2015年11月8日日曜日

エベレスト3D


昨日(7日)から公開の映画「エベレスト3D」を鑑賞。
ヒマラヤ山脈に位置する世界最高峰のエベレスト(8848M)は世界中の登山家を魅了し続ける、同時に地球上で最も危険な場所でもある。1996年にエベレストで繰り広げられた実話を基に、登頂の夢をかなえるため世界各国の登山家たちが、自然が猛威をふるう『デス・ゾーン』と呼ばれる危険領域で生き残りを賭けた闘いに挑む姿を、3Dならではの圧倒的な迫力で映像化したもの。
本物のエベレストで撮影されたものであり雄大な映像(景色)や臨場感あふれる映像は、極限状況に置かれた人々の群像劇を緊張感満点に描き出していたし、みる側にも体感させる超大作のものだった。久しぶりに3Dの映像を楽しんだ。

2015年11月4日水曜日

世界遺産の高野山


高野山1Dayチケットを購入し、816年に弘法大師・空海によって開かれて1200年を迎えた世界遺産・高野山を訪れた。当初は1200年祭に行く予定であったが、都合で今日になってしまった。
行程の概略は、牧野駅7時21分に乗車→淀屋橋経由でなんば駅で南海高野線急行で橋本行に乗車、乗り換え極楽橋で下車→高野山ケーブルカーで高野山駅に10時14分に到着。
その後は、高野山1Dayチケットのパンフレットに掲載の周遊モデルコースで回ってみた。まず、高野山駅でバスにて奥の院口で下車⇒奥の院参道を歴史上の人物の墓碑などを見ながら歩き、燈籠堂・御廟に参拝、奥の院前に戻る⇒バスに乗車し千手院橋で下車⇒金剛峯寺で、歴史に名を遺す絵師の筆による豪華な襖絵で飾られた部屋や豪壮な台所などを拝観した。⇒壇上伽藍に続く蛇腹路の紅葉トンネル⇒金堂・根本大塔は時間の関係で外観のみ、紅葉の写真撮影⇒霊宝館で国宝、重文、県文化財や貴重な資料を拝観⇒あと大師教会前などで写真を撮りながら千手院橋からバスで高野山駅へ。高野山駅14時34分発のケーブルカーに乗車し、極楽橋駅でなんば行き快速に乗車して18時前に帰宅した。
丁度紅葉が見ごろであり、紅葉写真を撮り楽しむことができたし、燈籠堂・御廟の拝観もできて大変よかった。また、参道沿いに会社の墓所があり、故松下幸之助相談役や社員(物故者)の供養塔に参拝できたこともよかった。
今回、金堂・根本大塔、徳川家霊台、女人堂など時間の関係で行けなかった所もあり、シャクナゲが咲くころか夏場に再度訪れてみたいものだ。

2015年11月3日火曜日

冷泉家住宅と京都御所

 京都非公開文化財の特別公開の「冷泉家住宅(れいぜいけ)」と、ついでに京都御所の一般公開の見学に行った。この日が両方とも最終の公開日で、また祝日でもあり相当賑わっていた。
冷泉家の住宅は、寛政2年(1790)の建築で、京都御所にあった公家屋敷の中で最後に残った貴重な建物として重要文化財に指定されている。冷泉家は藤原定家という歌人の子孫で、和歌の家として一般によく知られるようになった。また、文庫(白い倉)には国宝の藤原俊成自筆「古来風躰抄(こらいふうていしょう)」他、多くの貴重な典籍が保存されていて、これらもまた重要文化財に指定されている。
現在の公家で先祖伝来の家宝を守れているのは冷泉家と近衛家くらいで、多くの公家はサラリーマンしたりして普通に暮らしている。公家らしい公家の家が冷泉家だけになってしまったため現在に残る公家の代表みたいな家になっているとのこと。 今回、各箇所に若い説明員が簡単に説明してくれたので、よく分かりよかった。(´▽`)
「冷泉家」は京都御所の北(同志社に囲まれた一角)にあり、京都御所の一般公開(今まで4回程度見学あり)は、ついでに見学した。

