2017年12月30日土曜日

Bar Move On

湖風会「工学部学友会」の会員Kさん(S63年機械科卒)が経営する「Bar Move On」に出かけた。
ここは都島区都島北通り2丁目にあり、京阪電車「野江駅」から徒歩で約15分。地下鉄都島駅からは徒歩約10分のところ。
Kさんは卒業後、機械関係の会社に3年ほど勤めていたが、やめて友達と二人で関目にてBarを3年程やって、その後独立して今の「Bar Move On」をはじめて14年とのこと。機械関連の仕事とは、全く畑違いであり、どうしてこの道にと動機を聞いてもあまりはっきりということはなく、何となくこの道に…との話だった。
6時15分に入って9時前までいたが、お客さんも3名来て、それなりに流行っているようだった。

2017年12月25日月曜日

兵庫県豊岡市で「葬儀」

次女の嫁ぎ先の義母が亡くなり葬儀のため豊岡市へ25日お通夜、26日告別式に参列した。
25日(月)は、次女と孫娘(3・5歳)二人と家内の5名で京都駅から11時25分発の特急「きのさき5号」に乗車し、豊岡市に13時49分に着いて駅前のホテル「豊岡グリーンホテルモーリス」にチェックイン。
16時頃に着替えて「メモリアルホールゆうなぎ」に。お通夜は午後7時から始まり7時半過ぎには終了した。
翌日の告別式は、午前9時40分から始まり、終わって火葬場に11時到着。一旦「メモリアルホールゆうなぎ」に戻り昼食後、13時からの骨拾い、それが終わり火葬場で解散だった。
帰りは豊岡駅16時22分発特急「きのさき20号」に乗車して帰宅した。天候は雨模様でよくなくて、これといった観光もなく帰った。
ホテルは部屋も結構綺麗で、大浴場もありよかった。
写真は上から「豊岡グリーンホテルモーリス」、ホテルの窓からみた虹、特急「きのさき20号」

2017年12月20日水曜日

運転免許書更新の認知機能検査

運転免許書の更新時期が75歳以上であれば、まず認知機能検査を受けて、続いて高齢者講習を受講して更新できる。認知機能検査は更新期限の6カ月前(誕生日の1カ月後が更新期限)に通知書が郵送されてきて、近くの指定された自動車教習所で受講することになる。私は自転車で15分程度にある枚方自動車教習所に通知書が届いて1ヶ月後(10月)に受講申し込み、12月13日午後2時から受けた。受験者は10名と少なかった。
これは記憶力や判断力を測定する検査で①時間の見当識、②手がかり再生、③時計描画という3つの検査項目について、検査用紙に記入して行われる。検査の実施は、約30分ほどで終わる。
具体的には、次の3つの検査項目を受ける。
①時間の見当識:検査時における年月日、曜日及び時間を回答するもの。 ②手がかり再生:一定のイラスト(16個のイラスト)を記憶し、採点には関係しない課題を行った後、記憶しているイラストをヒントなしに回答し、さらにヒントをもとに回答する(点数の約80%を占める)⇒Bパータンが出た。③時計描写:時計の文字盤を描き、さらに、その文字盤に指定された時刻を表す針を描くもの⇒11時10分の針を描けだった。
詳しい検査内容は、警察庁のホームページに掲載されているので、特にみて覚える絵のカード・pfdファイル(A・B・C・Dパターンの4ファイル)をダウンロードして、印刷し何とか更新したいので…必死に覚えた。http://www.npa.go.jp/…/applicat…/license_renewal/ninchi.html
この資料を使って模擬体験ができるページが、知人から送ってきたので、これでもやってみた。次のURLをクリックして体験ができる。http://qpon-toyota.com/ninti_test/
これから更新される75歳以上の方は、事前にやっておくと良いでしょう。
その認知機能検査結果通知書が一週間後に届いて、総合点100点の満点で「記憶力・判断力に心配ありません」という判定結果だった。
そこで、すぐに枚方自動車教習書に高齢者講習を申し込むと、更新期限の3月21日までは予約が一杯、仕方ないので香里園自動車教習所に電話したが、ここも同じくダメだった。そのため次の守口自動車教習所に電話して、何とか予約ができた。高齢者講習がどこも予約で混んでいるとの噂が本当だったと痛感した。

