2017年2月24日金曜日

京の冬の旅「島原角屋」

「京の冬の旅」非公開文化特別公開(14ケ所)が1月7日から3月18日(土)まで行われていて、今回「島原角屋」と「壬生寺本堂・狂言堂」を拝観した。
門をくぐると新選組の刀傷が、また一階は台所及び居住部分がそのままの形で展示されていた。この一階の室内は、明るくするため多くのロウソクの燭台や灯油の行光が用いられ、油煙で天井や襖など室内が真っ黒で趣があった。今回、二階は非公開で見られなくて残念だった。この角屋は、揚屋として明治5年(1872)まで営業し、それ以降は茶屋業として昭和60年まで「松の間」にて宴会業務を行っていたとのこと。この「松の間」は、勤王派の久坂玄瑞や西郷隆盛、坂本龍馬などの密談にも使われたとのこと。また、新選組の初代筆頭局長の芹澤鴨、平山五郎ら4人が宴会した(その深夜屯所の八木邸で暗殺された)歴史ある部屋で、そこから眺める「臥龍松の庭」(京都市指定名勝、下の写真の左下)は大変よかったヽ(;▽;)ノ 
この角屋は、島原開設当初(1641年頃)から連綿と建物・家督を維持しつづけ、江戸期の饗宴・もてなしの文化の場である揚屋(あげや)建築の唯一の遺構として、昭和27年(1952)に国の重要文化財に指定された。角屋は遊廓の店ではなく、今の料亭にあたる揚屋(あげや)という業種の店で、太夫や芸妓を抱えず、置屋から派遣してもらって、お客様に歌舞音曲の遊宴を楽しんでいくところ。揚屋は江戸時代、民間最大の宴会場で、遊宴のみならず、お茶会や句会なども行われ、文化サロンとしての役割も果たしていた。そのため、揚屋建築は、大座敷に面した広庭に必ず茶席を設け、庫裏と同規模の台所を備えていることを特徴としていた。江戸初期から中期までの揚屋は、間口が狭く、奥行きのある小規模の建物であったため、一階を台所および居住部分とし、二階を主たる座敷としていた。その二階へお客様を揚げることから「揚屋」と呼ぶようになったとのこと。

2017年2月16日木曜日

大阪城の梅林公園

大阪城の梅林公園の梅花も咲きはじめ、天気もよく暖かな日なので出かけてみた。全体的には5分咲き程度であるが、春先を感じる梅の花を求めてカメラマンや見物客、絵画教室の人たち、海外観光客など多くの人が訪れていた。満開にはもう少し時間がかかるようで、見頃は今月末~3月初旬か、満開の時期にはもう一度訪れてみたいものだ!
この園は大阪万縛の2年後1972年に北野高校同窓会から22種880本を寄贈されたのを機会に1947年3月に開園された。現在では97品種1240本を数える規模になっており、品種の豊富さでは関西随一の梅園。大阪城をバックに、またツインタワーなどの高層ビル群をバックに梅林を見るのもよいヽ(・∀・)ノ

2017年2月15日水曜日

「京セラ本社」の施設見学

京都市南区にある京セラ本社(京都国際見本市の南側)の1Fの「京セラ美術館」と2Fのショールームと「京セラファインセラミック館」を見学した。
「京セラ美術館」は社会貢献活動の一環として、地域文化の発展を願い、1998年10月に本社ビルの1階にオープン。ここでは、主に乾降ガラス(けんりゅうガラス:中国・清代乾隆帝の時代のガラス器のこと)、ピカソ銅板画347シリーズ、現代日本画、ファインセラミック茶器・花瓶、彫刻、洋画が展示されていた。展示点数は少ないが、現代日本画やファインセラミック茶器・花瓶に興味を持った。
「京セラファインセラミック館」は、京セラが取り組む文化事業の一環として、同じく1998年10月に本社ビル2階にオープン。ファインセラミックスを学ぶ学生や研究者はもとより、広く一般の人に理解を深めてもらうことを願い、創業以来のファインセラミック技術の発展過程やつくり方などが公開されていた。ファインセラミックスの基礎的なことやその特性などを学ぶことが出来た。
ショールームでは、京セラが取り組んでいる「環境・エネルギー」「自動車関連」「通信・ネットワーク関連」「生活文化・医療」「産業機器・その他」の分野における最新製品やサービスを分かりやすく展示されていて、改めて京セラの広範囲な取り組みとその製品を知ることが出来た。ヽ(;▽;)ノ

2017年2月11日土曜日

琵琶湖一周

今季一番の寒気到来で滋賀県北部に大雪警報が発令されていたが、雪景色をみようと一区間切符を買って2年振りに近江塩津駅で乗り換える琵琶湖一周をした。その概略行程は京阪東福寺駅でJRに乗り換え、山科駅まで切符(200円)を買って乗車→京都駅9時48分発近江今津行(普通は敦賀行き快速電車であるが、大雪の影響で列車を乗り換え)に乗車→11時01分に近江塩津駅着→次の12時5分発までの1時間程は、ホームや近江塩津駅を降りて雪景色をみて撮影→12時5分発米原行きに乗車→米原で網干行に乗り換えて→13時35分に大津駅で一旦改札口を出て昼食後、東福寺駅までの切符(240円)を買って帰った
JR湖西線に入り大津京から北へ進むにつれて積雪量も増え、近江塩津に着くと40~50cmの積雪で、吹雪の世界だった。

