2017年4月19日水曜日

仁和寺の御室桜

今年最後の桜、仁和寺御室桜の写真を撮りに6年振りに出かけた。
残念ながら2日前の雨と風の影響もあって南側の方は大分散っていた。しかし北側の方は満開の状態でなんとか写真も撮れて最後の桜を楽しんだヽ(・∀・)ノ
仁和寺の御室桜はソメイヨシノより1週間から10日遅い里桜(品種はほとんどが有明で、他に車返し、鬱金(うこん)など十種類の里桜)で、丈が低く(3m前後)、根元より香り高い白花を咲かせる特徴がある。御室桜の起源は古く、平安時代にまでさかのぼるが、現在のものは江戸時代初期に約200本植えられたもので、大正13年に天然記念物法により名勝に指定された。
仁和寺の歴史は、仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まる。しかし翌年、光孝天皇は志半ばにして崩御されたため、第59代宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和4年(888年)に完成。寺号も元号から仁和寺となった。明治20年(1887年)には御殿の焼失があったが、大正時代に再建。昭和時代に入ると、仁和寺は真言宗御室派の総本山となり、近年では平成6年(1994年)に古都京都の文化財の1つとしてユネスコの「世界遺産」に登録され、新たな歴史を刻んでいる。 (仁和寺のサイトから抜粋)
今年の桜見物と撮影は、2月末の京都淀の河津桜から始まり、3月中旬の河津桜、京都御苑しだれ桜、東本願寺別院「渉成園」のソメイヨシノ、醍醐寺のしだれ桜、牧野公園のソメイヨシノ、原谷苑のしだれ桜、平野神社、造幣局の桜、仁和寺の御室桜で終わった\(^ω^)/  
今年はよく行ったなぁ~と、思う(^O^) 行くつもりで行けなかったのが、大阪大川沿いの桜を観光船でみてのビデオ撮りだった(´・ω・`)

2017年4月16日日曜日

全日本写真連盟「春の撮影会」

全日本写真連盟大阪府本部主催の「春の撮影会2017」に参加した。会員や一般参加のカメラマン約200名?参加して10時から午後3時まで大阪城公園内の各所で行われた。
今回は一般人として参加した(以前会員であったが、2~3年前に脱会したため) 出演は武庫川女子大学チアリーダー、武庫川女子大吹奏楽部、コスプレモデル3名、南京玉すだれだった。この撮影会のコンテストも行われるが、応募しないつもりで、コスモデルモデルやチアリーダーを中心に撮影を楽しんだ(*゚▽゚*)
※ビデオをPCでみる場合、右下歯車印をクリックして画質を720P(HD)以上とするのが望ましい。













2017年4月15日土曜日

造幣局の桜の通り抜け

今年も大阪の春の風物詩である「造幣局の桜の通り抜け」が11日からスタートしたが、まだつぼみの状態が多いとの新聞情報もあり、15日の午後から見物した(17日まで開催)
毎年訪れているが、今年の桜は開花が遅くスタートから4日遅れに行ったが、まだ5~6部咲きだったりと全体的には少し早い状態だった(´・ω・`) もうあと4~5日後が満開で見頃になるのではないかと思われた。 その中で満開の桜も多数あり、写真を撮りながら楽しむことができた (´▽`) 今回はビデオ撮影して掲載したヽ(・∀・)ノ
※ビデオをPCでみる場合、右下歯車印をクリックして画質を720P(HD)以上とするのが望ましい。

