2010年12月31日金曜日

2010年の実績と反省

2010年の活動計画の実績と反省は、次の通り。
1)枚方市「生涯学習情報プラザ」は、5年目に入るが従来通りの仕事(月当たり7~8日)と小学5・6年生を対象の「ホームページづくり」及び大人のパソコン教室(ミニ体験)の見直し実施。
例年通り大人対象の「パソコンミニ体験」(入門、Word、Excel、インターネット体験)及び小学生を対象にした「おもしろパソコン教室」も春・夏・冬休みに実施。ただ6年生を対象の「ホームページづくり」の見直しを少ししたが大幅にはできなかった。大人のミニ体験の新規講座として「デジカメ写真の取込み体験」、「ハガキ作成の体験」を今年度(2011年3月25日以降)からスタートできるように準備したことはよかった。(結果:まあまあ)
2)田舎(滋賀日野)での野菜づくりも例年通りやろう。収穫がもう一つの野菜(カボチャ・サツマイモ等)についての土作りから考えてみよう。ヤンマー産業の「畑の大将」を使うのも1つだ。ヤンマー産業の「畑の大将」を使いながら野菜作りを行い、玉ねぎ、大根、カボチャ、冬瓜、ナスビ・ピーマン、キューリ等の収穫が多かった。しかし、サツマイモ・水菜・日野菜などがダメだった。(結果:まあまあ)
3)写真は季節の花はもちろんであるが、何かに特化して撮影に取り組もう。 これは今年の課題。それらを「eizouの部屋」HPに掲載してより充実させる。⇒計画通りに進まなかった。今年全日本写真連盟に入会し、春の撮影会、舞妓さんの撮影会などに参加した。特化した撮影への取り組みには至らなかった。(結果:まあまあ)
4)合唱の第九は2月末の東京両国「5000人の第九」、「鳴門の第九」、「かがわ第九」、「一万人の第九」、「第九ひろしま」に参加する。ウイーンの楽友協会大ホールでの「第九」の参加が夢だ。⇒東京両国「5000人の第九」、「鳴門の第九」、「一万人の第九」、「第九ひろしま」に参加したが、新たに「999人の第九」(札幌)にも初参加した。今年で34回目の出演となった。(結果:Good)
5)ボランティア活動では、昨年と同じくNALC「天の川クラブ」・「彦機会」HPの更なる充実、「パナソニック松愛会枚方支部」のHP委員としての活動、そして子ども達との「楽しいおもちゃづくり」も同じ。しかし、時間を取るためにも「天の川クラブ」の運営委員、松愛会HP委員での施設担当リーダ、きららのおもちゃづくり担当はやめる方向でいこう。⇒「天の川クラブ」の運営委員は、辞退したが来年の改選まで待ってほしいとの要望となった。松愛会HP委員での施設担当リーダは交代した。「きらら」のおもちゃづくり担当も各回、担当者を決めて実施した。(結果:まあまあ)
6)新たな挑戦として楽器(ピアノ・篠笛等)、芸能等か、または、過去にやったテニス・海釣り・尺八・カラオケ・ゴルフ・料理等だが・・・・・。 早く決めて進めよう。⇒新しい挑戦として、念願のエキストラに挑戦した。8月の「プリンセス・トヨトミ」映画のエキストラで5日間出た。大阪・滋賀のローケション協会に登録した。(結果:Good)
7)パソコンの勉強も更に進め上級者を目指す。Windows7(Word/Excel2007等含む)をより使いこなしてマスターする。 Flash、CSSも勉強しよう。⇒Flashは少し勉強できたが、更なる上級者への勉強はあまりできなかった。(結果:Bad)
8)映画、美術鑑賞にはできるだけ行って視野を広めよう。⇒映画は1月の「アバターAVATAR」から12月の「武士の家計簿」まで12本鑑賞した。美術鑑賞は2月の「ハプスブルク展」から「ウフィツィ美術館自画像コレクション」までの4展とアメリカ東部のシカゴ・ボストン美術館やニューヨークの近代美術館を観た。まあ満足のいく結果と思う。(結果:Good)
9)運動も最重要。ウオーキング、テニス、水泳などの運動(1日当たり30分以上の運動を入れて一万歩)を継続してやろう!⇒最低でも毎日30分以上のウオーキングを実施した。(結果:Good)
10)その他として、①海外(アメリカ東部)・国内旅行。 ②本を読むこと、目標:最低月当たり1冊以上。 ③NHK大河ドラマ「龍馬伝」を通じて坂本龍馬をみつめ、ゆかりの地も訪れてみよう。 また、幕末に活動した人物も合わせて勉強しよう。⇒①5月25日~6月1日にアメリカ東部旅行をした。国内は札幌や広島の宮島などに行った。②③最低1冊の購読や坂本龍馬のゆかりの地の訪れ、幕末に活動した人物も合わせての勉強はあまりできなかった。(結果:①はGood、②③はBad)

田舎(滋賀県日野)へ

大晦日の朝、田舎(日野)の自宅・墓の掃除もあって、田舎に出かけた。寒波襲来で国道307号線の信楽に入った途端に猛吹雪で道路上に雪が積もりだし、このままでは日野へは行けないと思い、途中のコンビニでタイヤチエンをつけた。走るに従って道路の雪も少し融けてきたのでチエンを外してゆっくりと走行し、雪が降る中何とかたどり着いた。8時半前に出発して到着は12時前で3時間半かかった。
目的の墓の掃除も雪が積もり(約7cm)できず、大根・白菜・水菜を取って13時頃出発。307号線を通って帰るには峠越えがあり通行が難しいと思い、国道1号線であれば何とかいけると思いそうした。名神の入口の栗東まで来ると栗東インターから京都南インターまでが雪で通行止め、京滋バイパスも通行止めになっていた。そのため栗東インターから下りる車で激しい渋滞に巻き込まれ、ほとんど動かない状態が続き、草津南笠(南草津付近)まで来たのはよいが、すでに午後5時で暗くなりつつあり4時間が過ぎていた。このままではいつ頃に帰れるか分からないので、思案し仕方なく日野に戻ることにした。
のぼり(戻る)方面は案外空いていたので、途中買い物をして午後6時半過ぎに着き泊まった。このようなことは、今までになかった。もしあのまま帰っていたら到着は真夜中か、朝方になっていたのではないだろうか?