2015年11月1日日曜日

八幡商人のまちなみ


八幡商人のまちなみの郷土資料館・歴史民俗資料館・旧西川家住宅・旧伴家住宅の見学と八幡掘りを散策した。
郷土資料館は、かって海外で活躍した近江商人・西村太郎右衛門邸跡に昭和49年3月に開設され、旧市街地の中心の新町通りに位置し、八幡商人のふるさととしての歴史を伝えている。建物は、明治19年(1886)八幡警察署として建設され、昭和28年に大幅にヴォーリズ建築事務所の設計により改築されて現在の形となった。 歴史民俗資料館は、江戸時代末期の民家を修復し昭和54年に開館し、近江八幡の商人が使用した道具類を展示したり、当時の生活ぶりをそのまま再現している。 
旧西川家住宅は、西川利右衛門の住宅で、八幡商人を代表する一人で、初代から昭和5年に11代が没するまで、約300年間に亘って活躍した家。昭和58年1月重要文化財に指定、昭和60年より保存修理が行われた。
旧伴家住宅は、伴庄右衛門家が江戸時代初期から活躍した八幡商人の一人で、屋号を「扇屋」といい、主に畳表・蚊帳(かや)を商い豪商となった。今に残る旧伴家住宅は7代目が文政10年(1827)より天保11年(1840)の10数年をかけて建築したもの。(その後の経過は省略)
今回、八幡商人の特徴などを日野商人・五個荘商人と合わせて、近江商人を改めて知ることが出来た。(´▽`)

2015年10月31日土曜日

野菜づくり

今年のサツマイモ掘りも終わり、その畑に玉ねぎ苗を植え付ける時期となった。
今回は長期保存(2017年3月まで保存可、収穫は来年6月末)のネオアース・もみじ3号(この名称の玉ねぎは、初めてで新種??)を各100本、早生ラムダ(来年5月末に収穫可)50本、赤玉ねぎ50本の計300本を植えた。
今回は、例年よりも50本程度多くなってしまった。

2015年10月29日木曜日

芸能ボランティア

今回は老健施設「しらかば」を訪問して「げんき~」G(メンバー6名)による芸能ボランティア活動を行った。
その概要は、いつもの出し物である歌体操(4曲)→新舞踊(2曲)→踊り「どじょうすくい」→「南京玉すだれ」→踊り「おてもやん」→全員で踊りの「河内音頭」(2曲)、「炭坑節」で約60分。 
約30名と職員合わせて40名の中での芸能ボランティア活動だったが、最後に入所者の方や職員と一緒に「河内音頭」や「炭坑節」を踊り、それなりに楽しんもらってよかった。(*゚▽゚*)

2015年10月27日火曜日

ピースおおさか

JR森ノ宮駅から徒歩5~6分にある「ピースおおさか(大阪国際平和センター)」を見学した。65歳以上は運転免許書などの証明があれば無料。
ここ「ピースおおさか」は、1991(平成3年)年に平和の首都大阪の実現をめざし、大阪府民・市民の協力のもと、世界平和に貢献することを目的に、大阪における平和の情報発信基地として開館された。以来24年余が経ち、これまでに延べ188万人の来館があったとのこと。
館内は、展示のAゾーンでは空襲で焼け尽くされた大阪の超拡大写真が展示され、現在の大阪の様子とともに伝えるところであった。 Bゾーンでは空襲に至った背景としてなぜアメリカと戦争をしたのか、また日清・日露戦争から太平洋戦争までを写真や動画などで解説するところ。 Cゾーンでは空襲に備えた当時の様子など伝えるところ。 Dゾーンでは多くの犠牲を出し、焼け野原になった大阪の様子を実物資料、体験者の証言などで伝えるところ、ここでは10人程度が入れる防空壕、1トン爆弾(複製模型)、被弾した鉄カブトなどの展示がしてあった。 Eゾーンでは戦後、GHQによる占領下から高度成長を経て発展する大阪の姿を伝える展示であった。 それ以外に戦争に関する書籍・資料やDVDの閲覧、映画も上映されていた。
今回、これを見て大阪空爆では、すごい被害があったことがよく分かり、また当時の暮らしぶりなど改めて知ることができた。

