2016年8月27日土曜日

映画「後妻業の女」

大阪を主な舞台に、中高年の婚活の危うい一面をサスペンスと笑いを交えて描いた映画「後妻業の女」が、本日全国公開され朝一番(9時45分~上映)にみに出かけた。
あらすじは、「武内小夜子、63歳、好きなことは読書と夜空を見上げること…わたし、尽くすタイプやと思います」結婚相談所主催のパーティで可愛らしく自己紹介する小夜子(大竹しのぶ)の魅力に男たちはイチコロだった。 実は裕福で孤独な高齢者を色香で惑わせて後妻になり、その財産を奪う「後妻業」のエースだった。 裏で手を引く結婚相談所所長の柏木(豊川悦司)のもくろみ通り、小夜子は80歳になる中瀬耕造(津川雅彦)の後妻におさまった。二人は惹かれあい幸せな夫婦生活を送っていた、はずだったが・・・、2年後耕造は亡くなり、葬式の場で耕造の娘・朋美(尾野真千子)と尚子(長谷川京子)は、小夜子から遺言公正証書を突き付けられ、小夜子が全財産を相続する事実を言い渡される。納得の行かない朋美が調査をすると、衝撃の事実が発覚。小夜子は、後妻に入り財産を奪う『後妻業の女』だったのだ。(後は省略)
主なキャスターは関西出身(豊川悦司、笑福亭鶴瓶、水川あさみ、奈良県:尾野真千子、京都:津川雅彦など)でロケも大阪各地で行われた。中之島を周遊する遊覧船で婚活パーティーの画面、通天閣の見える駐車場や大阪城のみえる喫茶店などが撮影されていた。 みものは何と言っても悪女を演じた小夜子役の大竹さんの演技や大阪弁で、さすがにうまいなぁ~と感心。また、中高年の婚活の危うい一面をサスペンスと笑いを交えて描いた映画であり、面白くてよかった。

2016年8月22日月曜日

オリンピックリオ大会閉会式

第31回オリンピック競技会リオデジャネイロ大会は2016年8月21日、ブラジル・リオデジャネイロ市のマラカナン競技場で閉会式が行われた。南米で初開催となるリオを中心に繰り広げられた17日間の祭典は、日本選手のメダル最多の41個(金12、銀8、銅21)で、日本中に大きな感動と勇気を与えて無事に幕を閉じた。次回大会は、東京で2020年7月24日から開かれる。この大会に世界3位(今回6位)のメダル数を取るとの目標とのこと、大いに期待したい。 約2年前に東京にオリンピックが決まり、我々多くの高齢者の人は何とかオリンピックまで元気に健康で長生き(目標に)してオリンピックをみたいと思われたが、我自身もそう思いで今日まで来た。さあ~~あと4年もう少しだ。何とか健康に十分留意して元気で、是非とも開会式を国立競技場に見に行きたいなぁ~~。それ以外に体操、卓球、レスリングもみたい~と思う。 頑張ろう!!
YouTubeの【NHKリオ】2020へ期待高まる!トーキョーショーをhttps://youtu.be/sk6uU8gb8PA リンク投稿。概要は「五輪閉会式で披露された2020年の東京大会プレゼンテーションをノーカットで、クリエーティブ スーパーバイザーと音楽監督は椎名林檎さん、総合演出と演舞振付はMIKIKOさん。青森大学男子新体操部のダイナミックな演技も必見!」とのこと。

2016年8月21日日曜日

2016天神天満阿波踊り

天神天満阿波踊り実行委員会、天神橋商店連合会、関西阿波踊り協会の主催のもとに行われ(今回で2回目?)、暑い暑い中出かけた。
関西阿波踊り協会に加盟している11連が、AグループとBグループに分かれて、AグループはJR天満駅から14:30~扇町総合高校吹奏楽部オーキーズのオープニングパレード、続いて神戸ちるど連→にしき連→姫路・城東連→なにわ連→大阪天水連が、またBグループは、同時刻に天神橋筋商店街3丁目南側から南大阪連→深雪連→てんばらみとら連→神戸六甲山連→河内連→神戸楠公連による商店街の流し踊りが南方向に行われた。また、阿波踊り教室に参加者による天神天満連も3丁目南側から流し踊りがあったようだ。(パンフレットに記載あり)
その後、16時40分からは天満宮の境内にて9つの連の演舞があったが暑くて暑さに負けて早く帰宅した。今回、関西阿波おどり協会所属連の踊り子と鳴り物、総勢約360名による流し踊りだったが、繊細な鉦の音色や、威勢のいい迫力ある男踊り、元気と笑顔いっぱいの踊りを魅せるちびっ子達などで、天神橋筋商店街は熱気に包まれていた。 
昔、所属の「なにわ連」の踊りも久しぶりに見ることができて、格好もよくてすご~く踊ってみたいなぁ~~~と。 しかし、気力は十分だが、この暑さでなくても体力が踊り(10~15分の踊り)についていけないからもう無理だなぁ~諦めるしかないかね。
関西阿波踊り協会の天満宮境内での各連の踊り https://youtu.be/VhbHs7vBStA