2017年2月9日木曜日

「桂離宮」参観

1カ月程前にインターネットから申し込み、初めて「桂離宮」を参観した。この日は生憎の雨からみぞれに、そして雪に変わるという気候で傘をさしての参観だった。参観は外人さんも含めて34名、宮内庁関連の職員の案内で約60分回遊式庭園をみて回った。日本最古である回遊式庭園には、桂川の水を引いた池を中心に、茶屋、築山、州浜、橋、石灯篭などを配してある素晴らしいもの。建造物は書院群と池の周囲に散在する御茶屋群で構成されていて、ほぼ創建当時のままの姿を残している稀有な建物で、見応えがあった。今回は冬場であったが、新緑や紅葉の時期ににも是非訪れてみたい~ヽ(;▽;)ノ
パンフレットによれば桂離宮は、江戸時代の初期17世紀に皇族の八条宮の別邸として創設された建築群と庭園からなる。もともとは藤原道長の山荘・桂家があった場所に1590年創設された宮家の八条家の初代智仁親王(初代八条宮)が1615年造営に着手し、約47年後の智忠親王(2代)の代にほぼ完成した別荘である。造営が始まってから400年以上の間、一度も火災に遭っていない。ところどころ修繕を行っているが、ほぼ創建当時のままの姿を残している稀有な建物で、当時の朝廷文化の粋を今にそのまま伝えている。回遊式の庭園は日本庭園の傑作とされていて、建築物のうち書院は書院造を基調に数寄屋風を採り入れている。 庭園には茶屋も配されていて、敷地面積は全部で約6万9400平方メートル。うち庭園部分は約5万8千平方メートルもある。 離宮とは皇居とは別に設けた宮殿の意であるが「桂離宮」と称するのは明治16年(1883年)から。桂離宮が世界中で知られるようになったのは1930年代に来日したドイツ人建築家ブルーノ・タウトが「日本建築の世界的奇跡」と絶賛した時からとのこと。

2017年2月3日金曜日

「成田不動尊」節分祭

「成田不動尊」の恒例の節分祭に出かけた。
境内に全長約150Mの豆まき舞台を設け、中央には日本一の大きさを誇る「千升大福枡」が設置され、開運厄除けとともに交通安全を祈る豆まき式が行われた。多くの参拝客で境内が埋め尽くされた。第1回目の豆まきは、11時前から交通関係諸団体・関西政財界人・有名芸能人(NHK連続テレビ小説の「べっぴんさん」の主役の芳根京子さんや谷村美月・百田夏菜子・土村芳さん、桂福團治・ぼんち おさむ・宮川大助・花子さん、京阪電車CMキャラクターのおけいはんの林真帆さんや京都の芸妓・舞妓さんなど)により豆(落花生)が「福は内」~「福は内」~の掛け声でまかれた。華やいだ豆まきだった。新聞の情報では、最前列の人たちは朝の3時頃から並んだ人たちとのこと。いつもながらすごい人だった。午後からは2回目の豆まきに大関豪栄道も来る予定が、初場所のケガのため不参加。3年前の午後にハッピを着て特設の舞台から豆まきを楽しんだことがあるが、初穂料が3,000円もかかるので節約して今回はやめ、その代わりとして「福豆」(500円)を4袋買って帰った。

2017年1月29日日曜日

あべのハルカス美術館

あべのハルカス美術館にて「拝啓ルノワール先生」ー梅原龍三郎が出会った西洋美術ーを鑑賞。
日本の近代洋画界を牽引し一時代を築いた梅原龍三郎 画家(1888年~1986年、98歳没)がフランス近代絵画の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841年~1919年)との師弟関係を軸に、その画業を追い、ルノワールのほかルオーやピカソなど、梅原が出会い収集した西洋美術コレクションもまとめて約83点が紹介されていた。
今回、初めて梅原龍三郎画家のルノワールの出会いで教えを受けたことで大きな影響を受け、日本の近代洋画の一時代を築いたことなどもよくわかった(^-^)/  梅原画家やルノワール、ルオー、ピカソなどの絵画も多く展示され鑑賞できてよかったヽ(;▽;)ノ 
上の写真の右上はルノワールの絵画、左下が模写した梅原画家の絵画、下の写真が展示してあったほんの数枚の絵画。
梅原龍三郎 画家は、京都市下京区の染物問屋の次男(末っ子)で、裕福な家庭で育った。20歳(1908年)から1913年の5年間、フランスを中心とに滞欧生活を送った。フランスに到着の翌朝、さっそくリュクサンブール美術館を訪れて初めて実物のルノワールの絵を見た。当時の若い心の躍動がそのまま伝わってくるような彼の印象深い回想記『ルノワルの追憶』のなかで彼は「此の画こそ私が求めて居た、夢見て居た、そして自分で成したい画である。かゝる画を見る事が出来てこそかく遠く海を越えてこゝに来た価値があつた」と心に叫んだ、と記している。翌年の2月、紹介状1つなく臆する心と闘いながら勇を鼓して南仏カーニュに当時68歳の老大家を訪ねた。取り次ぎの人に「日本からきた」と強調したのが効いたのかどうか、幸いにして本人と面会することができた。そして日本のこの若者を気に入り、以来親密な師弟関係が結ばれることになる。(以下省略) 

