2018年1月18日木曜日

第4回「はんなり舞妓写真展」















17日から23日まで京都四条「ぎゃらりい西利」で開催されている第4回京都前田「はんなり舞妓写真展」へ出かけた。
「はんなり舞妓写真撮影会」での舞妓・芸妓さんの写真(出展者11名の写真)45点が展示されていた。出展者がどのように舞妓・芸妓さんを表現しようとしているのかなどを感じながら鑑賞した。いい写真も多くあった。また、出品者のHさんやFacebookのお友達で出品者のYさんとも撮り方など雑談できたのでよかった。
この「京都前田はんなり舞妓撮影会」は、次回は3月開催されるようであるが、先生・昼食付きで参加費が19,000円、ちょっと高そうだなぁ~と思うけど一度は行ってみたい。

2018年1月14日日曜日

「げんきー」Gの芸能ボランティア

今年、初めての芸能ボランティア活動を牧野小学校内にある「牧野アスティ」にて校区の老人新年会約70名を対象に芸能ボランティアをメンバー4名(1名欠席)で行った。
 参加人数が4名と少ないため、出し物はいつもの歌体操(4曲)→舞踊(2曲)→皿まわしと南京玉すだれ→踊り「どじょうすくい」→踊り「おてもやん」(熊本のおてもやん民謡)で、約束の予定時間は1時間だったが45分程度で終わった。時間がある場合、踊りの「炭坑節」「河内音頭」などをやるのだが今回、舞台が狭くて踊りができないこともあって中止した。
今回は元気な方の集まりであり、受けもよくて大変喜んでもらった。
デジカメを持参したが、ついSDカードを入れ忘れたため写真が撮れなかった。そのため上の2枚の写真は前回の写真を掲載した。

2018年1月12日金曜日

近江鉄道日野駅改修の第2弾

田舎へ帰省したついでに一昨年にふるさと納税を使って寄付をした近江鉄道日野駅の完成具合を見てきた。
日野駅は明治33年開業。レトロな木造駅舎は映画の撮影に使われたこともあり、住民や鉄道ファンから愛されてきた。ただ、老朽化が激しく、簡易な駅舎への建て替えも検討された。
 その状況に、町民や町などが一体となって「日野駅利用促進活性化懇話会」を立ち上げ。町は約五千万円を予算計上するとともに、ふるさと納税制度やクラウドファンディングを活用して費用を募り、計7300万円で改修。昨夏に工事が完了し、昨秋にはカフェスペースを備えた観光案内交流施設をオープンさせるなど、新たな日野駅としてスタートしていた。すごく綺麗な駅舎になっていた。
今、第2弾のプロジェクト(上り待合所改修)が昨年11月にスタート。改修を目指す上りホームの待合所は昭和40年に建築されたもの。木造の外壁や屋根の傷みが激しく、解体して復元する方針で、平成30年度中の完成を目指している。町は前回同様、ふるさと納税やクラウドファンディングで寄付金を募っているとのこと。また、寄付を考えようかと思う。下の写真が上りホームの待合所で今にも倒れそうで相当老朽化している。

2018年1月11日木曜日

本願寺大谷本廟に参拝

京都清水五条の本願寺大谷本廟(西大谷)に、義父と両親の納骨をしており初参りに訪れた。まず仏殿にお参り、その後6階建ての第一無量寿堂(むりょうじゅどう)の5階の「かー14号」にある「本誓寺」の納骨仏壇(両親の納骨)にお参りした。
この大谷本廟は、浄土真宗本願寺派(西本願寺)の祖廟で宗祖親鸞の遺骨を祀る。龍谷山(りゅうこくざん)と称し、俗に西大谷とよばれる。もともと鳥辺野の北、大谷の地にあった親鸞の墓所に建てられた廟所が本願寺で、1478年(文明10)本願寺が蓮如(れんにょ)によって山科に再興されるまでは、寺は長い間さびれてはいたけれども、いわば浄土真宗の本山であった。その故地は現在の知恩院の境内である。現在地には1603年(慶長8)に移し変えられ、旧名を継いで大谷の名を用いた。仏殿その他の建造物は1867年(慶応3)に火災によって焼失したので、1870年(明治3)以降に再建されたものである。現在、門信徒のための近代的な納骨堂(無量寿堂)がある。 (関連サイトから抜粋)