2010年12月30日木曜日

映画「武士の家計簿」鑑賞

4日から公開されている「武士の家計簿」を鑑賞。朝日新聞24日付に映画ファンが、今年観た映画のベスト10が掲載されていた。①「十三人の刺客」、②「武士の家計簿」、③「悪人」、④「おとうと」、⑤「告白」・・・・・で、①③④は観たが②は観ていなかったので急きょ観に出かけた。
古文書から幕末の武士の暮らしを読み解いた磯田道史による教養書「武士の家計簿 『加賀藩御算用者』の幕末維新」を、森田芳光監督&堺雅人主演で映画化。激動の幕末を、剣ではなくそろばんで生き抜いた家族の絆を描いた実際の物語。
御算用者(経理係)として加賀藩に代々仕えてきた猪山家の八代目・直之。しかし当時の武家社会には身分が高くなるにつれて出費が増えるという慣習があり、猪山家の家計もいつしか窮地に追い込まれてしまう。一家の借金が膨らんでいることに気づくと、家財道具を売り払って返済、詳細な家計簿をつけ始める。彼は自分で返済方法を考え、自分で計画を立て、着々と家計建て直しを実行する。その一つには猪山直之が息子の着袴の祝いに親戚一同を招いた時、祝い膳にのせる塩焼き用の鯛が買えず鯛の絵で代用する。激動の幕末を、剣ではなくそろばんで生き抜く猪山家の団結と家族の絆を描いていた。
この映画を観て、祝い膳にのせる塩焼き用の鯛が買えず鯛の絵で代用で、親戚たちがあ然とする笑えるシーンもあり、同時に人になんと思われても、一度決めたことは曲げない直之の性格がうまくでていてよかった。また、妻のお駒(仲間由紀恵)も直之の考えにしたがい尽くす演技もよかった。先行き不透明な時代を生きる我々の指針の一つかもしれない。

2010年12月25日土曜日

「楽しいおもちゃ作り教室」開催

 今年最後(6回目)のきららマナビスト講座「楽しいおもちゃづくり教室」(枚方市生涯学習課主催の講座)を開催。
今回はビニールシート、竹ひご、たこ糸を使ってオリジナルの凧作りをした。
参加は幼稚園児、小学1年生などの子供17名+父兄10名、「SAひらかた」のメンバーは10名が参加、凧の作り方指導・支援をして、一緒に凧をあげて楽しんだ。
寒波襲来で非常に寒く風も強かったが、作った凧はどれもこれもよくあがって、子供達はキャキャート歓声をあげていた。
次回は、3月26日(土)に「動くコトコトカメさん」を予定している。
上の写真は凧作りの様子。下の写真は凧をあげて遊ぶ子供達。

2010年12月22日水曜日

映画「最後の忠臣蔵」鑑賞

池宮彰一郎の同名小説をテレビドラマ「北の国から」の杉田成道が映像化した時代劇。“忠臣蔵”として有名な赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件で生き残っていた男2人の物語を追う。事件前夜に逃亡した瀬尾孫左衛門に役所広司、大石内蔵助(片岡仁左衛門)よりとある命を受けた寺坂吉右衛門役に佐藤浩市。男たちに課せられた宿命を生々しく映し出すものである。
あらすじは、赤穂浪士が吉良邸へ討ち入りした事件から16年。そのなかのひとり吉右衛門は、大石内蔵助より真実を後世に伝え、浪士の遺族を援助するという大役を与えられ生き残っていた。最後の遺族を捜し当て京都に向かったある日、彼は討ち入り前日に逃げた孫左衛門と再会。吉右衛門は、孫左衛門にもある密命が与えられていたことを初めて知る。それは、討ち入りの前日、京都の可留という妾と妊娠している子供(可音)を守ってほしいという命令だった。可留は出産してすぐ亡くなり、赤子の可音を抱いて隠れ家に住み育てる。可音(若手清純派女優17歳の桜庭ななみ)も16才となり人形淨瑠璃を観に行って豪商「茶屋」の息子(山本耕史)と大旦那に見初められ嫁がせる。孫左衛門は死ぬことを許されず、ようやく内蔵助の命令、可留との約束を果たし、可音が嫁いだ日に位牌の前で使命を果たしたことを報告し、割腹して果てる。
この「最後の忠臣蔵」を観て、自分の役目を成し遂げるのに16年の歳月をかけ、大抵の人が求める金欲や性欲、楽しみや幸せは無縁のところに自分を置き、ただ大石内蔵助の命令を遂行するためだけに身分を隠し、ほそぼそと粛々と役目を果たす姿は志高く、意思が強く、忠誠心に満ちているものだった。歳のせいではないが、この生き方に感動し、つい泣けてしまった。佐藤浩一と役所公司の演技も素晴らしいものだった。また、可音を演じた若手清純派女優桜庭ななみもよかった。

2010年12月19日日曜日

「ひろしま第九」2010へ

 18~19日、RCC(中国放送・中国新聞主催)の第26回「ひろしま第九」2010があり参加。
19日、チサンホテルを8時半前に出発して、会場へ9時半過ぎに到着。10時から席の調整、発声練習、第1部のゲネプロは11時半、第2部は12時10分から行われた。本番の1部は15時、2部は16時10分からだった。今回の合唱団は北海道や九州宮崎を含む18都府県と海外から6~87才の過去最高の1508人だった。場内もほぼ満席(約3500人)の状態で盛大なコンサートだった。今回、過去最高の参加者(合唱団)で客席がほぼ満席だったのは、人気歌手佐藤しのぶさんの出演が大きかったのであろう。
第1部は各ソリストによる独唱、第2部はベートーベンの「交響曲第九」で指揮は円光寺雅彦氏、ソリストはバリトン河野克典・テノール水口聡・アルト坂本朱・ソプラノ佐藤しのぶ氏、オーケーストラーは広島交響楽団だった。いつもの通りであるがベートーベンの交響曲第9番「合唱」のMの部分は、聴衆も総立ちになり(総勢約5000人)高らかに歌い、最後全員で「蛍の光」を歌って終わった。第九も今回で34回目の参加となったが、宮島の観光や第九でそれなりに楽しむことが出来た。
上の写真は市民合唱団が聴衆と一体となって歌声を響かせた「第九ひろしま」の様子。(RCCサイトのニュースの写真)

2010年12月18日土曜日

宮島「厳島神社」へ参拝

 「第九ひろしま」2010に参加のため広島へ。午後2時45分からリハーサルがあるが、それまで時間があるので、日本三景・世界文化遺産の宮島の「厳島神社」へ参拝に行った。
新大阪8時45分発のぞみ3号に乗車→広島着10時05分→山陰本線に乗り換え「宮島口」に10時40分着→徒歩3分で桟橋へJR西日本宮島フェリーに乗船(約10分)→宮島桟橋11時過ぎ着、土産物・食べ物屋のある通りを抜けて厳島神社へ参拝→多宝塔→五重塔、千畳閣→元の宮島桟橋へ戻り13時15分のフェリーで宮島口へ、約2時間の短時間の観光だった。
厳島神社は海を敷地とした大胆で独創的な配置構成、平安時代の寝殿造りの粋を極めた建築美で知られる日本屈指の名社である。廻廊で結ばれた朱塗りの社殿は、潮が満ちてくるとあたかも海に浮かんでいるようで、背後の弥山の緑や瀬戸の海の青とのコントラストはまるで竜宮城を思わせる美しさとのこと。今回、潮が満ちていなかったので、浜辺にある神社という何となくあっけない感じだった。神社内では潮の香りがただよっていたが、潮が満ちているとよかったのにと残念。
そのあと、広島電鉄に乗車して商工センター前から第九コンサートのある「広島サンプラザ」へ。 発声練習、第4楽章のリハーサルがあり16時過ぎに終了。JR新井口駅から広島駅、広電に乗車し「銀山」(八丁堀の手前)で下車、チサンホテルへ。そのあと徒歩で平和大通りでの「ひろしまイルミネーション2010」を観て写真を撮った。
上の写真は「厳島神社」の参拝入口、下の写真は「ひろしまイルミネーション2010」の「ピース城と平和の鐘」のイルミネーション。

