最近、故ウィリアム・メレル・ヴォーリズさんのことをもう少し知りたくて、近江八幡を訪れた。今回は現在残っているヴォーリズ建築や記念館などを見物した。
故ヴォーリズさんの概要は、以下の通り。
キリスト教伝道の熱き志をもって近江八幡に足を踏み入れたのは、今からおよそ100年前の1905年2月2日のこと。滋賀県立商業学校(現八幡商業高等学校)の英語教師として英語を教える傍ら放課後バイブルクラスを開設し、多くの学生をキリストに導き、学生たちの人生に大きな影響を与えた。このことが原因で、彼は教育現場から追われた。しかし、「挫折と意気消沈の只中」から不退転の決意をもって立ち上がり、建築設計事業を始め、自給自足の精神をモットーに情熱的に社会事業を展開。びわこ湖畔にYMCA活動やキリスト教伝道・教会建設をしながら、近江サナトリウム(結核療養院・現ヴォーリズ記念病院)を開設。学校教育(現ヴォーリズ学園)事業を夫人一柳満起子と共に起こし、キリスト教伝道・医療・福祉・教育事業を展開して地域社会を始め、日本国内に歴史的な足跡を遺した帰化日本人である。彼はこれらの社会事業を財団法人近江兄弟社の事業として位置づけ、その事業展開のための資金調達を建築設計(現一粒社ヴォーリズ建築事務所)や家庭常備薬メンソレータム(現メンターム)の製造販売(現㈱近江兄弟社)によって成し遂げた。彼(ヴォーリズ)は生涯私有財産を持たず、すべてを社会事業のために捧げ、自ら住んでいた住居(現ヴォーリズ記念館)さえも私物化しなかった。ヴォーリズが建築設計家として日本に遺した建造物は1600を数え、今も多くが現存している。彼が社会のために立ち上げた事業は、近江兄弟社の事業として、その精神と共に継承され、現在6法人・15事業体に発展している。(以上、関連サイトから抜粋)
写真上が「ヴォーリズ記念館」(昭和6年建築)でヴォーリズ夫妻が後半生最後まで住んだ住宅である。その内部の一室のみ見学が出来て、若干24歳で米国から近江八幡に来て、そこに留まったヴォーリズ(日本名:一柳米来留)の信仰と自給自足による社会事業の足跡がよく分かる。写真中は、大正時代に建築されたアメリカ式の洋風住宅の1棟、写真下は旧八幡郵便局である。
今回は時間的に行けなかったところもあり、再度訪れたい。若干24歳で米国から近江八幡に来て、これだけのことを成し遂げたことはすごいことだと改めて思う。
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