野菜の収穫(サニレタス、タマネギ、サヤエンドウ)とサツマイモの植付けに出かけた。タマネギの本格的な収穫は、もうあと1週間から10日先であるが、全体的に玉が小ぶり。収穫までどれだけだ大きくなるかなぁ? その後はサツマイモ(50本程)を植える予定、本日は取りあえず空いている二畝に50本植えた。 写真は手前が10日程遅く植えたジャガイモ、タマネギ、本日植えた二畝のサツマイモ、タマネギで、その横(塀側)にはカボチャ5本も植えている。夏野菜のキュウリ、ナス、トウガラシは裏の畑に植えている。
2009年5月25日月曜日
サツマイモの植付け
野菜の収穫(サニレタス、タマネギ、サヤエンドウ)とサツマイモの植付けに出かけた。タマネギの本格的な収穫は、もうあと1週間から10日先であるが、全体的に玉が小ぶり。収穫までどれだけだ大きくなるかなぁ? その後はサツマイモ(50本程)を植える予定、本日は取りあえず空いている二畝に50本植えた。 写真は手前が10日程遅く植えたジャガイモ、タマネギ、本日植えた二畝のサツマイモ、タマネギで、その横(塀側)にはカボチャ5本も植えている。夏野菜のキュウリ、ナス、トウガラシは裏の畑に植えている。
2009年5月24日日曜日
中山道エコウオーク最終日参加
ナルク15周年記念行事の1つとして「中山道エコ・ふれあいウオーキング」(約533km)が4月24日東京日本橋からスタートし、本日が最終日であった。京阪地区の会員が13時にJR山科駅前に集合し、三条大橋まで一緒にウオーキングに参加した(約7km強)。完歩者(21名)を先頭に山科からの京阪地区の会員(約百数十人?)が続き、長蛇の列が出来た。どこの何をする団体(宗教団体?)かと聞く人もみられた。 終点、三条大橋の下の河原でセレモニーが行われ、3時半ごろに、この行事がすべて終了した。この15周年記念行事は明日(25日)、京都会館で全国の拠点の会員約2000名が集い行われる予定だったが、新インフルエンザの影響で8月に延期となった。
昨日、京都植物園で約3時間歩くなどした影響で、左足のかかとが歩くたびに痛み、歩けるかと心配もしたが、何とか痛みもひどくなく歩くことが出来た。 ヤレヤレだった。 写真は完歩した人たちを先頭(一番先頭は野村さん)に蹴上げから東山へ向かう。
「きららマナビスト講座:おもちゃ作り」開催
今年度(2009年度)第1回目のきららマナビスト講座「楽しいおもちゃ作り教室」を開催した。牛乳パック、割りばし等でつくる「輪ゴム鉄砲」だ。子供小学1~3年生が14名集まってくれて、メンバー11名と一緒に楽しくおもちゃ作りをし、的を狙って輪ゴムを飛ばして遊んだ。この日もFMひらかたの実況放送もあり「SAひらかた」のPRも出来た。写真は作った「輪ゴム鉄砲」を手に持って、楽しそうな子供達。
午後からは久し振りに京都府立植物園にバラの写真を撮りに出かけた。しかし、花の盛が一週間程?過ぎていたので、ほとんどの花が散りかけ、花びらも落ちていた。綺麗なバラを探して撮った。近日中に「eizouの部屋」に掲載予定。
2009年5月15日金曜日
葵祭へ
京阪沿線に住んで初めて葵祭を見物した。 この葵祭は京都三大祭のひとつで、わが国の祭のうち最も優雅で古趣に富んだ祭として知られている。平安朝の優雅な古典行列は平安貴族そのままの姿で列をつくり、京都御所を10時半に出発、総勢500名以上の風雅な行列が下鴨神社を経て、上賀茂神社へ向かうものである。この祭りは賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社の例祭で、5月15日に行われる。古くは賀茂祭、または北の祭りとも称し、平安中期の貴族の間では、単に「祭り」と言えば葵祭のことをさすほど有名であった。また、この祭の特徴は、平安時代以来、国家的な行事として行われてきたので、わが国の祭のなかでも、数少ない王朝風俗の伝統が残されているということである。
賀茂祭が葵祭と呼ばれるようになったのは、江戸時代の1694年(元禄7)に祭が再興されてのち、当日の内裏宸殿の御簾をはじめ、牛車(御所車)、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべて葵の葉で飾るようになって、この名があるとされる。
今回、京都御所の堺町御門の出口で見物しながら写真を撮った。時代祭とは違った感じの見ごたえのある行列だった。
2009年5月10日日曜日
「ウオーキング&小旅行」に参加
「彦機会」同好会の「ウオーキング&小旅行」で、第5回「中江藤樹の里巡りと郷土料理」があり出かけた。これは高島市安曇川の近江聖人・中江藤樹の誕生地を訪れ、藤樹ゆかりの史跡めぐりと郷土料理を食するというものだ。2009年5月4日月曜日
’09食博覧会・大阪へ
2009年5月3日日曜日
日野祭りへ!
