2015年8月29日土曜日

「一万人の第九」練習スタート

今年、第33回を迎える「サントリー1万人の第九」の練習がスタート。 本番の12月6日(日)までに6回の合唱練習、佐渡指揮者の総合レッスン、前日5日のリハーサルがある。 クラスは昨年と同じ「森ノ宮1」(約150名)で、指導は同じく有本先生だった。
この「サントリー1万人の第九」は、2000年に初めて参加して以来、今回で15回目、第九演奏会の出場は通算で46回目となる。すごいかなぁ~? 何となく惰性で出場している間に出場回数も上がって今日に至った。目標としている50回までは、もう少しだ、まずは今回の本番に向けて頑張ろう!

2015年8月27日木曜日

シンガポールから帰国

ホテル11時前にチェックアウトして、11時20分にバス乗り場地下1階に全員集合しチャンギ空港へ。13時55分発Singapore航空直行便で帰国。自宅には午前1時前に着いた。
昨年友人とシンガポール旅行を予約して楽しみにしていたが、体調不良のため急遽キャンセルしたことがあった。が、今回何とか叶うことが出来てよかった。
まず心配していた空港でのセキュリティーチェックで日本出国やシンガポール出国で引っかかることもなかったこと。体調も旅行中は特に心配なく普通だったが、帰国の飛行機内での昼食がないとのことで、空港内で13時半頃に昼食(焼き飯)して、搭乗後1時間半後に夕食?が出て、それを少し無理し食べたことと、機内が非常に寒いこともあって胃腸を壊してしまい、帰ってからまる1日は、おかゆしか食べられず過ごした。どうも海外旅行をすると何か調子が狂うようだ。

憧れのシンガポールは、治安が大変よい、街が綺麗でゴミが落ちていない、街の中には木が多くそれも大きく、街全体が大変緑豊かである、街の中には看板が少なくすっきりとしている、年中気温がほぼ一定で、TシャツとズボンがあればOKで、あまり生活費がかからない、個人所得が世界3位である、などなどで素晴らしい国。今回、行きたかったナイトサファリー、セントーサ島とユニバーサルスタジオ、メインストリートの散策、美術館、博物館など多くあり、また機会を見つけて行ってみたいなぁ~。

4日目シンガポール植物園

午前11時までは自由行動で、タクシーで約15分にある1859年に開園した52ヘクタールの広さをもつ植物園(語名はボタニック・ガーデン)に行ってみた。 ここの園内には6万本以上のランを栽培する世界最大規模の蘭植物園、花時計を配したフラワーガーデンをはじめ、熱帯植物の原生林、鳥たちが遊ぶ池、国立蘭園、ジンジャーガーデンなどがある。現在、人口過密のダウンタウンでは残り少ない貴重な緑地のため、ひとときの癒やしを求めて大勢の市民や旅行者が集まる名所となっており、8時前に着くと多くの市民がマラソン、ウオーキング、太極拳などをする姿が目に付いた。現在、世界遺産の登録を申請中とのこと。
園内は無料であるが、その中の「オーキッドガーデン」(写真上)は、普通は有料であるが、特別期間のため無料、ラッキー!だった。
園内を散策しながら熱帯植物の原生林や蘭をみて十分に楽しんだ。 約2時間弱の散策・見物だったが、また来てみたいところだ。ヽ(;▽;)ノ