2018年1月8日月曜日

年賀ハガキの驚き

FBの友達Kさんに教えてもらったが、犬の富士山の年賀ハガキにマイクロ文字で「あけまして」、「おめでとうございます」と印刷されている。肉眼ではみえないので見落としてしまう。
すごい技術でどうしてこれだけのマクロ文字印刷が可能なのか。日本の印刷技術はすごいなぁ~と思う。

杉・五兵衛で誕生日会

妻の誕生日であり次女家族と(大人4名と孫娘2名)で、枚方「杉・五兵衛」にて昼食会(ランチ)を行った。
ここでのランチは取り皿の上に、農園料理(自家製の野菜、果物などの料理)と器に自家製のパンが出てくる。食べ終わると、後はバイキング形式で園内で収穫した野菜や果物などの料理を自由にとって食べるというもの。園内には魚や豚・牛などが飼われていないためだろうか?それらの料理はなかった。ただパンフレットのメニューをみると牛すき鍋やボタン鍋もあるようで注文すればOKのようだ。
ここは甲子園球場の2倍ほどある園内で様々な野菜・果物、山菜や花などを育てている。代官屋敷と酒蔵を移築した本館で収穫した作物の手造り農園料理が楽しめるので大変人気がある。
また、季節で変わる農園風景と畑の幸を五感で体感したり、作物の収穫体験や動物(ろば・うさぎなど)とのふれあいもできるので、子供連れの家族でも楽しめるようになっている。今日は生憎の雨降りで動物とのふれいあいができなかった。また、雨の影響かお客さんも少なかったようだ。

2018年1月7日日曜日

京都花街の始業式

京都の祇園や先斗町などの花街で7日、芸舞妓さんらが今年の精進を誓う「始業式」があった。正月用の稲穂のかんざしに黒紋付き姿の芸舞妓さんらが「おめでとうさんどす」と新年のあいさつを交わし、お世話になっているお茶屋に挨拶まわりが行われた。
朝日新聞朝刊によれば、「祇園甲部では祇園甲部歌舞練場(京都市東山区)敷地内の八坂ホールで開かれた式に約110人の芸舞妓らが出席。『祇園の伝統を誇りとし、心の修養に努め、技芸の習得に励みましょう』などと誓いの言葉を唱えた。この後、京舞井上流の五世家元で人間国宝の井上八千代さんが恒例の地唄舞『倭文(やまとぶみ)』を披露した」とのこと。
今回、芸舞妓さんの年中行事の最初の始業式が終わって、式会場から出て一斉に各お茶屋への挨拶まわりが行われ、芸舞妓さんが見られるし写真も撮れるので、今回はじめて出かけてみた。
祇園甲部には12時半頃に着いたが祇園甲部歌舞練場の付近や各お茶屋の玄関前の正面には、多くのカメラマンが陣取り、端の方からか後ろからしか撮影できない状態だった。式が終わったのが13時頃、芸舞妓さんは、1名とか2~3名や4~5名のグループでの挨拶まわりが始まった。お茶屋「一力亭」には、さすがに数名連れ添っての舞妓さんなどの挨拶まわりが引っ切り無しに見られた。(下の写真は「一力亭」へ向かう舞妓さん)
花見小路通はいつも観光客で賑わい、車・バイク・自転車も通る通路であるが、この日はカメラマンや観光客でごった返していて、警備員も各所に多く配置されていたが聞く耳持たない状態が続いて混乱していた。
その後、花街の宮川町の始業式が東洋女子学園であり、終わるのが15時とのことで、ここもはじめて行ってみた。14時半頃に行くとやはりカメラマンがいい場所が陣取られていた。15時過ぎから芸舞妓さんの挨拶まわりも始まり、ここでもカメラマンや観光客も多くて撮るには撮ったが変なおっさんやおばはんなどが映り込んだりして思うようないい写真がほとんど撮れなかった。今回、大体のことが分かったので次は違った撮り方を考えようと思う。