2017年12月9日土曜日

大阪城イルミナージュ

「大阪城イルミナージュ」が大阪城西の丸庭園で11月22日から開催されているので見物して楽しんだ。
このイルミナージュは、歴史の大転換期・幕末維新の時代の大坂城下を、夜空にそびえる天守閣をバックに西の丸庭園に再現されていた。さらに、大阪城と友好城郭提携を結んだフランス・ブルターニュ大公城も登場など、和洋折衷のイルミネーションも体感できた。
幕末・維新エリアでは、ライトアップされた大阪城を借景として150年前にタイムスリップしたような感覚を味わる撮影スポットが多数登場、巨大扇子、瓢箪のクリスタル提灯、将軍や大名が乗船した御座船などが登場していた。 

2017年12月8日金曜日

御堂筋イチョウの銀杏

歯医者に行った帰りに御堂筋のイチョウの銀杏を300人に配布という新聞報道があり、大阪市役所に立ち寄った。午後2時半頃に行くと多くの人が並び整理券が配布されていた。整理券159番を受け取り3時過ぎから約100粒の銀杏(ビニール袋)と御堂筋イチョウライブラリーマップが配布された。
食べ方は、ネット上で調べるといろいろとあるが、「封筒に入れてレンジでチン!簡単に美味しく食べることが出来ます。封筒の中でパン、パ~ンと弾けて(^o^)熱々を爪楊枝で取って食べます(*^_^*)」といった簡単な方法で食べてみた。それほど美味しいものではないが、ちょっとしたおつまみによいかなぁ~。栄養価もあり食べ過ぎないように注意が必要(10個以内)と書かれていた。
この御堂筋のイチョウ並木誕生の由来は、イチョウライブラリーマップによれば、道路幅44mの御堂筋に4列の街路樹を植えるにあたり、樹種選定では議論が紛糾した。役所内の会議では当時流行していたプラタナスが主流を占めていたが、イチョウを推す少数派もあった。イチョウについては「姿に風格があり、夏の木陰、秋の落葉など季節感の乏しい都会にはこんな季節感がある樹木が必要だ。イチョウは東洋の特産だから、外国人に珍しがられ、国際都市大阪を目指す大阪にふさわしい」と力説され、最終的には、大阪駅前から大江橋まではプラタナス、大江橋から南はイチョウという折衷案が出され、これに落ち着いた。イチョウの植栽は昭和8年に始め、昭和12年の完了までに928本が植えられ、現在では、大江橋北側のプラタナスはすべてイチョウに植え替えられている。この御堂筋は大阪を代表する美しい幹線街路であり、イチョウ並木は、「近代大阪を象徴する歴史的景観」として平成12年度大阪市指定文化財に指定されている。

2017年12月3日日曜日

「サントリー1万人の第九」出場

師走恒例のイベント「サントリー1万人の第九」が3日、大阪城ホールで開催され、17回目の出場をした。 35回目を迎える今年は、北海道から沖縄までのクラスが集まり、6歳から93歳までの合唱団が声をそろえた。第1部では、ゲストのバイオリニストの服部百音(もね)さんが出演。作曲家の服部克久氏を祖父、隆之氏を父に持つ音楽一家に育った18歳の天才が「夏の名残のばら」、「カルメン・ファンタジー」で華麗な技巧的演奏を披露、素晴らしく感動した。また、京都出身の3人組ロックバンド「くるり」も出演。スーパーキッズ・オーケストラ、大阪府立淀川工科高校吹奏楽部の若いメンバーととともに、同バンドの「ジュビリー」、「ブレーメン」を披露。またジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス」を合唱団と共に歌った。これも、またクラッシクと違ってよかった。第2部の第九は、35歳の俳優小栗旬さんが「よろこびのうたシラーの『歓喜に寄せて』より」を朗読されて始まった。小栗さんが出てきて、髪型がべートーヴェンにそっくりだったのには驚いた。あえてそのような髪型にされたのだろうか? 今回、このイベントを長年プロデュースされている小栗哲家氏の次男が旬さんであることを知った。親子出演と新聞などで報道されていた。その後、ベートーヴェンの交響曲第9番二短調作品125「合唱付き」、最後に「蛍の光」を全員で歌って終わった。
このイベントに携わって19回目となる佐渡監督は、終演後に感極まって涙。「点数のつけようがない達成感と満足感に包まれています。ベートーベンの求めていたことが、ここで実現しているような感覚です」と振り返っておられた。佐渡総監督の指揮も含めてめちゃカッコよかったなぁ~。この模様は23日午後2時からTBS系7局ネットで放送される。
下のURLに当日生中継した動画が、12月23日まで掲載されている。
http://www.mbs.jp/daiku/
今年も、この「サントリー1万人の第九」で終わるが、2000年に初めて参加して以来、今回で17回目。第九演奏会の出場は、1999年1月フェスティバルホールで朝日新聞120周年の第九演奏会から通算してちょうど50回目となる記念の出場、最後に終わって感極まったね\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/ すごいことかなぁ~?