2009年5月2日土曜日
蹴上げ浄水場のつつじ
2009年4月30日木曜日
玉ねぎ、ジャガイモの成育状態
2009年4月28日火曜日
摂南大学薬学部の見学
4月27日、枚方市北山にある摂南大学薬学部にパナソニック松愛会枚方支部HP委員9名で見学・取材に出かけた。これは、松愛会枚方支部のHPに「枚方市の6大学紹介」で枚方市内の6大学を見学・取材し、その内容を会員や市民など一般の方に広く紹介しようと企画した一環である。すでに「大阪歯科大学」楠葉・牧野キャンパス、「大阪工業大学情報学科」北山キャンパスを見学・取材し、その内容をHPに掲載している。この摂南大学は1975年に工学部を寝屋川市に開設し、現在の学部別学生数は寝屋川キャンパスに工学部2054人、法学部985人、外国語学部1005人、経営情報学部1175人、枚方キャンパスに薬学部1121人、合計6340人。(2008年度)
薬学部は1983年に現在地に設置された。キャンパスは枚方台地の北端、国道1号線沿い洞ヶ峠に接する丘陵地で、樟葉から20分、長尾から10分の所にあり、付属薬用植物園も含め総面積は2万5千平米という広大な環境に位置している。薬学部は6年制一貫教育プログラム(2006年度から)で、『基礎教育からキャリア形成教育まで、そして科学者としての薬剤師の育成』を図り、チーム医療・地域医療・医薬品開発に貢献できる薬剤師の育成を目指している。薬剤師になるために数学・物理・化学・生物等の基礎科目及び教養科目・専門科目を4年間で確り習得し、5年から6年は病院・薬局実務実習と臨床薬学演習等を学ぶ。薬剤師の国家試験は6年の最終・卒業近くに受けることができ、今年の試験は3月に実施され、摂南大学の合格率は全国平均を約14%上回って88%とのこと。尚1987年の1期生から2009年23期生まで4689人の卒業生の総合格率は99%という大変輝かしい実績の薬学部である。 詳しい概要は近日中に松愛会枚方支部HPに掲載の予定である。
鳥羽水環境保全センターの藤
2009年4月23日木曜日
「レッドクリフPartⅡ」を鑑賞
2000隻の軍船を率いて侵攻してきた曹操軍は、疫病で死んだ自軍の兵士たちの遺体を対岸の連合軍側に流す。それを見た周瑜たちは憤るが、劉備は戦意を喪失し、自国の兵の撤退を決意。呉蜀の間に亀裂が生じてしまう……。諸葛孔明の天候を予想できる知恵で、10万本の矢をえるため霧が出ることを予想し、船に麦わら人形を積み、霧中に曹操軍に近づき矢を放させて見事に10万本得る。また、最後の決戦では、風向きが敵方の方向に変わるだろうとの予想で、火攻めを決断し実行する。それにより船軍は全滅、そこに劉備が決戦に参入し、曹操軍を全滅にする。 このPartⅡも迫力のある映画で、見ごたえがあった。
2009年4月18日土曜日
造幣局桜の通り抜け
2009年4月17日金曜日
2009年4月15日水曜日
2009年4月12日日曜日
2009年4月6日月曜日
京都・平野神社のさくら
京都北区にある桜の名所と言われている平野神社(北野天満宮の北側)を初めて訪れた。この神社は奈良時代の平城京の宮中に祀られていたが、この地には延暦13年(794)平安遷都と同時に移された。当初の境内地は、現在の京都御所とほぼ同じであったが、時の変遷と共に現在200m四方となっているとのこと。この苑内には、珍しい50種の桜が約400本植えられ、早咲きの品種は3月の中旬に咲き始め、遅いものは4月の20日頃に咲く品種があり、約1ヶ月間花を観賞出来ることが特色とのこと。
本日は快晴で気温も上がり、ほとんどの桜は満開となり丁度見ごろを迎えていた。平日であったが多くの見物客でごったがえしていた。写真もそれなりに撮ることが出来た。
2009年4月5日日曜日
