2021年2月14日日曜日

天王山の登頂

大河ドラマ「麒麟がくる」の最終回も終わり、関連の大山崎・天王山に運動を兼ねて出かけた。ここは天下分け目の合戦(豊臣軍と明智軍の合戦)のあった歴史の跡をみることができるところ。天王山の麓の駐車場に車を置いて、山頂まで約1時間かかりしんどかったが、中腹には展望台や合戦の絵巻看板・説明などあり、また山頂には秀吉が築いた山崎城跡や展望台もあって改めて歴史を学ぶことが出来た。合戦のあらましは、天正10年(1582)年6月2日、京本能寺で織田信長が討たれた。その報は2日後、中国地方備中高松城攻めを信長から命ぜられていた羽柴秀吉の元にも届いた。秀吉は急遽毛利氏との和睦を成し山陽道、西国街道をひた走り京を目指した。一方、主君信長を討ち、京、近江を制圧した明智光秀は秀吉が京を目指して兵を移動させていることを知り、軍勢を摂津、河内境へと進めた。6月13日午後4時頃戦いは始まった。秀吉軍3万数千、光秀軍1万数千の軍勢が眼下小泉川(旧円明寺川)付近で激突した。戦いは短時間で決し、軍勢に勝る羽柴軍の一方的な勝利に終わった。敗北を知った明智の兵は方々に逃散し、光秀も本陣背後の勝竜寺(しょうりゅうじ)城に一時退去、夜陰に乗じて僅かな手勢を伴って近江へと逃れていった。一行は桃山丘陵を越えた小栗栖で土民の襲撃を受け、光秀は竹槍に掛かり乱世の戦いに明け暮れした短い生涯に終止符を打った。合戦直後、秀吉は天王山一帯に城を築城し、大山崎から天下統一へと乗り出すことになる。

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