2015年10月23日金曜日

るろうに剣心

読売TVの金曜ロードショーで、21時から「るろうに剣心」の放送が行われた。エキストラに参加した映画でもあり懐かしく最後までみた。
この映画は2012年8月に公開されものであるが、思い起こせば2011年8月2~4日の3日間エキストラとして参加。この3日間、朝6時に浜大津のアーカス横の駐車場に集合し、衣装替えと化粧を滋賀銀行保健センターで行い、撮影現場(三井寺・善法寺の竹林)へ、午後6時ごろに終了し、帰宅は午後9時。朝が早くて帰宅が遅いため相当疲れたが、あの当時としては体力もあり?へこたれることなく3日間続けられた。また、撮影が終了してバッタリと主演の佐藤健くんに会い、一言会話したこともあって非常に思い出の映画。
この3日間撮影された「鳥羽・伏見の戦い」は、1868年1月に起こった合戦で、真夏に竹林に雪を積もらせ雪を降らせながらのスゴイ合戦シーンの撮影で、その雰囲気が見事に映し出されていた。約10分?のスゴイ合戦のシーンの中で、我々エキストラのほとんどは討ち死にの状態で倒れているシーンや勝利の歓声をあげるシーンなどであったが、画面にはっきりと映っていなかったのは、少しザンネン。 写真をみると、まあ~すごい格好で参加したものだと、これも思い出の一つだ。
30日(金)は「るろうに剣心」京都大火編、6日(金)に伝説の最期編が放送される。すでに観ているが、再度観てみよう。

大乗寺の酔芙蓉

京都山科の山裾にある「酔芙蓉の寺」として知られるようになった小さなお寺の「大乗寺」へ。今では酔芙蓉が約1300本が本堂を囲むように植えられている。見頃は9月中旬から10月中旬までとのことであったが出かけてみたが、さすがに見頃は一週間過ぎてしまっていた。しかし、まだところどころ綺麗な酔芙蓉が咲いていた。(写真)
芙蓉といえば木芙蓉のことを指し、朝に咲き、夕方には萎んでしまう一日花である。早朝に開花したときには本来の淡紅色、夕方になるにしたがって、その色は次第に濃くなり、そして萎んでいく。  一方、酔芙蓉は、朝のうちは純白、午後には淡い紅色、夕方から夜にかけては紅色になる。酒を飲むと顔色がだんだんと赤みを帯びるのに似ていることからこの名がついたといわれている。
芙蓉は、全国各地の庭先や公園など、どこででも目にすることができるが、群生している名所となると寺の境内が多いようである。
一方、酔芙蓉となるとなかなか群生しているところは少なく、千本以上ある本寺(大乗寺)は珍しい存在であるとのこと。
今回、残念ながら見頃が過ぎていたが、また来年は是非訪れたいものだ。

2015年10月21日水曜日

淀屋橋~道修町散策

 親友と1年ぶりにカメラを持って街を散策して昼食でもと、10時40分に淀屋橋で待ち合わせた。
親友がNHK連続テレビ小説「あさが来た」を見ているとのことで、まず肥後橋の大同生命ビルで展示している「加島屋と広岡浅子」展をみてから、ヴォーリズ建築であった旧大同生命ビルで残されている建造物などの写真を撮った。
昼食は北浜の老舗、日本料理の「光林坊」で、美食御膳を食べた。(写真はすごく豪華に見えるが、3つの鍋料理の中の1つを選べるがすべての鍋料理が並べられているため) 本格的な日本料理で大変美味しかった。 一人ではこのような有名な老舗で食べないが、親友と一緒でもあり、たまには贅沢もよいだろう。 ここはアサヒメートの会員であるため安く食べられた。
この「光林坊」は昭和43年11月に、加賀百万石の城下町、金沢の絢爛豪華さをテーマに加賀料理を提供する「光林坊1号店」が東京・新宿に開業、その後3号店として平成元年12月に関西初出店となる「光林坊北浜」が、古くから豪商の街と呼ばれる北浜の地に誕生し、今日に至っているとのこと。 地下1階のため、夜の雰囲気にもなり高級と言うか落ち着いたよい料亭だった。 その後、道修町の田辺三菱製薬㈱の資料館(2015年5月にオープン)を見学した。 今日は素晴らしい秋空のもと、散策と美味しい日本料理で満足の一日だった。(´▽`)