2017年1月26日木曜日

守山市「なぎさ公園」菜の花


守山市の琵琶湖湖畔にある「第1なぎさ公園」に立ち寄ってみた。23日の積雪で早咲きの菜の花「カンザキハナナ」の茎が折れたり、曲がったり、花も散ったりで無残な姿、折角行ったが残念だった。それでも多くのカメラマンや散策する人たちで賑わっていた。
ここには、早咲きの菜の花「カンザキハナナ」が約12,000本ほど咲き(面積約4,000㎡)雪の残る比良山系(びわこバレー)とのコントラストを楽しむことが出来る冬の絶景の場所として有名。
今回、午前中は比良山系に雲が掛かってダメ、午後3時頃に再度行ってみると雲がなく良かったが、横にあるマンションの影や太陽光線の具合で比良山の冠雪がもう一つ?で少し残念な写真となった。

2017年1月23日月曜日

映画「沈黙-サイレンス-」

昨日(21日)から公開の映画、原作である遠藤周作の名作小説を映画化した「沈黙-サイエンス-」を観に行った。
あらすじは、17世紀、江初期。宣教師フェレイラが日本で棄教(それまで信じていた信仰・キリスト教を捨てること)したと聞き、フェレイラの弟子の若き宣教師ロドリゴとガルペは、日本人キチジローの手引きで、マカオから長崎にたどり着く。幕府による激しいキリシタン弾圧の嵐が吹き荒れる中、ロドリゴらは隠れキリシタンと呼ばれる人々の存在を知る。やがてキチジローの裏切りで捕らえられたロドリゴは、長崎奉行から棄教を迫られる。激しい拷問を受ける信者たちを救うために棄教するべきか、それとも信仰を守り抜き殉教するべきか。ロドリゴは決断を迫られるが…。残酷すぎる現実の前で、ロドリゴは「神よ、あなたはなぜ何も答えないのですか」と問い、身をさくような葛藤のはてに踏み絵についに足をおいてしまう。そして岡本三右衛門という名と妻を与えられ、江戸のキリシタン屋敷に押し込められる。そして、最後を迎えるがその葬儀は仏式で監視の下で行われる。(以上があらすじ)
キリシタン弾圧下で、ポルトガル人宣教師が体験する苦悩を描く人間ドラマである。ハリウッドの俳優たちの熱演も見事だったが、日本人キャストの存在感、演技力もよかった。信者や神父に対して、温泉の元湯を掛ける、十字架に張り付け荒海にさらす、逆さつりなど幾多のむごい拷問をするシーンは凄かった。何故、江戸幕府が異教を禁じて、このような拷問をしたのであろうか?と考えさせられた。
<YouTubeの本予告編>

2017年1月18日水曜日

第3回はんなり舞妓写真展

第3回はんなり舞妓写真展が8日から京都四条通りの「がゃらりい西利」で行われ、昨年の第2回に続いて見に出かけた。
この一年間に4回程のはんなり舞妓写真会が行われ、出展者15名の写真が展示されていた。やはり若くて綺麗な芸舞妓さんのふと見せる仕草や表情など、こころを揺さぶられる作品が約50点あり楽しませてくれるものだった。会場には舞妓さんの姿がちらほらみられた。この写真撮影会は、季節に応じて年4回程度開催されるようで、昨年の応募チラシには、参加費が午前コースで昼食付きで19、000円、午後コースが15、000円となっておりよい価格で、う~~と考えされられる。しかし、一度は参加してみたいなぁ~と思うが…。

2017年1月16日月曜日

「げんき~」G芸能ボランティア

今年最初の芸能ボランテイアを枚二校区福祉協議会約70名の方を対象にメンバー6名で行った。
出し物は、相変わらずの歌体操(4曲)→舞踊(2曲)→踊り「どじょうすくい」(安来節)→「南京玉すだれ」→皿まわし→踊り「おてもやん」(おてもやん民謡)の約60分の演技ボランティアだった🙆
今回は枚二校区のお元気な方たちを対象にしたボランティアで、それなりに楽しいひと時を過ごしてもらった感じだった (´▽`)  今回 「南京たますだれ」演技専門の女性が休みで、今回演じた「南京たますだれ」は、まだ初めての演技で経験も少なくて?少しぎこちなかったか、これからの練習を期待したいものだ。