2010年12月17日金曜日

夢ROBOの展示イベント

上海万博の日本産業館で壁をよじ登るロボットとして人気を集めた「夢ROBO」3体が、サンタクロースに扮して大阪市中央区の「京阪ビルディング」(京阪電気鉄道天満橋駅)西側の壁面(大川側)を登り下りするイベントが10日から始まった。
夢ROBOは高さ約1・4メートルの人型で、赤い衣装を着て高さ約10メートルのはしごを登り下りし、クリスマス気分を盛り上げた。
サンタ姿の夢ROBOが登り下りするのは今月25日ごろまでで、それ以降は別の衣装に替わり、1月16日まで展示される。
夢ROBOは関西の中小企業15社が共同開発した。休みなくがむしゃらに動く姿が万博で話題となった。
みているとなかなかユーモアがあり面白いROBOだ。

2010年12月11日土曜日

「大阪コンソール」第4回リサイタルへ

先輩ご夫妻が所属している合唱団「大阪コンソート」の第4回リサイタル『メサイア』(バーンスタイン提唱により2部構成のメサイア)が「いずみホール」であり聴きに出かけた。
この『メサイア』は音楽監督・指揮者の富岡健氏、ソリストは松田昌恵・田中友輝子・小餅谷哲男・井上敏典氏、ハーモニアス室内管弦楽団、オルガン片桐聖子氏、合唱団は61名(男子21名、女子40名)のもと120分に及ぶ大作を歌い上げられた。ホールは満席で、素晴らしい歌声のもと大盛況に終わった。この大作『メサイア』の練習は、多分2年以上もかかり大変だったのではないだろうか。団員の方々は飽きることなく練習に練習を重ねられた結果だと思う。次のコンサートを期待したい。
合唱団「大阪コンソート」は、毎日放送主催の「一万人の第九」富岡クラスの有志によって富岡健氏の呼びかけのもと1999年に発足。その発足経過からもわかるように、初めて合唱を人生の中に迎え入れたメンバーが合唱経験者よりも多いのが特徴で、誇りはこつこつと真摯に作品と向かいあうことによって、高いレベルの合唱音楽を楽しめるようになること。今までオーケストラとともに、モーツアルトやバッハの作品を演奏したが、メンバー一人一人がこれまで受身でしか楽しめなかった偉大な作曲家の作品を、自らの声で歌いあげることによって、豊かな芸術に触れる歓びを享受している。(合唱団「大阪コンソート」のサイトから抜粋)

2010年12月6日月曜日

「サントリー1万年の第九」へ

第28回「サントリー1万年の第九」演奏会に参加(10回目)。演奏会の概要は、まずオープニングとして日本サッカー応援ソング「THE JAPANESE SOCCER ANTHEM~日本サッカーの歌~」(1994年に坂本龍一が書き下ろしたもの。)を淀川工科高校吹奏楽部によって吹奏されホールに響き渡った。
1ST STAGEはゲストに平原綾香を迎え、まず『Jupiter』(指揮:佐渡裕氏・演奏:淀川工科高校吹奏楽部、スーパーキッズ・オーケストラ、合唱:1万人の第九合唱団)、『威風堂々』、『LOVE STORYベートーヴェン交響曲第9番 第3楽章』(「世界一、美しいメロディ」と呼ばれる第3楽章に、平原綾香がベートーヴェンと対話を繰り返しながら詩を綴ったもの)、『JOYFUL JOYFUL』(平原綾香が高校時代の学園祭ミュージカル「天使にラプソングを2」でこの曲を歌い音楽プロジューサーに見初められデビューに至ったもの)。
2ST STAGEは、もちろん『交響曲第9番』(指揮:佐渡裕氏、ソリスト:安藤赴美子・手嶋眞佐子・吉田浩之・キュウウォンハン氏)、最後に「蛍の光」を全員で合唱し、すべて終わった。
今回も座席は舞台アリーナ左7列25番だった。大阪3クラスになってから7年間アリーナでるが、なぜか最前列にならないのが不思議だ。
第九を歌って11年、33回目の参加で、あと19日の「ひろしま第九2010」を残すのみとなった。
写真は「高松(かがわ)の第九」・「なにわ第九うとたろ会」の参加メンバーと、大阪城ホール前での記念写真(第九演奏会前)。

2010年12月2日木曜日

「ウフィツィ美術館自画像コレクション」鑑賞

大阪中之島の国立国際美術館で11月27日から開催されている「ウフィツィ美術館自画像コレクション」(巨匠たちの「秘めた素顔」1664~2010年)に出かけた。あまり自画像などは観ないのであるが、今回「朝日友の会」(アサヒメイト)の会員は無料であるので、それにつられて観に出かけた。(観覧料は当日、大人1400円)
イタリア・フィレンツェを代表するウフィツィ美術館には、ルネサンス絵画の宝庫として有名であるが、一方で1700点を超える画家や彫刻家の自画像が所蔵されていることはあまり知られていない。これらの膨大なコレクションは、アルノ川をはさんで対岸にあるピッティ宮殿と美術館をつなぐ空中通路「ヴァザーリの回廊」(ヴェッキオ橋の上の建物がヴァザーリの回廊)などに保管され、通常は一般公開されていない。今回は約70点を厳選・展覧し、形成期から現代までの350年におよぶ流れを概観するものである。
ヴァザーリの回廊とは、イタリア・フェレンツェの支配者であったメディチ家の自宅(現ピッティ宮殿)と執政所(現ウフィツィ美術館)を結び、一族だけが市内を安全に通行できるように造られた空中回廊。1565年、当時の当主コジモ1世が建設を命じ、画家であり、建築家でもあるジュルジュ・ヴァザーリが設計したもの。その長さは1kmにも及び、回廊内部はルネサンス期の偉人達を含む肖像画が数多く並んでいる。回廊の窓からはフィレンツェ市内を見下ろすことができ、サンタ・フェリチタ教会ではメディチ家専用バルコニーも設けられている。 (パンフレットから抜粋)
写真の看板の左側がピッティ宮殿からみたアルノ川にかかるヴェッキオ橋の上の「ヴァザーリの回廊」、右が展示された自画像の一部。

2010年11月30日火曜日

箕面の「勝尾寺」へ参拝

一度参拝したいと思っていた箕面の西国第23番札所で勝運の寺「勝尾寺」へ参拝と紅葉の写真を撮るため出かけた。
このお寺は関西でも有数の紅葉の名所と言われ、先日もNHKが紅葉の実況中継をしていた。紅葉の写真を撮影するには、1週間程遅かったが、遠方からの紅葉の景色は素晴らしかった。来年はもっと早い時期に参拝したいと思う。
勝尾寺の由来は、古流記によれば創建は神亀4年(727年)、善仲、善算の双子兄弟が草庵を構え修業されたことに始まるという。それ以来幾多の歴史を得て今日に至っている。勝尾寺は、千数百年の昔より山自体の持つ霊力によって無類の聖地として崇拝されてきた。弥勒信仰、観音信仰はもちろんの事、役行者慕う修験道、阿弥陀信仰、薬師信仰、聖天信仰行者ら、多くの人々がこの山で己の精神と対峙し、日夜修行を積んできた歴史がある。当山仏法の祈願力には時の朝廷の権力も及ばなかった事から、王に勝つ寺「勝王寺」と清和帝が号した。依って源氏・足利氏等各時代の覇者達が当山に勝ち運を祈り、以来人生全てに「勝つ」として勝ち運信仰の歴史をたどっている。試験・病気・選挙・スポーツ・芸事・商売等あらゆる勝負の勝ち運、成功、いわゆるサクセスの願い事に勝尾寺の「勝ダルマ」を授かり己に勝って勝運をつかんだ人々の数は、計り知れない。厄除開運・身体健全・交通安全・試験合格・無事成長など、様々なご祈祷を受けることが出来る。(詳しくは「勝尾寺」のサイトを!)