2017年4月13日木曜日

「平野神社」の桜

「原谷苑」の帰り「わら天神宮」から徒歩約10分にある、ここも京都の桜名所の一つ「平野神社」に参拝(8年振りに参拝)して桜見物した。
生命力を高める神様の象徴として、平安時代より植樹されてきた桜は、境内全域に約60種類400本。3月上旬から開花する「桃桜」をはじめ、春のお彼岸のころには特に有名な「魁桜」が見頃となる。そして4月中までソメイヨシノのほか、珍しい種類の桜が次々と開花する。今回、ソメイヨシノは大分散っていたが、平野寝覚(ひらのねざめ)、胡蝶(こちょう)、松月(しょうげつ)などの桜が見頃だった。
「平野神社」は、もともと奈良の平城京に在った田村後宮という皇后様の御殿の中にあった。 そして皇城や都の災いを鎮めお守りしていた。794年に奈良から京都へ都が遷ったのと時を同じくして、今のこの地に鎮座した。つまり“Since 794”桓武天皇のお引っ越しと同時に平安京に遷った。このように遷都と同時に神社ごと一緒に移ってきたのは、沢山ある京都の神社の中でも「平野神社」だけで、それほど宮廷と密接に関係を持っていたということ。
広さは150メートル四方、約8,000坪あり、鬱蒼としたお社の森に囲まれている。  もともとはもっともっと広く、室町時代に建立された金閣寺を含めた2キロ四方という広い範囲が平野神社の境内だった。  平安時代から鎌倉~室町~桃山~江戸と公家社会から武家社会に移り行く歴史の流れの中、「平野神社」の様子も随分と変ってしまった。昭和になってからも西大路通を広くする為に西側が削られ、今の大きさになったとのこと。江戸時代初期に再建された重要文化財の社殿を中心に京都御所から移築した御門や社務所などがある。

京都北「原谷苑」

2~3年前から一度訪れたいと思っていた京都の穴場と言われた桜名所「原谷苑」に行ってきた。京阪三条駅前から市営バス立命館前行に乗車して「わら天神宮前」で下車、その前からマイクロバスが運行されていて(桜のシーズンのみ)、それに乗車して現地「原谷苑」まで約10分。
「吉野の桜と原谷の桜、一度は観ておけ!」と、そんな風にも言われているらしい。 苑内のさくらは20数種類で400本以上、紅しだれ桜が咲き出し、薄墨桜、染井吉野、メインの八重紅しだれ桜、黄桜、緑桜、菊桜、郷桜などで、とにかく桜が凄い!どこを見ても桜!さくら!サクラ! という感じだった。これだけ多くの紅しだれ桜があるのは、ここ「原谷苑」だけで、視界を包み込むほどの密度で凄かったなぁ~…につきる。
ここ「原谷苑」は個人の所有地で、昭和32年頃から花好きの村岩家の二代目が景色のよい丘を選び数百本の桜や紅葉ほか数十種類の樹木を植樹したことが始まり。当初は、親類・友人等の身内だけで花見をしていたが人伝えに評判が広まり、現在は桜・梅・紅葉のシーズン中にも一般公開されるようになったとのこと。現在は四代目が引き継いでいるとのこと。
※ビデオをPCでみる場合、右下歯車印をクリックして画質を720P(HD)以上とするのが望ましい。

2017年4月9日日曜日

醍醐寺「豊太閤花見行列」

 京都・醍醐寺にて「豊太閤花見行列」が行われるので、初めてあるが見物に出かけた。これは毎年4月第2日曜日に行われていて、今年は9日であったが、桜の開花が遅くソメイヨシノなどは満開、くしだれ桜は少し散ってきていたが、まさに豊太閤花見行列に相応しい様子が再現されていた。すごい観光客で賑わっていた。
豊太閤花見行列は、国宝に指定されている三宝院の唐門からスタート。子供たちの行列から始まり、護衛の侍、山伏と続き、メインの秀吉や秀頼、正室・北政所、側室・淀、松の丸(京極竜子)、三の丸(織田信長の六女)、加賀(前田利家の娘)らに扮した一行が練り歩き、金堂へ。 金堂では、特設舞台が設置されており、雅楽や狂言が披露される。その舞台を見た後に、豊臣秀吉の行列は再び三宝院に戻って行事は終了となる。
豊太閤花見行列が観賞できる場所は、無料区間と有料区間に分かれて、三宝院から仁王門までは無料。 仁王門から金堂までが有料となっていた。いい場所でビデオ撮影をしたかったが、桜の写真を撮っていたため時間がなくなり、何とか仁王門の端からの撮影となり残念ながらうまく撮れずに終わった。その後、金堂に行くつもりも、もう少し桜の写真を撮りたいこともあって行かなかった。雅楽や狂言を見られなかったことも、また残念(´・ω・`) 是非来年は見たいものだ。
この醍醐寺にて慶長3年(1598)の春、秀吉は花見に際して畿内から700本の桜を植え、三宝院の建物と庭園を造り、盛大な宴を開いたという。息子・秀頼や正室・北政所、側室の淀、三の丸など女房衆1300人余りが参加したといわれている。