2017年12月1日金曜日

五花街「宮川町」散策

京都御苑の紅葉を楽しんだ後、運動を兼ねて徒歩にて五花街の一つ「宮川町」を訪れ、その界隈を散策してみた。時刻が3時頃だったので、宮川町の通り辺は静まり返って、芸舞妓さんの姿も一人だけしか見られなかった。 しかし、夜ともなれば華々しい芸舞妓さんが行き交う風景も見られのだろうなぁ~と想像しながら散策した。
ここ「宮川町」は、260年程の歴史があり、四条通りの南座も近く、芝居茶屋として栄えたのが始まりと言われている。 現在は若手の芸舞妓が多く、大変賑わっている花街でもあるそうだ。毎年4月には「京おどり」、10月には「みずゑ会」で日頃の稽古の成果を披露されている。
 現在宮川町には40軒ほどのお茶屋さんがあり、80人前後の芸妓さんと舞妓さんが所属して、祇園甲部に次ぐ花街でもある。
まあ一度くらいは、お茶屋で芸舞妓さんとのお遊びもしてみたいものだなぁ~と。どなたか連れて行ってくれる人がいないかなぁ~、お金もいるけどね。

京都御苑の紅葉

3月28日~29日、高校クラス会の行事の一環として「仙洞御所」の参観を計画し、3ヶ月前の参観申し込みの初日(8時45分過ぎ)に宮内庁京都事務所(京都御所内)に出かけた。この「仙洞御所」や「桂離宮」「修学院離宮」などの参観申込み方法は、インターネット、往復はがき、京都事務所の窓口があるが、インターネットで団体申し込みがいけると思い、やってみたが思うようにいかず仕方がないので窓口に出向いた。
結果的に参観申込みは、どの方法でも代表者を入れて4名しかできず、それ以上は別の代表者で申し込みしないといけないとのこと。5名以上の団体申し込みができないというのだ、なんとい~うことか…。 クラス会で参加者12名(未だ未定)での参観なので、もう2名が代表として別途申込みしないといけないし、他の申込みが多いと抽選となり申込み時間が違うとか、抽選外れの可能性もあり、これは無理と断念。特に午後の各時間は、当日申し込みに割りあてているらしく12名を一度に申し込むことができない。そのため残念だが、この「仙洞御所」参観行事は諦めざるを得ない。
その後、折角朝早く来たので、京都御苑内の紅葉を楽しんだ。


2017年11月26日日曜日

山県有朋の別荘「無鄰菴」

友だちのIさんと「がんこ高瀬川二条苑」で舞妓・富津愈さんの舞をみて昼食後、山県有朋の別荘「無鄰菴(第三)」を訪れた。(今回で3回目で紅葉の時期は初めて)
ここは明治・大正の元老である山県有朋(やまがたありとも)が京都東山に造営した別荘である。
有朋は京都の木屋町二条に別荘(現在、がんこ高瀬川二条苑)を構え、その名を「第二無鄰菴」といい、さらに新しい地に好みの別荘を作りたいと考え、明治27年、現在の地で「無鄰菴」の造営にとりかかり、工事中に日清戦争の勃発により一時中断したが、明治29年(1896)に完成した。有朋はこの別荘の庭園をこよなく愛し、多忙な公的生活の合間にも夫人を伴ってしばしば訪れたが、その後大正11年に83歳で死去。 敷地の大半を占める庭園(面積約3135平方メートル)は、有朋自らの設計・監督により、造園家・小川治兵衛(じへえ)が作庭したものである。ゆるやかな傾斜地に、東山を借景とし、疏水の水をとり入れ、三段の滝池、芝生を配した池泉廻遊式庭園である。(以上、パンフレットなどから抜粋)
天王寺の住友本家跡の「慶沢園」や平安神宮の庭園など多くの庭を手がけた治兵衛作の庭園をゆっくりと散策し、また母屋(和室)に座り心静かに庭園をみてひと時を過ごした。紅葉が綺麗であった。
また、別荘内にある洋館は明治31年の建立で、2階には江戸時代初期の狩野派による金碧花鳥図障壁画で飾られた部屋があり、ここで明治36年(1903)4月21日,元老・山県有朋、政友会総裁・伊藤博文、総理大臣・桂太郎、外務大臣・小村寿太郎の4人によって、日露開戦直前のわが国外交方針を決める「無鄰菴会議」が開かれた部屋が、当時のまま保存されていた。