大阪大川沿いのさくら
2009年3月29日日曜日
京都御苑のシダレザクラ
2009年3月27日金曜日
「きららマナビスト講座:楽しいおもちゃづくり教室」開催
「子どもおもしろPC教室」開催
2009年3月24日火曜日
大相撲10日目観戦
先日(3月20日)観戦に出かけたが、祝日のためかすでに当日券が売り切れてしまって観られなかったので、仕方がなく前売り券(10日目の椅子席C)を買い、本日観戦に出かけた。「満員御礼」の垂れ幕もなく、それなりに空席が見受けられたが、場内は相撲ファンの熱気が満ちていた。本日の番狂わせの相撲は、何と言っても朝青龍と日馬富士の対戦で、立ちあいの変化で日馬富士が「送り出し」で勝ったことだ。日馬富士は昨年の九州場所から正当法での立ちあいが多く、そのためか成績も思わしくなかった。これでは上(横綱)を目指すにはダメで、本来得意とする変化の立ちあいを貫くことが重要と思ったのか、それを見事にやって勝った。 よい相撲だった。(動画の通り) また、寝屋川出身の豪栄道も琴光喜に「寄り倒し」で勝って、星を5分にした相撲もよかった。1年振りの相撲観戦で、場内の雰囲気や相撲のおもしろさを楽しめた。
講演「大阪城と大阪の町」
NPO法人シニア自然大学の主催講演「大阪城と大阪の町」がろうきん肥後橋ビル(昨年10月に新築された近畿ろうきんビル)12階メインホールにて行われ聞きにいった。講師は昭和37年から2000年大阪城天守閣に勤務され館長となった渡辺武(たける)氏。その主な内容は、1)大阪城をみる視点として①1931年(昭和6年)に市民の寄付で築城された3代目の城であること。(当時のお金で約150万円) ②歴史遺産であること。約100万㎡(32万坪)に13の重要文化財、他ではみられない堀の深さ6~7m、最大幅140mや御影石を積み上げた美観などである。③市内の最大の都市公園であること。年間天守閣に約125万人が訪れ、公園利用者と合わせると約200万人になる。
2)現在、豊臣秀吉が築いたものはほとんど地上には残っていないが、地下には15~16世紀の本願寺も含めて多くの遺産が残っているとのこと。
3)明治維新後の1868年、新政府はもとの大坂三郷に大阪府が置かれた。元来、大坂と書いていたが、「坂」という字は漢字の構成により「土に反る(死ぬ)」となり、縁起が悪かったために大阪へと字が改められ、そのように書くのが正式となったのは、このころからである。「阪」は「坂」のなかでも古字とされる字であり、「こざとへん」は小高い土山・丘陵を意味する。
4)大阪には文化がないといわれるが、確かに奈良・京都・滋賀と比べると見るべき古い建築物・壁画・絵画・織物等が非常に少ない。しかし、しばいや・落語・漫才やたこ焼き・お好み焼きなどの無形文化といわれるものが多く、大阪に文化がないというのはおかしい。
それ以外にも大阪人の気質を考えるということで、「大阪人の気質は存在するのか?」、「ホンネ重視というけれど」、「大阪らしさの将来像」といったことの話もあった。
今回、大阪に住んでいながらあまり知らなかったことの話が多く聞けてよかった。
2009年3月19日木曜日
ふれあい散策C「カワセミ」参加
2009年3月12日木曜日
「椿寒桜」が見ごろ
2009年3月9日月曜日
「旭山動物園物語」を鑑賞
長らく園の客入りは芳しくなく、客集めのために設置されたジェットコースターにはたくさんの客が列をなすが、同じ敷地内の動物園は閑古鳥が泣いている。危機感を強める滝沢園長は、“動物園廃止”を叫ぶ動物愛護団体の対応にも追われる中、財政赤字を抱える旭山を立ち直させるべく、日々奔走するのだった。