2018年1月6日土曜日

がんこ高瀬川二条苑の和太鼓演奏

「がんこ高瀬川二条苑」で和太鼓の定期演奏があるので立ち寄ってきた。女子大生和太鼓サークル3名による和太鼓の定期演奏で、月に1日だけ昼13時~と夜18時~の2回演奏しているとのこと。寒い外での源流庭園演奏であったが庭園内に和太鼓の音が響き渡っていてよかった。 部屋の中で聴いている人は多かったが、園内で聴いている人は寒い影響もあって数名と少し寂しかった。

2018年1月2日火曜日

伏見稲荷大社の初詣

昨年に引き続き伏見稲荷大社へ参拝に出かけた。正月2日ということもあって、鳥居をくぐり本殿に参拝するまですごい参拝客で随分と時間がかかった。
その後、千本鳥居⇒奥社奉拝所⇒熊鷹社⇒三ツ辻⇒三徳社⇒《四ツ辻》までは、上りの石階段が続き、スポーツジムで毎日約1時間のウオーキングをして鍛えていることや多くの人でゆっくりだったので、しんどくもなく登れた。 《四ツ辻》を右回りの三ノ峰⇒間ノ峰⇒二ノ峰⇒頂上の一ノ峰標高233Mに到着。後は下り階段なので御膳谷奉拝所⇒《四ツ辻》に、そして本殿まで戻ることができた。約2時間かかったかなぁ~?
二年連続、外人の人気ナンバーワンになっているだけに中国(台湾)人をはじめ多くの外人が、来ていた。
身近な神社といえる「お稲荷さん」は、全国に3万社あるといわれ、全国各地で老若男女を問わず親しまれている。が、その総本宮が伏見稲荷大社。当社の御祭神である稲荷大神がこの稲荷山に御鎮座されたのは、奈良時代の和銅4年(711)2月初午の日のこと。その日から数えて平成23年(2011)に御鎮座1300年を迎えた。 

2018年1月1日月曜日

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます🙍
皆様には新しい年を迎えられたことと、心よりお喜び申し上げます🙌  この1年が穏やかで充実した楽しい年になりますようにお祈りしますと共に、今年も引き続いて投稿していきますので、よろしくお願いいたします🙏 ※写真は昨年1月1日撮影のものです。

2017年12月30日土曜日

Bar Move On

湖風会「工学部学友会」の会員Kさん(S63年機械科卒)が経営する「Bar Move On」に出かけた。
ここは都島区都島北通り2丁目にあり、京阪電車「野江駅」から徒歩で約15分。地下鉄都島駅からは徒歩約10分のところ。
Kさんは卒業後、機械関係の会社に3年ほど勤めていたが、やめて友達と二人で関目にてBarを3年程やって、その後独立して今の「Bar Move On」をはじめて14年とのこと。機械関連の仕事とは、全く畑違いであり、どうしてこの道にと動機を聞いてもあまりはっきりということはなく、何となくこの道に…との話だった。
6時15分に入って9時前までいたが、お客さんも3名来て、それなりに流行っているようだった。

2017年12月25日月曜日

兵庫県豊岡市で「葬儀」

次女の嫁ぎ先の義母が亡くなり葬儀のため豊岡市へ25日お通夜、26日告別式に参列した。
25日(月)は、次女と孫娘(3・5歳)二人と家内の5名で京都駅から11時25分発の特急「きのさき5号」に乗車し、豊岡市に13時49分に着いて駅前のホテル「豊岡グリーンホテルモーリス」にチェックイン。
16時頃に着替えて「メモリアルホールゆうなぎ」に。お通夜は午後7時から始まり7時半過ぎには終了した。
翌日の告別式は、午前9時40分から始まり、終わって火葬場に11時到着。一旦「メモリアルホールゆうなぎ」に戻り昼食後、13時からの骨拾い、それが終わり火葬場で解散だった。
帰りは豊岡駅16時22分発特急「きのさき20号」に乗車して帰宅した。天候は雨模様でよくなくて、これといった観光もなく帰った。
ホテルは部屋も結構綺麗で、大浴場もありよかった。
写真は上から「豊岡グリーンホテルモーリス」、ホテルの窓からみた虹、特急「きのさき20号」

