陣が始まる時、幸村は精鋭部隊の証である鎧や武具を赤に統一し、「真田の赤備え」として、戦場で目立つ結束と武勇を示した。幸村は、大坂城南側に土作りの頑固な出丸「真田丸」を築いて徳川の大軍を迎え討ち、その武名を天下に知らしめた。翌年、大坂夏の陣でもわずかな兵で家康を狙い、戦列を変えて3度も本陣への突撃を繰り返すなど、家康に自害を覚悟させるほど追いつめたが、怪我をして休んでいるところを討ち取られてしまう。享年49歳であった。また、父・昌幸は1911年病死、享年65歳であった。(関連の資料から)

2016年6月15日水曜日

三室戸寺の紫陽花

宇治市の三室戸寺へ久し振りに紫陽花の写真を撮りに出かけた。50種類で1万株の西洋アジサイ、額あじさい、柏葉アジサイ、幻の紫陽花・七段花等が咲き乱れ、満開の紫陽花が杉木立の間に咲く様は紫絵巻のようで素晴らしい景観だった。紫陽花が満開であり多くの参拝者、見物者が訪れていた。朝9時過ぎに入ったので、まだゆっくりと鑑賞しながら楽しめた。ここは綺麗なハート型の紫陽花があることでも有名であるが、つい見落としてしまい残念だった。
宇治の三室戸寺は、西国観音霊場10番の札所で、約1200年前、光仁天皇の勅願により、三室戸寺の奥、岩渕より出現された千手観世音菩薩を御本尊として創建された。5千坪の大庭園は枯山水・池泉・広庭よりなり、5月のツツジ(二万株)、シャクナゲ(1千本)、6月の紫陽花(1万株)、7月のハスや秋の紅葉など四季を通じて楽しめるお寺である。

2016年6月4日土曜日

学友会「フォト同好会」

6月4日(土)、第9回「フォト同好会」を開催した。今回は「京都府立植物園」での花の撮影及び「ぎゃらりぃ西利」での写真展の鑑賞。
参加者は過去最多の8名。まず、京都駅中央改札口前に10時に集合、地下鉄烏丸線「京都駅」⇒「北山駅」で下車。10時半から12時50分頃まで京都府立植物園の園内及び観覧温室内の花々を鑑賞しながら撮影をした。園内では「花菖蒲」「紫陽花」「バラ」などいろいろな咲き、それぞれ思いのまま撮影して楽しんだ。また、観覧温室でも変わったいろいろな花が咲いていて同じように鑑賞しながら撮影して楽しんだ。
昼食は、徒歩数分にある洋食「東洋亭」本店で計画していたが、一週間前に昼の予約席が取れないことが分かり、急遽和食を中心に探したが、よいころが見当たらず、仕方なく以前昼食をしたことのあるうまいもんや「こむ」(和食)に事前予約をした。当日、植物園に着いて各人から事前に注文(寿司・天ぷら・小鉢・赤出汁付きの1500円)を聞いて予約したため13時頃に到着後、すぐ料理も出てきたし、席も座敷風でゆったりとして昼食をとることができた。
14時頃に「こむ」を出て、地下鉄烏丸線「北山駅」⇒「烏丸四条駅」⇒阪急電車「烏丸駅」⇒「河原町駅」で下車して「ぎゃらりぃ西利」3階の写真展を鑑賞した。写真展は「四季の花華」の各写真が画用紙にプリントされて、霞がかかった様なソフトな感じの花々の写真をみることで勉強になった。
その後、2Fの喫茶店で雑談して解散した。心配した天候も曇で撮影には影響もなく無事に終えることができてラッキーだった。(´▽`)