2017年11月24日金曜日

舞妓・富津愈さん

友達のIさんが舞妓さんを見に行きたいとのことで、「がんこ高瀬川二条苑」のイベント『舞妓さんに出会える日』に一緒に行って見てきた。綺麗な舞妓・富津愈さんの素晴らしい舞を3曲見て写真も撮って来た。この日もロビーの小さな舞台(畳三畳)での舞でしたが、「がんこ」に来た海外のお客さんも含めて一杯の人で溢れかえっていた。
質問時間に外人さんから英語で質問があり、その返答に流暢な英語でテキパキと話されるのには大変驚いた。京都には多くの外人が観光で訪れていて、舞妓さんも英語で話ができないと勤まらないので当然と言えば当然であるが、ペラペラと流暢に英語で話をされるし、綺麗で舞も上手いし、改めてすごいなぁ~と感心した。


京都嵯峨野「宝筐院」の紅葉

天龍寺塔頭「宝厳院」を拝観したあと、紅葉の名所でもある「宝筐院」を初めて訪れた。ここも紅葉が見頃を迎え多くの拝観者で賑わっていた。ここは竹林や苔に四季折々の花が映える、風情満点の庭園が美しい臨済宗の寺院である。カエデに包まれた苔が美しく、モミジやドウダンツツジも多くある。晩秋には見事な紅葉が見られ、境内のモミジの回廊が秋色に美しく変化する。入口から門をくぐるとまっすぐな石畳の道があり、その両側に紅葉のトンネルが続き、辺り一面が黄金色や赤色の紅葉に包まれる様子は見事であった。
ここ「宝筐院」は平安時代に白河天皇の勅願により創建されたと伝えられ、当初善入寺と称していたが南北朝時代に復興し、室町幕府二代将軍、足利義詮によって一時観林寺と改名された。さらに義詮の没後、現在の寺名に改められた。
江戸時代の宝筐院は天龍寺末寺の小院となり、門の位置は今とは異なり、南に向けて設けられていた。幕末には廃寺となり、五十数年を経て復興された。

2017年11月21日火曜日

天龍寺塔頭「宝厳院」の紅葉

天龍寺塔頭の寺院大亀山「 宝厳院」の秋の特別公開が行われていたので、初めて拝観した。さすがに紅葉の名所だけあって素晴らしくめちゃ多くの入園者で賑わっていた。
ここは室町時代に細川頼之公の財をもって、天龍寺開山夢窓国師より三世の法孫にあたる聖仲永光禅師を開山に迎え創建された。ご本尊は十一面観音菩薩、脇物には三十三体の観音菩薩、足利尊氏が信仰したと寺伝にある地蔵菩薩像が祀られており、西国三十三ヶ所巡りに等しいと伝えられている。また、庭園は室町時代の禅僧策彦周良禅師によって作庭。嵐山を借景として巧みに取り入れ、また「獅子岩」等の巨岩を配した借景回遊式庭園であり、江戸時代の京都の名所名園を収録した【都林泉名勝図会】にも掲載されている。寺伝によると、宝厳院は、寛正2年(1461年)室町幕府の管領であった細川頼之公の財をもって、天龍寺開山夢窓国師より三世の法孫にあたる聖仲永光禅師を開山に迎え創建された。
創建時は、現在の京都市上京区の位置にあり、広大な境内を有した寺院であった。応仁元年(1467)から文明9年(1477年)までの約10年間にわたって継続した応仁の乱により京の都は灰燼と化し、宝厳院もまた焼失する。その後、天正年間(1573年 - 1591年)において豊臣秀吉より再建され、御朱印料三十二石を付与、徳川幕府も明治に至るまで外護した。その後変遷を経て天龍寺塔頭弘源寺境内に移転し、現在地(旧塔頭寺院跡)に移転再興した。(以上、関連サイトから)