2015年10月20日火曜日

新枚方市長の所信表明

8月30日に行われた枚方市長選挙において、3期目を目指した前市長との激戦で僅差にて当選した「大阪維新の会」の新枚方市長伏見 隆氏の所信表明が行われた。枚方に住んで40年、初めて市議会の傍聴に出かけた。当選して初めての所信表明であり、傍聴席は満席(約30席)であった。
所信表明で、今後めざす新しい創造に向けた骨格を形成するための重要なキーワードとして次の4点をあげられ詳細説明があった。1)人が集まるまちづくりをスタートする。①枚方市駅周辺再整備など年基盤整備の充実、②安心して楽しく子育てできる環境の整備、③子どもたちの未来への可能性を最大限に伸ばす学校教育の充実。 2)高齢者が健康でいきいきと暮らせるまちづくりの推進。 3)協働によるまちづくりの推進。 4)将来世代に大きな負担を残さない徹底した市政改革。(詳細説明は省略) これらを実現するため、前例や規制概念にとらわれることなく、本当に支援が必要な方にきめ細かなサポートを行うなど、柔軟かつ大胆でメリハリのある施策展開を行うということだった。これ以外には、美術館整備をゼロベースで見直しするとの表明もあった。 この所信表明(約30分)を受けての代表質問が27日・28日に行われ、より詳しいことが解ると思われるので、また傍聴したいと思う。 新市長には市長選で訴えられた「枚方を変える」を、是非頑張って実現して欲しいと強く願望し、また応援もしたいと思う。

2015年10月15日木曜日

ヴォーリズ建築

最近、故ウィリアム・メレル・ヴォーリズさんのことをもう少し知りたくて、近江八幡を訪れた。今回は現在残っているヴォーリズ建築や記念館などを見物した。
故ヴォーリズさんの概要は、以下の通り。
キリスト教伝道の熱き志をもって近江八幡に足を踏み入れたのは、今からおよそ100年前の1905年2月2日のこと。滋賀県立商業学校(現八幡商業高等学校)の英語教師として英語を教える傍ら放課後バイブルクラスを開設し、多くの学生をキリストに導き、学生たちの人生に大きな影響を与えた。このことが原因で、彼は教育現場から追われた。しかし、「挫折と意気消沈の只中」から不退転の決意をもって立ち上がり、建築設計事業を始め、自給自足の精神をモットーに情熱的に社会事業を展開。びわこ湖畔にYMCA活動やキリスト教伝道・教会建設をしながら、近江サナトリウム(結核療養院・現ヴォーリズ記念病院)を開設。学校教育(現ヴォーリズ学園)事業を夫人一柳満起子と共に起こし、キリスト教伝道・医療・福祉・教育事業を展開して地域社会を始め、日本国内に歴史的な足跡を遺した帰化日本人である。彼はこれらの社会事業を財団法人近江兄弟社の事業として位置づけ、その事業展開のための資金調達を建築設計(現一粒社ヴォーリズ建築事務所)や家庭常備薬メンソレータム(現メンターム)の製造販売(現㈱近江兄弟社)によって成し遂げた。彼(ヴォーリズ)は生涯私有財産を持たず、すべてを社会事業のために捧げ、自ら住んでいた住居(現ヴォーリズ記念館)さえも私物化しなかった。ヴォーリズが建築設計家として日本に遺した建造物は1600を数え、今も多くが現存している。彼が社会のために立ち上げた事業は、近江兄弟社の事業として、その精神と共に継承され、現在6法人・15事業体に発展している。(以上、関連サイトから抜粋)
写真上が「ヴォーリズ記念館」(昭和6年建築)でヴォーリズ夫妻が後半生最後まで住んだ住宅である。その内部の一室のみ見学が出来て、若干24歳で米国から近江八幡に来て、そこに留まったヴォーリズ(日本名:一柳米来留)の信仰と自給自足による社会事業の足跡がよく分かる。写真中は、大正時代に建築されたアメリカ式の洋風住宅の1棟、写真下は旧八幡郵便局である。
今回は時間的に行けなかったところもあり、再度訪れたい。若干24歳で米国から近江八幡に来て、これだけのことを成し遂げたことはすごいことだと改めて思う。