2016年6月2日木曜日

大和郡山城跡

写真展をみてから大和郡山城跡に立ち寄った。城跡には、梅林門、月見櫓、大手東隅櫓、多聞櫓が復元されていて、豊臣秀長築城当時の城の姿を思い浮かべることができる。現在、天守台は修復工事中(平成29年3月末まで)で入れなかったのが残念。時間の関係もあってすべて見物することができなかったので、梅・桜の名所でもあり再度訪れてみたい。
この郡山城は天正8年(1580)に筒井順慶が築城。順慶には今も語り継がれるエピソードとして、天正10年(1582)に本能寺の変が起こり、親しかった明智光秀より洞ヶ峠に出兵を促されるが、順慶は悩み、結局動かず日和見を決め込む。これを「洞ヶ峠をきめこむ」といい、旗色の良い方につくという悪い意味での言葉として残ってしまったこと。
豊臣秀吉の弟である豊臣秀長は、筒井家の後を引き継ぎ、天正13年(1585)に郡山城に入城。秀長は、優秀な実務派であり、秀吉の参謀役として数々の功績を立て、郡山に入ったときは、大和・和泉・紀伊の三国、百万石を領有していた。様々な大事業を成し遂げたものの、秀長は51歳で死去し、在任期間は6年余りという短い期間だった。豊臣秀長の没後は、水野勝成や松平忠明、本多正勝など領主が目まぐるしく変わり、江戸時代に郡山繁栄の立役者として活躍した柳沢吉里(貞享4年(1687)に柳沢吉保の長男として江戸上屋敷に生まれた。)は、宝永6年(1709)、吉保の後を継ぎ、享保9年(1724)、郡山に入城し郡山城主柳沢家初代となった。吉里は、郡山に養蚕を持ち込み奨励し、経済を振興させた。また、趣味で飼っていた金魚も運んだことから、この地での金魚養殖が始められるようになり、幕末の頃には下級藩士の副業として、明治維新後には職録を失った藩士や農家の副業としてさかんに行われるようになった。この営みには郡山藩最後の藩主、柳沢保申の惜しみない援助があったとされている。そして現在、大和郡山の金魚養殖は日本で最大の産地として発展を遂げた。(以上、関連サイトから抜粋)

中務淳行写真展

 天満橋旧松坂屋ビル8階にある読売文化教室などの写真教室の講師:中務淳行さんの個人写真展「金魚その池その街」が大和郡山市の「やまと郡山城ホール」展示室であり、親友と一緒に出掛けた。
8年前に生駒市から大和郡山市に引越しされ、金魚の街を約1000日間散歩がてらに撮りためていた40数点が展示された。
やはり写真のプロであり目の捉え方がうまくすばらしい写真で参考になることが多かった。その中でも案内写真の薄氷が張る上に一匹の鳥とその下に金魚の群れの写真が大変よかった。
この金魚の写真以外に「大和百景+α」のスライドショーもあり楽しむことができた。ヽ(;▽;)ノ

2016年5月30日月曜日

山田池公園花しょうぶ園

山田池公園にある「花しょうぶ園」へ。約130種8000株の花しょうぶを鑑賞できる。まだ4分咲であったが鑑賞しながら写真を撮り楽しんだ。見頃となるであろう4日からライトアップも行われる。
この府立山田池公園には中心となる山田池があり、築造は1200年前といわれ、深刻な水争いの記録も残されているような歴史的にも貴重なため池である。 近年まで、人々の暮らしに役立つクリ、ウメ、茶などの栽培もおこなわれ、里山的な利用をされてきた。こういった山田池の歴史性から、都市公園法施行50周年記念事業による「日本の歴史公園100選」に選定されている(平成18年度)。また、池の周囲には深い木立、竹林の丘、花菖浦の咲く沼地などがあり変化に富んで、水面にうつる月には格別の趣があり、枚方八景の1つになっている。

2016年5月29日日曜日

枚方フィルハーモニー管弦楽団

枚方市市民会館大ホールにて枚方フィルハーモニー管弦楽団の第83回定期演奏会があり聴きに出掛けた。曲目は、ブラームス 「悲劇的序曲」、ムソルグルスキー 「禿げ山の一夜」、ブラームス 交響曲第4番の3曲。ほぼ満席でクラッシック音楽を楽しんだ。
この管弦楽団は、 枚方市やその周辺都市に住む様々な年齢、職業の人で構成されたアマチュアオーケストラ。すべては1954年、4人の若者が創設した「枚方室内楽団」から始まり、途中何度かあった存続の危機も乗り越え、いま現在も音楽好きが集まって続けている創設62年の管弦楽団である。
主な活動は年2回(春・秋)の定期演奏会で、ほかにも地域の訪問演奏や団内コンサートなども行っている。

2016年5月26日木曜日

優遊三四会(高校クラス会)