2016年8月18日木曜日

世界報道写真展2016

ハービスOSAKA地下2階のハービスHALLにて、「世界報道写真展2013」が9日から18日まで行われ、最終日に見に出かけた。
この写真展は、世界中の報道カメラマンを対象にオランダで実施される「世界報道写真コンテスト」の受賞作を紹介するもの。今年は128の国と6千人近いプロの写真家から、合計8万点の作品が応募され、41人がコンテストでの入賞を果たした。コンテストの部門は全部で8つ(スポットニュース、一般ニュース、スポーツ、現代社会の問題、長期取材、自然、日常生活、人々)。 それぞれの部門で「単写真(写真1枚)」と「組写真(複数の写真で構成)」に分かれて選ばれた。約150点の入選作があったなかで、今回は各部門の単写真、組み写真の1位から3位までが展示(総62パネル)されていた。
入賞の中から、その年の最も優れた写真1点に対しては「世界報道写真大賞」が贈られた。それは、スポットニュースの部の単写真1位のウォーレン・リチャードソン氏(オーストラリア)。2015年8月28日 レスケ(ハンガリー南部)にてセルビアとハンガリーの国境を越えようとするシリア難民の男性と子どもが、国境の有刺鉄線付きフェンスができあがる前に、ハンガリー側へ渡ろうとする瞬間を、警備員に見つからないように月明かりの下で撮られたもの。緊迫した様子が伝わってくるという写真だった。(上のチラシの写真)
今回、世界で起こっている様々な事件や出来事の写真を見ることが出来た。 隣のブースでは、昨年と同様東北大震災の写真が展示されていた。

2016年8月14日日曜日

日野「火ふり祭り」


毎年8月14日・15日に盆の夜空を彩る近江日野町の夏の風物詩「火ふり祭り」が行われ昨年に続いて見物。 
これは日野祭のお旅所である上野田の通称「ひばり野」(松の木などが数本あるこじんまりとした公園、ここに武将「蒲生氏郷像」もある)で古くから行われている祭。上野田(こうずけだ)の氏神、五社(ごしゃ)神社で、町内の人たち百数十人が松明(竹材とわらで作った2.5~3mのもの)に火をつけ、 その年の日野祭のお稚児さん3人を中心に松明の行列が、午後7時半から「ひば り野」(約2km)へ向かう。
「ひばり野」へ午後8時頃に到着後(松明の長さがちょうど投げられる程の長さになる)、太鼓の合図とともに百数十本の松明が一斉に松の木に投げ上げられる。 枝に留まると大きな歓声があがり、松の木に松明が多く溜まれば、その年は豊作といわれる、勇壮なお祭。今年も多くの松明が溜まっていたので豊作か?
8月14日・15日のお盆の時期に行われるこの祭りは日野町各地で行われている盆行事の精霊火が転化したものと考えられている。 
ずいぶん昔、幼少~小学生のころはよく母親の里のお盆に連れられて、「ひばり野」の前にある親戚の2階の特等席でみたことが、改めて懐かしく思い出された。(下の写真は日野観光協会の写真を借用)

2016年8月10日水曜日

北海道旅行最終日


小樽の山麓にある「かんぽの宿小樽」で宿泊し、朝5時に起床して宿から5分にある朝里川の湖畔散策を約30分楽しんだ。気温もちょうど良く清々しくて、気持ちよかったヽ(;▽;)ノ
最終日で飛行機が15時発で、手荷物預けの待ち時間、昼食・お土産を買う時間も考えるとほとんど観光時間がなく、小樽運河観光のみにした。9時頃に着いて、まず観光写真によく出ている小樽運河を約50分散策した。
ここは、北海道開拓の玄関口として発展してきた。当時は大きな船を沖に泊め、はしけ(台船)を使って荷揚げしていたが、取り扱う荷量が多くなり、はしけが直接倉庫の近くまで入って行ける水路を作った。これが「小樽運河」である。
この小樽運河は、大正12年に完成し、内陸を掘り込んだ運河ではなく、海岸の沖合いを埋立てて造られたため、直線ではなく緩やかに湾曲しているのが特徴となっている。しかし、時代が変わり戦後になると、港の埠頭岸壁の整備により、その使命は終わりを告げることとなる。昭和61年、運河は、十数年に及んだ埋立てを巡る論争の末に一部を埋立て、幅の半分が道路となり、散策路や街園が整備された現在の姿に生まれ変わった。運河の全長は1140mで、幅は道に沿った部分が20m。散策路には63基のガス灯が設置され、運河沿いの石造倉庫群は当時の姿のまま残されておりレストランなどに再利用されている。夕暮れ時には、ガス灯がともるとともに石造倉庫群がライトアップされ、昼間とは違った雰囲気を演出している。(関連資料から抜粋)
今回、朝のため倉庫内の店も開いておらず周辺の散策のみだったが、こういうところだと納得してよかったなぁ~ヽ(;▽;)ノ 
その後、オリエンタルのへレンタルカー千歳店へ、新千歳空港に11時半過ぎに到着し、昼食・お土産の買物。15時発のANA984で、大阪伊丹空港には予定通り16時55分無事に到着。
今回は次女家族との旅行で、幼児の世話でいろいろと大変なこともあったが、無事に帰宅することができたし、思い出に残るよい旅行だった。

2016年8月9日火曜日

北海道旅行3日(札幌)