2015年10月13日火曜日

奈良「植村牧場」

2年前に「植村牧場」代表の黒瀬礼子さんの講演を聞いて、一度訪れたいと思いながらやっと今回、念願がかなった。この牧場は「般若寺」の真向いにある広さ約1800坪の小さな牧場である。
「植村牧場」代表黒瀬礼子さんの講演の概要を再記述すると、まず「牧村牧場」三代目の姉妹の長女として生まれ、幼少のころから牧場の手伝いしながら育ち、牧場の跡継ぎはイヤだとの思いで大学卒業後大阪の会社に4年ほど就職、三代目の父親(獣医)が病に倒れられ四代目の牧場主になった。元々は初代が病弱だったため「自分の健康のために飲むつもり」で乳牛を飼いはじめたのが「植村牧場」のはじまりで、明治16年創業以来一貫して新鮮な牛乳を届けるため努力してきた。現在は30頭の牛を飼育し、一日1500本の低温殺菌牛乳を奈良一円の一般家庭に届けるほか、奈良ホテルやレストランに宅配。週末には京都や大阪から保冷庫を抱えてやってくる人もいるとのこと。機械化が進む中、手作業で1本1本真心をこめて製品にしているが、ある意味では日本一遅れた牧場かもしれない。また、ここには15名余りの重度の知的障害者を受け入れ同居しながら牧場運営し、その人達が日夜がんばって働いていること。映画化(小さな町の牧童たち)もされ、数多くのドキュメンタリー番組も企画されるなど注目をうけていること。カフェ&レストラン「いちづ」もやっているので、ぜひ遊びに来てほしいこと。など々であった。 上の写真が「植村牧場」の入口で、すぐ右がカフェ&レストラン「いちづ」があり昼食に「オムライス」を注文して食したが、味はまあまあだった。その奥に牛舎(下の写真)1棟あり、30頭の牛が飼育されていたが、建家は相当古い感じだった。牛舎は衛生上立ち入り禁止であるが、それ以外は自由に見られるが、特にこれと言って見るところはないようだった。

奈良「般若寺」

コスモス寺として有名な奈良の「般若寺」へ参詣した。
この寺院は東大寺の北側、奈良坂に位置し、飛鳥時代に高句麗僧慧灌(えかん)法師によって開かれた最古の寺院。
今は四季折々の花が咲く寺として有名になっている。特に秋のコスモスは10種類、約10万本のコスモスが境内に咲き乱れる。 特に十三重の石塔(左下の写真)や三十三観音石像周辺を覆い尽くす花は見事で多くの観光客を魅了している。
楼門(ろうもん、上の写真)は鎌倉時代にお寺を再興したときの回廊門で、「般若寺」の中で唯一国宝に指定されている。 屋根の反り具合などなかなか美しい建造物である。 詳しくは「般若寺」のサイトを!!

2015年10月11日日曜日

芸能ボランティア

芸能ボランティアG「げんき~」で、今回初めての訪問施設「リハビリテーション特化型デイサービスすぷらうつ」にて芸能ボランティア活動を行った。
持ち時間が30分(午前11時30分~12時)のため、出し物は、どじょうすくい踊り、南京玉すだれ、おてもやん踊り、踊り「河内音頭」と「炭坑節」。
参加者は入所者や職員で約20名、いつもよりも少なく寂しい感じだったが、それなりに楽しんでもらいよかった。(´▽`)
上の写真は、どじょうすくい踊りで、下の写真は、踊りの「炭坑節」。
この「すぷらうつ」は、転倒予防・介護予防・自立支援を目的とした機能訓練を行う、リハビリに特化したデイサービスを提供するところ。スタッフ全員が介護予防運動指導員を取得しているほか、最新の機器も揃い万全の体制が整っているとのこと。名前のすぷらうつ=sproutsは、新しい芽吹きという意味。「新しいことが達成できた時の喜びを一緒に分かち合いたい」との願いが込められているとのこと。