2年ぶりに第15回目の優遊三四会(高校D組進学クラスの同窓会名称)が25日~26日京都駅内のホテルグランヴィア京都であり参加した。参加者は前回より少ない10名(男性4名、女性6名)。この2年間に物故者4名(男性3名、女性1名)あり、年毎に寂しくなる年代になり我が身にも迫ってくる思いがした。
午後4時にロビーに集合し、6時から京都劇場の横にある「がんこ寿司京都駅店」で懇親会。その後、幹事の部屋(1070号)で、級友・旅行・故郷日野のことや近況報告など様々な話で盛り上がったひと時を過ごした。翌日は京都水族館見物であったが用事もあり、またすでに見物していることもあって参加しなかった。次回の幹事を決めるにあたって、今までメイン幹事は男性がしてきたが、次からは女性にと提案したが、どうも尻込みをされしまい、結果的に小生がやらないといけなくなった。2年後であるが、開催地は京都(京都駅周辺)とし、午後4時頃に集合して1泊、翌日朝9時に解散して各自自由行動という計画で進めるとした。開催日については、何かイベントなどが行われている時期がよいと思うが...。
今回の参加者10名の中でスマホ使用者は6名(女性3名/6名:50%、男性3名/4名:75%)で使用率60%だった。65歳以上のスマホ使用率が平均20%である中で3倍の60%、やはりレベルが高く金持ちで?優秀だなぁ~と。それに比べるとS37クラス会の使用率は、平均以下の10%で考えさせられた。

2016年5月24日火曜日

M37クラス会

2年ぶりに第10回目の37クラス会が、23日~24日浜松(舞阪町弁天島)のオーシャン浜名湖リゾートホテルであり参加した。参加者は前回と同じ10名。この2年間に物故者2名あり、年毎に寂しくなる年代になったと痛感した。時間があるがお金がない?ので、京都から往復新快速、普通電車を米原、大垣、豊橋で乗り継ぎ、所要時間は京都から弁天島までは約3時間45分(自宅の最寄り駅から4時間半)。
ホテルに15時集合、18時から20時は懇親会、20時から2時間はカラオケ、あと24時まで別室にて雑談し、次の幹事を決める。久ぶりの再会で、和気あいあいのもと近況報告などに話が弾んだひと時を過ごした。 
24日は朝食後8時半にロビーに集合、記念写真を撮ってから解散した。その後有志だけで舞坂脇本陣、新居関所跡を見物した。舞坂脇本陣は、江戸から30番目の宿場にあたり、東西交通を結ぶ今切渡しの渡船場で、当時をしのぶ町並みは失われているが、天保9年(1838)建築の旧脇本陣の書院棟が残されていたので、この貴重な脇本陣を後世に伝えようと、建物が復元された。
また、新居関所跡(今切関所)は慶長5年(1600)徳川家康により創設された。幕府は江戸を守るため全国に53ヶ所の関所を設け、「入鉄砲と出女」に対し厳しく取り締まりをした。特に新居関所は約100年間、幕府直轄として最高の警備体制が敷かれていた。鉄砲など武器の通行ではもちろんのこと、当関所に限っては江戸へ向かう女性(「入り女」)にも「手形」が必要で、不備が見つかれば通ることはできなかった。当関所は江戸時代中期に、自然災害で2度の移転を強いられた。現在に残る建物(「面番所」)は、嘉永7年(1854)の地震でそれまでの建物が倒壊したあと、安政5年(1858)までに再建されたもの。明治2年(1869)に関所は廃止され、明治~昭和にかけて学校や町役場として使われ、当時の建物が日本で唯一そのまま残る関所としての歴史的価値が高く評価され、大正10年(1921)国の「史蹟」に、昭和30年(1955)には改めて国から「特別史跡」に指定された。(関連サイトから)
                   

2016年5月22日日曜日

あなたの健康、だいじょうぶ?

健康保険組合連合会大阪連合会主催のあなたの健康、だいじょうぶ?「健康みらいトークIN大阪」が大阪商工会議所7F国際会議ホールで行われた。
特別基調講演「夢が生きる力となる」のテーマで講師:向井亜紀さん、休憩後パネルディスカッション「健康で元気な社会のために」でコーディネーター:植村さとし氏、パネリスト:向井亜紀・太田房江・おだち源幸氏。
私の知っている向井亜紀さんとは、格闘家の高田延彦さんと結婚、妊娠の検査で子宮頸がんを発見、それにより子宮全摘出、アメリカでの代理出産により双子の男子が誕生、その子どもの日本国籍の取得などの問題のことだった。
現在は、テレビ番組「朝だ!生です旅サラダ」の司会、ラジオ番組や講演会などで幅広く活動されている。また、夫婦で全国各地で開催している子ども向け体育教室『高田道場 ダイヤモンド・キッズ・カレッジ』では司会者などとして参加し、のべ15,000人以上の子ども達に身体を動かす楽しさを伝える活動もしているとのこと。
会場は長身の170CM、ハイヒールでスタイルのよい、綺麗な向井さんの登場ですごく華やかな雰囲気となった。 今回の講演では、子宮全摘出後、3年前の大腸ガンまで18回の手術治療を受けたことの話があり大変驚いた。これらの手術までの経緯や体験から心がけていることについて、①今までの手術体験から風呂に入った時に各部に「有難う」「有難う」・・・と感謝している。このことで五感が磨かれ身体の内部のSOSをキャッチできるとのこと。②いつもよいイメージを持って、自分の身体を変えるようにしている。③早期発見(定期的な健康診断など)に努めている。 との話があった。自分の身体に感謝することや常によいイメージを持つことの大切さを再認識した。パネルディスカッションでは特に目新しいものはなかったので省く。