施設の修繕費用すら市から得られない切迫した状況の中、滝沢園長は飼育係に客の前で動物の魅力を解説させる“ワンポイントガイド”を開始し話題を作る。そして今度は、客に夜行性動物たちの姿を見てもらう試み、“夜の動物園”を始めるなど、自分たちの手で動物の素晴らしさを伝えていく。その頃、かつて愛護団体の1人として乗り込んだ獣医学部の学生・真琴が旭山に興味を持ち、叔父である上杉市長のコネで新メンバーになる。
動物園が少しずつ活気を取り戻していく中、敷地内に侵入したキタキツネが原因で、ゴリラのゴンタがエキノコックス症に倒れる。検査の結果、職員も動物もみな陰性だったが、この感染症の事実をマスコミに発表。たちまち世間は大騒ぎになり閉鎖の危機はますます強まるが、滝沢園長と仲間たちは行動を起こし、旭山の存続を市民にビラをまくなどして直接呼びかける。
これで廃園はまぬがれたものの、相変わらず客足は少ない。その頃、市長選挙があり上杉市長から女性の新市長に平賀(萬田久子)が就任した。滝沢園長は絶好のチャンスが来たと予算検討会の中で「ペンギンが空を飛ぶ」を提案、平賀市長は非常に興味を示し、予算計上してその実現をする。旭山動物園の人々が続けてきた努力、抱いてきた夢が、ついに大きな実を結び始め、2004年上野動物園を抜いて日本一となった。映画は園長が定年で去っていくところで終わった。
日本の最北端の旭川動物園で、園長をはじめ動物園の人達の何とかしたいという熱意が実り、日本一の動物園にしたことに非常に感動した。 また、赤字に苦しむ中で上杉市長が廃園する計画だったが、新市長に変わり、園長や動物園の人達の提案を受け入れ予算(約4億5千万)を計上した決断もよかった。 一度機会をつくって、この旭山動物園を訪れてみたいものだ。
2009年3月7日土曜日
チャペルコンサートへ
2009年3月3日火曜日
船橋小学校1年生とおもちゃ作り
2009年2月23日月曜日
「5000人第九コンサート」参加
22日(日)開催の第25回「国技館5000人の第九コンサート」に2月20日(金)22時、京都駅発の夜行バスで上京した。到着後(21日)は、まず「明治神宮」へ参拝⇒青山墓地へ義父・母の墓参り⇒JR代々木駅近くに住まいする姪宅を訪問⇒NHK「スタジオパーク」を見学⇒午後3時過ぎに国技館へ、発声練習・合唱練習・オケ合わせ、第2回世界第九サミットを聞く⇒午後8時過ぎホテル(JR大井町駅前の「アワーズイン阪急」) チェックインであった。
22日はホテルを8時50分頃にチェックアウトし、国技館に9時半前に到着。正面前で偶然「ゆうたろ会」の粟竹さんと会ってお互いに写真を撮りあった。 当日本番までのスケジュールは、10時から発声・合唱練習⇒10時半よりゲネプロ⇒13時半着席⇒14時から表彰状授与等があり序曲「レオノーレ第3番」の第一部演奏⇒休憩後、第二部として「第九」⇒解団式(星の界を合唱)。
今回の「第九」の指揮者は、ドイツのケルスティン・ベーンケさんという女性指揮者だった。フーガの後の lhr sturzt nie - - derからのテンポが遅くなるところや最後のToch --teraus E-iy-si-um!・・・には少し面食らったが、このような唄い方もあるのだと知り、それなりに良かった。それ以外にも Al - - le Men-schenの唄い方や最後のsteht vor Gott,ではあまり長く延ばさないところ等も数点あり、これが本場ドイツでの第九の唄い方なのかと思う。
今回、4回目の参加であったが、久し振りの東京見物や国技館での知り合いも出来たし良かった。しかし、往復の高速バスはしんどい。次からは考えよう。 写真は第九コンサート終了後の様子で、「ゆうとう会」の粟竹さんの写真を頂いた。
2009年2月17日火曜日
映画「ベンジャミン・バトン」鑑賞
2009年2月12日木曜日
「昆陽池公園」の水鳥!