2010年11月29日月曜日

「彦機会」フォト同好会を開催

第4回「彦機会」のフォト同好会を開催。今回は「永観堂・南禅寺周辺の紅葉撮影&写真展鑑賞会」として行う。
行程は10時に京都駅中央改札口に集合⇒市バスで「永観堂・南禅寺口」で下車⇒「永観堂」で約1時間撮影(~12時頃)⇒南禅寺周辺を撮影⇒三門の上からの撮影⇒仁王門通りの「豆狸」で昼食(~13:40)⇒徒歩にて知恩院・円山公園・八坂神社の紅葉を撮影⇒ぎゃらりい西利・京都祇園にてフォト禅写真展「四季有情」を鑑賞⇒ぎゃらりい西利・京都祇園の2階で休憩・歓談⇒解散(15時半頃)
「永観堂」では、全体的に紅葉の写真には少し遅い状態で、かつ多くの観光客で撮影にはもう一つだった。中には今が一番美しい赤色のもみじもあり楽しむことも出来た。
「フォト禅」は、京都の風景写真家として活躍されていた故山本建三氏 が創設された写真クラブ。自然愛好の精神に基づき、撮影技術の向上ならびに会員相互の親睦を図り、写真を通じて人間形成の推進を期することを目的として発足、現在に至っている。この間、毎月1回約40名の会員が作品を持ち寄り、研究例会を開いている。また、毎月1回京都近郊を中心に撮影会を行ない、さらに年に1、2回は遠く信州方面等にも足をのばしてお互いの研鑚に努力している。これらの作品は、大阪、京都等のギャラリーにおいて「四季有情」と題して展覧会を毎年開催するとともに、JR丹波口駅(JR山陰線、京都市内)に会員が常設展示発表している。(「フォト禅」のプロフィールから) 今回は37点の写真が展示され、すべて素晴らしい風景作品であった。
今回の参加者は4名と少なかったが、楽しく紅葉の写真撮影が出来たことはよかった。また、フォト禅の「四季有情」の一味違う素晴らしい写真を鑑賞できたことも勉強になりよかった。
上の写真は「永観堂」の入口、下の写真はぎゃらりい西利・京都祇園(4F)での「フォト禅」の展示場で。

2010年11月23日火曜日

「舞妓はんの撮影会」へ

全日写連関西本部の秋の撮影会(祇園の舞妓はん撮影会)が宇治の黄檗山・萬福寺であり参加。モデルとして祇園の舞妓はん8人、参加者は募集定員200人に対して約300人と非常に多かった。
12時45分よりセレモニーがあり、13時から萬福寺の境内で舞妓はん1人に対して指導員2~3人(関西本部の役員等)がつき、8箇所に分かれて撮影がスタートした。13時50分に20分間の休憩があり、後半も同じように行われ15時10分に終わった。
8人の舞妓はんの写真を連写で撮りまくったが、これといった作品になるようなものは撮れなかった。綺麗な祇園の舞妓はんを沢山撮れたので満足した。写真は撮影会が終わって境内の「天王殿」前に勢揃いした綺麗な舞妓はん。
黄檗山萬福寺は、1661年に中国僧隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師によって開創された。禅師は中国明朝時代の臨済宗を代表する僧で、中国福建省福州府福清県にある黄檗山萬福寺の住職をされていた。その当時、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝された。宇治の地でお寺を開くにあたり、隠元和尚は寺名を中国の自坊と同じ「黄檗山萬福寺」と名付けた。その後、幕府の政策等により、宗派を黄檗宗と改宗し現在に至る。(公式サイトから抜粋) 
京都には古い歴史があるお寺が多いが、この萬福寺はわりかし新しいお寺であることが分かった。

2010年11月19日金曜日

「京都御所」の秋季一般公開へ

恒例の秋の一般公開が始まり、久しぶりに京都御所を見物した。主なルートは、宜秋門(ぎしゅうもん)から入り→御車寄せ→諸大夫の間(正式に参内したものの控室)→新御車寄せ(大正天皇の即位礼に際し、建てらえたもの)→承明門(建礼門)→回廊の外を回って日華門より紫宸殿前へ→清涼殿(平安時代、天皇が日常の生活の場として使用)→小御所・蹴鞠の庭・御学問所→御常御殿(室町時代以降、天皇の日常の生活の場)→御三間→清所門(せいしょもん)から退出。
今回の展示では、京都三大祭りの一つ、葵祭で近衛使らが御車寄で上賀茂神社からの使者を出迎える「進発の儀」や、宮中の調度品などを夏用から冬用に取り換える「更衣」の様子が人形で再現されていた。また、回廊や月華門、日華門、承明門も新しくなりすごく綺麗だった。
今日は、非常に良い天気に恵まれ多くの観光客が訪れていたが、行列するほどでもなく、それなりの混雑状態だった。21日(日)まで一般公開される。
上の写真は承明門から紫宸殿を、下の写真は紫宸殿前の庭「南庭」で、正面の門が承明門。

2010年11月17日水曜日

奈良「興福寺」創建1300年へ

23日まで開催されている奈良「興福寺」1300年(平城遷都とともに藤原不比等によって創建された)の国宝特別公開2010、五重塔初層・東金堂後堂を観に行った。
五重塔(国宝)は天平2年(730年)、光明皇后の発願で創建された。現存の塔は応永33年(1426年)頃の再建で、高さ50.8mで、木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で2番目に高い。初層の四方には、創建当初の伝統を受け継ぐ薬師三尊像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒三尊像が安置されている。 東金堂(国宝)は神亀3年(726年)、聖武天皇が伯母にあたる元正太上天皇の病気平癒を祈願し、薬師三尊を安置する堂として創建した。治承4年(1180年)の兵火による焼失後、文治3年(1187年)、興福寺の僧兵は飛鳥の山田寺(現・奈良県桜井市)講堂本尊の薬師三尊像を強奪してきて、東金堂本尊に据えた。東金堂はその後応永18年(1411年)に五重塔とともに焼け、現在の建物は応永22年(1415年)の再建の室町時代の建築である。様式は唐招提寺金堂を参考にした天平様式。他に国宝の四天王立像、十二神将立像などが、後堂には、東金堂創建当初からの正了知大将像(しょうりょうちたいしょうぞう)が安置されている。 国宝館は旧・食堂(じきどう)の跡地に建てられた文化財収蔵・展示施設で、1959年に完成した鉄筋コンクリート造り。乾漆八部衆立像(国宝)の中で有名な三面六臂(手が6本)阿修羅像、乾漆十大弟子立像(国宝)、木造金剛力士立像(国宝)、木造天燈鬼・龍燈鬼立像(国宝)、木造千手観音立像(国宝)、板彫十二神将像(国宝)など多くの国宝・重要文化財が安置されている。(公式サイトから抜粋)
今回の国宝特別公開2010では、五重塔の初層と東金堂後堂が開扉され、踊大将と知られる正了知大将像が、50年ぶりに東金堂後堂に戻って公開された。また、国宝館では多くの国宝、重要文化財が置かれ、有名な阿修羅像や木造千手観音立像を観ることが出来たのは大変良かった。今まであまり仏像に興味がなかったが、このような国宝の像を観ることで興味も湧いてきた。

