2017年11月17日金曜日

五花街「祇園東」の散策

五花街とは祇園甲部、祇園東、上七軒、先斗町、宮川町の五つ、先日上七軒に行ったので、今回は、初めて「祇園東」を散策してみた。祇園甲部と同じく八坂神社の門前町として栄えてきたが、明治14年に四条通より北、花見小路より東を祇園乙部とし、昭和24年に東新地、昭和30年からは祇園東といわれるようになった。祇園会館で秋に「祇園をどり」を上演、舞踊は藤間流。ここ祇園東は五花街の中でももっとも小地域で舞妓さん5名、芸妓さん13名と少ない。この辺は狭い路地も多く飲食街などが入り乱れた中に置屋、お茶屋さんが点在していた。
ここに超人気で綺麗な芸妓・つね桃さんの置屋もあった。この道に精通している人の話では、近々引退されてIT企業の人?と結婚されるのて見れなくなるらしい。この動画は昨年4月1日の撮影会のもの。

<関連サイトから抜粋して少し勉強すると...>
「お茶屋さん」は芸舞妓さんを呼び、宴席を設けてお客さんが遊ぶところ。「置屋さん」は芸舞妓さんを抱え、料亭やお茶屋さんなどの求めに応じてうかがわせるところ。置屋の女将さんを「お母さん」、先輩の芸舞妓さんを「お姉さん」と呼びます。
舞妓さんになるには、まず置屋に住み込み、はじめは「仕込みさん」として、お姉さんのお手伝いをしながら置屋の生活や花街のしきたり、舞などを学びます。祇園甲部には八坂女紅場、宮川町には東山女子学園、先斗町には鴨川学園、上七軒は上七軒歌舞練場、祇園東は祇園東お茶屋組合、と日本舞踊や三味線など、必要な芸事を習う場がそれぞれあります。
仕込みさんの次は「見習いさん」。「この娘は大丈夫」となったら髪を結い、衣裳をつけてお姉さんについてお座敷へ。舞妓さんは「だらりの帯」が有名ですが、このときは「半だら」といって半分の長さのだらりの帯を結びます。半だら帯の見習いさんを約1カ月。いよいよ舞妓デビュー。「お店出し」です。また、舞妓さんから芸妓さんになることを、一般に赤襟から白襟に変わることより、「衿替え」といいます。衿替えの前2週間、舞妓さんは「先笄(さっこう)」という髪型に結いかえます。舞妓さんの髪型は最初「割(われ)しのぶ」を約2年、「おふく」を約2年、そして衿替え前に「先笄」に。先笄に結う期間は花街によって異なるようです。その間に先斗町では「菊かさね」「おしどり」など好きな髪型を結うこともできます。ちなみに舞妓さんは自分の髪で結いますが、芸妓さんになると鬘になります。

2017年11月16日木曜日

芸妓さんお座敷遊び体験

がんこ高瀬川二条苑の「芸妓さんお座敷遊び体験」に初めて参加した。参加者は私を含めて3名で、このような小人数は珍しく大体8~10名とのこと。お二人は常連さんで、一人は三重県榊原温泉の近くから、もう一人は大阪松原からで結構遠方から来られていた。肝心のお座敷遊びはほとんどなかったが、富多愛さんの舞を楽しみ、またお二人共この道には詳しく富多愛さんも入れて華やかな花街のいろいろな裏話も含めて聞くことができた。私は全く花街のことは知らないので、何かと新鮮なことも多かった。この体験の料金は、舞芸妓料と昼食代含めて税込6000円(但し、飲み代別)。時間は12時から3時頃までで、芸妓さんも2時間程いて、ゆっくりと歓談して過ごせた。



2017年11月15日水曜日

舞妓・富津愈さんの舞

がんこ高瀬川二条苑の「舞妓さんに出会える日」での、祇園東の舞妓・富津愈さんの舞(祇園小唄)。

富田林の重要伝統的建造物群

 知人がテレビで富田林寺内町の重要伝統的建造物群保存地区が報道されて、行ってみたので一緒にと誘われて行ってみた。
ここは1558年(永禄元年)、興正寺門跡証秀上人によって創建された興正寺別院を中心とした寺内町として誕生し、商売の盛んな在郷街として発展してきた。
現在も創建当時の六筋七町の町割りや、重要文化財旧杉山家住宅、仲村家住宅など往時の繁栄を偲ぶ重厚な町家が数多く残されている。大阪府内で唯一の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。これらの住宅で内部も見られたのは旧田中家住宅、杉山家住宅、仲村家住宅だけで、他の住宅は住まいをされているので外観だけだった。
住宅や景観も綺麗に保存もされているけれど、「ならまち」のようなお店や食事・カフェするところもなくて、何かもう一つ活気がない?ただ単に保存している地区だった。