2017年4月6日木曜日

名勝「渉成園」(枳穀亭)

京都御苑から東本願寺の別邸である「渉成園」(枳穀亭・きこくてい)までウオーキングして初めて訪れた。1641年に三代将軍・徳川家光から当地(約一万坪)が寄進され、石川丈山の趣向を入れた池泉回遊式庭園をもつ東本願寺(真宗本廟)の飛地境内地(別邸)。園内の諸殿は1858年、1864年の二度にわたって焼失したが、現在の建物は明治初期から末年ごろに至る間に順次再建されたものとのこと。
庭園には四季折々の花が咲きほこり、変化に富んだ景観は「十三景」と称されて、高い評価がなされているとのこと。
今の時期は桜で、意外にも大きな古木が少なく、全体の桜の本数も少なかった。その中でソメイヨシノがちょうど満開で見頃を迎えていた。 池泉回遊式庭園を散策して楽しんだ((^O^)

京都御苑のしだれ桜

京都御苑のしだれ桜の写真を撮りに出かけた。ここのソメイヨシノはまだ満開ではなかったが、近衛邸跡のしだれ桜(糸桜)は満開で、見頃を迎えて中国人を含めた外人や市民の多くの人たちで賑わっていた(*゚▽゚*)  
そのため人の顔や後ろ姿などが入り思うように撮れず少し困った(´・ω・`) また、しだれ桜を撮るのはなかなか難しい~、と思う(´・ω・`)
去年は京都府立植物園のしだれ桜の写真を撮りに行ったが、今年は東本願寺の名勝「渉成園」(枳穀邸・きこくてい)を初めて訪れた(^O^)

2017年4月4日火曜日

冨田一樹「凱旋コンサート」

2016年7月、ドイツ・ライプツィヒで開催されたバッハ国際コンクールのオルガン部門にて、冨田一樹さんが日本人初の第1位を受賞した。冨田さんは大阪出身で学生時代よりいずみホールのオルガンを演奏し、ホール主催のマスタークラスにも参加されてきた。ホールのオルガンと共に自身の音楽経験を育んできたことを祝して、凱旋コンサートが行われ満席の大盛況だった。
今回、家内がオルガンをやっていて、チケットを購入して行くことになっていたが急遽行けなくなり、友人にも声をかけたが行けないとのことで、おハチが回ってきて聴きに出掛けた。
パイプオルガンの演奏会は初めてであったが、D.ブクステフーデ作曲(3曲)、バッハ作曲(9曲)のオルガン演奏を聴き、それなりに楽しめてよかった(´▽`)

「げんき~」G演芸ボランティア

今年2回目の芸能ボランテイアを枚方公園近くのディーサービス「喜楽屋」で、対象者15名と職員4名を対象にメンバー5名で行った。
出し物は、相変わらずの歌体操(4曲)→舞踊(2曲)→踊り「どじょうすくい」(安来節)→「南京玉すだれ」→皿まわし→踊り「おてもやん」(おてもやん民謡)の約60分の演芸ボランティアだったヽ(・∀・)ノ
今回、元気そうな方たちを対象にしたボランティアで、和やかな雰囲気でそれなりに楽しいひと時を過ごしてもらった(´▽`)
「どじょうすくい」の上衣は、実妹が和裁教室をしていることもあって、義弟の浴衣から袖を赤白柄にして新しく作ってもらっての初披露となった(*゚▽゚*)