2017年12月20日水曜日

運転免許書更新の認知機能検査

運転免許書の更新時期が75歳以上であれば、まず認知機能検査を受けて、続いて高齢者講習を受講して更新できる。認知機能検査は更新期限の6カ月前(誕生日の1カ月後が更新期限)に通知書が郵送されてきて、近くの指定された自動車教習所で受講することになる。私は自転車で15分程度にある枚方自動車教習所に通知書が届いて1ヶ月後(10月)に受講申し込み、12月13日午後2時から受けた。受験者は10名と少なかった。
これは記憶力や判断力を測定する検査で①時間の見当識、②手がかり再生、③時計描画という3つの検査項目について、検査用紙に記入して行われる。検査の実施は、約30分ほどで終わる。
具体的には、次の3つの検査項目を受ける。
①時間の見当識:検査時における年月日、曜日及び時間を回答するもの。 ②手がかり再生:一定のイラスト(16個のイラスト)を記憶し、採点には関係しない課題を行った後、記憶しているイラストをヒントなしに回答し、さらにヒントをもとに回答する(点数の約80%を占める)⇒Bパータンが出た。③時計描写:時計の文字盤を描き、さらに、その文字盤に指定された時刻を表す針を描くもの⇒11時10分の針を描けだった。
詳しい検査内容は、警察庁のホームページに掲載されているので、特にみて覚える絵のカード・pfdファイル(A・B・C・Dパターンの4ファイル)をダウンロードして、印刷し何とか更新したいので…必死に覚えた。http://www.npa.go.jp/…/applicat…/license_renewal/ninchi.html
この資料を使って模擬体験ができるページが、知人から送ってきたので、これでもやってみた。次のURLをクリックして体験ができる。http://qpon-toyota.com/ninti_test/
これから更新される75歳以上の方は、事前にやっておくと良いでしょう。
その認知機能検査結果通知書が一週間後に届いて、総合点100点の満点で「記憶力・判断力に心配ありません」という判定結果だった。
そこで、すぐに枚方自動車教習書に高齢者講習を申し込むと、更新期限の3月21日までは予約が一杯、仕方ないので香里園自動車教習所に電話したが、ここも同じくダメだった。そのため次の守口自動車教習所に電話して、何とか予約ができた。高齢者講習がどこも予約で混んでいるとの噂が本当だったと痛感した。

2017年12月9日土曜日

大阪城イルミナージュ

「大阪城イルミナージュ」が大阪城西の丸庭園で11月22日から開催されているので見物して楽しんだ。
このイルミナージュは、歴史の大転換期・幕末維新の時代の大坂城下を、夜空にそびえる天守閣をバックに西の丸庭園に再現されていた。さらに、大阪城と友好城郭提携を結んだフランス・ブルターニュ大公城も登場など、和洋折衷のイルミネーションも体感できた。
幕末・維新エリアでは、ライトアップされた大阪城を借景として150年前にタイムスリップしたような感覚を味わる撮影スポットが多数登場、巨大扇子、瓢箪のクリスタル提灯、将軍や大名が乗船した御座船などが登場していた。 