「北斎ー富士を超えてー」展

あべのハルカス美術館の特別展「北斎ー富士を超えてー」展を鑑賞した。
この特別展は10月6日(金)~11月19日(日)まで開催されいて、すごい盛況ですでに21万人を超えた入場者とのことが、朝日の夕刊(」11/14付け)に掲載された。また、入場時間も1時間超待とのことも報道され、朝早いほうが待ち時間も少ない?とのことで行ってみると(9時40分頃)やはりすごい行列が出来ていて、当日券を買うのに25分、入場に15分程度だった。
また、入場するとこれまたすごい人で殆どの作品は頭越しの鑑賞となったが、繊細な筆で見事に人物や風景が描かれた作品をみることができて堪能した。
特に、よく見かける超有名な「富獄三十六景 神奈川沖波裏」や「富獄三十六景 凱風快晴」はじっくりと鑑賞したが、他の作品ももう少しゆっくりとみたかったなぁ~と。
葛飾北斎(1760~1849、90歳没)の晩年30年間に描いた作品(約200点)と人生に焦点を当て、北斎が追い求めた美の世界に迫る展覧会でもあって、大変よかった(^O^)

2017年11月12日日曜日

三筋の滝

滋賀県甲賀市信楽町田代にある「三筋の滝」に田舎(滋賀日野)からの帰りに立ち寄った。
ここは東海自然歩道の途中にある田代川の滝で流れ落ちる時に三本に分かれて落ちるのでこの名称がついたものと思われる。
静寂さが滝の音を響かせる環境にはあるが、滝の規模としてはそれほど大きなものではなかった。
しばし静寂を味わった。

2017年11月11日土曜日

玉ねぎ苗の植え付け

玉ねぎの苗を植える時期になり、サツマイモ収穫後の畑に石灰を施した後(2週間前)に植えた。
今回、田舎に行く途中の宇治田原にある果物店で予約するつもりだったがせずに11時前に行くとほしいと思っていた早生50本、赤玉50本と普通(O・K玉ねぎ白)150本がなくて、あるのは赤玉50本と普通(O・K玉ねぎ)100本だけだった。ここではあるものだけ買った。
昨年、ここではじめて買って植えたが安くて(1本5円40銭税込)苗もよかったので、今回ここで全て買うつもりにしていたが残念だった。やはり植える最盛期には予約しておかないといけないと反省する。
そのため、JA甲賀にも立ち寄り見たが、ここも早生は売り切れで、普通の玉ねぎ苗があったので50本買ったが高い(8円20銭税込)。高いから苗も良いかと言うとそうでもない。
早生がないため、以前から買っているグリンプラザカワシマに予約して早生50本と普通玉ねぎより大玉ねぎの苗50本を買ったが、JA甲賀と同じ(8円20銭税込)だった。今年は、早生50本、赤玉50本、大玉50本、普通(O・K白)130本の計280本を植えた。一昨年は不作だったが、今年の収穫はまあまあの状態だった。来年はどうなるのだろうか?