2016年5月17日火曜日

枚方T-SITEオープン

1983年、駅前に第1号店を開いたレンタル最大手のTSUTAYA創業者(枚方出身の増田宗昭社長)が同じ駅前に、代官山T-SITE、湘南T-SITEに次ぐ3店舗めの枚方T-SITEを16日オープンさせた。 この場所は近鉄百貨店、その前のひらかた丸物(まるぶつ)が、またすぐ近くに三越百貨店、長崎屋などがあって、それなりに賑わっていたが時代の流れに乗れず撤退した場所となっていた。そのため枚方市駅前は寂れて、現在は新しくなった「くずはモール街」にお株を奪われてしまっていた。
ひらかたつ~しん」のサイトによると、増田社長は、枚方T-SITEは「この3つ以外はやめようぜ!」というコンセンサス(合意)のもと取り組んで来たこと。その3つとは①企画会社としてプラットフォームを作ってお客さんに喜んでもらうこと。例えば蔦屋書店、Tカード、T-SITE…。②データベースを活用してお客さんに喜んでもらうこと。③.コンテンツを開発するグループになること。 また、この枚方T-SITEは5000坪あり、ものを詰め込むだけでお客さんが喜ぶ時代ではないので、『こういうライフスタイルいいでしょ?』と提案するコンテンツが必要で、これで世の中から評価を受けたいと思っているとのこと。それには、まず広域からモノを求めてお客様を呼ぶというスタイルではなくて、ここから半径2kmだけのお客様を呼び、提案をしていきたい。具体的にはどんなお客様かと言うと「お年寄り」「親子」そして「働いている人たち」。提案する内容は「日常生活」、普段の生活を提案したい、そして「関係性消費」というものを提案する。「関係性消費」とはモノは買わなくても、例えば今日ここで撮った写真を友達に送ること、親しい人と食事をとること、美味しいものを贈るような、人との関係性をもっとよくするために行う行動を「関係性消費」と呼んでいる。今後、スマホと一体化してスマホで便利に楽しめる百貨店、データーベースと連動した百貨店というようなことにしていきたい、ということ。
昨日のオープンには行けなかったが、今日(2日目)に訪れてみたが、多くの人で賑わっていた。建物の外観(上の写真)も大変ユニークで変わっているが、内部も吹き抜けもあり、休息する椅子やゆったりとした心に安らぎを感じる空間も多く、今までの商業施設(百貨店)とは一味違ったものになっていた。特に吹き抜けの壁を埋めるように飾られた書籍群(中の写真)が圧巻で、書籍を中心として飲食店や化粧品店、子どもの遊技施設など40店以上が入り、また6・7階にはりそな・東京三菱UFJ銀行も入っていた。枚方駅の1日の乗降客が約9万人あり、このT-SITEによって元の賑わいを取り戻してほしいと思う。

2016年5月15日日曜日

中之島バラ園

京都の葵祭をみて、その後大阪中之島公園のバラ園を訪れた。ここは明治24年(1891年)、大阪市で初めて誕生した公園。 堂島川と土佐掘川にはさまれた延長約1.5km、面積10.6haの一角に中之島バラ園があり、ちょうど満開のバラを楽しむ人で賑わっていた。