2017年12月8日金曜日

御堂筋イチョウの銀杏

歯医者に行った帰りに御堂筋のイチョウの銀杏を300人に配布という新聞報道があり、大阪市役所に立ち寄った。午後2時半頃に行くと多くの人が並び整理券が配布されていた。整理券159番を受け取り3時過ぎから約100粒の銀杏(ビニール袋)と御堂筋イチョウライブラリーマップが配布された。
食べ方は、ネット上で調べるといろいろとあるが、「封筒に入れてレンジでチン!簡単に美味しく食べることが出来ます。封筒の中でパン、パ~ンと弾けて(^o^)熱々を爪楊枝で取って食べます(*^_^*)」といった簡単な方法で食べてみた。それほど美味しいものではないが、ちょっとしたおつまみによいかなぁ~。栄養価もあり食べ過ぎないように注意が必要(10個以内)と書かれていた。
この御堂筋のイチョウ並木誕生の由来は、イチョウライブラリーマップによれば、道路幅44mの御堂筋に4列の街路樹を植えるにあたり、樹種選定では議論が紛糾した。役所内の会議では当時流行していたプラタナスが主流を占めていたが、イチョウを推す少数派もあった。イチョウについては「姿に風格があり、夏の木陰、秋の落葉など季節感の乏しい都会にはこんな季節感がある樹木が必要だ。イチョウは東洋の特産だから、外国人に珍しがられ、国際都市大阪を目指す大阪にふさわしい」と力説され、最終的には、大阪駅前から大江橋まではプラタナス、大江橋から南はイチョウという折衷案が出され、これに落ち着いた。イチョウの植栽は昭和8年に始め、昭和12年の完了までに928本が植えられ、現在では、大江橋北側のプラタナスはすべてイチョウに植え替えられている。この御堂筋は大阪を代表する美しい幹線街路であり、イチョウ並木は、「近代大阪を象徴する歴史的景観」として平成12年度大阪市指定文化財に指定されている。

2017年12月3日日曜日

「サントリー1万人の第九」出場

師走恒例のイベント「サントリー1万人の第九」が3日、大阪城ホールで開催され、17回目の出場をした。 35回目を迎える今年は、北海道から沖縄までのクラスが集まり、6歳から93歳までの合唱団が声をそろえた。第1部では、ゲストのバイオリニストの服部百音(もね)さんが出演。作曲家の服部克久氏を祖父、隆之氏を父に持つ音楽一家に育った18歳の天才が「夏の名残のばら」、「カルメン・ファンタジー」で華麗な技巧的演奏を披露、素晴らしく感動した。また、京都出身の3人組ロックバンド「くるり」も出演。スーパーキッズ・オーケストラ、大阪府立淀川工科高校吹奏楽部の若いメンバーととともに、同バンドの「ジュビリー」、「ブレーメン」を披露。またジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス」を合唱団と共に歌った。これも、またクラッシクと違ってよかった。第2部の第九は、35歳の俳優小栗旬さんが「よろこびのうたシラーの『歓喜に寄せて』より」を朗読されて始まった。小栗さんが出てきて、髪型がべートーヴェンにそっくりだったのには驚いた。あえてそのような髪型にされたのだろうか? 今回、このイベントを長年プロデュースされている小栗哲家氏の次男が旬さんであることを知った。親子出演と新聞などで報道されていた。その後、ベートーヴェンの交響曲第9番二短調作品125「合唱付き」、最後に「蛍の光」を全員で歌って終わった。
このイベントに携わって19回目となる佐渡監督は、終演後に感極まって涙。「点数のつけようがない達成感と満足感に包まれています。ベートーベンの求めていたことが、ここで実現しているような感覚です」と振り返っておられた。佐渡総監督の指揮も含めてめちゃカッコよかったなぁ~。この模様は23日午後2時からTBS系7局ネットで放送される。
下のURLに当日生中継した動画が、12月23日まで掲載されている。
http://www.mbs.jp/daiku/
今年も、この「サントリー1万人の第九」で終わるが、2000年に初めて参加して以来、今回で17回目。第九演奏会の出場は、1999年1月フェスティバルホールで朝日新聞120周年の第九演奏会から通算してちょうど50回目となる記念の出場、最後に終わって感極まったね\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/ すごいことかなぁ~?