2017年1月12日木曜日

現代アートに挑戦する青山繁晴展

現代アートに挑戦する青山繁晴展(1月12日~21日)がギャラリー「大雅堂」にて開催され初日に観にいった。このギャラリー「大雅堂」は、京都の祇園会館の前(八坂神社の北)にあり若手作家の日本画・洋画・現代美術の作品を中心に展示され、画廊として30年を越えるという。
今回、この「現代アートに挑戦する 青山繁晴展」は、作家、大学教授や講師として幅広く活躍し、現在は参議院議員を務める青山繁晴さん。音楽や絵画といった芸術への理解も深く、「自分自身がアートを発信する」こととなり、初めての展示をされた。多様な仕事の間隙を縫って言葉の力を用い現代アートに挑戦したもの。
展示は、1Fは「脱」という字の掛け軸や2Fでは帯、掛け時計、零戦戦闘機の模型、Tシャツ・ブレザー、花瓶、色紙などに文字が入ったもの約70数点が展示され、販売も行われていた。現代アートとは、イメージ的には白いキャンパスに創意のもと描くものかと思っていたが、このようなものも現代アートかと…改めて考えさせられた。青山さんが初めて現代アートに挑戦して展示されたことはすごいことだなぁ~~と思う。当日は多くの青山ファンも駆けつけ大変賑わっていた。最新作「ぼくらの哲学」にサインをしてもらい、記念写真を撮った。
<作家コメントは次の通り>
『まったくの異分野からの挑戦です。挑戦こそ現代アートです。非力なりに戦います。ぼくは危機管理、外交・安全保障、資源エネルギーの専門家として参院議員を務めつつ東大、近畿大で教えていますが、芸術分野では文章のにんげん、物書きです。日々、パソコンで打ち、活字になる文字を書きながら想うのです。これがもし生きて物に張り付く文字であったなら…と。その妄想を実行してみます。言霊の邦でのこのちいさなチャレンジを、よろしければ共有してくださるよう祈ります。 青山繁晴 拝』
<1/18 追記>
会場に来られるのが最後の日ということで、書籍2冊にサインをもらうため出かけた。午後2時の予定が約40分遅れてこられ、1Fでこの現代アートの出展に至った経緯や「脱」という文字の説明など、2Fでは展示品の詳細説明が、約1時間強にわたってされた。青山ファンをはじめ多くの人で満室、凄いなぁ~と改めて思う。午後4時半からのサイン会になり、事前に整理券が渡され37番をもらっていたが、まだ1時間ぐらいかかるので、残念だけど棄権して帰った。

2017年1月10日火曜日

片埜神社の枚方えびす祭

1月9日・10日・11日、自宅から徒歩約10分にある片埜神社で「枚方えびす祭」が行われているので、10日の夜に久しぶりに出かけ参拝して佐久間美華さんの奉仕歌謡ショー(約40分)を楽しんだ。 この歌謡ショーは、毎年「えびす祭り」と「秋の祭り」に行われている恒例の行事である。

佐久間美華さんの最新のオリジナル曲「炎の器」(YouTubeより)

2017年1月9日月曜日

二条城特別企画へ

 7日から1月末まで、二条城で大政奉還150周年記念特別企画として、二の 丸御殿大広間の廊下 からの特別名勝 ・二の 丸庭園の眺めと、通常は観ることが出来ない二の丸御殿の中庭が公開とのことで出かけてみた。
まず、京阪清水七条駅で下車して、七条通りを徒歩で「本願寺(西本願寺)」へ。竜虎殿(本願寺事務所)から入り親鸞聖人の御影(木像)が安置されている「御影堂」、阿弥陀如来像が安置されている「阿弥陀堂」に参拝した。
その後、堀川通りを徒歩で「元離宮二条城」へ。堀川沿いの通常の東大手門は工事中で、入城は北大手門(下の写真の左上)からだった。唐門から二の丸御殿に入り、大広間(一の間・二の間で大政奉還が表明された広間)の廊下から二の丸庭園をみた。いつもは障子が閉まっているが(大広間の障壁画を守りため)、今回オープンで外の庭園が見えるようになっていた。 また、二の丸御殿の中庭(下の写真の右下)も観たが、思っていたようなよい庭ではなく、少し残念だった。この企画につい々つられて出かけたがもう一つだった。
帰りは、徒歩で京阪三条駅まで、結構な距離を歩いていい運動にはなったかなぁ。

2017年1月6日金曜日

お伊勢さんまいり

3年ほど前からお伊勢さんにと思いながら、9年ぶりにやっと実現。今まで2~3回は車でのおまいりだったが、今回は近鉄特急で出かけた。
宇治山田駅に11時頃到着してバスで皇大神宮(内宮)へ。まず大鳥居をくぐり宇治橋を渡り神苑を右に見ながら第一鳥居を過ぎたところに五十鈴川の御手洗い場がある。が危険性もあるので御手洗はその第一鳥居の前に設けられている。第二鳥居をくぐり参道を進む、この参道を行くことでお清めになるという。皇大神宮(正宮)に参拝し、帰りの途中に荒祭宮にも参拝する。
参拝後は、おはらい町通りをぶらぶらして昼食と赤福を食べたが、久しぶりの赤福は非常に美味しかったなぁ~。(最近、血糖値を気にして甘いものを控えている関係だろう)
おまいりする順番が逆になったが時間もあり、バスで豊受大神宮(外宮)へ向かう。 第一・第二鳥居をくぐり豊受大神宮(外宮)に参拝、また風宮・多賀宮・土宮にも参拝した。
参拝後、第62回神宮式年遷宮を期して、創建されたせんぐう館に入館。ここは20年に一度行われる神宮式年遷宮の社殿造営・御装束神宝奉製の技術、我が国が誇る技と心の精華を永く後世に伝える理念のもとに創設されたという。
ここでの展示の主なものとしては「遷御の儀」を再現した渡御御列模型、御装束神宝の調整工程品、社殿造営の技として「外宮正殿の原寸大」の展示、神宮の建築様式「神明造り」の技や造営作業に合わせて工夫した匠たちの大工道具などの紹介がされて伊勢神宮のことがよくわかるようになっていた。また、伊勢サミットG7首脳の伊勢神宮の印象も展示されていた。
今回、伊勢神宮おまいりが実現し、心も安らぎご利益をもらったので健康で穏やかな年を過ごせそう~と思う。