2010年11月14日日曜日

「水道記念館」を見学

十三の親戚に行っての帰りに柴島浄水場の「水道記念館」を見学した。
この「水道記念館」は、1914年(大正3年)から昭和61年まで大阪市の主力ポンプ場として活躍した「旧第1配水ポンプ場」を保存活用するため1995年(平成7年)に開館。この建物は宗兵蔵氏の設計によるネオ・ルネサンス様式の赤煉瓦と御影石との調和が美しい景観を創りだしているもので、1999年(平成11年)には現存する明治・大正建築として国の有形文化財として登録されている。
この記念館では、琵琶湖・淀川水系の淡水魚の展示、水道100年の歴史、暮らしと水道のかかわりなどについてわかりやすく紹介されていた。また、子ども達のゲームコーナー(漏水発見ゲーム、配水ゲームなど)もあり、家族で訪れても楽しめるところ。入場料は無料。
上の写真は国の有形文化財として登録されている「水道記念館」の外観、下の写真は館内の「水の広場」。

2010年11月12日金曜日

「M37ミニクラス会」へ

 昭和37年に卒業した機械科のミニクラス会を彦根市で開催、7名が参加した。 彦根市駅に11時集合、そのあと1部として錦町の料理屋「伊勢幾」で昼食懇談会。
参加者の日々の過ごし方や健康・家族状態などの話、2012年に卒業50周年を迎える50周年記念クラス会の話し合い、他の同級生(クラス員)の動向などもろもろの話で、久しぶりの再会で盛り上がった。
第2部として滋賀県立大学「湖風会」事務局の案内で、キャンパス内の見学をした。キャンパス内の見学は3回目で、1回目は平成10年の「キャンパス見学&テニスの集い」の時、2回目は4年前の「湖風会設立総会」の時だった。
見学後は、12日~14日まで開催している「湖風祭」を見物し、焼き鳥やゆでゴマ団子などを食べて、学生達と交流した。
この県立大学がここ彦根市八坂町に新設されて16年になるが、「環境科学部」「工学部」「人間文化部」「人間看護学部」の4学部があり、広大な敷地に我々の時代とは比較にならない素晴らしい環境が整い、今の学生は幸せだなあ~と思う。
写真はキャンパス見学後にシンボルタワーを背にしての記念写真。

2010年11月10日水曜日

パソコンミニ体験講座

枚方市の生涯学習情報プラザで、超初心者を対象にパソコンミニ体験をスタートして、早や5年が経過した。目的はパソコンに触れたことのない市民を対象に、パソコンに慣れてもらい使える切っ掛けにしてもらうためで、この5年間で多くの市民の人が受講した。現在では年賀状、新聞、チラシ、住所録などを作成されて頑張っている人が多い。当然、受講料は無料である。
この講座は、毎週金・土曜日は入門編、月・水曜日はWord編、木曜日はExcel、火曜日はインターネット編を午前10時~12時の2時間、内容は同じで行っている。各講座とも定員(10名)の出席があり、市民の皆さんから大変好評を得ている。
本日はWordの講義で、30歳代から70歳代の10名(男性1名、女性9名)の出席があり、内容はWordの起動→初期画面の説明→「町内ハイキングのお知らせ」の文書作成の仕方の説明→受講者にこの文書を入力(約20分)→文書の編集→印刷→FDに保存→FDから開く方法→FD保存のファイルの削除方法である。 昨日はインターネットの講習を行った。最近は担当者の交代などで講師を担当することが多くなった。
現在、新たに2つの講座を計画中、「デジカメ写真の取り込みと簡単編集」「ハガキ作成」で、来年早々に開く予定でテキストを作成中。 写真はWord編の講習でWord2003・2007・2010の初期画面について説明中。

2010年11月7日日曜日

玉ねぎの植え付け

サツマイモの跡地を耕し畝にして、ヤンマー産業の「畑の大将」の粉末をまき、その上に有機肥料+鶏ふんをそれぞれ半分混ぜたものを畝の土とかるく混ぜて「玉ねぎ」の苗を植えた。
赤い玉ねぎ120本、早生の玉ねぎ50本、長期保管可能の白い玉ねぎ50本の計220本、昨年と同じ本数。
植えたあとは、追肥する1カ月前(1月頃)に大型のゴミバケツに水を入れ、そこに油粕と鶏ふんを入れて置いておく。それを2月頃に玉ねぎ2~3本当たり杓子1杯程度の追肥をする予定。このやり方で今年の玉ねぎも豊作だった。

2010年11月5日金曜日

船橋小学校2年生とおもちゃ作り

枚方市立船橋小学校へ「おもちゃ作り」に出かけた。毎年11月に2年生の「生活科」授業(2時限間)に「おもちゃ作り」を行っている。
今回も牛乳パックを使った4枚羽の風車、同じく牛乳パックを使った2枚羽のトンボ作りをSAひらかたのメンバー(15名)と一緒に作った。
2年生は3クラス(1クラス30~32名)で、SAメンバーが各クラスに5名が担当し、2つのおもちゃ作りを実施。
今回も教室だったので、ゆっくりと出来た。子ども達は、廊下や運動場に出て4枚羽の風車を走って回したり、トンボを飛ばしたりしてワイワイと言いながら皆と一緒に遊んでいた。
最後、子ども達から「楽しかった」と大変喜んでくれたので、メンバーもやり甲斐もあり大変よかったようだ。
上の写真は2枚羽のトンボ作りの教室風景。下の写真は牛乳パックの4枚羽の風車。

2010年11月4日木曜日

「平城遷都1300祭」へ

 4月24日から始まった『平城遷都1300年祭』もあと3日(11月7日(日))で終わる。もう今日しか行けないので日程を変更して出かけた。
まず、平城京なりきり体験館で、平城京で働いていた貴族が着ていた天平衣装の体験をした。男性の衣装は、帽子の頭巾(ときん)、白袴(しろきはかま)、衣「大袖」を着ての「文官」スタイル。頭巾の後ろの纓(えい)が短い奈良時代中期ごろまでの服装。右手に白い木笏(もくしゃく)、左手に太刀を持ち、靴は自前の運動靴であったが、写真を見ると分からずちゃんとした「文官」スタイルになっていた。左手に太刀を持っていることが分からないのが残念。(持参のデジカメの写真)
当時の平城京を背景に記念写真を撮って1枚の写真がもらえて、持参したデジカメでも写真を撮ってくれるものだった。着替えを入れて約20分、料金は500円だった。
その後、遺構展示館、平城宮跡資料館を見物し、改めて平城京の歴史を学んだ。