2017年12月1日金曜日

五花街「宮川町」散策

京都御苑の紅葉を楽しんだ後、運動を兼ねて徒歩にて五花街の一つ「宮川町」を訪れ、その界隈を散策してみた。時刻が3時頃だったので、宮川町の通り辺は静まり返って、芸舞妓さんの姿も一人だけしか見られなかった。 しかし、夜ともなれば華々しい芸舞妓さんが行き交う風景も見られのだろうなぁ~と想像しながら散策した。
ここ「宮川町」は、260年程の歴史があり、四条通りの南座も近く、芝居茶屋として栄えたのが始まりと言われている。 現在は若手の芸舞妓が多く、大変賑わっている花街でもあるそうだ。毎年4月には「京おどり」、10月には「みずゑ会」で日頃の稽古の成果を披露されている。
 現在宮川町には40軒ほどのお茶屋さんがあり、80人前後の芸妓さんと舞妓さんが所属して、祇園甲部に次ぐ花街でもある。
まあ一度くらいは、お茶屋で芸舞妓さんとのお遊びもしてみたいものだなぁ~と。どなたか連れて行ってくれる人がいないかなぁ~、お金もいるけどね。

京都御苑の紅葉

3月28日~29日、高校クラス会の行事の一環として「仙洞御所」の参観を計画し、3ヶ月前の参観申し込みの初日(8時45分過ぎ)に宮内庁京都事務所(京都御所内)に出かけた。この「仙洞御所」や「桂離宮」「修学院離宮」などの参観申込み方法は、インターネット、往復はがき、京都事務所の窓口があるが、インターネットで団体申し込みがいけると思い、やってみたが思うようにいかず仕方がないので窓口に出向いた。
結果的に参観申込みは、どの方法でも代表者を入れて4名しかできず、それ以上は別の代表者で申し込みしないといけないとのこと。5名以上の団体申し込みができないというのだ、なんとい~うことか…。 クラス会で参加者12名(未だ未定)での参観なので、もう2名が代表として別途申込みしないといけないし、他の申込みが多いと抽選となり申込み時間が違うとか、抽選外れの可能性もあり、これは無理と断念。特に午後の各時間は、当日申し込みに割りあてているらしく12名を一度に申し込むことができない。そのため残念だが、この「仙洞御所」参観行事は諦めざるを得ない。
その後、折角朝早く来たので、京都御苑内の紅葉を楽しんだ。


2017年11月26日日曜日

山県有朋の別荘「無鄰菴」

友だちのIさんと「がんこ高瀬川二条苑」で舞妓・富津愈さんの舞をみて昼食後、山県有朋の別荘「無鄰菴(第三)」を訪れた。(今回で3回目で紅葉の時期は初めて)
ここは明治・大正の元老である山県有朋(やまがたありとも)が京都東山に造営した別荘である。
有朋は京都の木屋町二条に別荘(現在、がんこ高瀬川二条苑)を構え、その名を「第二無鄰菴」といい、さらに新しい地に好みの別荘を作りたいと考え、明治27年、現在の地で「無鄰菴」の造営にとりかかり、工事中に日清戦争の勃発により一時中断したが、明治29年(1896)に完成した。有朋はこの別荘の庭園をこよなく愛し、多忙な公的生活の合間にも夫人を伴ってしばしば訪れたが、その後大正11年に83歳で死去。 敷地の大半を占める庭園(面積約3135平方メートル)は、有朋自らの設計・監督により、造園家・小川治兵衛(じへえ)が作庭したものである。ゆるやかな傾斜地に、東山を借景とし、疏水の水をとり入れ、三段の滝池、芝生を配した池泉廻遊式庭園である。(以上、パンフレットなどから抜粋)
天王寺の住友本家跡の「慶沢園」や平安神宮の庭園など多くの庭を手がけた治兵衛作の庭園をゆっくりと散策し、また母屋(和室)に座り心静かに庭園をみてひと時を過ごした。紅葉が綺麗であった。
また、別荘内にある洋館は明治31年の建立で、2階には江戸時代初期の狩野派による金碧花鳥図障壁画で飾られた部屋があり、ここで明治36年(1903)4月21日,元老・山県有朋、政友会総裁・伊藤博文、総理大臣・桂太郎、外務大臣・小村寿太郎の4人によって、日露開戦直前のわが国外交方針を決める「無鄰菴会議」が開かれた部屋が、当時のまま保存されていた。