2017年3月30日木曜日

日本美術と高島屋

京都高島屋にて高島屋史料館所蔵の日本美術と高島屋~交流が育てた秘蔵コレクション~と【特別展示】豊田家・飯田家 寄贈品展が29日から開催されたのでみに出掛けた。
1831年、京都で産声をあげた高島屋は、創業期の呉服店時代から誇りと伝統を有し、その長きにわたる歴史の中で、高島屋の名のもとに集まった日本画の名品を一堂に展観し、近代日本の画家たちが高島屋と如何なるかかわりをもって自らの芸術を高めていったのかがよく分かるようになっていた。
横山大観、竹内栖鳳をはじめ、前田青邨や川端龍子、東山魁夷など、約60点に及ぶ展示作品が高島屋に収まったエピソードも交えての紹介だった。また今回は、高島屋四代飯田新七の娘・二十子(はたこ)が嫁いだトヨタ自動車創業家の豊田家と高島屋創業家の飯田家から、大阪の高島屋史料館に寄贈された貴重な作品も特別展示されていた。そして高島屋とトヨタ自動車の繋がりもよく分かった(^-^)/

2017年3月29日水曜日

「日野駅再生プロジェクト」寄付

昨年12月に「近江鉄道日野駅再生プロジェクト」への寄付(1万円)を行い、その礼状と記念品が藤澤町長から届いた。
お礼の品は創業百周年記念の煎餅とレールで作った文鎮だった。 この文鎮は明治31年(1898年)にイギリスのBARROW STELL社で製造されたレールで作られたとのこと。
今もこのレールが日野駅構内にも残され敷設されたままで、舶来レールとして全国的にみても珍しいものだそうだ。 現在、日野駅舎の再生改修工事が進んでおり、完了予定日は平成29年9月末とのこと、楽しみだなぁ~(*゚▽゚*)
この近江鉄道日野駅は1916年に建てられ(初代の駅は1900年、現駅が1916年で二代目)、昨年で100年を迎え、現存する木造駅で100年を越える数少ない駅のひとつ。その味わい深いレトロな駅は、映画のロケやテレビ放映でも多く使われ、住民と鉄道ファンからもこよなく愛されていた。 しかし、長い年月によって老朽化がすすみ、このままいけば簡単な駅に建て替えが余儀なくされ、なつかしさや愛着のある駅が消えてしまうため、まちのシンボルである駅の存続に危機感を抱いた日野町と地元住民が、寄付金を募る「近江鉄道日野駅再生プロジェクト」を立ち上げ、近江鉄道に協力を呼びかけ、再生修復工事が行われることとなった。

2017年3月28日火曜日

京都随心院「はねず踊り」

3月の最終日曜日に行われている京都山科区にある随心院の奉納の舞「はねず踊り」をみに行った。 この踊りは、花笠を被りはねず色(白色を帯びた紅色の古名)の段絞りの小袖を着た少女(小学4~6年生)が、はねず踊り伴奏(はねず踊り邦楽グループ)での踊りと「今様」踊り、京都瓜生山舞子連中による「大蛇」があり、多くの人々で賑わっていて華やかな舞台を楽しんだ(*゚▽゚*)
この随心院は、真言宗善通寺派の大本山であり、弘法大師より8代目の弟子にあたる仁海僧正の開基にして、一条天皇の正暦二年(西暦991年)奏請して、この地を賜り一寺を建立されたという。(詳細は省略) 
また、ここは平安時代の絶世の美女である小野小町の住居跡ともいわれ、特に知られている。(詳細は省略)








京都随心院の「はねず踊り」

2017年3月23日木曜日

「春うららコンサート」へ

 
寝屋川市立地域交流センター「アルカスホール」の主催で、寝屋川演奏家クラブ出演の気軽にクラッシク♪「春うららコンサート」が午後6時半から行われ聴きに行ったヽ(*´∀`)ノ。
メンバー5名(ピアノ2名、ソプラノ2名、クラリネット1名)で、約1時間半弱のミニコンサートで市民、常連、知人の方など約60名が聴きに来られて、このスタイル(夜間の1Fギャラリーコンサート)での演奏会では盛況だった。 ただ、ギャラリーでの演奏会で音楽には向かない部屋だったのが少し残念。
演奏曲はモーツアルト、シューベルト、ヘンデル、ウェーバーなどの歌、ブラームス、シュトラウス、ベートーベンのピアノ曲などクラシック曲約13曲の演奏を楽しむことが出来てよかった(*゚▽゚*)
この「寝屋川演奏家クラブ」は年3回程度演奏会を開催し、今日まで17年間続いている演奏家クラブ(長女と次女が当初からのメンバーで、次女が代表)。 メンバーも発足当時とは大分変わり、また生活環境も変わる中で、今日まで続いているのは大したもの。継続は力なりで、知名度も随分とアップしてきて、楽しみにしている人も多い(^O^)
次の演奏会は、第17回寝屋川フレッシュコンサート&定期演奏会が8月5日(土)14時から行われる予定で、また楽しみにしたいものだ(^O^)