8日は定山渓温泉「鹿の湯(花のもみじ)」に宿泊。ここは「札幌の奥座敷」とも呼ばれていて、札幌市の中央部を流れる豊平川上流の山峡にある北海道の代表的な温泉である。古くアイヌに知られ、江戸時代には通行した和人が入り、1866年に美泉定山と言う人が温泉宿を開いた。1918年に定山渓鉄道線が通ったことで発展した。札幌の至近にある温泉で、市内の人々のほか、札幌観光の一環として多くの道外や外国からの観光客が利用している。この日も中国・台湾などからの客で賑わっていた。翌日の朝に温泉街の散策をしたかったが、疲れて起床が遅くなりできなかったことが、ザンネンだった。
札幌市内観光をどうするか? 明日は午後3時の飛行機なので小樽市内観光をしたいが時間がない。そのため札幌は一箇所に絞って「モエレ沼公園」で遊んでから小樽市の堺本町通りの商店街に行ってみた。
まず、モエレ沼公園は、札幌市の市街地を公園や緑地の帯で包み込もうという「環状グリーンベルト構想」における拠点公園として計画された総合公園。1982(昭和57)年に着工し、2005(平成17)年に グランドオープンした。基本設計は世界的に著名な彫刻家イサム・ノグチが手がけ、「全体をひとつの彫刻作品とする」というコンセプトのもとに造成が進められた。広大な敷地には幾何学形態を多用した山や噴水、遊具などの施設が整然と配置されており、自然とアートが融合した美しい景観を楽しむことができた。広大な公園で子どもたちが自由に遊び楽しめる公園で、レンタル自転車で回ってみた。台風5号の影響か風が少し強く吹いていたが、涼しくてサイクリングを楽しむことができて子どもたちも喜んでいた。(上の写真)
その後、小樽市に移動し、堺本町通りの商店街(上から3枚目写真)を散策しながらルタオの原点である本店に(下の写真)。オープン以来毎日手づくりのケーキを作り続けているところで、今回2Fカフェでこだわりの紅茶と一緒に手づくりのケーキを楽しんだ。人気があるだけにやはり美味しいケーキだったなぁ~。
その後、宿泊の「かんぽの宿小樽」へ。




2016年8月8日月曜日

北海道旅行2日(旭山動物園)

日本最北の動物園の旭山動物園へ。2009年2月公開の「旭山動物園物語」をみてから一度訪れたいと思っていたのが実現。この日は朝から台風5号の影響か、朝から少し蒸し暑く日中は、すごく暑く(33~4℃)て、子どもたちも暑さと混雑でうんざりだった。
ここは、動物にとって快適な空間を作り出し、動物が本来持っている生態・行動を引き出して見てもらうという「行動展示」の手法で、一躍全国的に有名になり、月間入場者数で東京の上野動物園を抜くなど、超人気の動物園である。この日も夏休みでたくさんの子どもたちで混雑していた。
マリンウェイと呼ばれる水中トンネルを泳いで上下する姿が見られる「あざらし館」、モグモグタイムには地上17mでの空中散歩(綱渡り)が見られる「おらんうーたん館」、ヒョウの昼寝が頭上に見える、ライオン・トラ・ヒョウなどが間近に見られる「もうじゅう館」、巨大遊具で自由に遊ぶ姿が見られる「チンパンジーの森」、樹上生活者としての習性が引き出され上手な木登りを見ることができる「レッサーパンダの吊り橋」など約2時間にわたって見て回った。が、暑さの影響かあまり動かずじっとしている動物が多かった。
その後、美瑛のレストラン「花七曜」でランチし、国道237号線沿いの上富良野町と美瑛町の境界にある丘の農園「かんのファーム」(7年前にツアーで訪れたところで2回目)で、ラベンダーの他、数10種類の花々の丘をみながら少し散策。 ここで3時過ぎになり、宿泊の札幌定山渓温泉「鹿の湯(花もみじ)」へ到着したのは、午後7時半になって、長距離で結構疲れてしまい┐(´∀`)┌ヤレヤレだった。

2016年8月7日日曜日

北海道旅行初日(旭川市)

7日(日)から10日(水)まで次女家族(夫婦・もうすぐ2歳と4歳になる孫娘)と北海道旅行。主な行先は旭山動物園、上富良野の「かんのファーム」、札幌市のモエレ沼公園、小樽市堺町本町通り、小樽運河などの観光。
初日は大阪伊丹空港発11時10分発A773便にて新千歳空港へ。大阪伊丹空港に10時に到着したが、手荷物の手続き(荷物検査)に長蛇の列で搭乗出来たのは出発の5分前、その後、まだ30名の未搭乗者が出て約20分遅れの出発だった。夏休みの影響もあり空港内はごった返ししていた。
新千歳空港に到着後、オリックスレンタカー新千歳空港店へ送迎バス(約10分)で移動し、ミニバンワゴンをレンタル(運転:娘婿)。14時半、ここから旭川に向けて出発、途中千歳航空祭で大渋滞、また途中、幼児のトイレ休憩や車酔もあって予定より大幅に遅れて6時半に宿泊の「アートホテルズ旭川」に到着。(上の写真) 夕食は6日にオープンした最上階15階にあるワンフロアまるごと270度パノラマビューを望む「北海道スカイテラス MINORI(ミノリ)」にてバイキング。まだ、オープンして2日目で内部は大変綺麗で、料理の種類も多くて美味しかったよ!(中の写真)
当日、ホテル近辺の散策ができなかったので、翌日朝6時半から約12~3分のJR旭川駅まで散策。その後駅構内をみてから駅前の平和通り(両側に樹木が植えられた買物公園で、両側にはいろんな店屋が並びちょっとした憩いの場、下の写真で正面が旭川駅)を散策した。約30分の散策だったが、道路も広いし緑も多いよいところだと感じた。