2017年1月4日水曜日

牧野スポーツクラブのスタート

自宅から徒歩約3分にある「牧野スポーツクラブ」に入会して、早1年半になり今年もスタートした。火曜日が定休日であるが、宿泊旅行とか利用できない日は除いて日々利用している。
日々の運動はエアロバイク(自転車漕ぎ)やランニングマシンでのウオーク、または水中ウオークと水泳(平泳やクロールなど)を約1時間してからストレッチ体操を続けている。
その成果として、まずは体温が36℃以下の35.7℃であったが、約0.6℃アップして36.3℃(日本人平均36.2℃)になったこと。低体温の原因の9割は筋肉量の低下とのこと、運動で筋肉量がアップしたことかと思われる。体温がアップすることで血流がよくなり免疫性がアップするので病気にもなりにくくなるらしい。以前は、毎年風邪を引くことがあったが、今年は引かないのではないか?と思うこの頃だ。
それと血圧が少し高く、中程度の血圧降下剤を服用していたが、最高・最低血圧が基準値より低めになり、やめられることになった。 以上の2点がジムに通ってよかったことヽ(;▽;)ノ  これからも続けてより免疫力を高め健康寿命を延ばそう!!

2017年1月2日月曜日

飛行神社の参拝

 「石清水八幡宮」のある麓から東方向に徒歩約10分のところにあるこの飛行神社は、大正4年(1915年)に日本で最初に動力飛行機を飛ばした二宮忠八翁によって、自邸内に私財を投じて創建され、航空安全と航空事業の発展を祈願したのが当神社の起こりである。この動力飛行機を飛ばした時期がライト兄弟が飛行に成功を発表した時期とほぼ同じで、忠八翁は非常に悔しがり、日の目を見ることなく中止したという。
現在の社殿、拝殿、資料館は平成元年飛行原理発見100周年を記念して、二宮忠八翁の次男二宮顕次郎によって建てかえられたという。
本殿は1つの棟に3つの社殿があり、正面には磐船神社(交野市)御神祭であるニギハヤヒメノミコト、向かって右は航空殉難者並びに先覚者の御霊を祀る祖霊社、左は薬祖神として薬業界の父である長井博士を始め制約業界の方を御祭神として合祀されている。この神社は航空安全・交通安全・合格祈願はもちろん、種々の祈願も行われている。 境内には昭和58年大阪湾から漁網にかかり揚げられた零式戦闘機のエンジンや正面にはF104戦闘機のジェットエンジンも展示されていた。
また、併設されている飛行神社資料館(二宮忠八資料館)では、忠八翁本人が撮った当時の写真や自筆の飛行原理発見に関しての資料、また本人が晩年に作り残した玉虫型飛行器(模型)を展示する他、忠八翁が集めた航空業界初期の歴史資料が展示されていた。 石清水八幡宮と比べても参拝者が随分と少ないが、正月でもあり参拝者が絶えなかった。以前からこの神社の存在は知っていたが、参拝したのは初めてだった。二宮忠八翁が電力飛行機への取り組み経緯など学ぶことが出来た。

「石清水八幡宮」の初詣

今年の初詣は、天気もよく運動を兼ねて男山の麓まで往復自転車(往路約50分、復路約1時間強)男山の本殿へも往復徒歩(往路:表参道で約25分、復路:裏参道で約12分)で、昨年に続いて「石清水八幡宮」に初詣した。往復自転車と徒歩での初詣で、結構よい運動量になり、ちょっと疲れてしまった感じ(;´ρ`)だが、晴れ晴れしい正月気分だった。 
今年も何といっても「心身共に健康が第一」であり、そのことを祈願すると共に、「楽しく楽しく楽しく~」をモットーに穏やかなよい年にしたいものだ。  \(*⌒0⌒)♪

2017年1月1日日曜日

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます🙍
皆様には新しい年を迎えられたことと、心からお慶び申し上げます🙌  この1年が穏やかで充実した楽しいトリ年になりますようにお祈りしますと共に、今年も引き続いて投稿していきますので、よろしくお願いいたします🙏

2016年12月31日土曜日

有難うございました

ブログ「E(え)ちゃんの気ままな日記」をご覧いただいている皆様へ
今年も余すところ数時間となりましたが、いつもこのブログを見ていただき、誠に有難うございます🙏  
まじめな文面?で、あまり面白味がないかなぁ~~(笑)と思いながら投稿してきましたが、このブログを2008年に開設して以来、過去最高の124件(昨年120件、平均3日に1件)の投稿をすることができました🙆
これもひとえにご覧いただいている皆様の励ましもあったことも大きかったと改めて厚くお礼申し上げます。有難うございました 🙏
来年も引き続きよろしくお願い申し上げます🙍 

2016年12月30日金曜日

レトロな日野駅舎

 近江鉄道日野駅は1916年に建てられ(初代の駅は1900年、現駅が1916年で二代目)、今年で100年を迎え、現存する木造駅で100年を越える数少ない駅のひとつ。その味わい深いレトロな駅は、映画のロケやテレビ放映でも多く使われ、住民と鉄道ファンからこよなく愛されているという。しかし、長い年月によって老朽化がすすみ、このままいけば簡単な駅に建て替えが余儀なくされ、なつかしさや愛着のある駅が消えてしまうため、まちのシンボルである駅の存続に危機感を抱いた日野町と地元住民が、寄付金を募る「近江鉄道日野駅再生プロジェクト」を立ち上げ、近江鉄道に協力を呼びかけて、再生修復工事をおこない、今の姿を100年先の後世に残そうというもの。今の駅舎を今のままの姿に再生する工法となり、具体的には昭和49年の日野駅の写真をモデルにするという。工事の完了予定日は平成29年9月頃で、約4千万円の目標で寄付金の募集が今月から始まった。
本日、改めて駅舎やホームの待合などを見ると昔々彦根に通学していた当時から約50数年殆ど変わっていなくて、あっちやこっちに相当な傷みもあり老朽化が進み、何かみすぼらしい状態になっている。この駅から通勤・通学や多くの中学・高校卒業後、関東や関西の企業に就職した出発駅でもあり、また帰省時の玄関口でもあり懐かしい。今は車であるため利用することは殆どないが、懐かしい駅舎として残して欲しいと、この日野駅再生プロジェクトに参加(寄付)することにした。

