ここは室町時代に細川頼之公の財をもって、天龍寺開山夢窓国師より三世の法孫にあたる聖仲永光禅師を開山に迎え創建された。ご本尊は十一面観音菩薩、脇物には三十三体の観音菩薩、足利尊氏が信仰したと寺伝にある地蔵菩薩像が祀られており、西国三十三ヶ所巡りに等しいと伝えられている。また、庭園は室町時代の禅僧策彦周良禅師によって作庭。嵐山を借景として巧みに取り入れ、また「獅子岩」等の巨岩を配した借景回遊式庭園であり、江戸時代の京都の名所名園を収録した【都林泉名勝図会】にも掲載されている。寺伝によると、宝厳院は、寛正2年(1461年)室町幕府の管領であった細川頼之公の財をもって、天龍寺開山夢窓国師より三世の法孫にあたる聖仲永光禅師を開山に迎え創建された。
創建時は、現在の京都市上京区の位置にあり、広大な境内を有した寺院であった。応仁元年(1467)から文明9年(1477年)までの約10年間にわたって継続した応仁の乱により京の都は灰燼と化し、宝厳院もまた焼失する。その後、天正年間(1573年 - 1591年)において豊臣秀吉より再建され、御朱印料三十二石を付与、徳川幕府も明治に至るまで外護した。その後変遷を経て天龍寺塔頭弘源寺境内に移転し、現在地(旧塔頭寺院跡)に移転再興した。(以上、関連サイトから)
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