伊丹のこの公園は、都市部では珍しい野鳥のオアシス。関西屈指の渡り鳥の飛来地で、秋から冬にかけてはカモなど多くの水鳥が飛来する。この日も多くのカモなどの水鳥が泳ぎまわり、低学年の子ども達も遠足で、また一般の市民も沢山見物に来ていた。目的は写真を撮るつもりであったが、よく動き回るのでこれと言ってよい写真が撮れなかった。せいぜい2~3枚程度か。 この後、この公園内の「昆虫館」も入館した。2009年2月7日土曜日
山田池公園のアオバト
久しぶりに府立山田池公園に運動(ウオーキング)に出かけた。休日で家族づれで散策する人、ランニングする人、犬の散歩をする人、池では釣りを楽しんでいる人、梅花の写真を撮る人などさまざまであるが、それなりに賑わっていた。この山田池公園には「アオバト」が生息していて、よく飛んでくる場所があり、そこにカメラマン10数人が三脚に超望遠レンズ付きカメラをつけて写真を撮っていた。少し待っていると飛んできて、初めてであるが撮ることが出来た。
2009年2月5日木曜日
2009年1月27日火曜日
高齢者大学校設立記念式&講演会
平成21年3月をもって廃止される大阪府の高齢者大学アクティブシニア講座とシルバーアドバイザー養成講座の両講座を4月より、市民により民営化し両講座を一元化して継続開講するために、特定非営利活動法人「大阪府高齢者大学校」が創設された。その設立記念式典&講演会がクレオ大阪西で行われ参加した。 大阪工業大学情報科学部の見学
昨日(1/26)、枚方市北山にある大阪工業大学情報科学部に松愛会枚方支部HP委員7名で見学をした。この見学は松愛会枚方支部のHPに「枚方市の施設紹介」で枚方市にある6大学を見学し、その内容を会員や市民など一般の方に広く紹介しようと企画した一環である。すでに枚方市「大阪歯科大学」楠葉・牧野キャンパスを見学し、その内容をHPに掲載している。大阪工業大学(大阪市旭区大宮)の情報科学部として、1996年にこの枚方市北山に新設された。この建物の外観は国会議事堂だ。元総長・理事長の故藤田 進氏(1913年2月10日~2003年3月1日、昭和期の政治家、元日本社会党参議院議員。元総評議長。経済学博士(法政大学))が国会から許可を受け建設されたもので、すでに12年が経過したが地元では、国会議事堂の建物として有名である。
現在、学科構成はコンピュータ科学科、情報ネットワーク学科、情報システム学科、情報メディア学科の4学科があり約1870名、大学院生約60名が学んでいる。使命として、さまざまな問題に対応できる「実践的職業人」の育成を図っており、この学部の就職率は96~100%、他の大学の平均90%程度と比べても圧倒的に高いとのこと。見学を通じて、戻れるものなら学生に戻ってもっとIT情報の勉強をしたいものだと思う。
2009年1月18日日曜日
ウインターコンサートへ
2009年1月17日土曜日
フォトスクールへ
ペンタックスのフォトスクール「デジタル一眼レフカメラK-20Dの使い方教室」に出かけた。場所は地下鉄・堺筋線の長堀橋駅下車5分のHOYA㈱PENTAX大阪サービスセンター。受講者は9名(内女性2名)だった。すでに購入して8カ月が経過したが、取り説を適当に読んで使っていたこともあり、便利な機能も使っていなかったりでよい勉強になった。これを機会にこのカメラを使いこなそう。2009年1月15日木曜日
大阪市内の写真撮影
親友2人と大阪市内の写真撮影に出かけた。まず、「千本松大橋」で別名「めがね橋」といい、1973年に架設された2層のループ構造で、橋の長さは中心部375m・ループ部分を含めた総延長は1,245m。橋中央部の水面からの高さは36mの橋の撮影。この橋「千本松大橋」の名称は、江戸時代この地の木津川堤防に沿って多くの松が植えられていたことに由来している。この「めがね橋」を渡りきって撮影した。その後、「なんばパーク」、そして大江橋(京阪大江橋出口付近)で夕日がビルに当たる光景を撮った。今回、それなりの写真を撮ることが出来た。大阪市内でも撮る対象を決めて歩いてみてもおもしろそうだ、今後計画してみよう。写真は京阪大江橋駅の出口付近から西方面を望む。動画は「めがね橋」。2009年1月11日日曜日
琵琶湖一周
このように一度も改札口を出ないで、同じ線路を乗車しない場合は、一区間分の料金で乗ることが許される。本当は時間があれば草津駅で乗り換え草津線で柘植、関西線に乗り換え木津、そこから奈良線で京都方面行き東福寺で下車、京阪電車というコースを考えていたが、夕方所用もあり止めた。
今後、時間が取れれば、全く違ったコースに挑戦しよう。途中下車できないが、車窓からの眺めもそれなりによい。今日は近江今津~近江塩津~木之本間の雪景色(積雪は20~30cm)が見られてよかった。写真は京都駅2番乗り場に入ってきた敦賀行き快速電車(時計は9時44分を表示)。
2009年1月4日日曜日
2009年の計画!