2017年3月18日土曜日

堺市「大仙公園」

仁徳陵古墳や履中陵古墳を擁する百舌鳥古墳群内に位置するこの「大仙公園」は、「日本の歴史公園100選」に入選しており、古代史のロマンを秘めた百舌鳥古墳群のほぼ中心にあり広大で緑豊かな公園に、中央図書館、堺市博物館日本庭園、堺市都市緑化センター、自転車博物館サイクルセンターなどがあり、市民の憩いの広場にもなっている。今回は市立博物館と日本庭園を見物した。どちらも入場料は大人200円であるが、他市でも65歳以上であれば免許書など証明するものを見せれば無料だった。
堺市博物館は、市制90周年記念事業として昭和55年に開館。生涯学習と市民文化の向上のため、堺市の歴史、美術、考古、民俗に関する博物館として、多くの資料が展示されていた。
また、日本庭園では堺の歴史を背景にして作庭された庭園様式の『築山林泉回遊式』で中国大陸を望む名勝を模して造られており、全国各地で見られるような藩主が作った名庭園とは趣が異なる造りになっていて、なかなかよい庭園だった。

仁徳天皇陵・履中天皇古墳参拝

初めて仁徳天皇陵古墳と履中天皇陵古墳へ出かけた。JR阪和線の百舌鳥駅で下車して、まず仁徳天皇陵古墳拝所にて参拝、その後大仙公園を抜けて履中天皇古墳拝所にて参拝した。
が、両天皇陵も大きくて全体を見るには航空写真をみるしかないので、想像しながら歩いた。帰りに堺役所の新ビル21階(約80m)にある展望台からみてもこの天皇陵古墳の輪郭が見られなくて、ただ単にこんもりとした森にしか見えない。(上の写真) そこそこ全体がみえる展望台がほしいものだ。この展望台は基本的に年中無休で360度堺市内が見渡せる。
仁徳天皇陵古墳は、エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓の一つといわれ、上から見ると円と四角を合体させた前方後円墳という日本独自の形で、5世紀中ごろに約20年をかけて築造されたと推定されている。日本最大の前方後円墳で北側の反正天皇陵古墳(田出井山古墳)、南側の履中天皇陵古墳(石津ヶ丘古墳)とともに百舌鳥耳原三陵と呼ばれて、現在はその中陵・仁徳天皇陵として宮内庁が管理している。前方部を南に向けた墳丘は全長約486m、後円部径約249m、高さ約35.8m、前方部幅約307m、高さ約33.9mの規模で3段に築成されている。(詳細は省略)
履中天皇陵古墳は百舌鳥古墳群で仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)に次ぐ巨大前方後円墳で、10基ほどの陪塚を従えていたが、現在は寺山南山古墳など4基が残るのみで、形や出土した埴輪、陪塚の出土品などから仁徳天皇陵古墳より古く5世紀前半頃に造られたことがわかっているとのこと。墳丘の全長約365m、後円部径205 m、高さ約27.6m、前方部幅約235m、高さ約25.3mの規模の日本で3番目に大きい、前方部を南に向けた巨大前方後円墳である。(省略は省略)