2017年11月6日月曜日

五花街「上七軒」散策

 「北野天満宮」に参拝し、宝物殿の非公開文化財特別公開を見てから「北野天満宮」の東隣にある京都五花街の一つである上七軒をはじめて散策した。五花街とは祇園甲部、祇園東、上七軒、先斗町、宮川町の五つである。
現在(2011年当時)、お茶屋10軒で芸妓、舞妓合わせて約28名(舞妓は7~8名)、五花街ではこじんまりとした花街。散策したのが真昼間だったので人通りもすくなく、舞芸妓さんにひょっとしたら会えるのかと期待したが全くダメだった。この上七軒一帯は、京都市の「上京北野景観整備地区」に指定されているらしいが、景観にそぐわない建物も見られた。また、3月下旬から4月上旬に催される「上八軒歌舞練場」や夏に行われるビヤガーデン・盆踊りの会場などをみて回った。ここ上七軒で超人気の今年舞妓から芸妓さんになった勝奈さんのお茶屋「一文字」前には行かなかった。(勝奈さんのお茶屋を知らなかったから)
ここ上七軒は、文安元年(1444年)北野天満宮の社殿の一部が焼けた時、第十代室町幕府将軍足利義稙(よしたね)が、所司代細川勝元に命じて、社殿の造営をさせた。その時、余った材木で七軒の茶屋を建て、参詣人の休憩所とした。これが上七軒の由来。その後、天正15年(1587)、太閤秀吉10月1日から十日間北野松原で大茶会を開く発表をした。「茶の湯熱心のものは、若党、町人、百姓、身分を問わず来座を許す。茶の道具のないものは湯のみひとつでもよい。服装履物は どんなものでもよい。」とのお触れをだした。初日は1000名以上の者が参加したが二日目から中止となった。その理由は未だにわからないらしい。北野大茶湯の時、上七軒茶屋を豊臣秀吉公の休憩所として、名物の御手洗団子を差し上げたところたいへん喜ばれ、七軒茶屋に御手洗団子の山城一国における販売権を認め、法会茶屋株を認可した。これが上七軒の始まりで京都五花街の中で七軒屋がもっとも古い。北野天満宮に仕える巫女は、少女であったが成熟すれば上七軒の茶立て女となった。後に茶立て女は北野天満宮の参拝客を歌舞音曲でもてなすようになった。 戦前はお茶屋50軒、芸妓、舞妓あわせて60名いたが、第二次世界大戦で、大半は転業、廃業したが終戦後お茶屋35軒あったが西陣織産業の衰退により、舞妓はゼロとなリ、存続が危ぶまれた1981年より 舞妓が増え始めた。現在、祇園甲部が芸妓総数119人と最も多い(うち芸妓86人、舞妓33人)。祇園甲部に次いで宮川町、先斗町の芸妓数が50人以上と多くなっている。上七軒は28人、祇園東は17人と少ない。
※注:下の勝奈さんの写真は、クリックしてFacebookにログインすることで見られます。Facebookにアカウント未登録の場合、登録することで見られます。


京都「北野天満宮」参拝

秋期京都非公開文化財特別公開(1日~12日)が行われている「北野天満宮」に参拝に出かけた。
ここでの公開は宝物殿内で「北野天神縁起絵巻」(国宝)と鬼切丸(重要文化財)などの宝刀が主であった。「北野天神縁起絵巻」は菅原道真の生涯と、没後の怨霊(おんりょう)の祟(たた)り、北野社(現在の京都・北野天満宮)の創建とその霊験(れいげん)・利生(りしょう)を絵画化したものである。写真撮影は禁止だった。
また、鬼切丸(重要文化財)などの宝刀は、武運長久を祈願して名立たる武将より奉納された刀、技の上達を願って刀鍛冶から奉納された刀など、当宮に所蔵する約80振の御神刀から、およそ40振を一挙公開されていた。罪人の首をはねた際、髭まで断つ切れ味の鋭さから「髭切」の別名がついたといわれる。また、一条戻り橋で渡辺綱が鬼を切ったという伝説から「鬼切丸」とも呼ばれているとのこと。刀を納めた箱も展示されていた。
刀にはあまり関心がないので、そのよさがよく分からなかった。
境内にある「もみじ苑」が公開されていたが、まだモミジの紅葉には少し早いので入苑せずに帰った。

EPSONプリンター廃インク吸収パットエラー

EPSON EP-806ABを購入して3~4年経過し、ある日突然に電源を入れると「廃インクの吸収量が限界に達しました。 エプソンの修理窓口に交換をご依頼してください」なんていうエラーが出て、うんともすんとも言わなくなり使えなくなった。
調べると廃インクパッドの交換とカウンターのリセットが必要だということ。エプソンの修理サービスを使うと13000円程度と修理日数もかかるし、それやったら新しいプリンターの方が安いやんと思う。インクが消耗品なのは仕方ないとしても本体まで消耗品がいるって、ちょっと違うのではないか?ということで、ネットでいろいろと調べてみるとパッドの交換とリセット方法がすぐ見つかった。
パッドの交換は手順通りにすればOK、廃インク吸収パッドカウンターリッセトはWIC reset utiltyをダウンロードしてインストール後、1000円(1080円)でリセットできることが分かった。
ただ、他にやることもあって手が付けられず3ヶ月程放ったらかしにしていたが、もうすぐ年賀状作成の時期にも来るので昨日、廃インク吸収パッド交換を行う。廃インクはタンク内のスッポンジに吸収されていて、これを取り出して、間に合せのキッチンペーパーを適当に詰め込んで代用とした。超安上がりだ。パッドカウンターのリッセトは「WIC reset utilty」というソフトを使うが直接の購入はアマゾンで、「エコインク」から説明書やリセットするキーが送られてきた。パッドの交換は手順通りにしたが、取り外しネジが分かりにくいところにあり1時間程度かかった。パッドカウンターのリッセトは説明書の通りで案外スムーズに出来た。EPSONに出さず12000円程度安くついてよかったよ~\(^o^)/
http://tatsu8.jp/rasuto/kisyu/EP-806A/Reset.html