2016年8月2日火曜日

ポケモン探し

2~3日前の朝日新聞に、大阪北区の扇町公園にはポケモンが多く、また変わった種類のポケポンが出現、多くの人たちが集まってGETしているとのことが掲載された。
そのこともあってポケモン探しに扇町公園に出掛けてみた。京阪北浜駅から北に向かって扇町公園まで約30分、暑い中ウオーキングの途中スマホの電池切れやトレーナーが動かない、何らかの原因でAPPがダウンしたりでスマホの調子が悪く? 結果的には一匹もGETできなかった。扇町公園に着くと木陰のいたるところで、ポケモンGOをする人たちが多く集まっていた。やはり情報通りポケモンが出現してGETできるポイントになっているようだった。
今回はスマホの電池切れなどもあってGETできなかったのが残念だった。が、乗車の京阪牧野駅で6匹GETできたのはよかったなぁ~。
そのあと、天神橋商店街を歩いて「繁昌亭」の方から境内に入り大阪天満宮に参拝。参拝後正門左に曲がって斜向いにある料亭「相生楼」の門前に『川端康成生誕之地』と記された石碑がひっそりと建っていた。ここで生まれたということを初めて知った。
日本人初のノーベル文学賞を受賞し、「伊豆の踊り子」「雪国」「古都」などの作品で知られる川端康成は、明治32年(1899)6月14日、大阪市北区此花町1丁目79番地(現在の北区天神橋1)で生まれた。康成の父で医師だった栄吉はこの地で開業していたのだが、しかし結核を患い、明治34年(1901)に死去。翌年、母・ゲンも亡くなり、康成は姉と共に祖父母に引きとられ、大阪府三島郡豊川村(現在の茨木市)に移り住んだ。その後、康成は茨木中学校から東京の第一高等学校、東京帝国大学へ進み、文壇で活躍するが1974年4月16日に死去。1985年には茨木市に川端康成文学館が開館し、いまも多くのファンが訪れている。機会をつくって訪れてみたい。

2016年7月31日日曜日

映画「ターザン」

昨日公開された映画「ターザン」をみに。あらすじは、19世紀終わりの植民地主義が息づく世界を舞台にしている。列強によるアフリカ分割を決めたベルリン会議によってコンゴはベルギーと英国によって分割されるが、ベルギーはコンゴの資源開発を進め、探検家で象牙商人でもあったレオン・ロム(クリストフ・ヴォルツ)をジャングルの奥地に送り、ダイヤモンドやオパールの発掘を目指す。レオン・ロムの一行は豊富な鉱山を発見するも地元部族に襲われてしまう。ジャングルの奥地に住むその部族は、レオン・ロムが鉱山を得る代わりに、過去に因縁のある一人の男を差し出すよう交換条件を出す。その男の名前はジョン・クレイトン3世、別名ターザン。数奇な運命に翻弄されジャングルでゴリラに育てられた経験を持つターザンも今では故郷のイギリスに戻り、貴族だった亡き父の跡を継いで妻ジェーンと何不自由のない暮らしを営んでいた。そこにアメリカからの使者・ウィリアムズがやってくる。ベルギーがコンゴで違法な奴隷貿易に関わっているという噂の真相を調査すべく、ウィリアムズはコンゴのジャングルを知り尽くしたターザンに同行を願う。そしてターザンをジャングルで発見し運命の恋に落ちた妻ジェーンもコンゴに赴くことになるが、それは全てレオン・ロムが誘き寄せる策略だった。
コンゴに赴くと故郷は侵略され、ターザンは捕らえられるが何とか逃げきるが、ジェーンはさらわれてしまう。 愛する妻と故郷を救うため、己の野生を呼び覚まし、持てるすべてを投げうち、戦ってすべてを取り戻すというもの。
コンゴの奥地に連行されるジェーンを追うターザンを演じたアレクサンダー・スカルスガルドの鍛え抜かれた肉体や、ゴリラとのガチンコ対決、そしてラストでのゴリラたちによるサバンナ追い込み漁などスケールの大きな展開が見どころであった。2時間を切る大作映画としてはアクションあり、ロマンスあり、動物(ゴリラ、ダチョウ、ワニ、像など)ありで細部も丁寧に仕上がっているし、大スクリーンで映える作品でもあった。

2016年7月30日土曜日

「げんき~」の芸能ボランティア

今回は住宅型有料老人ホーム「ひらかたヒルズ」にはじめて訪問、施設の夏まつりに参加の皆さん約30名と職員約10名を対象に「げんき~」Gによる芸能ボランティアを行った。メンバー6名で、 出し物はいつもの出し物である歌体操(3曲)→新舞踊(2曲)→踊り「どじょうすくい」→「南京玉すだれ」→踊り「おてもやん」→全員で踊りの「河内音頭」、「炭坑節」で約50分。最後の「河内音頭」、「炭坑節」には皆さんに加わってもらい、それなりに楽しいひと時を過ごしてもらった。 (*゚▽゚*)
今後、「げんき~」Gの出し物に新しい出し物(あと2つ程度)を追加してより充実を図り幅を広げたいものだ。 

2016年7月22日金曜日

ポケモンGO体験

22日午前10時頃からダウンロードできるようになることが分かり、午後3時頃にダウンロードしインストールで体験してみた。当日(21日)の夕刊やTVニュースで大々的に報道され、その後全国各地で大ブームとなりTVでも多くの問題(事故)が起きていると報道されている。 このポケモンGOはアメリカのベンチャー企業「ナイアンティック社」が任天堂などと協力して開発・運営するもので、このゲームが成功したのは任天堂が作ったポケモンというキャラクター(現在、ピカチュウをはじめ720種類あるそうだ)に高い人気があったためとのこと。このポケモンGOで任天堂の株価が一時約2倍になったが、開発や運営の中心は「ナイアンティック社」であり、すごく業績が上がることはないとの情報で、25日には一変して元の株価になってしまった。しかし、任天堂の開発協力もあって世界的な大ブームになったことは喜ばしいことだ。
スマホがあれば、無料でダウンロードしインストールができるが、OS(Andoroid4.3以上でないとダメ)が古いと対応していない。妹からダウンロードしたいと相談を受けたが調べるとAndoroid4.1のためできなかった。ポケモン体験は第一号は自室で、その後家の前や周辺を含めて13匹Get(8種類のポケポン)。子供のころの宝探し、カブトムシやクワガタ探しなどに似たわくわく感じで、この歳になっても面白い。季節も準備もチームの拘束もなく自由に楽しめるので、大ブームになっているのがよく分かる気がする。 家内も面白い仝と言ってポケモン探しに出かけたりしている。 GPSを使って各ポケモンをどこにどのように出現させているのか?? ソフト的にも興味深い。 現在、まだまだ初心者レベルだが挑戦したいものだ。