京都葵祭

昨年は下鴨神社で見物したが、今年は丸太町通りで京都御苑をバックに約500人の行列を見物し写真を撮って楽しんだ。
この葵祭は、古墳時代後期の欽明天皇(540 ~571年)のき、凶作に見舞われ飢餓疫病が流行したため、天皇が勅使をつかわし「鴨の神」の祭礼を行ったのが起源とされている。上賀茂、下鴨両神社の例祭で、祇園祭、時代祭とともに京都の三大祭に数えられている。
現在、葵祭の主役は「斎王代」だが、この斎王代が主役となっての葵祭の歴史は、それほど古いものではなく、1953年(昭和28)年に祭の復活後、1956年(S31)になってから斎王代を中心にした女人列を加えて今日に至っている。 斎王代とは、その名称が示すとおり、斎王に代わるもの。斎王の代理なのである。斎王は「いつきのひめみこ」ともいい、「斎」は「潔斎して神に仕えること」をいう。斎王はかつて伊勢神宮や賀茂の神社に奉仕した未婚の内親王、女王のことなのである。
斎王代は民間の未婚の女性が選ばれることになっていて、今年は第61代斎王代に、京都市山科区の会社員西村和香(わか)さん(26)が選ばれた。母和美さん(53)も1980年に第25代斎王代を務めており、親子2代で都大路を彩るヒロインを担う。親子の斎王代は5組目。 母の和美さんは3姉妹で、2人の妹も84年(29代)と90年(35代)に斎王代を務めた『斎王代一家』。 和香さんには妹さんがいて5人目になる可能性もあるという。和香さんは、江戸時代前期から続く京漆器の老舗「象彦」社長の父毅(つよし)さん(55)と和美さんの長女。京都ノートルダム女子大卒。現在は同社で広報担当として勤務する。学芸員資格を持ち、趣味は美術館巡り。(以上朝日新聞の記事から抜粋) 

2016年5月14日土曜日

「ウォーキング&小旅行」同好会

「工学部学友会」の第12回「ウオーキング&小旅行」が、参加者25名で開催された。
概略コースは、京阪三井寺駅9時20分に集合⇒9時半頃から散策しながら三井寺⇒三井寺に参拝し境内散策⇒琵琶湖疎水をみながら浜大津港⇒ミシガンに乗船し、11時40分出港し約1時間のクルーズ⇒柳が崎湖畔公園着⇒びわこ大津館で昼食⇒徒歩で近江神宮⇒近江神宮に参拝、境内の「時計館」を見物⇒京阪神宮駅前、5時頃に解散。
三井寺(園城寺)は、エキストラなどを含めて4~5回参拝し境内の散策もしていたが、久しぶりに訪れて国宝・重要文化財などを見物した。ミシガン乗船は3回目だったが、これも久しぶりに琵琶湖の遊覧を楽しんだ。昼食のびわこ大津館もエキストラなどで来て3回目、昼食は館内のレストラン「ベル ヴァンブルージュ」にてランチ(スカーレッタ 3,500円) 前菜盛合わせ、スープ、魚料理、肉料理、デザート盛り合わせ、パン、 コーヒー又は紅茶で美味しかった。その後の近江神宮は2回目。今回、よい天候に恵まれ久しぶりの三井寺、びわこ大津館、近江神宮を訪れ、またミシガンクルーズも楽しむことができた。(´▽`)


2016年5月2日月曜日

京都鉄道博物館

29日からグランドオープンした「京都鉄道博物館」へ。ここはJR京都駅の中央口を出て、西へ20分ほど歩いたところにある梅小路公園。その横には一昨年オープンした京都水族館がある。
もともとこの場所は旧国鉄の梅小路機関区を利用した「梅小路蒸気機関車館」があった。今回、旧梅小路蒸気機関車館の施設とその隣に新設された本館とで構成されている。車両をはじめとする展示物や所蔵資料は、一昨年閉館した大阪市の「交通科学博物館」からその多くを継承している。運営するのは、JR西日本の外郭団体である交通文化振興財団である。
この京都鉄道博物館は「憩いの場」となるとともに、「見る、さわる、体験する」ことを誰もが楽しむことができる「学びの場」となっている。
主な特徴としては①C62形蒸気機関車、80系電車、O系新幹線など53両が展示されている。②蒸気機関車が牽引する「SLステーム号」に乗れる。③営業線とつながっているので、引込み線で車両を変えて展示することができる。④ただ単に見るだけではなく体験展示が多くある。⑤鉄道の歴史やしくみ、安全対策などよくわかる。⑥鉄道のさまざまな仕事に触れることが出来る。などである。 鉄道ファンにとってはたまらないところだと思う。館内を一通り見て回ったが、残念なことに各車両のほとんどは外から見るだけ、内部に入れなかったこと。また、入場者が多くて列車の模擬運転、鉄道ジオラマのデモなどみて楽しむことが十分できなかったこと。
また、機会を見つけてゆっくりとみて体験したいと思う。