2017年11月2日木曜日

「酬恩庵一休寺」参拝

秋期京都非公開文化財特別公開(1日~12日)が行われており、京都精華町の「酬恩庵一休寺」に参拝に出かけた。ここでの文化財特別公開は、大徳時住職の一休禅師が晩年過ごした虎丘庵や浴室などの公開だった。
このあと「酬恩庵一休寺」の方丈、方丈庭園、本堂、一休禅師の墓、少年一休像などをみて回った。
紅葉には少し早かったが総門や参道などのモミジも少し色付きはじめていた。
ここ「酬恩庵一休寺」は、当時の元の名は妙勝寺であって、鎌倉時代、臨済宗の高僧大應国師(南浦紹明)が中国の虚堂和尚に禅を学び、帰朝後禅の道場をここに建てたのが始めである。然るにその後、元弘の戦火にかかり復興もならずにいたものを、6代の法孫に当たる一休禅師が康正年中(1455〜6年)、宗祖の遺風を慕って堂宇を再興し、師恩にむくいる意味で「酬恩庵」と命名した。禅師はここで後半の生涯を送り81歳で大徳寺住職となった時もこの寺から通われたのであり、文明13年(1481年)11月21日88歳の高齢を以って当寺において示寂され遺骨は当所に葬られたのである。このように禅師が晩年を過ごされたことにより「一休寺」の通称が知られるに至った。(関連サイトから転記)


2017年10月27日金曜日

サツマイモ(鳴門金時)の収穫

台風21号の影響が気になり田舎(滋賀日野町)に1カ月振りに行き、サツマイモの収穫、大根の間引き、柿取りなどをしてきた。
田舎での台風21号は聞くところによれば、22日夜すごい風と雨だったようだ。我が家では小屋のトタンの一部が吹き飛ばされたり、玄関の天井の壁が落ちたり、畑や敷地にひいてる防草シートが殆ど吹き飛ばされたりといった被害が出た。天井の壁以外は直してきたが大変だった。
サツマイモの収穫は、例年通りでまずまずの状態、ただ形状が変なものが多く、これは畑をあまり深く耕していないことや石が多いこと?に原因があるみたい。
大根の方は、9月4日に種蒔きしてから、今回間引きをしたがまあまあの生育で11月下旬には収穫ができるか?と思われる。以前は秋の野菜として水菜、日野菜、菊菜とかいろいろと作っていたが、今は大根のみに限定している。サツマイモ収穫の後は玉ねぎの苗を植える準備をした。(苗は11月4日頃に植える予定)
この日は台風22号の前日で、すごくいい天気で夕焼けが綺麗だった。

2017年10月26日木曜日

泉涌寺塔頭「雲龍院」参拝

総本山泉涌寺の山内の一番奥、別院の「雲龍院」を参拝。ここは 南北朝時代の北朝第四代天皇、後光厳天皇の勅願で作られたお寺で、真言宗泉涌寺派の別格本山とされている。御本尊は本堂龍華殿に安置されている薬師三尊像で、西国薬師霊場四十番札所でもある。
この「雲龍院」の主な見所は、悟りの窓(窓からは紅梅・海棠(かいどう)・シャクナゲなどが)、大輪の間からの庭園や大石内蔵助の額、れんげの間(雪見障子の四角いガラスから4枚の違った絵を眺めることができる)、龍華殿、霊明殿、灯篭(最後の将軍、徳川慶喜が寄進したもの)、勅使門など。特に各間から眺める庭園は素晴らしく、四季折々に楽しめるようだ。紅葉には1ヶ月程早かったので、紅葉した庭園を見られなかったのは少し残念だった(´・ω・`) が、また機会をみつけて訪れたい雲龍院だった。