2017年11月19日日曜日

湖風会「近畿支部」第3回通常総会

湖風会「近畿支部」第3回通常総会が、11月19日(日)12:00~、矢吹安子「湖風会」会長の出席のもと大阪梅田のハービスPLAZ 5F会議室にて開催され、初めて出席した。
 出席者は役員含めて33名で、議事次第は次の通り。
1)開会の挨拶、2)支部長の挨拶、3)来賓ご挨拶、4)議長の選出
<議事 審議事項>
第1号議案:近畿支部役員就任者


第2号議案:H29年度事業計画として、①組織の充実、②役員の補充、③名簿の信頼性向上、④支部ホームページの開設、⑤同好会(写真・ハイキング)
第3号議案:H29年度予算計画
5)新支部長の挨拶
6)閉会の挨拶
以上、議事の審議事項が承認され、新支部長のもとスタートした。
<懇親会>
通常総会終了後、隣の部屋に移動し記念写真撮影後に懇親会が行われた。まず、副支部長の挨拶、顧問の乾杯音頭で始まり和やかな内にお互い懇親を深め、2時半頃に終了した。が、懇親会の時間が不足で、もっと時間を取り全員とまではいかなくても懇親が図れるようにしないといけないのに・・・と思う。
滋賀支部を除く近畿支部の対象者は約6000名であるが、出席者は33名(0.6%)と少なく、難しいがもっともっと盛り上げの支部活動が必要かと思う。

2017年11月17日金曜日

五花街「祇園東」の散策

五花街とは祇園甲部、祇園東、上七軒、先斗町、宮川町の五つ、先日上七軒に行ったので、今回初めて「祇園東」を散策してみた。祇園甲部と同じく八坂神社の門前町として栄えてきたが、明治14年に四条通より北、花見小路より東を祇園乙部とし、昭和24年に東新地、昭和30年からは祇園東といわれるようになった。祇園会館で秋に「祇園をどり」を上演、舞踊は藤間流。ここ祇園東は五花街の中でももっとも小地域で舞妓さん5名、芸妓さん13名と少ない。この辺は狭い路地も多く飲食街などが入り乱れた中に置屋、お茶屋さんが点在していた。
ここに超人気で綺麗な芸妓・つね桃さんの置屋もあった。この道に精通している人の話では、近々引退されてIT企業の人?と結婚されるのて見れなくなるらしいとのこと。この動画は昨年4月1日の撮影会のもの。

<関連サイトから抜粋して少し勉強すると...>
「お茶屋さん」は芸舞妓さんを呼び、宴席を設けてお客さんが遊ぶところ。「置屋さん」は芸舞妓さんを抱え、料亭やお茶屋さんなどの求めに応じてうかがわせるところ。置屋の女将さんを「お母さん」、先輩の芸舞妓さんを「お姉さん」と呼びます。
舞妓さんになるには、まず置屋に住み込み、はじめは「仕込みさん」として、お姉さんのお手伝いをしながら置屋の生活や花街のしきたり、舞などを学びます。祇園甲部には八坂女紅場、宮川町には東山女子学園、先斗町には鴨川学園、上七軒は上七軒歌舞練場、祇園東は祇園東お茶屋組合、と日本舞踊や三味線など、必要な芸事を習う場がそれぞれあります。
仕込みさんの次は「見習いさん」。「この娘は大丈夫」となったら髪を結い、衣裳をつけてお姉さんについてお座敷へ。舞妓さんは「だらりの帯」が有名ですが、このときは「半だら」といって半分の長さのだらりの帯を結びます。半だら帯の見習いさんを約1カ月。いよいよ舞妓デビュー。「お店出し」です。また、舞妓さんから芸妓さんになることを、一般に赤襟から白襟に変わることより、「衿替え」といいます。衿替えの前2週間、舞妓さんは「先笄(さっこう)」という髪型に結いかえます。舞妓さんの髪型は最初「割(われ)しのぶ」を約2年、「おふく」を約2年、そして衿替え前に「先笄」に。先笄に結う期間は花街によって異なるようです。その間に先斗町では「菊かさね」「おしどり」など好きな髪型を結うこともできます。ちなみに舞妓さんは自分の髪で結いますが、芸妓さんになると鬘になります。

