2020年5月30日土曜日

豊臣秀次菩提寺・瑞泉寺

地下鉄の烏丸御池で下車し、運動を兼ねて京阪三条までウオーキング。久しぶりに三条大橋の近くにある豊臣秀次菩提寺・瑞泉寺を訪れて参拝。
この菩提寺・瑞泉寺は、太閤秀吉の甥・豊臣秀次とその一族を弔うために慶長16年(1611年)この場所に建立されたお寺。
秀次といえば、秀吉の養子となって関白の位と豊臣家の家督を継ぐが、太閤の愛妾「淀君」に秀頼が誕生したことから秀吉には次第に疎んぜられ、さらには石田光成らの策謀もあって、ついに文禄4年(1595年)7月、謀反の疑いを理由に高野山へ追放され、同月15日(現暦8月20日)に切腹させられてしまう。
次いで同年8月2日(現暦9月5日)、秀次の子供と側室などの女性一族39人が、三条大橋西南の当時はまだ鴨川の河原であった此の地で無残にも公開処刑され、遺骸はその場に掘られた大きな穴にひとつに投げ込まれた。
そして、その上に世に「殺生塚」(摂政関白の塚よりの転意)と呼ばれる大きな塚が築かれ、その存在は当時の「洛中洛外図」(舟本本他)にも印象深く描かれることとなる。
それから16年後、高瀬川の開削と「木屋町筋」の整備を開始した豪商角倉了以は、洪水などで荒廃したその「塚」を拝み、縁浅からぬ豊臣秀次一族を弔うための墓地と一寺をこの地に建立した。

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