2015年8月26日水曜日

3日目マレーシアのマラッカ

2日目(26日)は自由行動でマレーシアの古都マラッカへ。 家内がネットでバンダバスに予約し、現地案内でマラッカ(マラッカは英語、マレーシア語:ムラカ)を訪れた。
概略の行程は8時10分にバスで迎えに来てくれて、5箇所のホテルを巡回して客(約15名)を乗せて出発→シンガポールを出国(ここで日本から入国した残りの半券を取られる)→またバスに乗車して、国境の橋を渡ってからマレーシアの入国手続き(パスポートチェックのみ)、ここでマラッカに行く我々は10人乗りの車に乗り換え、我々と20代の女性3名(計5名)で出発、ガイドは48歳の男性、運転手は40代?黒人→高速道路と一般道で約3時間で到着。
12時半頃に着き、まず昼食を取ってから約2時間半、世界遺産登録の街並み・オランダ植民地時代(1753年)に建設されたキリスト教の教会・当時の役所(現在は博物館)などの遺跡を徒歩にて見物した。 また、ポルトガル軍によって1521年に建てられた教会には、日本でもお馴染みのセント・フランシスコ・ザビエルが1545~1552年の期間に定期的に、この教会を訪れ布教活動を行っていた。中国の布教活動中、熱病に冒され殉教した後、その聖骸が9ヶ月の間この教会で安置されていたとのこと、その安置所も見物。(中の写真)
マラッカ名物、サイドカー仕様の人力車「トライショー」が面白かった。カラフルで独自の飾りつけをしている。排気ガスを排出しない究極のエコロジーカーで、観光名所を巡る移動手段として珍重されている。料金メーターはついていないので運賃は交渉制だ。(下の写真)
見物が終わり、同じ高速道路を走りマレーシアを出国、シンガポールの入国には入国カードを作成し、セキュリティー検査(金属探知機、多分武器などを調べるためだろう)を受けて出来た。帰ったのは夜の8時過ぎで、結構長距離の移動とマラッカは蒸し暑くて疲れた。

2015年8月25日火曜日

2日目シンガポール旅行

中国語で「財富之泉」と呼ばれる富の噴水は、世界最大の噴水。1998年にギネス・ブックにも記録されているもので、最大の見どころは、風水に基づいて噴射される噴水に直接触ることができる点で、右手で噴水の水を触りながら3周すると、願い事が叶うと言われているそうだ。
実際に3周してみた。また、夜になるとレーザー・ショーも開催され、美しい音楽も演出されてロマンチックな思い出つくりにピッタリな観光スポットらしいが、残念ながら夜には行けなかった。
シンガポールを代表する名門のラッフルズホテルは、開業がイギリス植民地時代の1887年。レトロなホテルで、観光名所の一つになっている。東南アジアならではのロマンチックな情緒をたたえたホテルだった。ただ、ホテル内部は見物できなかったのが少しザンネン!!

マリーナー・ベイ・サンズ

マリーナー・ベイ・サンズは、5つ星ホテル、カジノ、ショップやエンターテイメント施設などが揃う高級総合リゾート。
この5つ星ホテルは、3つのタワーがあり、その上に船の格好をした地上200Mのスカイパークと全長150メートルの美しい屋外インフィニティプールがある。この高さでは世界最大の広さで、5つ星ホテルが誇れるものの一つ。男性ガイドの話によれば、世界でも最も収益がある超人気のホテルだそうだ。(2010年開業)
今回の部屋は、プレミア・ルーム(ネットでの部屋代は一泊約4万円)で、タワー2の3067号室ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ側だった。 部屋は 明るく広々とした47平方メートル、ゆったりと過ごせた。5つ星ホテルで大変綺麗でよかったが、何故かトイレが洗浄式でなかったのが少しザンネン!!
スカイパークとインフィニティプールの利用は宿泊客のみで、朝6時から夜12時まで、部屋で水着・ガウンを着て(普段着でもOK)でドアーの個人カードを提示すればいつでも利用できる。バスタオルも用意されているので持っていく必要がない。いつも多くの宿泊客で賑わっていた。プールには夕方に見物し、夜に行って泳いでみた。深さは胸のあたりで、プールに入っての風景、特に夜景が非常に素晴らしかった。
それと朝食はタワー1の1階の広々とし吹き抜けフロアー、バイキングであるが和中洋で種類が多く、大変満足のいくものだった。
写真上:マリーナー・ベイ・サンズの5つ星ホテル、写真中:夜泳いでいる証拠写真、写真下:昼間のプールで手前は子ども用のプール。

シンガポール旅行(1・2日目)