2017年11月24日金曜日

舞妓・富津愈さん

友達のIさんが舞妓さんを見に行きたいとのことで、「がんこ高瀬川二条苑」のイベント『舞妓さんに出会える日』に一緒に行って見てきた。綺麗な舞妓・富津愈さんの素晴らしい舞を3曲見て写真も撮って来た。この日もロビーの小さな舞台(畳三畳)での舞でしたが、「がんこ」に来た海外のお客さんも含めて一杯の人で溢れかえっていた。
質問時間に外人さんから英語で質問があり、その返答に流暢な英語でテキパキと話されるのには大変驚いた。京都には多くの外人が観光で訪れていて、舞妓さんも英語で話ができないと勤まらないので当然と言えば当然であるが、ペラペラと流暢に英語で話をされるし、綺麗で舞も上手いし、改めてすごいなぁ~と感心した。


京都嵯峨野「宝筐院」の紅葉

天龍寺塔頭「宝厳院」を拝観したあと、紅葉の名所でもある「宝筐院」を初めて訪れた。ここも紅葉が見頃を迎え多くの拝観者で賑わっていた。ここは竹林や苔に四季折々の花が映える、風情満点の庭園が美しい臨済宗の寺院である。カエデに包まれた苔が美しく、モミジやドウダンツツジも多くある。晩秋には見事な紅葉が見られ、境内のモミジの回廊が秋色に美しく変化する。入口から門をくぐるとまっすぐな石畳の道があり、その両側に紅葉のトンネルが続き、辺り一面が黄金色や赤色の紅葉に包まれる様子は見事であった。
ここ「宝筐院」は平安時代に白河天皇の勅願により創建されたと伝えられ、当初善入寺と称していたが南北朝時代に復興し、室町幕府二代将軍、足利義詮によって一時観林寺と改名された。さらに義詮の没後、現在の寺名に改められた。
江戸時代の宝筐院は天龍寺末寺の小院となり、門の位置は今とは異なり、南に向けて設けられていた。幕末には廃寺となり、五十数年を経て復興された。

2017年11月21日火曜日

天龍寺塔頭「宝厳院」の紅葉

天龍寺塔頭の寺院大亀山「 宝厳院」の秋の特別公開が行われていたので、初めて拝観した。さすがに紅葉の名所だけあって素晴らしくめちゃ多くの入園者で賑わっていた。
ここは室町時代に細川頼之公の財をもって、天龍寺開山夢窓国師より三世の法孫にあたる聖仲永光禅師を開山に迎え創建された。ご本尊は十一面観音菩薩、脇物には三十三体の観音菩薩、足利尊氏が信仰したと寺伝にある地蔵菩薩像が祀られており、西国三十三ヶ所巡りに等しいと伝えられている。また、庭園は室町時代の禅僧策彦周良禅師によって作庭。嵐山を借景として巧みに取り入れ、また「獅子岩」等の巨岩を配した借景回遊式庭園であり、江戸時代の京都の名所名園を収録した【都林泉名勝図会】にも掲載されている。寺伝によると、宝厳院は、寛正2年(1461年)室町幕府の管領であった細川頼之公の財をもって、天龍寺開山夢窓国師より三世の法孫にあたる聖仲永光禅師を開山に迎え創建された。
創建時は、現在の京都市上京区の位置にあり、広大な境内を有した寺院であった。応仁元年(1467)から文明9年(1477年)までの約10年間にわたって継続した応仁の乱により京の都は灰燼と化し、宝厳院もまた焼失する。その後、天正年間(1573年 - 1591年)において豊臣秀吉より再建され、御朱印料三十二石を付与、徳川幕府も明治に至るまで外護した。その後変遷を経て天龍寺塔頭弘源寺境内に移転し、現在地(旧塔頭寺院跡)に移転再興した。(以上、関連サイトから)