2016年7月20日水曜日

琵琶湖博物館リニューアル

琵琶湖博物館が2016年で開館20周年を迎え、2014年末までに900万人の利用があったとのこと。この20年の間に、琵琶湖の環境やそれをとりまく社会は大きく変容し、また高度情報化社会を迎え、情報伝達の手段にも変化があった。 こうした変化に対応し、新しい時代の学びの場を提供するために琵琶湖博物館は3期にわたり大幅にリニューアルするとのことで、今回第1期としてC展示室と水族展示室が14日よりオープンしたので見てきた。
今回、C展示では琵琶湖に生息する様々な生き物を展示し、季節によって違う生き生きとした姿やふだん目にすることのない小さな生き物などの紹介。また、琵琶湖のもつ生物多様性や食文化などの「生き物と人とのかかわり」を伝え、琵琶湖の価値を発信する展示になっていた。水族館ではビワコオオナマズが目玉であったが、岩の中に頭をいれ、尻尾だけみることができた。少し残念だった。あまり時間がなかったのでゆっくりと見れなかったが、また機会をみつけて訪れてみたい。

水生植物園みずの森

田舎へ行く途中、久しぶりに草津市立「水生植物公園みずの森」に立ち寄った。毎年7月中旬から下旬にかけて、ハスや睡蓮がきれいに咲いているが、今年も植物公園みずの森内の鉢植えのハスもきれいに咲いていた。また、睡蓮も花影の池や温室内でもきれいに咲いていた。
この水生植物園みずの森に隣接して琵琶湖のハスの群生地があり、毎年今の時期にはハスの花が咲き乱れて非常にきれいであるが、行ってみるとえっ~と、どうなっているの? と驚くほど、あるはずのハスの群生がないのだ。 全滅?と言っていいほどだった。(上の写真の通り) このみずの森の職員に聞いてみたが、専門家に聞いても原因が不明で、このようなことは初めてとの現象だと。はたしてハスの群生は、来年は元に戻るのであろうか。少し心配になった。



2016年7月16日土曜日

寝屋川演奏家クラブの演奏会

寝屋川演奏家クラブ」の第16回「寝屋川フレッシュコンサート&定期演奏会」が門真市民文化会館ルミエールの小ホールであり、久しぶりに聴きに出かけた。
第一部は、昨年・今年に音楽大学を卒業した人の寝屋川フレッシュコンサートで、マリンバ、ピアノ独奏、独唱があった。
第二部は「おとたび ヨーロッパ編~ピアノと歌でめぐるヨーロッパ~」があり、独唱、ピアノ独奏などと最後に全員合唱があった。 約2時間の演奏会で独唱、ピアノ独創、マリンバ独奏などといろいろあって、クラッシック曲を結構楽しめることができてよかった。(●´ω`●)  
この「寝屋川演奏家クラブ」は年3回程度演奏会を開催し、今日まで16年続いている演奏家クラブ。メンバーも発足当時とは大分変わり、また生活環境も変わる中で、今日まで続いているのは大したもの。寝屋川・枚方市の辺りでは、知名度も当初と比べると大分アップしている。

2016年7月12日火曜日

青山繁晴さんの知名度

やっと参議院選挙も終わり、朝刊には当選の政党名・氏名が詳しく掲載されている。その中で青山さんは比例代表において自民党では2位の481,890票、全体で6位、1~4位までは公明党候補者、自民党の1位は全国郵便局長会の団体が付いての獲得数である。しかし、青山さんはどこの団体・組織も持たず、実質は本人の青山さんと秘書の麻未さんの二人、あとはボランティアの人たちで行い、これだけの票獲得は凄いなぁ~と、知名度の高さを改めて認識した。 今回の街頭演説は京阪神、特に大阪、神戸を中心にされたので得票数も多かった。これから(25日以降)健康に十分留意され国・人のためにより一層頑張って欲しいと切に願う次第。
以下、青山さんのブログ(7/9夜中に掲載)から主なことのみ転載した。
▼当選しても「万歳三唱」はしません。「だるま」も飾りません。それは「当選」がゴールではないからです。これから、ただ国益のために戦う、身震いする瞬間が当選だと考えています。そのために、お祝いの花や祝電も、申し訳ないですが一切いただけません。お祝いに結びつくものはすべてご辞退したく思います。
▼ぼくが大阪市内にかろうじて設置した小さな選挙事務所は、ビルの一室(京阪天満橋駅から徒歩約10分、下の写真)です。ここに投開票日7月10日・日曜の夜に人が集まれば、必ず近隣のご迷惑になります。特に、日曜の夜から月曜の未明に掛けての時間帯ですから、多くのかたがたが月曜からの仕事に備えておやすみだと思います。そこに騒音迷惑をおかけすることは決してできません。国政に出るための選挙事務所の周辺が喜びに沸くというのはどうでしょうか。ですから、選挙の結果が出る前後の事務所ご訪問は、ぼくもこころから寂しいですが、お受けできません。事務所に出入りするのは専任のスタッフだけという、地道なあり方に徹したいと思います。(以上の2点はその通り実行された。普通の候補者と違って青山さんらしい考え方であると感心した。)
▼国政に出てまず優先的に取り組みたいことを順不同で、簡潔な項目として挙げておきます。
【拉致被害者の救出】
▽そのための新しい方法論(皮切りとして、野党議員と連携しての質問主意書を内閣に提出することなど)を超党派で実行する。▽現在の拉致問題対策本部をいったん解体するか、解体的改組を行い、官邸内の総理直属の機関として再出発を図る。▽拉致被害者救出のための立法措置、憲法改正を提起する。
【日本にはできないはずの資源産業の勃興】
▽日本海の表層型メタンハイドレートを実用化し、過疎に苦しむ日本海側の経済苦境を逆に「日本経済の伸びしろ」と捉え直して、日本海沿岸に建国以来初めての自前資源による本格的な資源産業を興していくことに取り組む。
【日本農業の希望型産業への大転換】
▽大規模農業への転換ではなく、小規模農家を含め農家の自立した意思と、小規模資本の自在な連携による輸出市場の拡大を図る。それにより農産物の付加価値を増大させる。
【資源と農産物の輸出による平和への貢献】
▽自国の利益だけを目指したり世界支配を狙う資源輸出・食料輸出ではなく、資源がない国々、そして安全で美味しい日本の農産物・食料を求める国々にフェアに輸出をし、それをもって、資源と食料を争って戦争になる世界を変え、本物の平和国家に成長することを目指していく。
それ以外には「教育の転換」「沖縄と本土の和解」「福島原子力災害の克服」「安全保障の根幹の整備」「国家危機管理の根幹の整備」「外交の根幹の整備」「正憲法の制定」といった項目の簡素な内容で掲載されていたが割愛した。