2017年10月24日火曜日

泉涌寺塔頭「来迎院」参拝

京都東山区にある総本山真言宗「泉涌寺」の塔頭「来迎院(らいごういん)」を参拝した。
ここは鎌倉時代に建てられたお寺で、仏教の三宝である仏・法・僧を守る日本最古の「三宝荒神」が安置されている。ここの庭園「含翠(がんすい)茶庭」は回遊式の小さい庭で、手入れが行き届いているというよりは自然な感じの庭園であった。大石内蔵助が建てたといわれる茶室「含翠(がんすい)軒」(中の写真)があり、ここで赤穂浪士とも密会をしていたとか。また、客殿の縁側には小泉元首相がここを訪れたときの写真も展示されていた。参拝者は、自分一人でかなり寂しいと感じる庭園でもあったが、しばしその静寂を味合うことも出来た。
紅葉には1ヶ月早い時期であったが、モミジやカエデの葉っぱの先が少し色付き始めていた。あと1ヶ月後の紅葉風景がいいだろうなぁ~と想像しながら「来迎院」を後にした。

京都「泉涌寺」参拝

東山三十六峯の一嶺、月輪山の麓にたたずむ真言宗泉涌寺派の総本山総本山「御寺泉涌寺」に参拝した。
ここは弘法大師・空海が天長年間(824~834年)にこの地に法輪寺(ほうりんじ)と呼ばれる寺を建てたのが由来。その後、建保6(1218)年に月輪大師(がちりんたいし)がこの聖地の寄進を受け、大伽藍の造営にあたっていたころ、境内の一角から清水が湧き(涌き)出たことから、「泉涌寺」と名前を改められた。天皇家からも篤く信仰され、鎌倉時代の四条天皇から江戸時代の孝明天皇までの歴代の御陵が39陵あり、皇室との関係が深いことから泉涌寺は、『御寺(みてら)』とも呼ばれている。これは、日本で唯一の皇室の菩提寺に与えられた名前である。
ここ泉涌寺は2回目であるが、もう一度「仏殿」「舎利殿」「本坊」「御座所」(玉座の間等)「霊名殿」「庭園」などを拝観して回った。
庭園の本格的な紅葉は、まだ1カ月程早いが、上の方の葉っぱは色付きはじめていた。 あと1カ月後に訪れたいと思う。

2017年10月19日木曜日

舞妓・富津愈(とみつゆ)さん

京都「がんこ高瀬川二条苑」にて「舞妓さんに出会える日」が月に4回程開催されているので、はじめて出かけた。
ランチをここ「がんこ高瀬川二条苑」で済ませてから玄関の畳の舞台で祇園東の舞妓・富津愈(とみつゆ)さんの踊りが3曲披露され、舞妓さんの踊りに魅了した。
その後、簡単に舞妓さんの紹介、5名からの質問時間があって記念写真も行われた。
ここで以前会社で仕事が一緒だったFacebookのお友達でもあるKさん(ご夫妻)に20年ぶり?に合いびっくり。一緒に記念写真も撮れて大満足の一日だった。













2017年10月11日水曜日

保育所の運動会

孫娘(3歳と5歳の娘)の保育所(第66回)の運動会が、当初の7日(土)が雨模様で11日(水)に延期され、孫娘の父親が仕事で写真やビデオ撮影ができないこともあり、見ながら撮影をも行った。
この日は天気に恵まれ、気温も上昇してすごく暑い日であったが、園児たち元気で練習した競技を頑張っていた。そして無事に終わった。

2017年10月8日日曜日

「オータムコンサート」へ

「一万人の第九」森ノ宮9の4回目の練習を途中退席して、門真市ルミエール小ホールで行われる「オータムコンサート」を聴きに立ち寄って来た。
このコンサートはご夫婦で年一回開催されていて、今回は7回目のコンサートとのこと。無料で約130名が来場されていた。
第一部(むこうむこう、ねむの花、わがうた、甲斐の峽・・・・・14曲)、第二部(嘆きのセレナータ、ウィーンわが夢のまち、・・・・・7曲)に分かれていて、ソプラノの奥さんとテノールのご主人が交互に歌われた。
奥さんは声楽部を卒業されているらしい?ので、お年に似わわず声量もありよかった。 しかし、ご主人の方は男性合唱団で歌われ独学で勉強されているらしい?が何か素人の声量の感じで残念だった。 
しかし、すべて暗譜でこれだけ歌われるのは凄いなぁ~と感心した。