2017年11月16日木曜日

芸妓さんお座敷遊び体験

がんこ高瀬川二条苑の「芸妓さんお座敷遊び体験」に初めて参加した。参加者は私を含めて3名で、このような小人数は珍しく大体8~10名とのこと。お二人は常連さんで、一人は三重県榊原温泉の近くから、もう一人は大阪松原からで結構遠方から来られていた。肝心のお座敷遊びはほとんどなかったが、富多愛(とみたえ)さんの舞を楽しみ、またお二人共この道には詳しく富多愛さんも入れて華やかな花街のいろいろな裏話も含めて聞くことができた。私は全く花街のことは知らないので、何かと新鮮なことも多かった。この体験の料金は、舞芸妓料と昼食代含めて税込6000円(但し、飲み代別)。時間は12時から3時頃までで、芸妓さんも2時間程いて、ゆっくりと歓談して過ごせた。



2017年11月15日水曜日

舞妓・富津愈さんの舞

がんこ高瀬川二条苑の「舞妓さんに出会える日」での、祇園東の舞妓・富津愈(とみつゆ)さんの舞(祇園小唄)。

富田林の重要伝統的建造物群

 知人のMさんがテレビで富田林寺内町の重要伝統的建造物群保存地区が報道(昨年)されて、行ってみたので一緒にと誘われて行ってみた。
ここは1558年(永禄元年)、興正寺門跡証秀上人によって創建された興正寺別院を中心とした寺内町として誕生し、商売の盛んな在郷街として発展してきた。
現在も創建当時の六筋七町の町割りや、重要文化財旧杉山家住宅、仲村家住宅など往時の繁栄を偲ぶ重厚な町家が数多く残されている。大阪府内で唯一の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。これらの住宅で内部も見られたのは旧田中家住宅、杉山家住宅、仲村家住宅だけで、他の住宅は住まいをされているので外観だけだった。
住宅や景観も綺麗に保存もされているけれど、「ならまち」のようなお店や食事・カフェするところもほとんどなくて、何かもう一つ活気がない?ただ単に保存している地区だった。

「北斎ー富士を超えてー」展

あべのハルカス美術館の特別展「北斎ー富士を超えてー」展を鑑賞した。
この特別展は10月6日(金)~11月19日(日)まで開催されいて、すごい盛況ですでに21万人を超えた入場者とのことが、朝日の夕刊(」11/14付け)に掲載された。また、入場時間も1時間超待とのことも報道され、朝早いほうが待ち時間も少ない?とのことで行ってみると(9時40分頃)やはりすごい行列が出来ていて、当日券を買うのに25分、入場に15分程度だった。
また、入場するとこれまたすごい人で殆どの作品は頭越しの鑑賞となったが、繊細な筆で見事に人物や風景が描かれた作品をみることができて堪能した。
特に、よく見かける超有名な「富獄三十六景 神奈川沖波裏」や「富獄三十六景 凱風快晴」はじっくりと鑑賞したが、他の作品ももう少しゆっくりとみたかったなぁ~と。
葛飾北斎(1760~1849、90歳没)の晩年30年間に描いた作品(約200点)と人生に焦点を当て、北斎が追い求めた美の世界に迫る展覧会でもあって、大変よかった(^O^)

2017年11月12日日曜日

三筋の滝

滋賀県甲賀市信楽町田代にある「三筋の滝」に田舎(滋賀日野)からの帰りに立ち寄った。
ここは東海自然歩道の途中にある田代川の滝で流れ落ちる時に三本に分かれて落ちるのでこの名称がついたものと思われる。
静寂さが滝の音を響かせる環境にはあるが、滝の規模としてはそれほど大きなものではなかった。
しばし静寂を味わった。