2016年7月9日土曜日

夏血栓注意シンポジウム

日本ナットウキナーゼ協会、朝日新聞社メデイアビジネス局主催の「夏血栓注意シンポジウム」がグランフロント大阪の北館の地下2Fにある「ナレッジキャピタル コングレコンベンションセンター」にて行われ、約1000名?の参加で超満員だった。
第1部が基調講演で「『溶かすチカラ』で夏の脳梗塞を防ぐ」と題して、東京医科大学の浜岡隆文教授の講演、第2部がパネルディスカッションで、パネリストには浜岡隆文教授、石田純一氏、高岡晋作氏(日本ナットウキナーゼ協会副会長)、司会者が渡辺真理さん。
第1部の講演では、大量に汗をかく夏、熱中症によく似た「脳梗塞」に注意が必要であること。気温が32度を超えると脳梗塞による死亡率が急増すること。そこでナットウキナーゼと健康管理で血栓予防することが必要である。このナットウキナーゼは血栓のみを特異的に溶かす性質を持っているのに加え、本来人体に含まれている血栓溶解酵素の働きを促進する作用もあり、血栓症の予防には最適であること。予防としては、夏場は特に水分補給を怠らず、食事は脂っこいものは極力控えるなどの話であった。第2部のパネルディスカッションでは、特にこれと言った目新しい話はなかった。今回、特に血栓予防に関する知識を得るためでなく石田純一さんと渡辺真理さんが来られるとのことで参加した。

2016年7月8日金曜日

参議院比例代表候補青山繁晴さん

シンクタンクの「独立総合研究所」社長の青山繁晴さんが参議院比例代表に出て、今盛んに街頭演説を東京、大阪、神戸、京都、福岡などの主要都市で行い頑張っておられる。YouTubeには各地での街頭演説が沢山投稿(ファンの人がボランティアで投稿している)されて、そのアクセス数もぐんぐんと上がっている。一度直接聞きたいとの思いで、梅田ヨドバシカメラ前で11時から行われる街頭演説に行ってみた。(下のYouTube) 青山ファインも含めて多くの人たち(5~600人?)で、年齢層も幅が広く青山さんにかける期待の大きさを感じた。街頭演説の内容は、ほぼ同じようなものであるが、何度聞いても感動するし、共感するものだった。

7月4日付けで、YouTubeに次のような見出しで投稿されているが、当選は問題ないだろうがトップで200万票獲得は本当だろうか?  何れにしても是非トップ当選して外務省・経済産業省などの官僚や自民党内での発言力をより増して政治を変えて欲しいものだ。
『「青山繁晴は200万票獲得,トップ当選!!」日本をせんたくの大胆予言!(ビッグデータと経験に基づく予測!?)外れたらボウズになる!オマケ 福島みずほ,有田芳生は落選! 平成28年7月4日 』 
<7/12追記>この大予言はすべて外れた。青山さんの獲得票は281,890票で200万票もとどかず外れた。また、福島みずほ,有田芳生も当選したの外れてしまった。
このことで、『青山繁晴さんは奇跡の当選を果たしましたが、ヨシフとみずほを落とせなかったので頭を丸めました。平成28年7月12日 』とYouTubeに投稿し公開された。

2016年7月7日木曜日

兵神装備㈱の会社訪問


「工学部学友会」の会社訪問活動の一環として、今年度(第16回目)は、モーノポンプのトップメーカーである兵神装備株式会社滋賀事業所(長浜市高月町東物部)を訪問し、工場見学を行った。昨年に引き続き滋賀県立大学工学部機械システム工学科3回生の学生諸君のカリキュラムの工場見学でもあり見学者が63名の大勢であった。 多人数での訪問であったが、事前の計画・準備が周到になされスムーズに見学することが出来た。
この兵神装備㈱は企業理念「独自の難液移送技術と創意で、あらゆる産業社会のお役に立つ」のもと、顧客満足度を最大化に努められ 、難液移送技術と製造技術のエキスパートを追求する研究開発型企業として社会に貢献されている。モーノポンプのトップメーカーとして高収益経営(売上103億円、従業員372名、利益率20%強)をされている優良企業である。また、工場も綺麗だし社員重視の会社でもあった。
この会社訪問は2006年6月にスタートして早10年が経過した。会社訪問先は会員が経営さている会社や会員が勤めている会社を訪問し、その会社の経営概要、商品開発、製造方法などを学び視野を広げ、会員相互の交流のために実施している。