2010年11月2日火曜日

「カポディモンテ美術館展」へ

 
京都文化博物館で開催されている「カポディモンテ美術館展」(10月9日~12月5日)へ出かけた。
これはイタリアを代表する美術館のひとつであるナポリ・カポディモンテ美術館の名品をルネサンスからバロックまでのイタリア美術が展示されたもの。展示されている作品は主に、ファルネーゼ家が蒐集したルネサンスおよびバロック美術の作品と、ブルボン家が蒐集したナポリ・バロック美術の作品。パルミジャニーノ『貴婦人の肖像(アンテア)』、ティツィアーノ『マグダラのマリア』、グイド・レーニ『アタランテとヒッポメネス』、ジェンティレスキ『ユディトとホロフェルネス』といった至極の名品を含む80点。ルネサンスからバロックまでのイタリアを代表する貴族のひとつであるファルネーゼ家は、過去の美術作品を蒐集すると同時に、同時代の芸術家にも積極的に作品を注文し、この時代の美術の牽引役を果たした。相続によってファルネーゼ家の膨大な財産を受け継いだブルボン家は、自らが統治したナポリの美術を蒐集した。つまり本展は、芸術の庇護者であった大貴族がどのような鑑識眼で美術品を蒐集し、そして宮殿に飾ったのか、あるいはイタリアの大美術館がどのようにして出来上がったのかということも垣間見ることができる構成となっている。(公式サイトから抜粋)
今回の目玉の1つは、パルミジャニーノの『貴婦人の肖像(アンテア)』(1535-1537年)で、謎の美女と言われ(写真)、高級娼婦か貴族かと謎に包まれているものである。深みのある独特の緑色をバックに光沢感のある衣服を纏ったアンテアは、想像以上に美しく描かれていて一目観ただけで魅了された。細部まで丁寧に描かれていてとても印象的な絵画だった。それ以外のグイド・レーニの『アタランテとヒッポメネス』、ジェンティレスキの『ユディトとホロフェルネス』の絵画も見応えがあって大変よかった。 下の写真は旧京都文化博物館で、裏側に新館(写真右)があり、その3・4Fで展示されていた。

2010年10月31日日曜日

枚方フィル「定期演奏会」へ

枚方フィルハーモニー管弦楽団の第72回定期演奏会が枚方市民会館大ホールで行われたので聴きに出かけた。無料でほぼ満席で盛況だった。
演奏されたのは、前半はモーツアルト作曲歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲、ビゼー作曲「カルメン」第1組曲、第2組曲から抜粋。15分休憩後チャイコフスキー作曲「交響曲第4番へ短調作品36」だった。久しぶりのモーツアルト、チャイコフスキー作曲を聴くことが出来て大変よかった。
この管弦楽団は、1954年(昭和29年)4人の若者が発起人となって枚方室内楽団を創設、団の充実に伴い枚方室内管弦楽団と改称し、現在の「枚方フィルハーモニー管弦楽団」に至った。団員は枚方市及び周辺都市にすむさまざまな年齢、職業の人で構成され、毎週1回の合奏を通じて音楽を楽しみ、団員相互の親睦を深めながら演奏技術の向上を図っている。活動は年2回の定期演奏会を中心に市の行事への参加、学校・幼稚園等への訪問演奏等も実施している。(公式サイトから抜粋) 写真はチャイコフスキー作曲「交響曲第4番へ短調作品36」を演奏の模様。

2010年10月25日月曜日

映画「桜田門外ノ変」鑑賞

10月16日に公開された映画「桜田門外ノ変」を鑑賞。監督は佐藤純彌氏、原作は吉村昭氏。日本史で有名な事件「桜田門外の変」にスポットを当てた映画。
あらすじは、安政7年(1860年)2月18日早暁、水戸藩士・関鉄之介(大沢たかお)は、妻・ふさ(長谷川京子)と息子の誠一郎(加藤清史郎)に別れを告げ、故郷から出奔した。同年1月、鉄之介は水戸藩の有志たちと徳川幕府の大老・井伊直弼(伊武雅刀)を討つ盟約を結び、これを実行するため江戸へと向かったのである。大老襲撃は3月3日に決まり、鉄之介を始めとする水戸脱藩士17名と、薩摩藩士・有村次左衛門(坂東巳之助)を加えた襲撃実行部隊18名が集結。そこで計画の立案者で水戸藩尊王攘夷派の指導者・金子孫二郎(柄本明)から、鉄之介は部隊の指揮を執るよう言い渡される。襲撃当日、品川愛宕山へと集結した鉄之介たちは襲撃地点である桜田門へと向かい、襲撃者の一人が大老の行列に直訴状を差し出す振りをして、行列に斬りかかる。同時に仲間が発砲した短銃の発射音を合図に、斬り合いが始まり、やがて有村が大老の駕篭へ到達、井伊の首を刎ねた。襲撃隊は稲田重蔵(田中要次)が闘死、4人が自刃、8人が自首。その成功を見届けた鉄之介は、京都へと向かう。計画では大老襲撃は序曲に過ぎず、同時に薩摩藩が挙兵をして京都を制圧、朝廷を幕府から守るはずであった。だが薩摩藩内で挙兵慎重論が持ち上がり、計画は瓦解する。幕府側からは勿論、かつての同胞・水戸藩士からも追われる立場となった鉄之介は、転々と逃亡するが・・・・・ついに2年後に捕えられ打ち首となる。
この映画は、襲撃側の現場指揮者である関鉄之介を主人公に物語は語られたもの。メインである”桜田門外の変”の襲撃シーンは前半に早々に訪れ、井伊直弼は登場した途端に殺されてしまい、あれもう終わりかと思うほどだった。このメインの襲撃シーンは雪が舞う中でのすごい迫力のあるもので見応えがあった。その後は、この変に加わった仲間、主人公関鉄之介の逃亡に焦点をあてたもので、改めて事件「桜田門外の変」のことがよく分かった。

2010年10月24日日曜日

「咲くやこの花対談」へ

22日~24日、中之島の大阪市中央公会堂で「咲くやこの花芸術祭」2010が開催された。
この中で、24日14:00~15:00「咲くやこの花対談(万城目 学(作家)旭堂南左衛門(漫談)氏の対談)」(テーマ「プリンセス・トヨトミ」と「難波戦記」の秘密)があり、興味があり聞きに出かけた。
万城目学氏(34才)は、大阪出身で京大法学部卒の作家、「プリンセス・トヨトミ」の著者。旭堂南左衛門氏は漫談師として活躍、対談ではほとんど聞き役だった。
今回映画化される「プリンセス・トヨトミ」の裏話などが詳しく聞けるのかと少し期待したが、書籍や映画に影響か?あまり聞けなかったのが残念。
情報として、この「プリンセス・トヨトミ」の撮影が最近終わり、これから2時間程度に編集され、来年5月末に一般公開されるとの話を聞けたのはよかった。 この映画は猛暑の中、エキストラとして参加した思い出のあるもので、大変楽しみだ。写真は対談中の二人、向かって左が万城目 学氏。