2017年10月7日土曜日

第10回「フォト同好会」

「工学部学友会」の第10回「フォト同好会」(道頓堀~アメリカ村~心斎橋界隈の撮影と写真展鑑賞)に参加した。今回の参加は5名と少なく、ちょっぴり寂しい会であったがそれなりに楽しんだ。
JR大阪駅中央改札口前のみどりの窓口付近に10時に集合、地下鉄御堂筋線「梅田」から「なんば」で下車して、法善寺横丁~道頓堀界隈~アメリカ村~心斎橋界隈の南の街風景、建物、看板などを中心に写真撮影を行った。途中道頓堀橋付近では小雨がパラつく生憎の天候でしたが、その後は雨も止んで街中を見て撮影しながら楽しんだ。
昼食は心斎橋ホテル日航の地下「美々卯」(1800円の「しゃぶしゃぶ膳」)。
昼食後、地下御堂筋線「心斎橋」から「本町駅」で下車、徒歩約8分の「富士フォトサロン」にて写真展(このはな写真クラブ展、日本航空写真家協会SKYGRAFFITI2017」、第24回大阪ハッセルブラッドフォトクラブ写真展)を、主催者から写真撮影場所や撮り方など聞きながら鑑賞した。やはりここに展示されるだけあって見応えもありいろいろと勉強にもなってよかった。
帰りの途中、千鳥屋宗家(本町の和菓子屋)の2F喫茶店にて雑談してお土産を買って解散となった。

2017年10月4日水曜日

総本山「智積院」参拝

京都市内でクラス会の宿泊先(京都駅前の京都新阪急ホテル、新・都ホテル、ホテル吉野家、天然温泉花蛍の湯など)を下見に行った帰りに立ち寄り参拝、庭園を鑑賞してきた。
ここ総本山智積院は、真言宗智山派三千ヵ寺の総菩提所・総祈願所で、七条通りの突き当たりの東山にある。数々の伽藍と多くの貴重な文化遺産があり、特に長谷川等伯(1539-1610)とその弟子達によって描かれた「楓図」「松に立葵図」や等伯の長男・久蔵の作とされる「桜図」は、桃山時代を代表する障壁画であるとともに、日本が世界に誇り得る第一級の絵画とのこと。
また、大書院東側の名勝庭園は、桃山時代に造られた庭園で、中国の廬山を形どって作られた利休好みの庭としても有名である。
やはり利休好みの庭と言われるだけあって、いい眺めでしばし鑑賞した。

2017年10月3日火曜日

「げんき~」G芸能ボランティァ

今回、2回目の「里仁館ディセンター」にてディーサービス者約15名と職員4名を対象にG芸能ボランティアを「げんき~」のメンバー5名で行った。
出し物は、いつもの歌体操(4曲)→舞踊(2曲)→踊り「どじょうすくい」→皿まわしと南京玉すだれ→童謡唱歌→踊り「おてもやん」(おてもやん民謡)、時間が少しあり最後に「炭坑節」の踊りを対象者(ディーサービス者、職員、関西外大実習生含む)も一緒に踊った。
これで予定の約1時間で、ひと時を楽しんでもらった。

2017年9月23日土曜日

島津製作所創業記念資料館

「高瀬川舟まつり」に島津製作所創業記念資料館を訪れた。通常は入場料が300円であるが、このおまつりで一般無料公開されていた。
ここの見学は2回目であるが、改めて島津製作所の創業時のこと、今日までの開発製品展示など広く学ぶことが出来た。
創業の地である高瀬川の北端の木屋町二条は、島津製作所の創業の地であるとともに、明治初め、京都府が欧米の最新技術を導入した実験所や工場など多くの産業諸施設を設立した近代科学発祥の地でもあった。現在は、京の落ち着いたたたずまいが感じられる場所であり、その中に建つ木造の2階建ての外観は、初代、二代目が居住し、店舗としていた当時の面影を今に伝えている。 京都は、日本の歴史や文化を代表する文化財があふれているが、こうした伝統だけではなく、最先端の独自の技術を持つ企業が集中している所でもある。当館はそれらを一般公開している数少ない企業ミュージアムであり、理化学の世界に楽しさや親しみを感じてもらえると同時に、明治期の京都の歴史、田中耕一氏のノーベル化学賞技術紹介コーナなど、幅広く学べる。