2016年7月6日水曜日

アートアクアリウム展

日本の夏を涼しげに彩る金魚を、光と音で演出して見せる「アートアクアリウム展」が、堂島リバーフォーラム(大阪市福島区福島1丁目)で本日(7月6日~9月5日)から始まった。「アクアリウム」とは水生生物を美的に飼育・観賞するための設備のこと。特に、観賞魚・水草・木・石・照明などを用い美しく作り上げられた水槽設備を指すものである。
この「アクアリウム」と「アート」を融合させた「アートアクアリウム」の第一人者である木村英智氏が演出している生きた芸術品の展示である。 今回、アートアクアリウム最大級規模の屋内会場で、『宇宙』をテーマにした200㎡の空間に約8千匹の金魚や錦鯉が豪奢に泳ぐ複数のアクアリウムを展示していて見ごたえのあるものだった。今回、3回目の鑑賞であったが、なかなか見られない珍しい高級品種の金魚も見ることができた。

2016年6月24日金曜日

大阪舞洲ゆり園


 大阪舞洲に新たなる名所「大阪舞洲ゆり園」が誕生して3年、今回パナソニック株主総会を途中退席して3年ぶりに訪れてみた。
この日は午後から雨との予報で、JR環状線西九条駅で下車する頃(12時頃)には本降りとなり行くべきかやめるべきかを悩んだ。 が、ここまで来たので、とりあえず行ってみようと「大阪舞洲ゆえ園」直行の市営バスに乗車して「舞洲スポーツアイランド」で下車、徒歩約5分でゆり園に到着した。この間も本降りの雨で、大阪湾に面しているので風も吹いて腰の下はびしょびしょに。途中一瞬風も雨も止む時間もあったが、それは一瞬ですぐ空が真っ黒となり風と雨が強くなり雨宿りをしないといけない状態もあった。そのため、仕方なく約30分程度園内をみて写真を撮って早く引き上げた。
ここは大阪湾を臨む最高のロケーションにゆり畑が作られ、250万輪のゆりが植えられているそうであるが、花がしぼんでいたり枯れかかっていたりもあって、写真を撮るにはもうすこし早く行かないといけないと反省。(*^_^*)

パナソニック株主総会

パナソニックの第109回定時株主総会が、大阪城ホールにて午前10時から行われ、2年ぶりに出席した。株主約2000名出席のもと報告事項として、1)第109期(平成27年4月~平成28年3月)の事業報告、2)会計監査人及び監査役会での連結計算書類の監査結果報告の2点と決議事項として、1)取締役17名選任、2)監査役2名選任、3)取締役の報酬額改定であったが拍手で承認された。その後、質疑応答があったが、途中で退席した。
今回、パナソニックの事業報告で、事業のセグメント別(アプライアンス・エコソリューション・AVCネットワークス・オートモーティブ&インダストリアルシステム・その他)の経過及び成果、家電・住宅・車載・BtoBソリューション領域による成長を目指す取り組みや対処すべき課題などがよくわかってよかった。

2016年6月20日月曜日

真田幸村終焉の地・安居神社

大坂夏の陣で真田幸村が戦死したといわれている安居神社境内を訪れた。
慶長20年(1615)5月7日、天王寺口の茶臼山に布陣した真田幸村は、毛利勝永らとともに徳川幕府軍と大激戦を繰り広げる。一時は幸村や勝永らの獅子奮迅の戦いぶりに幕府軍が大混乱になり徳川家康を窮地に追い込んだ。
しかし、大兵力の幕府軍相手にさすがの幸村も力尽き、安居神社境内の一本松の下で休息しているところを松平忠直隊の武将に討ち取られといわれている。享年49歳。神社境内には幸村の像と戦死跡の碑、そして幸村が休息していたといわれる二代目の一本松「さなだ松」がある。NHK大河ドラマ「真田丸」の影響で多くの参拝者や見物者で賑わっていた。
この神社は天王寺区逢坂1丁目に鎮座、少彦名神(すくなひこなのかみ)、菅原道真を祀る古社。昌泰4年(901)菅原道真が太宰府に左遷された際、河内の道明寺にいた伯母覚寿尼を訪ねて行く途中、ここへ立ち寄って安井(休憩)した。当時、道真に同情した村人がおこしを差し上げると、お礼にと菅原家の紋所「梅鉢」をもらった。これが、今でも大阪名物の「粟おこし」の商標の梅鉢となったといわれている。安居天神社は、その道真の死後の天慶5年(942)、道真の霊を祀るために村人たちが建てたもの。また、当地は四天王寺の僧侶がここで夏安居(げあんご:雨季の間に外出を控え寺院で修行に専念すること)することもあり、「安井」が「安居」になったという。境内には、道真も口にしたといわれる天王寺七名水のひとつ「かんしづめ(癇鎮め)の井」がある。