2016年12月29日木曜日

禅寺・円福寺

京都府八幡市、大阪府枚方市にまたがって三万坪を数える敷地にある禅寺・円福寺は、山門・本堂・庫裡・禅堂・有栖川宮旧御殿等多くの建物が甍を連ね、洛南の一大道場として雲水(修行僧)衆が日夜坐禅托鉢等に精進している禅寺。その禅寺・円福寺で12月18日に高さ約15メートルのイチョウの大木2本に修行僧がはしごをかけて登り、束にしたダイコンをロープで引き上げ、枝にかけた行事が行われた。このダイコンは修行僧らが托鉢して歩き、農家などから集めた約1200本。冬の冷気に1月中旬ごろまでさらし、漬けものに。修行僧の毎日の食事のほか、年2回の「万人講」で振る舞われるという。特に変わった年度行事ではないが、イチョウの大木にかけて干すのはちょっと面白いし、変わった風景で新聞でも報道された。
ここ円福寺は1783年3月に臨済宗最初の専門道場(江湖道場)として建立された。
 京セラ創業者稲盛和夫さんがこの臨済宗妙心寺派の円福寺で、西片擔雪(たんせつ)さんというご老師の導きで、得度をされ仏門に入られたことでも名が知れている。

2016年12月25日日曜日

第61回「報道展」

関西写真記者協会(加盟77社、カメラマン1100名所属の協会)の第61回「新聞・通信・テレビ・ニュース報道展」が阪神百貨店梅田本店8階に開催されているので立ち寄ってみた。
この展示は、関西写真記者協会所属のカメラマンの1年間の集大成として、 今年中に放映された放送ニュースや紙面掲載された新聞写真から選考された作品を上映・展示し「この1年」を振り返る報道展である。  歳末に「この一年」を振り返る師走恒例の報道カメラマンによる写真、映像作品展として毎回好評を得て行われている。
会場には、今年の出来事の写真が、新聞・通信の部とテレビ・ニュース映画の部の各部門毎(ニュース・ニュース組み・スポーツ・企画・撮影・新人の部門)に金賞・銀賞が選ばれて展示されていた。すでに見たことのある出来事の写真やまだ見たことのない写真もあった。また、撮ろうと思ってもなかなか撮れないようなすばらしい写真も多々あり、さすがにプロだと感じた。この1年を振り返りなが見て回った。
この展示会場内での写真撮影が禁止されており、残念ながらすばらしいと思うものを撮ることができず、外からのみの写真となった。

2016年12月24日土曜日

大阪・光の饗宴2016

大阪の中心を南北に走る御堂筋4kmを光で包みこむ「御堂筋イルミネーション」、水と光の際立つ中之島で開催される「OSAKA光のルネサンス」の2つを「コアプログラム」として展開されるもの。
御堂筋の南から北まで8ブロックに分けて、それぞれのエリアにあわせた色のイルミネーションがイチョウの幹に装飾し、「光の列柱」が続いていて綺麗で、難波から淀屋橋まで散策しながら楽しんだ。ヽ(;▽;)ノ 中之島中央公会堂ではプロジェクションマッピングをみた。

2016年12月23日金曜日

「1万人の第九」の放送

12月4日(日)にあった第34回「サントリー1万人の第九」が、23日(祝日)13時55分からMBS4から放送された。今回、渡辺直美さんのアップ顔で「1万人の第九 発見!理由ありクラッシク」としてスタート\(◎o◎)/!。
前半はクイズ方式で、例えばベートーヴェンは世界で始めてのコンサート活動をしたといわれているが、何故か?お金に困っていたからか?それとも女性にモテたかったからか?(答え:お金に困っていたから)。当時、音楽は王様や貴族のものだったから画期的な試みだった。しかし、第九の初演は大盛況だったのに彼は怒った、それは何故か?(答え:儲かった筈のお金が殆どなかったから)など。 ベートーヴェンのウソのようなホントの話が分かり面白い企画だった。後半の最後は第九演奏の様子で、その映像のどこかに微かに写っているだろうと探してみると、本当に微かに写っているのを発見。今回は、前から3列目49番の端だったので見つけやすかった。
これで、今年の第九も終わり、この1年を締めくくることが出来てよかったなぁ~(´▽`)