2010年10月22日金曜日

京都三大祭りの「時代祭」へ

京都三大祭の一つ「時代祭」の写真を撮りに京都御苑に出かけた。
この時代祭は、1895年(明治28年)平安遷都1100年を記念して平安神宮が創建された。その時、平安神宮の大祭、建造物、神苑の保存のため、市民により平安講社が組織され、記念事業として始まった。祭が行われる10月22日は、桓武天皇が794年(延暦13)に長岡京から平安京に都を移された日。この祭の特色は、神幸祭、行在所祭、還幸祭の神儀のほか、時代風俗行列が行われることである。明治維新から延暦時代へさかのぼって、順次風俗、文物の変遷を再現する。現在は20列、2000人に達し行列の長さは2キロに及ぶ。山国勤王隊を先頭に、正午、京都御所建礼門前を出発、烏丸通、御池通、河原町通、三条通から平安神宮まで4.5キロ間に一大時代絵巻を展開するもの。平成19年より「室町幕府執政列」と「室町洛中風俗列」が室町時代列として新たに行列に加わった。(サイトから抜粋)
京都御苑に10時半前に着いたが、写真を撮るベストポジションはすでに場所が取られていた。もう1時間前に行かないとダメと思う。仕方なく昨年と同じところの堺町御門の近くに陣取って撮った。今回で3回目の見物、一大時代絵巻を十分見ることが出来てよかった。

2010年10月19日火曜日

「サツマイモ」の初収穫

もう1週間~10日ほど早いかもしれないが、1区画のみサツマイモを掘り起こした。普通ツルを引っ張るとサツマイモが数本ついてくる畑がよいのであるが、当方の畑は小石が多く、また土が固いこともあって、ツルを引っ張ると茎のところで切れてしまうのがほとんどだ。サツマイモの畑には向いていない。小石を除去して新たな土を入れなおすとよい畑になるのだが・・・・・。
サツマイモを作り続けて10年近くになるが、最初の2~3年はよくとれていたが、その後はもう一つ。今年は「畑の大将」を使ったので期待したが、昨年よりは少しましの方だった。
残り2区画あるが、今月28日頃に掘り起こして、そのあとに玉ねぎを植える見込み。毎年のパターンだ。
上の写真はとれたサツマイモの一部。下の写真は、手前に赤ジャガイモと続けて9月12日に種まきした大根畑、右は28日頃に掘り起こすサツマイモ畑。


2010年10月16日土曜日

「楽しいおもちゃづくり教室」開催

今年5回目のきららマナビスト講座「楽しいおもちゃづくり教室」を開催。
15cmの紙皿2枚、厚紙、画用紙、結束バンドなどによる「メリーゴーランド」づくりだ。
いつも定員オーバーの申し込みがあり、今回も多くの参加申し込みと思っていたが、以外に少なく子供6名+父兄4名であった。途中で飛び込みがあり、参加者は子供9名、父兄5名だった。
「SAひらかた」のメンバー10名が参加、作り方の指導・支援をし一緒に楽しんだ。
上の写真は指導者によるつくり方の説明、下の写真は出来上がった3人の「メリーゴーランド」。上から息を吹くとくるくると回る。

次回は、12月25日(土)に恒例の「タコづくり」(ビニールタコ)を予定している。

2010年10月15日金曜日

第9回「秋のつどい」2010へ

NALC「天の川クラブ」恒例の第9回「秋のつどい」2010が交野市「星の里いわふね」で220名の参加のもと開催された。いつものように広報担当で写真・ビデオ撮影をした。(今年で7年)
第一部は11時から開会され食事・懇談でカレーライス・ヤキソバ・焼き鳥・焼肉・おでん・飲み物(ビール・ノンアルコール、ウーロン茶等)等があった。小生なカレーライス・焼き鳥・焼きそば、おでんを食べた。飲み物はビールを紙コップの3分の1程度、ノンアルコール(缶350ml)1本、ウーロン茶1杯
第二部は13時45分からフォーク&トークで中村好宏(枚方拠点会員)・早川 洋治(交野拠点会員)。そのあと西浦達雄ライブ、西浦氏はライブシンガーソングライターとして放送番組のテーマ曲やCMソングを多数制作。87年から朝日放送の全国高校野球中継のエンディング曲を担当し「高校野球バラードのカリスマ」ともいわれる。阪神淡路大震災の時は「歌のボランティア」として避難所を回った。今回の出演も、ナルクのボランティア活動に共感されて実現したもの。
今回、220名と過去最高の参加者、天候も秋晴れに恵まれ楽しい最高の一日を過ごすことが出来たようだ。毎回であるが、写真とビデオ撮影担当で、思うように楽しむことができにくかったことが残念。あと、写真とビデオはCDへ、またNALC「天の川クラブ」のホームページにも掲載する一仕事が残る。

2010年10月14日木曜日

「ひらかた大菊人形」へ

関西の秋の風物詩として長年愛され、2005年に閉幕した菊人形展「ひらかた大菊人形」が、京阪電鉄の開業100周年を記念し、今年限定であるがひらかたパークで開催(10月9日~11月28日)されている。
テーマはNHK大河ドラマ「龍馬伝」で、龍馬の生涯を薩長同盟や寺田屋事件など11の場面に分け、約1万株の菊などを使った人形27体で描くもの。妻のお龍(りょう)や桂小五郎など多彩な登場人物を鑑賞通路近くに展示し、「龍馬になった気分を味わえる」ように工夫されている。
ひらかた大菊人形は1910(明治43)年、京阪電車の大阪・天満橋―京都・五条(現・清水五条)間の開通を記念し、同府寝屋川市で開かれた菊人形展が始まり。44~45年を除いて毎年開催されてきた。ピークの74年には約85万人が来場。しかし、菊人形をつくる職人・菊師の高齢化や後継者不足から、96年間の歴史に幕を下ろしていた。
ひらかたパークでは閉幕後も毎秋、菊師から従業員らが技術を学ぶため、5体ほどの製作、展示を続けてきた。本格的な再開を求める声が多く寄せられたため、京阪電鉄の開業100周年の記念として1年限定での復活が決まった。
数十年振りに菊人形を鑑賞した。人形27体の中で、菊の花が満開に近いものも数体あるが、まだつぼみのものが多く、時期的に少し早いようだった。 
写真上は、「龍馬伝」の入口。写真中はまだつぼみの状態で、向かって左から後藤象二郎・坂本龍馬・中岡慎太郎人形。写真下は満開に近いお龍(りょう)人形。