2017年11月11日土曜日

玉ねぎ苗の植え付け

玉ねぎの苗を植える時期になり、サツマイモ収穫後の畑に石灰を施した後(2週間前)に植えた。
今回、田舎に行く途中の宇治田原にある果物店で予約するつもりだったがせずに11時前に行くとほしいと思っていた早生50本、赤玉50本と普通(O・K玉ねぎ白)150本がなくて、あるのは赤玉50本と普通(O・K玉ねぎ)100本だけだった。ここではあるものだけ買った。
昨年、ここではじめて買って植えたが安くて(1本5円40銭税込)苗もよかったので、今回ここで全て買うつもりにしていたが残念だった。やはり植える最盛期には予約しておかないといけないと反省する。
そのため、JA甲賀にも立ち寄り見たが、ここも早生は売り切れで、普通の玉ねぎ苗があったので50本買ったが高い(8円20銭税込)。高いから苗も良いかと言うとそうでもない。
早生がないため、以前から買っているグリンプラザカワシマに予約して早生50本と普通玉ねぎより大玉ねぎの苗50本を買ったが、JA甲賀と同じ(8円20銭税込)だった。今年は、早生50本、赤玉50本、大玉50本、普通(O・K白)130本の計280本を植えた。一昨年は不作だったが、今年の収穫はまあまあの状態だった。来年はどうなるのだろうか?

2017年11月6日月曜日

五花街「上七軒」散策

 「北野天満宮」に参拝し、宝物殿の非公開文化財特別公開を見てから「北野天満宮」の東隣にある京都五花街の一つである上七軒をはじめて散策した。五花街とは祇園甲部、祇園東、上七軒、先斗町、宮川町の五つである。
現在(2011年当時)、お茶屋10軒で芸妓、舞妓合わせて約28名(舞妓は7~8名)、五花街ではこじんまりとした花街。散策したのが真昼間だったので人通りもすくなく、舞芸妓さんにひょっとしたら会えるのかと期待したが全くダメだった。この上七軒一帯は、京都市の「上京北野景観整備地区」に指定されているらしいが、景観にそぐわない建物も見られた。また、3月下旬から4月上旬に催される「上八軒歌舞練場」や夏に行われるビヤガーデン・盆踊りの会場などをみて回った。ここ上七軒で超人気の今年舞妓から芸妓さんになった勝奈さんのお茶屋「一文字」前には行かなかった。(勝奈さんのお茶屋を知らなかったから)
ここ上七軒は、文安元年(1444年)北野天満宮の社殿の一部が焼けた時、第十代室町幕府将軍足利義稙(よしたね)が、所司代細川勝元に命じて、社殿の造営をさせた。その時、余った材木で七軒の茶屋を建て、参詣人の休憩所とした。これが上七軒の由来。その後、天正15年(1587)、太閤秀吉10月1日から十日間北野松原で大茶会を開く発表をした。「茶の湯熱心のものは、若党、町人、百姓、身分を問わず来座を許す。茶の道具のないものは湯のみひとつでもよい。服装履物は どんなものでもよい。」とのお触れをだした。初日は1000名以上の者が参加したが二日目から中止となった。その理由は未だにわからないらしい。北野大茶湯の時、上七軒茶屋を豊臣秀吉公の休憩所として、名物の御手洗団子を差し上げたところたいへん喜ばれ、七軒茶屋に御手洗団子の山城一国における販売権を認め、法会茶屋株を認可した。これが上七軒の始まりで京都五花街の中で七軒屋がもっとも古い。北野天満宮に仕える巫女は、少女であったが成熟すれば上七軒の茶立て女となった。後に茶立て女は北野天満宮の参拝客を歌舞音曲でもてなすようになった。 戦前はお茶屋50軒、芸妓、舞妓あわせて60名いたが、第二次世界大戦で、大半は転業、廃業したが終戦後お茶屋35軒あったが西陣織産業の衰退により、舞妓はゼロとなリ、存続が危ぶまれた1981年より 舞妓が増え始めた。現在、祇園甲部が芸妓総数119人と最も多い(うち芸妓86人、舞妓33人)。祇園甲部に次いで宮川町、先斗町の芸妓数が50人以上と多くなっている。上七軒は28人、祇園東は17人と少ない。
※注:下の勝奈さんの写真は、クリックしてFacebookにログインすることで見られます。Facebookにアカウント未登録の場合、登録することで見られます。