24日、午後23時30分発Singapore 航空直行便にて関空より出発、約6時間10分のフライト後の現地時間午前5時10分(時差1時間遅れ)にチャンギ空港(第3飛行場)に到着。 今回、トラピックスのツアーで参加者35名(子ども6名、夫婦8組、女性グループ他)と多かった。
1日目の概要は、アリーナ・ベイ・サンズ(宿泊ホテル)の南側にある①ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ(植物園)で朝一番の散策・見物→②マーライオン像公園→③富の噴水→④ラッフルズホテルの散策→チャイナタウン、それ以外に免税店、皮革製品店、健康寝具店を3箇所へ→午後3時過ぎに宿泊のアリーナ・ベイ・サンズ(ホテル)に到着。
①のガーデンズ・バイ・ザ・ベイはマリーナ湾を見渡せる広大な敷地を持つ植物園、高さ50Mの人工の木「スーパーツリー」からは、園内だけでなくマリーナ・ベイ・サンズをはじめとする観光名所がぐるりと見渡せる。ロケーション抜群のこの植物園で、世界の樹木や花々のエネルギーに触れることができる。短時間だったのでゆっくり散策して見物ができなかったのが残念!!(上の写真がアリーナ・ベイ・サンズの30階の3067号室のベランダからの植物園、夜景も素晴らしい)
②のマーライオン像は、シンガポールのシンボル的存在で、多くの観光客で賑わっていた。遠くに写っているのが、アリーナ・ベイ・サンズの5つ星ホテルで、3つのタワーの上には船の格好をしたところにスカイパークとプールがある。
③富の噴水、④ラッフルズホテルの散策は、後で・・・・。

2015年8月20日木曜日

京都奥嵯峨の下見へ

「工学部学友会」の第8回フォト同好会(テーマ:奥嵯峨の紅葉を満喫して思い出の写真を!)を11月25日(水)に計画しているため、その案内書を作成するのに下見に出かけた。いつも嵐山・嵯峨へは車で行っていたが、今回はじめてJRで奥嵯峨野を訪れてみた。 
フォト同好会の大体のコースは、JR嵯峨嵐山駅で下車→落柿舎(周辺の風景)→二尊院(入山拝観)→祇王寺(入山拝観)⇒昼食⇒嵯峨鳥居本周辺の撮影→あだし野念仏寺(入山拝観)→清涼寺→JR嵯峨嵐山駅ということで考えようと決めた。
まだ奥嵯峨は、シーズンオフでもあり人影はまばら、閉まっている店屋も見られたが、次に訪れる11月には多くの人で賑わうだろう。奥嵯峨の錦秋を楽しみ、よい写真を撮りたいものだ。


2015年8月18日火曜日

涼を求めて六甲山へ

猛暑が続く中、どこかに涼を求めて出かけたいとのことで、1週間前に六甲山を計画して、車で出かけた。天気予報では曇りであったが、うまい具合に晴れになりよかった。 高速中国道の西宮山口から有馬温泉口、芦有道路を通り、まずは「六甲高山植物園」にて園内のガイドで約40分ほど高山植物を鑑賞。次に摩耶山の国民宿舎「神戸麻耶ロッジ」にて昼食、約10分徒歩にて展望台(掬星台)で神戸市内を一望。森林植物園に行く予定だったが、途中山崩れで通行止のため残念ながら行けなかった。20数年ぶりの六甲であったが、さすがに約5~6度気温が低いため気持ちよいひと時を過ごせてよかったヽ(;▽;)ノ