2016年4月30日土曜日

広岡浅子ゆかりの地

4月末でNHKの朝ドラ(連続小説ドラマ)「あさが来た」も終わったが、このあさの主人公(広岡浅子)の主なゆかりの地を数回にわたって訪れてみた。
写真上は、肥後橋角にある大同生命大阪本社ビルで、ここに両替屋・加島屋の本家があった。ヴォーリズ設計による旧肥後橋本社ビルが建っていたが1993年からは一部の建築物を残した現在のビルになっている。そのビルの前に石碑が設置(左上)されている。
写真中は、左上:梅花女学校発祥の地で、ここで主任教師(アメリカ留学後校長に就任)成瀬仁蔵が教えていた。浅子と共に1901年日本女子大学校(現在日本女子大学)を創設する。右上:豪商・淀屋常安の手により、中之島は1619年に開発され、その豪商・淀屋の跡地がある。左下:日本基督教団大阪教会で1911年浅子が洗礼を受けた教会。1922年にヴォーリズ設計によるもの。右下:中津藩蔵屋敷で生まれた福沢諭吉生誕の地。
写真下の左上:蛸の松で諸国の蔵屋敷が立ち並び、その蔵屋敷前に自慢の黒松が植えられていた。特に広島藩主福島正則が植えたとされる黒松は、枝ぶりが蛸の泳ぐ姿に似ていることから人々に愛されたという。右上・右下:大阪商工会議所の初代会頭五代友厚の銅像、北浜の旧大阪証券取引所前の立像。この五代の人物と業績を知る人は、今日大阪でもごく少ない。五代こそは大阪の育ての親であり、忘れがたい大阪の恩人である。五代友厚は、1836年2月(天保6年12月)鹿児島に生まれ、東の渋沢栄一と並び称される五代であるが49才の若さで亡くなったことは、大阪にとってまことに不幸であった。遺言で大阪の土となり墓は阿倍野斉場にある。
左下:浅子の異母姉・春が嫁いだ両替商・天王寺屋の跡地。天王寺屋五兵衛と向かいに平野屋五兵衛の両替商が構えていたことで「天五・平五(あわせて)十兵横町」と呼ばえていた。今回、はじめて大阪の中之島、北浜界隈などをみて歩き、ちょっとした歴史を学ぶことができた。

2016年4月29日金曜日

京都「鳥羽の藤」

京都南区にある鳥羽水環境保全センター(京都上下水処理施設)で、昨日(28日)から2日まで一般公開されている「鳥羽の藤」を訪ねてみた。(今回で2回目) 
ここには2種(ヤマフジ、ノブフジ(ナガフジ・シロバナフジ)の3品種)37本の藤が植えられ市民から「藤の花の名所」として親しまれている。 特に全長120メートルに及ぶ美しい藤棚は見事である。 本日は祝日の影響もあって多くの市民で賑わっていた。
今回のスライドショーは、「Adobe Photoshop Elements 8」で作成してみた。

2016年4月26日火曜日

京都長岡京市「乙訓寺」の牡丹

長岡天満宮(京都長岡京市)の近くにある牡丹で有名な「乙訓寺(おとくにでら)」へ数年ぶりに訪ねてみた。
「乙訓寺」のホームページによると、ここの牡丹の始まりは昭和15年頃とのこと。牡丹が咲き誇る以前の乙訓寺は表門から本堂まで続く松の並木が美しいことで有名であった。それらが昭和9年の室戸台風でほとんどが倒木し応仁の乱も生き延びたと伝わるモチノキ、弘法大師お手植えの菩提樹も多大な損害を受けることになった。そこで「乙訓寺」第19世海延の伯父にあたる長谷寺の第68世能化(住職)海雲全教和上が被害著しい境内をみて、本尊への供花、荘厳花として、また同時に参拝者にしばしの安らぎをと念じられ、多年ご愛育の牡丹のうち2株を寄進されたのが当寺の牡丹のはじまりである。その後、乙訓寺歴代住職らの尽力により株数も年を追って増加し、今では約2000株の花が美しく境内を彩っている。(以上、「乙訓寺」のサイトより抜粋)
写真撮影で2~3回は訪れているが、初めてみた牡丹の綺麗な印象が今でも強く残っている。 今回、見頃かと思って行ってみたが、写真撮影には1週間程?遅かったようで、少しガッカリ! それでもよく咲いて綺麗な牡丹もあって写真を撮りながら楽しめた。(*^_^*)