2015年10月9日金曜日

朝日新聞社・福島工場


2年前の6月に新しい中之島フェステバルタワーに本社が移転した機会に本社を見学して以来、新印刷工場を見学したいと思いながらやっと今回、実現した。
朝日新聞の印刷は、㈱トッパンメディアプリンテック関西(TMK)という、凸版印刷と朝日新聞社が共同で設立した会社(平成24年6月設立)で行われている。ここでは、朝日新聞の朝・夕刊をはじめ、日刊スポーツなどの協力新聞を大阪市、大阪府北部、奈良県などの地域へ向けて印刷・発送している。朝刊約60万部、夕刊30万部、日刊スポーツ、朝日小学生新聞、日本農業新聞などが印刷されて、朝日新聞を印刷している工場の中では全国最大の規模である。生産設備は 輪転機をはじめとし信頼の高い新鋭設備が導入されている。
工程の流れは、本社からのデータでCTPという製版装置でアルミニウム板にレーザー光線を照射して焼き付けし、輪転機に取り付ける刷版を作る→輪転機に刷版を自動的に取り付ける→自動倉庫に保管されているロール紙(幅1.6m、長さ1.9km、重さ1.3T、直径1.6m、8ページで35,000部印刷可)を輪転機に自動供給→輪転機で印刷され、裁断・折り曲げされる→キャリアという装置で次の工程運ばれ→自動仕分け・梱包→トラック別の自動積み込み・発送という一連の流れ。輪転機は5ラインあり、1ラインあたり1時間で最高で16万部の速度で印刷ができるが、今回は10万部での速度の印刷を見学した。
今回、ロール状に印刷されたものを裁断して折り曲げて1部の新聞に高速で仕上げる自動工程に興味を持った。
今回は住吉区からの見学者19名と工場見学記念版の記念写真を撮る予定が、集合時間より遅れたため1名の記念写真となった。遅れた原因はJR東西線の京橋駅で乗車し、海老江駅で下車したが、この駅が地下で地上に上がったら方向が分からなくなり、道に迷ってしまったため。地上駅であれば方向を間違うことはないが、地下だと完全に方向音痴になってしまった。 今回、午前(我々は午後1時半の見学)に見学者が2万人を超えたとのことで、翌日の朝刊にも掲載された。

2015年10月8日木曜日

平山郁夫展

京阪百貨店(守口店)30周年の記念として、悠久のシルクロード「平山郁夫展」が開催(8日~18日)された。
この本展では、シルクロードの作品を中心に画伯の足跡をたどり、被爆画家として平和の祈りを込めて描いた本画や素描など約60点により、画業が回顧されていた。 
ここでの目玉は、横幅約3.6M、縦幅約2Mの「アフガニスタンの砂漠を行く・日」「アフガニスタンの砂漠を行く・月」(下の写真)で、見ごたえのある素晴らしい作品だった。
過去に尾道市瀬戸田町にある平山郁夫美術館、滋賀県守山の佐川美術館(常設)などで鑑賞したことがあったが、会場の関係もあってか展示点数は少なかったが、久しぶりに平山郁夫画伯の作品を楽しむことができた。