2017年11月19日日曜日

湖風会「近畿支部」第3回通常総会

湖風会「近畿支部」第3回通常総会が、11月19日(日)12:00~、矢吹安子「湖風会」会長の出席のもと大阪梅田のハービスPLAZ 5F会議室にて開催され、初めて出席した。
 出席者は役員含めて33名で、議事次第は次の通り。
1)開会の挨拶、2)支部長の挨拶、3)来賓ご挨拶、4)議長の選出
<議事 審議事項>
第1号議案:近畿支部役員就任者


第2号議案:H29年度事業計画として、①組織の充実、②役員の補充、③名簿の信頼性向上、④支部ホームページの開設、⑤同好会(写真・ハイキング)
第3号議案:H29年度予算計画
5)新支部長の挨拶
6)閉会の挨拶
以上、議事の審議事項が承認され、新支部長のもとスタートした。
<懇親会>
通常総会終了後、隣の部屋に移動し記念写真撮影後に懇親会が行われた。まず、副支部長の挨拶、顧問の乾杯音頭で始まり和やかな内にお互い懇親を深め、2時半頃に終了した。が、懇親会の時間が不足で、もっと時間を取り全員とまではいかなくても懇親が図れるようにしないといけないのに・・・と思う。
滋賀支部を除く近畿支部の対象者は約6000名であるが、出席者は33名(0.6%)と少なく、難しいがもっともっと盛り上げの支部活動が必要かと思う。

2017年11月17日金曜日

五花街「祇園東」の散策

五花街とは祇園甲部、祇園東、上七軒、先斗町、宮川町の五つ、先日上七軒に行ったので、今回初めて「祇園東」を散策してみた。祇園甲部と同じく八坂神社の門前町として栄えてきたが、明治14年に四条通より北、花見小路より東を祇園乙部とし、昭和24年に東新地、昭和30年からは祇園東といわれるようになった。祇園会館で秋に「祇園をどり」を上演、舞踊は藤間流。ここ祇園東は五花街の中でももっとも小地域で舞妓さん5名、芸妓さん13名と少ない。この辺は狭い路地も多く飲食街などが入り乱れた中に置屋、お茶屋さんが点在していた。
ここに超人気で綺麗な芸妓・つね桃さんの置屋もあった。この道に精通している人の話では、近々引退されてIT企業の人?と結婚されるのて見れなくなるらしいとのこと。この動画は昨年4月1日の撮影会のもの。

<関連サイトから抜粋して少し勉強すると...>
「お茶屋さん」は芸舞妓さんを呼び、宴席を設けてお客さんが遊ぶところ。「置屋さん」は芸舞妓さんを抱え、料亭やお茶屋さんなどの求めに応じてうかがわせるところ。置屋の女将さんを「お母さん」、先輩の芸舞妓さんを「お姉さん」と呼びます。
舞妓さんになるには、まず置屋に住み込み、はじめは「仕込みさん」として、お姉さんのお手伝いをしながら置屋の生活や花街のしきたり、舞などを学びます。祇園甲部には八坂女紅場、宮川町には東山女子学園、先斗町には鴨川学園、上七軒は上七軒歌舞練場、祇園東は祇園東お茶屋組合、と日本舞踊や三味線など、必要な芸事を習う場がそれぞれあります。
仕込みさんの次は「見習いさん」。「この娘は大丈夫」となったら髪を結い、衣裳をつけてお姉さんについてお座敷へ。舞妓さんは「だらりの帯」が有名ですが、このときは「半だら」といって半分の長さのだらりの帯を結びます。半だら帯の見習いさんを約1カ月。いよいよ舞妓デビュー。「お店出し」です。また、舞妓さんから芸妓さんになることを、一般に赤襟から白襟に変わることより、「衿替え」といいます。衿替えの前2週間、舞妓さんは「先笄(さっこう)」という髪型に結いかえます。舞妓さんの髪型は最初「割(われ)しのぶ」を約2年、「おふく」を約2年、そして衿替え前に「先笄」に。先笄に結う期間は花街によって異なるようです。その間に先斗町では「菊かさね」「おしどり」など好きな髪型を結うこともできます。ちなみに舞妓さんは自分の髪で結いますが、芸妓さんになると鬘になります。