枚方駅前「TーSITE」

1983年、駅前に第1号店を開いたレンタル最大手のTSUTAYA創業者(枚方出身の増田宗昭社長)が同じ駅前に、代官山T-SITE、湘南T-SITEに次ぐ3店舗目の枚方T-SITEを今年5月16日オープンしてはや半年が過ぎた。 この場所には近鉄百貨店、その前のひらかた丸物が、またすぐ近くに三越百貨店、長崎屋などがあって、それなりに賑わっていたが時代の流れに乗れず撤退した場所となっていた。そのため枚方市駅前は寂れて、最近は新しくなった「くずはモール街」にお株を奪われてしまっていた。それがようやくこの枚方T-SITEで、活気を取り戻すようになって来ているようで、結構賑わっていた。今日は富山市在住の長女の孫娘と次女の孫娘2人、それに次女の婿と5人で、この枚方T-SITEの5階にある子ども遊びコーナーに出かけた。ここは0歳~3歳くらいまでの赤ちゃんを対象にしたあそび場であるが、次女の下の孫娘が2歳でその姉妹ということで入場が出来た。入場料は大人も子どもも1時間500円で、祝日の影響もあってか若い夫婦が幼児を連れてやおじいちゃんやおばあちゃんが孫を連れてが多く見受けられ賑わっていた。(写真は、まだ賑わっていない時間帯に撮影) いろいろな遊び道具が揃っており、若い係のおねいちゃんが一緒に遊んでくれたりする。孫娘は、特に大きなボールプールが気にいっていた。約1時間楽しく過ごせた(´▽`)

2016年12月11日日曜日

映画「海賊とよばれた男」

百田尚樹氏による歴史経済小説の映画化。出光興産創業者の故出光佐三氏のモデルとした主人公・国岡鐡造の一生と、出光興産をモデルにした国岡商店が大企業にまで成長する過程が描かれたもの。
映画のあらすじは、主要燃料が石炭だった当時から、石油の将来性を予感していた若き日の国岡鐡造(岡田准一)は、北九州・門司で石油業に乗り出すが、その前には国内の販売業者、欧米の石油会社(石油メジャー)など、常に様々な壁が立ちふさがり、行く手を阻んだ。しかし、鐡造はどんなに絶望的な状況でも決して諦めず、それまでの常識を覆す奇想天外な発想と、型破りの行動力、何よりも自らの店員(=部下)を大切にするその愛情で、新たな道を切り拓いていった。その鐡造の姿は、1945年(昭和20年)8月15日に戦争が終わったが、さらなる逆風にさらされても変わることはなかった。東京をはじめとした主要都市は徹底的に爆撃されて瓦礫の山となり、海外資産のすべてを失って莫大な賠償金が課せられようとしていた。これから日本はどうなっていくのだろうかと、全員が途方に暮れて失意に包まれているとき、わずかに残った店員を集めて、鐡造は「愚痴をやめよ、愚痴は泣きごとである。亡国の声である」「日本には三千年の歴史がある。戦争に負けたからと言って、大国民の誇りを失ってはならない。すべてを失おうとも、日本人がいるかぎり、この国は必ずや再び立ち上がる日が来る」と訓示を述べた。だが、失望から立ち直り武者震いする店員たちに、売るべき商品「石油」がそもそもないという現実が襲いかかる。「店主、このままでは、国岡商店は潰れます。涙を呑んで人員整理を」という進言に、鐡造は「馘首はならん!」と解雇を断固拒否する。戦後、住処も食糧事情もままならない情勢下で、日本の復興に向かって闘う男たちの物語が始まった。(以下省略)
この映画を見て田岡鐵造の時流を見つめた洞察力、判断力、揺るがない信念と愛情の生きかたに感動した。「店員は家族と同じ」という信念のもと厳しい状況にあっても決して諦めることなく、押し進めたことも立派だったと思う。主役の岡田准一さんが若き時代から最後の96歳までの田岡鐡造を演じたのは立派で、見応えのあるものだった。最後の96歳という年齢のメイクは、顔のシワやシミ、白髪など非常にリアルで、ここまで出来るのかと感心した。

2016年12月9日金曜日

月桂冠大倉記念館と黄桜

 伏見界隈を散策して月桂冠大倉記念館キザクラカッパカントリー(黄桜酒造)を見物した。
酒の資料館「月桂冠大倉記念館」は、入館料300円で同時にお土産で一本(一合)300円?の日本酒がもらえた。つまり無料で入れるという感じだった。資料館では、月桂冠の歴史や出来事、日本酒のつくり方の説明と道具が並べられており、日本酒のつくり方を改めて学んだ。
資料館を出たところには、伏見の水が湧き出ていて、お猪口で飲むことが出来た。無味でさっぱりとしていた。終わると試飲コーナーがあり、三種類の日本酒を試飲した。
ここ月桂冠は1637年(寛永14年)、初代・大倉治右衛門が京都府南部の笠置町(現在の相楽郡笠置町)から城下町、宿場町としてにぎわっていた京都伏見に出て来て創業。名前の由来は、ギリシャ神話に「太陽神アポロが怪蛇を退治し、月桂樹の葉をもって身を浄めた」とあるように、ヨーロッパでは、月桂樹は邪気を払う霊木として崇(あが)められてきた。1905年(明治38年)、勝利と栄光のシンボル「月桂冠」を商標登録し酒銘として使いはじめた。当時、自然や地名などをもとにした銘柄が多く用いられていた中で、ハイカラな酒銘として注目を浴びたとのこと。また、この名前は1910年(明治43年)に「コップ付き小びん」が当時の鉄道省で「駅売りの酒」として採用され、月桂冠が広く知られるきっかけになったとのこと。
キザクラカッパカントリー(黄桜酒造)では、河童資料館があり無料でみることが出来た。黄桜の歩みや酒作りの工程等や河童に関することが詳しく分かりやすく紹介されていたが、資料としては少なかった。
社長の話によれば「社歴が数百年ある老舗のひしめく伏見で黄桜が設立されたのは、1951年(昭和26年)で60数年前。 実は、清酒業界内では相当若い企業とのこと。業界内での後発メーカーという立場を活かし、「独創的な発想」と「斬新な行動」で、業界では先駆けて行ったテレビCMや、概念にとらわれない商品開発などでお客様の支持を得てきたとのこと。例えば、京都初の地ビールレストラン「カッパカントリー」や東京台場にミニ醸造所を作ったり、日本酒造りを体験できるコースを設けたり…このような地道な活動を続け、清酒ファンを1人でも増やしながら、お客様と共に文化を理解し、発展させていこうと努力している。」とのこと。なかなか日本酒作りの経営も難しいものだと思った。 