2015年8月17日月曜日

映画「日本のいちばん長い日」

この映画(松竹)は8月8日に公開されたが、TOHOシネマからは15日から上映された。
物語は、第二次世界大戦末期、戦況が絶望的となった1945年4月、鈴木貫太郎内閣が発足。そして7月、日本はポツダム宣言の受諾を迫られる。「降伏か本土決戦か」議論が揺れる中、アメリカは広島と長崎に原子爆弾を投下する。事態の悪化に天皇陛下のもとへ総理大臣、陸軍大臣らが集まり御前会議が開かれ、天皇のもと降伏の聖断がが下る。しかし、降伏に反対する若き陸軍将校らは”終戦を国民に知らせる玉音放送を中止させよう”とクーデターを計画する。 戦争終結のため、信念をかけて真っ直ぐに生きた人々を描き出す物語だった。
終戦を終わらせる過程で、このような降伏に反対する若き陸軍将校もいたということを知ることができたし、その時代に生きていた人々の生き方をも知ることも出来た。 また、首相:鈴木貫太郎(山崎 努)、海軍大臣:阿南惟幾(役所広司)、昭和天皇(本木雅弘)、若陸軍将校:畑中少佐(松坂桃李)を演じていたベテランの役者は、さすがにすごいなぁ~と感銘。

2015年8月14日金曜日

日野「火ふり祭り」

毎年8月14日・15日に盆の夜空を彩る夏の風物詩「火ふり祭り」が行われ昨年に続いて見物。 これは日野祭のお旅所である上野田の通称「ひばり野」(松の木などが数本あるこじんまりとした公園、ここに武将「蒲生氏郷像」もある)で古くから行われている祭。上野田(こうずけだ)の氏神、五社(ごしゃ)神社で、町内の人たち百数十人が松明(竹材とわらで作った2.5~3mのもの)に火をつけ、 その年の日野祭のお稚児さん3人を中心に松明の行列が「ひば り野」(約2km)へ向かう。
「ひばり野」へ到着後(松明の長さがちょうど投げられる程の長さになる)、太鼓の合図とともに百数十本の松明が松の木に投げ上げられる。 枝にかかると大きな歓声があがり、松の木に松明が多くたまれば、その年は豊作といわれる、勇壮なお祭。
8月14日・15日のお盆の時期に行われるこの祭りは日野町各地で行われている盆行事の精霊火が転化したものと考えられている。 
ずいぶん昔、幼少~小学生のころはよく母親の里のお盆に連れられて、「ひばり野」の前にある親戚の2階の特等席でみたことが、改めて懐かしく思い出された。

2015年8月12日水曜日

世界報道写真展

オランダで開催された世界報道写真コンテストの入賞作を紹介する「世界報道写真展2015」(朝日新聞社など主催)が11日から大阪・梅田のハービスHALLで始まった。
今年は第58回目のコンテストで、131の国と地域、5692人のプロの写真家から合計9万7912展の応募の中から入賞した約62点が展示されていた。
世界で起きているイラン・イラク紛争で難民を乗せて脱出の船、生々しい殺害現場、現代社会の問題のエボラ出血熱や中国の環境破壊、マレーシア航空機の墜落現場と死人、奇跡的なスポーツラグビー選手の瞬間、こわれゆく自然の姿などを写真を通してより知ることができた。
隣のブースでは、昨年と同じように東北大震災の写真が展示されていた。

戦後70年報道写真展

阪神百貸店8階で、戦後70 年を迎える今年、日本が辿った軌跡を報道写真とともに振返り、少し先の未来まで見据えた写真展(共同通信社の主催)が12日より開催されていたので立ち寄った。また、阪神をとりまく梅田界隈の変遷など身近に時代を感じることができる展示もあった。
1945年8月15日、見渡す限り焦土の中で、日本は新しい歩みをはじめた。これまでの価値観が根底から覆され中で、貧しさに耐えながら夢を抱き、懸命に働くことにより世界でも有数の経済大国に成長した。しかし、順風満帆だったわけでもなく、右肩上がりの時代からオイルショック・狂乱物価を経験し、バブルに酔い・破れ、そして今は人口減少という本格的な少子高齢化時代を迎えている。また、阪神大震災・東日本大震災にも遭遇した。
会場にはこれらの時代々の写真が、1枚1枚展示され、それを見ながら改めて戦後70年を振り返ることが出来た。 よくぞ今日まで生き抜いてきたものだと我ながらつくづくと思う。