2016年6月19日日曜日

父・昌幸と幸村の九度山

真田昌幸と幸村が蟄居した九度山へ。南海電鉄「九度山駅」に降りて散策しながら「真田庵」「真田古墳」、今年3月にオープンした「九度山・真田ミュージアム」、「旧萱野家(大石順教尼の記念館)」などを訪れた。
「真田庵」は真田昌幸・幸村父子が隠れ住んでいた屋敷跡に建つ寺院(善名称院、中の写真)や真田昌幸のお墓(善名所院の前にある)や資料館がある。
「真田古墳(真田の抜け穴伝説)」『真田のみち』から真田庵に続く道の途中にある真田古墳。 真田庵から東へ170mほどの所にあり、長い間真田幸村はこの抜け穴を使って大坂に出向いたとも言われていたそうだ。
2016年1月放送のNHK大河ドラマ「真田丸」を記念して、真田幸村が生涯で一番長く住んだと言われる九度山に「九度山・真田ミュージアム」が3月にオープン。九度山での幸村親子のことや生活が詳しく展示されていた。また、NHK「真田丸」の出演者のパネルやドラマで着用した衣装や小道具などが展示されていた。(下の写真)
「旧萱野家(大石順教尼の記念館)」は、若くして両腕を失いながらも、口に筆をとって優れた芸術作品を遺した大石順教尼の書画や愛用品が展示されていた。
真田昌幸と幸村が蟄居され、幸村が大坂夏の陣で戦死するまでのあらすじは以下の通り。 1600年の関ヶ原の戦いで、父・昌幸と幸村は西軍に、兄・信幸は東軍につくことになる。昌幸と幸村は上田城で東軍の徳川秀忠軍を食い止め、決戦場(関ヶ原)に遅参させるなど奮闘したものの、肝心の関ヶ原では、西軍が敗れてしまう。徳川家康は昌幸と幸村を死罪にするつもりであったが、兄・信幸と義父・本多忠勝の懇願もあり、特例として2人に高野山での謹慎を命じた。高野山があまりにも寒かったため、その年の冬に高野山の麓・九度山に移り住み、来るべき日に備えて兵術や水練の特訓を重ねる。また、刀の柄に巻く丈夫な真田紐を織り、家来に全国各地に売り歩かせて、諸国の動静を探ったり、資金集めをしたりしていたと言われている。豊臣と徳川の関係が悪化すると、豊臣の使者が「徳川を滅ぼすため、幸村殿の力を貸していただきたい。」と幸村のもとに尋ねてくる。幸村は感極まって、すぐさま快諾する。14年間住んだ九度山で、幸村は周辺の農民とも親しくなっており、幸村の心境を察した農民は幸村親子の出立に協力したようである。こうして、幸村は九度山の人々に温かく見送られながら、妻と子・大助とともに大坂城に入城する。1614年、大坂冬の陣が始まる時、幸村は精鋭部隊の証である鎧や武具を赤に統一し、「真田の赤備え」として、戦場で目立つ結束と武勇を示した。幸村は、大坂城南側に土作りの頑固な出丸「真田丸」を築いて徳川の大軍を迎え討ち、その武名を天下に知らしめた。翌年、大坂夏の陣でもわずかな兵で家康を狙い、戦列を変えて3度も本陣への突撃を繰り返すなど、家康に自害を覚悟させるほど追いつめたが、怪我をして休んでいるところを討ち取られてしまう。享年49歳であった。また、父・昌幸は1911年病死、享年65歳であった。(関連の資料から)

2016年6月15日水曜日

三室戸寺の紫陽花

宇治市の三室戸寺へ久し振りに紫陽花の写真を撮りに出かけた。50種類で1万株の西洋アジサイ、額あじさい、柏葉アジサイ、幻の紫陽花・七段花等が咲き乱れ、満開の紫陽花が杉木立の間に咲く様は紫絵巻のようで素晴らしい景観だった。紫陽花が満開であり多くの参拝者、見物者が訪れていた。朝9時過ぎに入ったので、まだゆっくりと鑑賞しながら楽しめた。ここは綺麗なハート型の紫陽花があることでも有名であるが、つい見落としてしまい残念だった。
宇治の三室戸寺は、西国観音霊場10番の札所で、約1200年前、光仁天皇の勅願により、三室戸寺の奥、岩渕より出現された千手観世音菩薩を御本尊として創建された。5千坪の大庭園は枯山水・池泉・広庭よりなり、5月のツツジ(二万株)、シャクナゲ(1千本)、6月の紫陽花(1万株)、7月のハスや秋の紅葉など四季を通じて楽しめるお寺である。

2016年6月4日土曜日

学友会「フォト同好会」

6月4日(土)、第9回「フォト同好会」を開催した。今回は「京都府立植物園」での花の撮影及び「ぎゃらりぃ西利」での写真展の鑑賞。
参加者は過去最多の8名。まず、京都駅中央改札口前に10時に集合、地下鉄烏丸線「京都駅」⇒「北山駅」で下車。10時半から12時50分頃まで京都府立植物園の園内及び観覧温室内の花々を鑑賞しながら撮影をした。園内では「花菖蒲」「紫陽花」「バラ」などいろいろな咲き、それぞれ思いのまま撮影して楽しんだ。また、観覧温室でも変わったいろいろな花が咲いていて同じように鑑賞しながら撮影して楽しんだ。
昼食は、徒歩数分にある洋食「東洋亭」本店で計画していたが、一週間前に昼の予約席が取れないことが分かり、急遽和食を中心に探したが、よいころが見当たらず、仕方なく以前昼食をしたことのあるうまいもんや「こむ」(和食)に事前予約をした。当日、植物園に着いて各人から事前に注文(寿司・天ぷら・小鉢・赤出汁付きの1500円)を聞いて予約したため13時頃に到着後、すぐ料理も出てきたし、席も座敷風でゆったりとして昼食をとることができた。
14時頃に「こむ」を出て、地下鉄烏丸線「北山駅」⇒「烏丸四条駅」⇒阪急電車「烏丸駅」⇒「河原町駅」で下車して「ぎゃらりぃ西利」3階の写真展を鑑賞した。写真展は「四季の花華」の各写真が画用紙にプリントされて、霞がかかった様なソフトな感じの花々の写真をみることで勉強になった。
その後、2Fの喫茶店で雑談して解散した。心配した天候も曇で撮影には影響もなく無事に終えることができてラッキーだった。(´▽`)