2017年3月13日月曜日

「クイーン・エリザベス号」入港

開港150年目を迎えた神戸港に13日、世界で最も有名で、一生に一度は乗ってみたい豪華客船「クイーン・エリザベス号(3代)」が入港するということで、一度見ようと友人と3人で昼食(中華料理)後、神戸ポートターミナルに出掛けた。 
午後1時半過ぎにポートターミナルに着いたが、一目見ようと見学者や乗客などで混雑していた。 客船内部の見学者募集も事前に行われたようであるが、何倍?という応募での抽選もすでに終わって、外から見るしかなかった。まあぁ~バカでかい、ビルを見上げるようだった。また、夜間遊覧の募集も行われたようで約10倍の応募があり抽選で130名が恩恵に預かったと、今朝の朝日新聞に掲載されていた。(下の写真が新聞に掲載された写真、転載)
この「クイーン・エリザベス号」は2010年に竣工され、姉妹船のクイーン・ヴィクトリアに比べ、公室アレンジの違いなどにより90,400トンとヴィクトリアより400トンほど大きい。全長294m、全幅32.3m、旅客定員2,092名。2010 年10月の処女航海は29分14秒で完売という、史上最速の記録を樹立し、その人気の高さを証明したという。
13日午前6時に入港し、同日夜8時に日本発着する初めてのクルーズが出発、鹿児島、釜山(韓国)、広島を回って20日神戸に朝6時に再入港するという。 そして同日8時に上海に向けて出港するという。次の計画によると来年2018年3月15日大阪港に入港し、大阪港発着のクルーズ(釜山と広島・高知周遊、35万円)があるとのこと。一度乗ってみたいなぁ~と、しかし結構値段もするしねぇ。

2017年3月12日日曜日

京都伏見・淀の河津桜の第二弾

2月28日に行った京都伏見の淀地域の淀水路沿いの「河津桜」が満開になっていた。ヽ(・∀・)ノ

2017年3月11日土曜日

ヤンマー新本社の社員食堂

創業以来、100年以上にわたり食づくりに携わってきた企業として、生産者と消費者が直接的により深く繋がる場を提供したいとの想いから、ヤンマー新本社ビル(愛称:YANMAR FLYING-Y BUILDING、2014年秋竣工)の社員食堂を週末ランチ限定で一般開放されるとのことが新聞で報道され(2月初旬)、今回梅田に用事があり立ち寄って食事(昼食)をしてきた。
新本社ビル竣工以来、食づくりに携わる企業として、社員が生産者の想いをより身近に実感できることをコンセプトとした社員食堂を運営してきたとのこと。産地や生産者が見える旬の食材を積極的に使用した一汁三菜スタイルのセットメニューでは、おいしさと健康にこだわったメニュー作りを行っており、社員はもとより来社のお客様からも好評を得ているとという。今まで「Premium Marché CAFÉ」として運営してきた社員食堂を「Premium Marché OSAKA」へと名称を改め、2月4日(土)より週末ランチ限定で一般開放されている。
朝10時半頃にヤンマー本社に到着、整理券が配られていて既に63人が待っている状態で、64番の整理券をもらう。すごい人気らしく肉料理・魚料理(各150食)、カレー(50食)の計350食はほぼ売り切れるいう話だった。
11時頃か20人単位でエレベーターへ誘導され、64番目だったので11時20分頃に12階にある食堂へ。まず先に精算(3種類とも1000円、フリードリンク付き)してメニューの肉料理、魚料理、カレーの3種類から選ぶが、今回は肉料理を選んでみた。肉料理のカードをもらって受け取り場で料理を受け取り、席は自由であるが、もう窓際の席がなくて2人用のテーブルにて食事をとった。食堂は150席あるそうで、広々として大変綺麗であった。
肉料理は鶏肉だったが美味しかったし、ご飯も最高。フリードリンクは食中はウーロン茶、食後にコーヒー、紅茶を、ちょっと欲張りかと思うが…?
こんなに人気なのは、①産地や生産者が見える旬の食材を積極的に使用した健康的な一汁三菜スタイルであること。②値段も手頃(1000円)でフリードリンク付きだこと。③食堂も綺麗だし広々として眺めもよいことか…と。