2015年8月5日水曜日

映画「ジュラッシクワールド」


あらすじは、あれから22年を経た「ジュラシック・パーク」は、最先端のテーマパークとして遂にオープンを果たし、「ジュラシック・ワールド」として毎日2万人の観光客でにぎわう高級リゾート地として大成功を収めていた。だが、更なるビジネスの拡大のためには、リピーターを増やす必要があり、誰もが驚く新アトラクションの開発が不可欠であった。そのため、史上初の遺伝子
操作によって新種の恐竜を生み出すという計画が進行。恐竜の調教師の警告にもかかわらず、パークの責任者であるクレアが新種12メートルの恐竜をついに誕生させる。 その新種の恐竜はGPSを外すことなどの知恵があり、うまく騙してオリから逃げ出しパーク内は大騒動へ発展していくというもの。
新しいCG技術と創造による迫力満点の動画を楽しむことが出来た。今回は2Dでみたが、3Dでもみたいものだ。

2015年8月4日火曜日

滋賀県平和祈念館

「西堀榮三郎探検の殿堂」を観ての帰りに「滋賀県平和祈念館」(道の駅あいとうマーガレットステーション近く)に立ち寄ってみた。
ここは滋賀県内の戦争関連資料などを収集・展示しているもので、戦争の記憶を次世代に継承しようと、平成5年度から県内の戦争体験者の証言や資料の収集を行い、収集した証言や資料を展示して活用するため24年3月17日に開館。
定期的に企画展、年2回の戦争体験者の話を聞く会を開くなどしている。また出征した人やその家族らから戦争体験を聞き、記録する活動も続けているとのこと。
県内の戦争に関する写真・資料などが展示されて、昔子どもの頃にみた戦争の写真や資料もあり懐かしい感じもした。

西堀榮三郎記念探検の殿堂

一度訪れたいと思っていた「西堀榮三郎記念探検の殿堂」へ。この探検の殿堂は、平成6年8月、旧湖東町にゆかりが深く(父親が地元の出身)、すぐれた探検家である西堀榮三郎を記念し、日本人による近代探検の歴史と探検家たちに学びながら、探検に不可欠な「探求心」「チャレンジ精神」「創意工夫の心」「新しい技術の試み」を21世紀を担う若者に広く伝えるために誕生。もう早や21年が過ぎて、ここの売りの一つだった「マイナス25度」の体験は5年目に終わっていた。地球の果てへの地理的探検は、南極から世界の屋根、ヒマラヤの高峰にまで足跡を残し、探検界のリーダーであった。そればかりか、科学者・技術者として自ら製造にも携わり、品質管理、原子力、海洋と、いずれの分野においても探検的精神を貫ぬき、教育者・哲学者でもあったと評価されている。(「探検の殿堂」サイトから抜粋)
西堀榮三郎氏(1903年京都で生まれ、86歳で死去)は、第一次南極地域観測隊越冬隊長としての活躍はよく知っていたが、真空管の開発、品質管理の指導、原子力の開発など、様々な分野で活躍されたことを改めて知ることが出来た。すごい人だったなぁ~と思う。

2015年8月1日土曜日

ひらかた市民公開講座

関西医科大学附属枚方病院による今年度初めての市民公開講座がラポールひらかた4F大研修室であり聴講した。タイトルは『ここまで進んだ!がん治療の最前線』で、講演ー1は「最新の肺がん外科治療~胸腔鏡手術について~、講演ー2は放射線治療の最前線であった。
がんは、男性で二人にひとりは、がんで死亡するという。がんを怖がらない、また逆に怖がりすぎないようにして、がんに対する知識を十分心得ておくことが大切であるとのこと。今回、そういう意味で聴講した。がんに対する関心が高い市民が集まり満席だった。
肺がんについては、増加している病気である。手術療法は、全身に広がっていない病気に対する局部治療としては有効である。最近は痛みがすくない、かつ根治性を損なわない「胸腔鏡手術」が可能な時代になってきた。
放射線治療については、この15年、これからの15年はより集中的に照射することで治療成績が向上、有害事象は軽減、治療対象は全身すべてのがんに拡大する。これから粒子線治療を中心に、更に発展して手術と肩を並べる治療になるだろう。 とのことだった。