2016年4月20日水曜日

日本風景写真協会選抜展


富士フイルムフォトサロンにて日本風景写真協会(所在地:京都下京区)の第6回選抜展「四季のいろ」があり、今回この会員であるN講師(以前よみうり写真教室で習った講師)のメール案内があり出かけて鑑賞した。
この日本風景写真協会は「プロもアマも風景写真を楽しもう」を合言葉に2002年に誕生。北海道から沖縄まで、約1500名の会員が所属、45支部が各地で活発に撮影会や研究会、作品展を行っているとのこと。この協会には写真をやる人の中では、よく知られている写真家の白籏 史朗・竹内 敏信・丹地 敏明氏、写真教室の講師など多くの人たちが会員のようだ。
この選抜展には全国の会員の作品から選抜した103点が展示されていて、さすがによい写真(作品)が多くて、大変勉強にもなった。その中の一点が下の写真で、タイトルが「神聖な朝」、北広島町で撮られたもの。ピンク色の蓮、そこにクモの巣に朝露がつき、遠くに霞みかかった風景はなんとも言えないすばらしい作品。このような写真はなかなか撮ろうとしても撮れないものだ。

2016年4月17日日曜日

宇治市植物公園

17日(日)、宇治市植物公園にて「八重桜無料公開」があり行ってきた。 ここは平成8年10月、宇治市の南西部、山城総合運動公園(太陽が丘)と府民ふれあいの森に隣接する丘陵地にオープンした。 総面積は10ha。起伏に富んだ敷地には、壁泉・カナール(水路)を軸線とし、正面には日本一を誇る立体花壇「花と水のタペストリー」、北東部右側には紅葉や 木の実が楽しめる秋のゾーン、 南西部左側には花木や季節の花々が楽しめる春のゾーン、巨椋池系花蓮を収集展示している夏のゾーンがあり四季折々に楽しめる。また、緑の休息所(温室)は 年間を通じて熱帯・亜熱帯植物の花が咲き誇り、回遊式に観賞できる。
今回の八重桜は、約20品種150本の八重桜(関山など)が、ちょうど満開で綺麗だった。今年最後の桜をみて写真を撮って楽しんだ。 また、チュウリップや草花も綺麗に咲いていて春本番を感じさせられた。
今回のスライドショーは、「Corel Videostudio ProX7」で作成した。(ファイルはmp4)

2016年4月13日水曜日

勝谷誠彦氏の講演会

 公益社団法人日本不動産鑑定士協会連合会の主催の講演会があり聞きに行った。
講師はコラムニストの勝谷誠彦(かつやまさひこ)氏で、テーマは「世界動乱の中での地域経済」。会場は大阪商工会議所の7Fのホールだった。
講師の勝谷誠彦氏は、文藝春秋社入社し記者として活動され、1996年退社後は、コラムニストや写真家として活躍し、食や旅のエッセイで広く知られている。 現在の活動は、「ダイアモンドZAi」のコラムなど雑誌に多数連載をもち、TV番組「あさパラ!」、「カツヤマサヒコSHOW」(サンテレビ)、「ニュース女子」(MXテレビ)などに出演中である。また、365日無休で毎朝400字詰め原稿用紙で12枚以上を送る有料配信メール『勝谷誠彦の××な日々』は多くの熱狂的読者を持っているとのこと。
今回の講演は全体的にみて雑駁なものであったが、その主な事項は、①中国や韓国の富裕層は自国が安全でないし、将来もわからないので、アメリカなどに資産を移して子弟を留学させている。日本は安全な国であり、そのようなことはない。②大学で能力のある人には、奨学金を出して人を育てることが重要である。③テレビ時代からライブが見直されて、ライブの時代になってきている。④軍事を知って経済を語らないといけない。そのためには、現場に行くことが重要である。⑤世界の垣根がなくなり、何かあるとすぐ影響がでてくる。特に中国の動向は無視できなし、常に見ておくことが重要である。中国は民主主義を経験していないので、中国の歴史をよく読んでも意味がない。⑥日本には情報部門の部署がない。例えば北朝鮮の拉致被害者の現状はどうかの把握すらもできていない。戦前のような情報をつかむ専門部署が必要である。⑦世界を動かすのは、オバマ大統領、習近平主席、プーチン大統領の三人であるが、その中で安倍首相とドイツのメルケル首相の二人の役割は大になっている。⑧領土が狭く地震・津波などで大きな被害がでる原発は反対であると言うと、やめると原発の技術力が低下して蓄積ができなくなると反論される。それなら原子力潜水艦を5~6船作ればよい。 などなどのことを独特の口調で面白く分かりやすい話で、あぁ~という間に1時間半の講演が終わった。