2015年10月3日土曜日

健康フォーラム

第16回健康フォーラム「未来医療への挑戦」の講座が大阪ガーデンパレス(新大阪)であり受講した。
第1部のテーマは、「生活習慣病と健康寿命」、「健診は健康管理の一里塚」「日々の食事と健康寿命」「アクティブライフで体力づくり」、第2部は特別講演「健康寿命を延ばす効果的な運動法」であった。概要は以下の通り。
1)健康長寿/ぴんぴんころり、年は取るものではなく年は重ねるものである。 物にLife end製品寿命があるように、人にも遺伝子という設計図に書かれた寿命がある。その寿命がくるまで健康寿命でありたいと、食事・生活・運動面での努力を続けることが重要である。
2)人間は、五官で入力して運動器官で出力する生存機械である。老いに伴う五官の劣化と運動器官の劣化、入力量の低下と出力量の低下はボケに直結する。入力量は目から87%、耳から7%、その他器官から6%であり、目は重要である。出力量は身体を動かし、積極的な社会参画が必要である。
3)筋肉量と健康寿命は比例する。有酸素運動と無酸素運動、ストレッチングを組み合わせたエクササイズが最適である。
4)健康寿命を延ばすためには、生活習慣病にならないことはもちろんであるが、なってしまえばそれ以上進行しないように努力することが重要である。その中で、食事をゆっくりとり一口30回は噛むことをすれば認知症防止、血糖値の低下、食べすぎの予防ができる。
5)健康寿命を延ばす効果的な運動としては、下肢筋力を鍛える、やバランス能力など体力をつけることが必要不可欠である。ここではノルディックウオーキングが体力をつけるのによいとの説明があった。 以上がまとめの概要であるが、第1部のタイトルで目新しいものを期待したが、一般的な内容だった。男性の平均の健康寿命は、71.11歳、我が健康寿命は3歳ほど延びている。が、今回の受講の機会に、より延ばすように日々の有酸素運動・ストレッチ体操、食事面、ボケ防止に努めようと、改めて誓った次第である。

「徹子の部屋」展

日本で初めての本格的なトーク番組として、1976年2月2日にスタートした「徹子の部屋」(テレビ朝日)が放送開始40年目に入り、司会の黒柳徹子さんがゲストをスタジオに招いて対談するというスタイルは、昭和・平成を通して40年間変わらず、その出演者は延べ10,000人を超えたとのこと。その記念として大阪高島屋にて本展が行われていた。(30日から12日まで)
その40年の歴史を振り返り、過去の写真や延べ10,000人のゲストの名前などがパネルで紹介、また「徹子の部屋」のスタジオの再現、名場面を集めた映像(第1回目の出演は故森繁久彌さん)の放映もされていた。それ以外にも黒柳さんの衣裳や番組のエピソード、舞台裏などの紹介もあった。 この番組を時々みているが、このようなスタイルで40年も続いているとは、すごいことと改めて思う。

2015年9月29日火曜日

「加島屋と広岡浅子」展

28日からスタートしたNHK連続テレビ小説「あさが来た」のヒロインは、江戸時代の大坂の豪商「加島屋」に嫁ぎ、女性実業家の先駆けとなった広岡浅子がモデルである。その浅子が創業者の一人である大同生命の大阪本社ビルは「加島屋」本家があった場所に建っている。そのようなドラマの誕生した場所で、「加島屋と広岡浅子」を当時の貴重な資料と丁寧なパネルで紹介されている。
この展示は大阪肥後橋の角、大同生命大阪本社2階のメモリアルホールでNHK連続テレビ小説「あさが来た」が終わる来年の3月までされている。入場料は無料。この展示で広岡浅子の波瀾に満ちた生涯が大変よく分かり、これから「あさが来た」をみるのが一層楽しみになりそうだ。
このメモリアルホールは、建築家ウィリアム・ヴォーリズが設計した大同生命本社ビルの一部として保存されているところ。 また、ヴォーリズが一柳満喜子と結婚したいきさつ(浅子の一人娘の養子婿(広岡恵三・大同生命2代目の社長)の妹で、片や華族のお嬢様、片や外国人で大反対の中で浅子だけが賛成したこと)なども紹介されている。