2016年12月4日日曜日

「サントリー1万人の第九」

 大阪師走の風物詩、第34回「サントリー1万人の第九」が行われ出演。指揮は佐渡裕さんで今回で18回目の総監督・指揮者。今回は、2000年12月(第18回)に始めてから16回目の出演。またこの「第九」は、大阪、札幌、東京(国技館)、広島、鳴門、香川などで合計が49回目となった。目標50回の出場まであと1回で達成できるまでになった。長い~~第九の歴史をまた一つ刻んだ。
オープニングとして女子高校生のボーカルグループ「Little Glee Monster」(リトル・グリー・モンスター)による「Seasons Of Lover~ミュージカル「RENT」より」の歌で開幕した。
第1部では、フランスの若きピアニスト、リュカ・ドゥバルグさんがピアノの美しい音色を奏でたほか、Little Glee Monsterがビートルズの名曲「ヘイ・ジュード」を合唱団と共に歌った。
第2部には、俳優佐々木蔵之介(48)さんが第九の第4楽章で合唱されるシラーの詩の日本語訳「歓喜に寄せて」を朗読した。毎日新聞によると『初体験に感激し、来年の登板も直訴した。佐々木さんは、10月に父で佐々木酒造会長の勝也さんを胃がんのため、83歳で亡くした。7月上旬に今回の朗読者に決まった際、病床の父が喜んでくれたという。「病室で看護師さんにも”息子が朗読やるんや”と話していた」と明かし、「残念ながら今日は見てもらえなかったが、(天国で)聞いて喜んでいると思う」としみじみと。自身も第九の大合唱を鑑賞中、「天上に光が立ち上るような気がして、ホールの天井を見上げた。父に届いている」と語った。』という。
 その後、ベートヴェン交響曲第九の演奏が始まった。ソリストは、ソプラノ:並河寿美、メゾソプラノ:谷口睦美、テノール:西村 悟、バリトン:キュウ・ウォン・ハンの各氏、合唱団は北は北海道・東北仙台、南は福岡・沖縄那覇などから、また海外からオーストリアから25名が、年齢は小学1年生から92歳までの1万人で歌い上げた。最後は「蛍の光」を全員で合唱し、また新たな感動のもと終了した。\(^o^)/  上の写真は東京「ゆうとう会」のメンバーとの記念写真。
これらは、MBSにて12月23日(水・祝日)13:55~14:52に「クラッシクは怖くない!」で放送される。


2016年11月27日日曜日

佐渡練(佐渡総監督レッスン)

第34回「サントリー1万の第九」も今週(12月3日(土)リハーサル、4日(日)本番)に迫り、夏から始まったレッスンも最後の佐渡練(佐渡指揮者・総監督による合同レッスン)で終わりとなる。そのレッスンが、今年は京阪天満橋駅から近くのエル・シアター(府立労働センター)で、森ノ宮E・F・1・2クラスの約1000人が参加して行われたので参加した。約1時間35分による細かな歌い方指導もあり最後の仕上げとなった。
この「一万人の第九」に始めて出演したのは2000年の第18回からで、翌年2001年だけ他の合唱団の第九出演で出なかったのみで、その後は毎年出演して今回で16回目となる。第九の出演はトータルでは49回目で、50回まであと1回で達成するまでになった。長い~長い~第九の歴史があるが、また新たな歴史を刻むことになる。 さあ~もうすぐ本番だ。風邪などを引かないように注意し、今年の最後を飾ろう!
写真は第九レッスン(森ノ宮E・1・2レッスン)の有本正人講師のサイトから借用した。

2016年11月20日日曜日

京都「龍吟庵」

 「即宗院」の横にある東福寺塔頭のひとつで、年に1回紅葉シーズンに特別公開されている。ここ「龍吟庵」は「りょうぎんあん」と呼び、室町時代初期に建造された現存最古の方丈建築の単層入母屋造である。
東福寺第三世住持「大明国師」の住居跡、大明国師坐像(重要文化財)が方丈の背面の開山堂に安置されている。方丈の東西南の三方に枯山水の庭は、重森三玲により昭和39年につくられた。三方(東・西・南)は庭に囲まれているのが特色である。
方丈の前側の南の庭は「無の庭」で、置石がないシンプルな白砂だけの庭。(下の写真の右上)
西側の庭は「龍門の庭」で 龍吟庵の寺号に因んで、龍が海から顔を出して黒雲に乗って昇天する姿を石組みによって表現している庭。(下の写真の左下)
東側の庭は「不離の庭」で大明国師が幼少の頃、熱病にかかって山中に捨てられた時、二頭の犬が国師の身を狼の襲撃から守ったという故事を石組みで表している庭。。(下の写真の右下)
という名園らしいが説明を聞いて、何となく成る程と納得したものだった。