2016年4月9日土曜日

「畑の枝垂れさくら」

滋賀県甲賀市信楽の畑に有名な樹齢約400年の「畑の枝垂れさくら(都しだれ)」があり、田舎に行く途中に立ち寄ってみた。一昨年に訪れて2回目。甲賀市信楽の国道307号線から山間の道を約20分走り小さな畑の集落に着くと、道路からもすぐに見上げられる位置に、この「枝垂れさくら」1本がある。この枝垂れ桜は根元からすぐに二本に分かれているため、枝に広がりがあり、見事な枝垂れさくら。ほぼ満開で見ごろを迎えて、なかなか見事なものだった。この写真が4月8日の朝日新聞夕刊に掲載された。
この桜は都(京都)原産といわれ、文献によれば平安後期平家滅亡の折身寄りの人たちが都落ちの際、都をしのぶために桜を持ち帰り植えたといわれ、「都しだれ」とも言われているそうだ。 甲賀市指定天然記念物でもある。

2016年4月8日金曜日

造幣局の桜の通り抜け

今年も大阪の春の風物詩である「造幣局の桜の通り抜け」が本日8日からスタートしたので出掛けて、午前11時半頃から見物した。(14日まで開催)
毎年訪れているが、いつも350本ある桜がほぼ満開で綺麗だなぁ~と感動するが、今年は違っていて、ほとんどの桜はつぼみだったり、5~6部咲きだったりと、全体的には少し早く残念な状態であった。もうあと5~1週間後が満開で見頃になるのではないかと思われた。 その中でほぼ満開の桜も多数あり、写真を撮りながら楽しむことができた。 (´▽`)
今年で133年目の通り抜けとのこと、13品種350本の桜があるなかで、通り抜けの桜に親しみを持ってもらうために数多い桜の品種のうちから一品種を「今年の花」として選び毎年紹介されているが、今年は「牡丹」だった。(写真)


2016年4月4日月曜日

姫路城の桜

朝から雨模様であったが、予報では姫路市内は午前中に雨も上がるとのことで、昨年に続けて出かけた。
ここはソメイヨシノ、ヤマザクラ、シダレザクラなど約1800本の桜が咲き、姫路城の天守閣や白壁に映える景色は「日本の桜の名所100選」にもなっていてすばらしい! 
今年、さくらの大回廊の6ルートマップ(①千姫の回廊、②三の丸の回廊、③お城やしき回廊、④侍屋敷の回廊、⑤城下町の回廊、⑥観光ループバス)ができてたので、③のお城やしき回廊→②三の丸の回廊→①千姫の回廊を回って、ちょうど満開の桜をみて写真を撮りながら楽しんだ。
当日夕方のNHKのニュースによると昨年度、姫路城を訪れた人数は約287万人(内外人30万人)で熊本城(約226万人)を抜いて日本最多(日本一)となった。それは昨年3月27日に約5年半振りに大天守保存修理を経て「大天守」の一般公開が始まったからと報道されていた。
今回、雨がやんだが曇り空で少し寒かったが多くの桜見物客で賑わっていた。下の動画には著作権の関係でBGMを省略した。


2016年4月1日金曜日

芸舞妓さんの撮影会

京都祇園で芸舞妓さんの撮影会(2回目、午後3時~4時半)があり、朝から雨模様であったが雨天決行とのことで出かけた。雨も祇園に着いた頃にはやんで予定通り祇園白川南通り周辺で芸舞妓さん3名(祇園甲部:小衿さん・佳つ花さんと 祇園東:つね桃さん)での撮影会が行われた。
現地に2時過ぎに着いたが、その頃には多くのカメラマンに良い場所を占領されて端の方しかなく残念な位置だった。この撮影会には多くのカメラマンをはじめ観光客(外人)も含めて約100名?で大盛況だった。
霧雨もあり和傘をさしての撮影が多かったが、しだれ桜が満開で、ときどき花吹雪が舞う中での撮影であった。今回で過去を含めて3回目であったが、綺麗な芸舞妓さんの撮影ができてよかった。特に祇園東のつね桃さんは、カメラマンなどにも愛嬌もよく、綺麗で明るくてすばらしい芸妓さんだった。(´▽`)