2021年2月11日木曜日

方広寺・大仏殿跡

方広寺は豊国神社の北側、大仏殿跡は豊国神社の東側にある。方広寺に天下を統一した秀吉が東大寺の大仏にならって大仏殿の建立をはじめたが、大地震による倒壊や火災による焼失というアクシデントが相次ぎ、慶長17年(1612)に息子の秀頼によってようやく完成した。完成後、落慶供養を行う手筈となっていたが、銘文の「国家安康」「君臣豊楽」が家康の名前を分断し、豊臣を君主とするものだと徳川家康から難癖がつけられた。これが大坂冬の陣の導火線となったといわれている。大仏殿及び大仏は1798年の落雷により大仏、大仏殿ともに焼失、天保年間に再建されたが、こちらも火災にあってしまい大鐘が吊られた鐘楼、諸将の名が刻まれた石塁や石塔だけが往時の遺構が残っている。梵鐘は京都三条釜座鋳物師、名越(名護屋)三昌らによって1612年に製作された。高さが4.2m、外径2.8m、厚さ0.27m、重さ82.7tと、とても大きい物で、奈良の東大寺・知恩院・方広寺と日本三釣鐘(重要文化財)に指定されている。草花や鳥獣と人の現世・来世を描いた天井絵も当時のままで残されている。大仏殿跡は本殿から東側にあり『大仏殿跡緑地公園』として残されている。

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