2年ぶりに第10回目の37クラス会が、23日~24日浜松(舞阪町弁天島)のオーシャン浜名湖リゾートホテルであり参加した。参加者は前回と同じ10名。この2年間に物故者2名あり、年毎に寂しくなる年代になったと痛感した。時間があるがお金がない?ので、京都から往復新快速、普通電車を米原、大垣、豊橋で乗り継ぎ、所要時間は京都から弁天島までは約3時間45分(自宅の最寄り駅から4時間半)。
ホテルに15時集合、18時から20時は懇親会、20時から2時間はカラオケ、あと24時まで別室にて雑談し、次の幹事を決める。久ぶりの再会で、和気あいあいのもと近況報告などに話が弾んだひと時を過ごした。
24日は朝食後8時半にロビーに集合、記念写真を撮ってから解散した。その後有志だけで舞坂脇本陣、新居関所跡を見物した。舞坂脇本陣は、江戸から30番目の宿場にあたり、東西交通を結ぶ今切渡しの渡船場で、当時をしのぶ町並みは失われているが、天保9年(1838)建築の旧脇本陣の書院棟が残されていたので、この貴重な脇本陣を後世に伝えようと、建物が復元された。
また、新居関所跡(今切関所)は慶長5年(1600)徳川家康により創設された。幕府は江戸を守るため全国に53ヶ所の関所を設け、「入鉄砲と出女」に対し厳しく取り締まりをした。特に新居関所は約100年間、幕府直轄として最高の警備体制が敷かれていた。鉄砲など武器の通行ではもちろんのこと、当関所に限っては江戸へ向かう女性(「入り女」)にも「手形」が必要で、不備が見つかれば通ることはできなかった。当関所は江戸時代中期に、自然災害で2度の移転を強いられた。現在に残る建物(「面番所」)は、嘉永7年(1854)の地震でそれまでの建物が倒壊したあと、安政5年(1858)までに再建されたもの。明治2年(1869)に関所は廃止され、明治~昭和にかけて学校や町役場として使われ、当時の建物が日本で唯一そのまま残る関所としての歴史的価値が高く評価され、大正10年(1921)国の「史蹟」に、昭和30年(1955)には改めて国から「特別史跡」に指定された。(関連サイトから)
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