京都「北野天満宮」参拝

秋期京都非公開文化財特別公開(1日~12日)が行われている「北野天満宮」に参拝に出かけた。
ここでの公開は宝物殿内で「北野天神縁起絵巻」(国宝)と鬼切丸(重要文化財)などの宝刀が主であった。「北野天神縁起絵巻」は菅原道真の生涯と、没後の怨霊(おんりょう)の祟(たた)り、北野社(現在の京都・北野天満宮)の創建とその霊験(れいげん)・利生(りしょう)を絵画化したものである。写真撮影は禁止だった。
また、鬼切丸(重要文化財)などの宝刀は、武運長久を祈願して名立たる武将より奉納された刀、技の上達を願って刀鍛冶から奉納された刀など、当宮に所蔵する約80振の御神刀から、およそ40振を一挙公開されていた。罪人の首をはねた際、髭まで断つ切れ味の鋭さから「髭切」の別名がついたといわれる。また、一条戻り橋で渡辺綱が鬼を切ったという伝説から「鬼切丸」とも呼ばれているとのこと。刀を納めた箱も展示されていた。
刀にはあまり関心がないので、そのよさがよく分からなかった。
境内にある「もみじ苑」が公開されていたが、まだモミジの紅葉には少し早いので入苑せずに帰った。

EPSONプリンター廃インク吸収パットエラー

EPSON EP-806ABを購入して3~4年経過し、ある日突然に電源を入れると「廃インクの吸収量が限界に達しました。 エプソンの修理窓口に交換をご依頼してください」なんていうエラーが出て、うんともすんとも言わなくなり使えなくなった。
調べると廃インクパッドの交換とカウンターのリセットが必要だということ。エプソンの修理サービスを使うと13000円程度と修理日数もかかるし、それやったら新しいプリンターの方が安いやんと思う。インクが消耗品なのは仕方ないとしても本体まで消耗品がいるって、ちょっと違うのではないか?ということで、ネットでいろいろと調べてみるとパッドの交換とリセット方法がすぐ見つかった。
パッドの交換は手順通りにすればOK、廃インク吸収パッドカウンターリッセトはWIC reset utiltyをダウンロードしてインストール後、1000円(1080円)でリセットできることが分かった。
ただ、他にやることもあって手が付けられず3ヶ月程放ったらかしにしていたが、もうすぐ年賀状作成の時期にも来るので昨日、廃インク吸収パッド交換を行う。廃インクはタンク内のスッポンジに吸収されていて、これを取り出して、間に合せのキッチンペーパーを適当に詰め込んで代用とした。超安上がりだ。パッドカウンターのリッセトは「WIC reset utilty」というソフトを使うが直接の購入はアマゾンで、「エコインク」から説明書やリセットするキーが送られてきた。パッドの交換は手順通りにしたが、取り外しネジが分かりにくいところにあり1時間程度かかった。パッドカウンターのリッセトは説明書の通りで案外スムーズに出来た。EPSONに出さず12000円程度安くついてよかったよ~\(^o^)/
http://tatsu8.jp/rasuto/kisyu/EP-806A/Reset.html

2017年11月2日木曜日

「酬恩庵一休寺」参拝

秋期京都非公開文化財特別公開(1日~12日)が行われており、京都精華町の「酬恩庵一休寺」に参拝に出かけた。ここでの文化財特別公開は、大徳時住職の一休禅師が晩年過ごした虎丘庵や浴室などの公開だった。
このあと「酬恩庵一休寺」の方丈、方丈庭園、本堂、一休禅師の墓、少年一休像などをみて回った。
紅葉には少し早かったが総門や参道などのモミジも少し色付きはじめていた。
ここ「酬恩庵一休寺」は、当時の元の名は妙勝寺であって、鎌倉時代、臨済宗の高僧大應国師(南浦紹明)が中国の虚堂和尚に禅を学び、帰朝後禅の道場をここに建てたのが始めである。然るにその後、元弘の戦火にかかり復興もならずにいたものを、6代の法孫に当たる一休禅師が康正年中(1455〜6年)、宗祖の遺風を慕って堂宇を再興し、師恩にむくいる意味で「酬恩庵」と命名した。禅師はここで後半の生涯を送り81歳で大徳寺住職となった時もこの寺から通われたのであり、文明13年(1481年)11月21日88歳の高齢を以って当寺において示寂され遺骨は当所に葬られたのである。このように禅師が晩年を過ごされたことにより「一休寺」の通称が知られるに至った。(関連サイトから転記)