「NORIN TEN」

1960年代、世界の食糧危機が起こった時、インドやパキスタンの人々を飢えから救った小麦があった。その小麦の基となったのは「NORIN TEN」(小麦農林10号)と呼ばれた、日本人が育種した小麦だった。 この「NORIN TEN」を作ったのは、育種家である稲塚権次郎(1897~1998年)。今から80年前の昭和10年岩手県立農事試験場で育てられた。
この物語は、今では世界の小麦の70%以上の基となった「NORIN TEN」の育種者、稲塚権次郎の愛と苦悩と葛藤を描いた映画である。 明治末期、貧しい農家の長男に生まれた権次郎が、貧しい農家を救うためには、美味しくて収量が高い米を作ることが大切と、育種家の道を邁進し、東京帝国大学農学実科を卒業。そして秋田県農事試験場陸羽支場で、最初に「陸羽132号」の品種選抜、「水稲農林1号」(これが後に「コシヒカリ」となる。)の育種に取り組んだ。その後実力を買われ岩手県農事試験場で小麦増産の国家的プロジェクトに加わり、次々と小麦の新種を開発。そして昭和10年秋、ついに小麦農林10号=「NORIN TEN」を完成させた。これが戦後、GHQの米農務省関係者に持ち帰られ、アメリカやメキシコでこの「NORIN TEN」を基に新種が生み出されて小麦の収穫高が飛躍的に増加した。この新種の種をインドやパキスタンに送られて食糧危機を救ったと、言うことである。
この映画をみて日本の農業が苦境にたっている中で、世界の小麦を育てたのは日本人であったことをはじめて知ることができた。すごい人だったと改めて感銘を受けた。また、権次郎さんのひたむきに、真面目に決して諦めない執念にも感銘を受けた。 これは大阪梅田の「シネ・リーブル梅田」で上映中。

2015年9月26日土曜日

クレパス画名作展

高島屋(大阪)にて、クレパス画名作展が開催され鑑賞。パンフレットによると、クレパスは1925年(大正14)に誕生して、今年で90年になりる。クレヨンとパステルの特性を兼ね備えた描画材料として日本で開発されたクレパスは、学校教材として普及して、子供から大人まで身近に親しまれ愛用されてきた。着色性が良く、しかも伸展性が優れているので、混色・重色・面描き・削りなどが容易なためいろいろな表現方法が創造できる魅力的な画材である。多くの著名な画家たちがクレパスを使って新しい技法に挑戦し、油絵に勝るとも劣らない作品を描いてきた。本展では、クレパスの開発と普及に関わった画家・山本鼎(かなえ)をはじめ、大正・昭和の時代に日本の美術画壇の中枢で活躍した巨匠たちが描いたクレパス画とともに、現在、第一線で活躍中のアーティストたちの新作もあわせて約150点が紹介されていた。 
風景画、静物画、人物画など繊細に描かれたクレパス画を鑑賞し、展示会の出口には、大人や子ども用のぬりえのコーナーもあり、実際にクレパスを使ってぬりえをして楽しんだ。
この機会にクレパスを使って風景画を描いてみたいなぁ~と、思う。

2015年9月21日月曜日

無鄰菴(山県有朋の別邸)

明治27年から明治29年(1896)にかけて明治・大正の元老である山県有朋(やまがたありとも)が京都東山に造営した別荘、「無鄰菴(むりんあん」を訪れた。(今回で2回目)
有朋は京都の木屋町二条に別荘を構え、その名を「無鄰菴」といい、さらに新しい地に好みの別荘を作りたいと考え、明治27年、現在の地で「無鄰菴」の造営にとりかかり、工事中に日清戦争の勃発により一時中断したが、明治29年(1896)に完成した。
有朋はこの別荘の庭園をこよなく愛し、多忙な公的生活の合間にも夫人を伴ってしばしば訪れたが、その後大正11年に83歳で死去。 
敷地の大半を占める庭園(面積約3135平方メートル)は、有朋自らの設計・監督により、造園家・小川治兵衛(じへえ)が作庭したものである。ゆるやかな傾斜地に、東山を借景とし、疏水の水をとり入れ、三段の滝池、芝生を配した池泉廻遊式庭園である。(以上、パンフレットなどから抜粋)
別荘内にある洋館は明治31年の建立で、2階には江戸時代初期の狩野派による金碧花鳥図障壁画で飾られた部屋があり、ここで明治36年(1903)4月21日,元老・山県有朋、政友会総裁・伊藤博文、総理大臣・桂太郎、外務大臣・小村寿太郎の4人によって、日露開戦直前のわが国外交方針を決める「無鄰菴会議」が開かれた部屋が、当時のまま保存されていた。
天王寺の住友本家跡の「慶沢園」や平安神宮の庭園など多くの庭を手がけた治兵衛作の庭園をゆっくりと散策し、また和室に座り心静かに庭園をみて過ごした。 少しばかり紅葉も始まりかけていたが、11月中頃にはもう一度訪れてみたい。