

写真上は、肥後橋角にある大同生命大阪本社ビルで、ここに両替屋・加島屋の本家があった。ヴォーリズ設計による旧肥後橋本社ビルが建っていたが1993年からは一部の建築物を残した現在のビルになっている。そのビルの前に石碑が設置(左上)されている。

写真下の左上:蛸の松で諸国の蔵屋敷が立ち並び、その蔵屋敷前に自慢の黒松が植えられていた。特に広島藩主福島正則が植えたとされる黒松は、枝ぶりが蛸の泳ぐ姿に似ていることから人々に愛されたという。右上・右下:大阪商工会議所の初代会頭五代友厚の銅像、北浜の旧大阪証券取引所前の立像。この五代の人物と業績を知る人は、今日大阪でもごく少ない。五代こそは大阪の育ての親であり、忘れがたい大阪の恩人である。五代友厚は、1836年2月(天保6年12月)鹿児島に生まれ、東の渋沢栄一と並び称される五代であるが49才の若さで亡くなったことは、大阪にとってまことに不幸であった。遺言で大阪の土となり墓は阿倍野斉場にある。
左下:浅子の異母姉・春が嫁いだ両替商・天王寺屋の跡地。天王寺屋五兵衛と向かいに平野屋五兵衛の両替商が構えていたことで「天五・平五(あわせて)十兵横町」と呼ばえていた。今回、はじめて大阪の中之島、北浜界隈などをみて歩き、ちょっとした歴史を学ぶことができた。

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