2017年3月7日火曜日

新選組屯所「八木家」

京の冬の旅「壬生寺・狂言堂」を参観したあと、壬生寺を出てすぐ近くにある新選組の屯所(宿所)があった「八木家」に立ち寄った。この八木家は、室町時代後期より壬生の地に住み、以来400年15代にわたり続いている家。幕末の1863年春、14代将軍家茂上洛にあたりその警護の為に上洛した浪士の芹澤鴨、近藤勇、土方歳三、沖田総司、山南敬助、新見錦、原田佐之助、藤堂平助、野口健司、井上源三郎、平山五郎、平間重助、永倉新八ら13名がここ洛西壬生村の八木家を宿所とした。そして1863年3月16日八木家の右門柱に松平肥後守御領新選組宿という新しい表札を掲げて、ここに新選組が誕生したという。(上の写真の門柱)
そして、9月18日(島原の角屋で大宴会日)のどしゃ降りの深夜に八木家の奥座敷において新選組三大内部抗争で芹澤鴨、平山五郎ら4人が斬殺された。その時の刀傷の一部が現存し、その凄惨さを物語っている。(下の写真)
こうして近藤が実権をにぎってから隊規も厳しくなり、又池田屋事件など新選組の最盛期を築いたが、1865年夏、壬生が手狭になってきたのを理由に西本願寺の太鼓番屋(現存)に屯所を移した。
その後、鳥羽伏見の戦いに敗れるまで、あしかけ3年、壬生を洋式調練の場所にするなどした新選組の歴史がここにあったことを改めて知ることが出来た(´▽`)

2017年3月4日土曜日

京の冬の旅「知恩院」

先日に続いて京の冬の旅「知恩院」に出かけた。よく知恩院三門前を通ったり、本堂(御影堂)を参拝したことがあるが、内部の拝観(大方丈、小方丈、方丈庭園など)は初めてだった。今回、三門をくぐり、御影堂は修理中で新玄関より入り、法然上人御堂(集会堂)で参拝し、大方丈、小方丈、方丈庭園を回って拝観した。その後は法然上人の遺骨が安置されているという御廟で参拝、大鐘楼などをみた。
ここ「知恩院」は法然上人を祖師と仰ぐ浄土宗の総本山で、地位が確立したのは、室町時代の後期とされ、また「知恩院」の建物が拡充したのは、徳川時代になってからとのこと。徳川家は古くから浄土宗に帰依しており、家康は生母伝通院(でんつういん)が亡くなると知恩院で弔い、また亡母菩提のため寺域を拡張し、ほぼ現在の境内地にまで広げて今日に至っている。
知恩院には古くから伝わる七不思議(鶯張りの廊下、忘れ傘、白木の棺、抜け雀、大杓、瓜生石、三方正面真向の猫)がある。が、その中で特に不思議だと思うのは、方丈の廊下にある杉戸に描かれた狩野信政筆の猫の絵で、どちらから見ても見る人の方を正面からにらんでいる(中の写真で、クリック・拡大して正面、左右からみると見る方向に目が向いている)。親猫が子猫を愛む姿が見事に表現されており、親が子を思う心、つまりわたしたちをいつでもどこでも見守って下さっている仏様の慈悲をあらわしているとのこと。また、御影堂から集会堂、大方丈、小方丈に至る廊下は、全長550メートルもの長さがあり、歩くと鶯の鳴き声に似た音が出て、静かに歩こうとするほど、音が出るので「忍び返し」ともいわれ、曲者の侵入を知るための警報装置の役割を担っているとされているとのこと。また鶯の鳴き声が「法(ホー)聞けよ(ケキョ)」とも聞こえることから、不思議な仏様の法を聞く思いがするともいわれている。(下の写真の右) また、大方丈入口の廊下の梁に置かれている大きな杓子。大きさは長さ2.5メートル、重さ約30キログラム。このような大杓子はあまりないところから、非常に珍しいもの。伝説によると三好清海入道が、大坂夏の陣のときに大杓子をもって暴れまわったとか、兵士の御飯を「すくい」振る舞ったとか。 「すくう」すべての人々を救いとるといういわれから知恩院に置かれ、阿弥陀様の慈悲の深さをあらわしているとのこと。 今回、「知恩院」が徳川家の菩提寺であること、七不思議があることを知ることが出来た(´∀`)