2010年10月9日土曜日

映画「死刑台のエレベーター」鑑賞

本日、封切の映画「死刑台のエレベーター」を観に行った。1957年に製作されたフランス映画界の名作を初めて日本でリメイクし、傑作ミステリーの「死刑台のエレベーター」が角川映画で公開された。 あらすじは、「もう耐えられない。愛してる。」「僕も愛してる。」「もう離れられない。だからやるのよ。」携帯電話で会話する男女。女は港を見下ろすホテルの一室にいる。男は埠頭に止めたオープンカーの中。大佐と呼ばれる黒人が埠頭に現れ、「魔女からのプレゼントだ」と、男に拳銃の入った箱を渡す。女の名前は、手都芽衣子(てと・めいこ、吉瀬美智子)。大手企業・手都グループを率いる手都会長(津川雅彦)の年若い妻だ。男は、時籐隆彦(阿倍寛)、手都グループ傘下の国際医療ボランティア機構の主任医師。今日の夕方、時籐が手都会長を殺し、2人で逃げる計画だ。「あの人を殺して、私を奪いなさい」という芽衣子の言葉に殺人を犯してまで愛する人と一緒になりたいと、時藤は会長殺害を目論む。そして実行の当日、時藤は手都ビルのオフィスの5階から会長室のある1つ上の6階にロープで登り会長を自殺に見せかけて射殺する。そして、自分の階に下りるが会長室の階に引っ掛けたロープがなかなか外れず予定の15分が過ぎてしまう。自分の秘書にばれないように一旦ビルを後にするが、すぐビルに戻りロープを外しエレベータで降りるが途中、夜のため警備員(笹野高史)によって電源が切られ、その中に閉じ込められてしまう。エレベーターで、あせり、いらだち、恐れ、一夜を過ごす。
約束のカフェで芽衣子は時藤を待つが、時藤が来ないので心配して夜の街をさまよう。その頃若い警察官赤城邦衛(玉山鉄二)はチンピラ達にやられてピストルを奪わる。そのピストルがチンピラの暴力団の親分神健太郎にわたされるのを見つけ、時藤にあこがれる美容師の松本美加代(北川景子)と一緒にビルの前に止めてあった時藤の自動車を盗んで、親分と愛人の乗った車を追いかける。途中、親分・愛人と意気投合し、一緒にホテルに時藤の名で宿泊する。時藤の車に積んであったライカのカメラで記念撮影し、ホテルの写真屋に現像に出す。愛人は昔の恋人だった警察官赤城邦衛に、私のために親分を殺してと挑発する。そして、自分のピストルで親分、そして愛人をも射殺してしまう。恐ろしくなった二人は松本美加代のアパートで睡眠薬を飲み心中を図るが、死にきれなかった。
朝になり、エレベーターが動き出し時藤は外に出るが、ホテルの宿泊者名簿の名前から親分・愛人射殺の容疑がかけられ連行される。警察は自殺だと思い込んではいたが、時藤を殺害の犯人だとして自供を迫る。一方、警察官赤城邦衛は自分たちの殺害の証拠となる写真を取りに写真屋に向かう。あとを追う芽衣子。結局、警察官赤城邦衛は追いついた警察に逮捕され、写真が証拠となり親分・愛人の殺害犯として連行される。そして、そこには芽衣子と時藤の二人の姿も収められており、二人も会長殺害の罪で逮捕されるのだった。
愛と欲望に運命を狂わせ、もがく2人の男女を吉瀬美智子と阿部寛が熱演したよい作品だった。哀愁漂う映像やクールな音楽、スリリングなストーリーが最後まで観る者の心をとらえるものだった。

2010年10月4日月曜日

札幌から帰宅

昨日(3日)の「999人の第九」コンサートも無事終わり、朝帰路についた。朝10時前に札幌ガーランドホテルを出発し、運動のためホテルからJR札幌駅まで約25分歩いた。10時40分発の快速エアーポートで新千歳空港へ、展望台で飛行機の離発着を見たり、お土産品を買ったりして時間をつぶした。スカイマークSKY172便13時10分発神戸空港行に搭乗、帰宅は丁度17時だった。
今回、インターネットから往復飛行機+ホテル(3泊4日)の格安セットを探し、二番目に安いセットで、「すすきの」及び中島公園に近いホテルということで選んだ。価格はセットで37,600円(食事なし)、購入先は東京の㈱文物文化国際旅行社。通常よりも格安に行けたのではないか・・・。 写真はJR札幌駅、右の建物はJRタワーで一番上は展望台(38階160m、2日札幌の夜景を楽しんだ。)

2010年10月3日日曜日

「999人の第九」コンサート参加

札幌コンサートホール(Kitara大ホール、座席数2008席)にて第26回「999人の第九」コンサートが15時から行われた。指揮者:末廣 誠氏、ソリスト:平野則子(ソプラノ)・綿貫美佳(メゾ・ソプラノ)・岡村俊二(テノール)・中原聡章(バリトン)の各氏、管弦楽:札幌交響楽団、合唱は、「999人の第九」の会合唱団(277名)で、その内特別参加として道外から6団体、19名が参加、小生は「なにわ第九の会」として初めて一人で参加。
当日の概略スケジュールは、11時に大リハーサル室集合→11時10分に特別参加者への説明→11時30分~12時発声練習・入場順序の説明→12時30分~13時10分大ホールに移動しゲネプロ→15時から第1部開演(歌劇「ローエングリン」、第1幕への前奏曲・第3幕への前奏曲)→15時20分に大ホールに入場、着席→15時30分第2部(第九)開演→16時35分終演。その後は17時30分から近くの「ホテルノースシティ」での打ち上げパーティに参加。
今回、初めて参加して、①札幌のコンサートホールは音響もよく大変素晴らしかった。今までの第九のコンサートの会場としては一番よかった。(写真)②札幌の人達も親切に対応してもらったし、第九の仲間も増えた。③来年は9月24日(土)に決まっているとのこと、来年も参加したいものだ。

2010年10月2日土曜日

札幌市内観光

 札幌ガーランドホテルを9時半頃に出て、市内観光と18時から札幌芸術の森(アートホール)でのリハーサルに出かけた。
市内観光は大通公園を一回り散策(食品イベントが開催されていた)→「さっぽろテレビ塔」の展望台→札幌市時計台→北海道庁旧本庁舎→北海道大学北方生物園フィールド科学センター植物園→北海道大学内クラーク博士像→JR札幌駅構内。その後、地下鉄南北線の終点真駒内駅で下車、路線バスにて札幌芸術の森へ。芸術の森を散策した後、アートホールでのリハーサル(18時から1時間程度)に参加、終了後はJR札幌駅に戻りJRタワー展望台(38階、160m)で夜景をみた。これで一通りの市内観光ができた。
主な名所の概要は以下の通り。①大通公園「さっぽろテレビ塔」:札幌におけるテレビ放送開始を機に大通公園の東端に建設され、地上からの高さは147.2kmの建造物。展望台は地上90.38m、エレベーターで約60秒。展望台からは大通公園、札幌市を取り巻く山々を見渡せた。②「札幌時計台」:1878(明治11)年に札幌農学校の演武場として建設された農学校の一施設として存在しただけではなく1888(明治21)年に札幌の標準時時計に指定され、農学校の大時計として市民に親しまれてきた。1903(明治36)年に農学校が現在の北海道大学の場所に移転し、1906(明治39)年には札幌区が買い取り、解体せずに曳屋で現在地に移転した。③「北海道庁旧本庁舎」:「赤れんが」の愛称で親しまれている北海道庁旧本庁舎は、1888(明治21)年にアメリカ風のネオ・バロック様式で建てられた。日本の明治期を代表する建物とともに、緑豊かな前庭は札幌市のオアシスとなっている。内部には資料展示等があり一般開放されている。④「北大植物園」: 札幌駅から徒歩で約5分、周囲はビルが 建ち並び,コンクリートと騒音に満ちた世界から植物園に足を踏み入れるとそこには全く別の世界が広がっている。日本でも有数の植物園のひとつ。園内には樹木園、高山植物園、灌木園、草本分科園、北方民族植物標本園などの施設があり、北方地域や高山に生育する植物を実際に見ながら、その分類や生態を知ることができる。⑤「クラーク博士像」:Boys, be ambitious少年よ、大志を抱け)」は、よく知られている。海道大学構内に胸像、羊ヶ丘展望台に全身像がある。一般には羊ヶ丘展望台のものが有名である。写真は北海道大学構内の胸像。