2017年2月28日火曜日

京都伏見・淀の河津桜

京都伏見の淀地域の淀水路沿いに超早咲きの「河津桜」や普通の「河津桜」があり見に出かけた。超早咲きの河津桜は満開であったが、他の桜はつぼみで、ちらほら咲いている程度、これからだった。あと1週間(3月7~8日)で満開になるだろう、また訪れてみよう。
ここは地域の名所にしようと、住民でつくる「淀さくらを育てる会」が静岡県発祥の河津桜を2002年から植樹しているところ。この植樹の取り組みは、水路のほか小学校や地域の公園にも広がり、現在は約240本を育てているとのこと。この超早咲きの「河津桜」をみると心も癒される思いだ。もうすぐ本格的な桜シーズンがやってくる、心もウキウキだぁ~~。

2017年2月27日月曜日

2/27(月)【虎ノ門ニュース】(2/26独立講演会の話あり)

真相深入り「虎ノ門ニュース」、昨日(26日)神戸芸術センター芸術劇場の「独立講演会」での話も出てくるので掲載(YouTubeより共有) したが、最近(3/20時点)取り消されている。
この真相深入りニュースは、月曜日から金曜日までの午前8時から10時までYouTubeで無料公開されている。 このニュースはいつでもYouTubeでみることが出来る。

2017年2月26日日曜日

第62回「独立講演会」に参加


神戸芸術センターの芸術劇場で第62回「独立講演会」(主催:独立総合研究所)に初めて参加した。参加者は小学生から学生、後期高齢者までざぁ~とみて約800名か(内女性は約20%か)で、改めて人気の凄さを知った。
もう62回も行われていて、東京と大阪(神戸)を交互に開催されている。講師はもちろん青山繁晴参議院議員。午後2時半から7時までの4時間半の講演で、まず、前段の諸々の話があり、その後参加者の事前の質問(申し込み時での事前質問、従来は当日質問を受ける形式が改まった)に対する解説であった。
その質問の集計では、まず①青山さん個人の生き方などのこと、②中国・韓国の情勢、③拉致問題の現状と今後、④教育について、⑤メタンハイドレートの現状と今後、⑥トランプ大統領の動向と今後、⑦反日メデイアについて、⑧天皇陛下の譲位などであった。これらについて深く掘り下げ、真相をわかりやすく解説した内容で、虎ノ門ニュースで聞いていることも、またオフレコの話も多く大変参考になった。ここでの記述は省略するが、改めて青山さんの凄いパワー(解説能力、知力、体力、精神力など)を痛感した。上の写真は神戸芸術センター、下が講演会に参加の皆さん(YouTubeの虎ノ門ニュースの「トラ撮り」からGet)

2017年2月24日金曜日

「壬生寺本堂・狂言堂」

島原を散策後、北へ徒歩約10分にある「壬生寺本堂・狂言堂」を訪ねた。この本堂には本尊延命地蔵菩薩立像(重要文化財)、列仙図屏風(長谷川等伯筆・重要文化財)などあり、説明を受けて見物した。仏像については、あまり関心がないので、よいのかどうかよく分からなかったなぁ…。また、大念仏堂(狂言堂)では能舞台にない「飛び込み」「獣台」など特異な構造や壬生狂言の衣装や小道具、面も公開されていた。この舞台で演じられることなど分かったし、まだ一度も見たことのない「能狂言」(重要無形民俗文化財)なので見てみたい~。春の公開は4月29日~5月5日午後1時から行われるのでこようか~!
この壬生寺は991年、園城寺(三井寺)の快賢僧都によって創建された古いお寺。昭和37年(1962)、本堂を全焼し本尊地蔵菩薩像を含む多数の寺宝を失った。が、新しい本尊延命地蔵菩薩立像(重要文化財)が、唐招提寺から移されて、昭和45年(1970)に本堂の落慶法要が行われ今日に至っている。そのため本堂はまだまだ綺麗だった。この壬生寺は、「壬生狂言」と新選組ゆかりの寺として有名で、境内の壬生塚には新選組隊士の墓塔があった。