1)枚方市「生涯学習情報プラザ」では、従来通りの仕事と新たな取り組みとして小学5・6年生を対象に「ホームページづくり」教室の開催で、小学生を対象としたパソコン教室をより充実させる。また、大人のパソコン教室(ミニ体験)の見直しとその実施。
2)田舎(滋賀日野)での野菜づくりも例年通りやろう。収穫がもう一つの野菜(カボチャ・サツマイモ等)について土作りから考えてみよう。
3)写真は季節の花はもちろんであるが、何かに特化して撮影に取り組もう。 これは今年の課題だ。それを「eizouの部屋」HPに掲載してより充実させる。
4)合唱の第九は2月の東京両国「5000人の第九」、「鳴門の第九」、「かがわ第九」、「一万人の第九」に参加する。
5)ボランティア活動では、昨年と同じくNALC「天の川クラブ」・「彦機会」HPの更なる充実、「パナソニック松愛会枚方支部」のHP委員としての活動、そして子ども達との「楽しいおもちゃづくり」も同じ。
6)今後「阿波踊り」はどうしょうか?体力的にも精神的にも何となくしんどいので考え中だ。それに代わるものとして、例えば楽器(ピアノ・篠笛等)、芸能等に挑戦するかだ。また、過去にやったテニス・海釣り・尺八・カラオケ・ゴルフ・料理等だが・・・・・。 早く決めて進めよう。
7)パソコンの勉強も更に進め上級者を目指す。WindowsVISTA(Word/Excel2007等含む)も使って1年半になるが、より使いこなしてマスターする。
8)演芸・映画・美術鑑賞や珍しいこと、未体験等に積極的に取り組もう。
9)運動も最重要だ。ウオーキング、テニス、水泳などの運動を継続して(週4日以上)やろう!
以上、9項目とやることが多く忙しいが、後悔のない充実した人生を過ごしたい。
四国へ旅行
1日より3日まで、四国(松山市奥道後、四万十市)へ家族旅行。当初の計画では1日に四万十市で宿泊、翌日松山の奥道後温泉で宿泊予定だったが、須崎・高知へ行く高速道路が予想もしなかった雪の影響で封鎖されていた。急きょ変更して、まず最初に松山の奥道後温泉、翌日四万十市に宿泊した。
大よその行程は、1日:松山城⇒ホテル奥道後で宿泊⇒2日宇和島城⇒土佐清水の足摺岬灯台⇒四万十市の中村プリンスホテルに宿泊⇒3日:四万十川の「神川」の屋形船に乗船(約50分)⇒帰宅であった。走行距離は1220km、往きはスイスイであったが、帰りはUターンラッシュに巻き込まれ四万十市から約11時間半かかり、帰宅は午後10時。 しんどい運転で疲れてぐったりだった。正月の旅行(1月3~4日)は考えものだ。写真は足摺岬灯台。
2008年12月31日水曜日
2008年の回顧
琵琶湖のコハクチョウ
今年はどうしてか? 近くの野洲川河口付近には数羽飛来しているとの情報があるが、この志邦浜には待てど一羽も飛来しない状況が続いて、「草津コハクチョウを愛する会」の世話する人達が心待ちにしていた。 世話人と話をしている12時頃だったが、北の方から二羽のコハクチョウが西約200mの沖合に飛来、そして徐々に志邦浜に近づいて来た。 やっと待ちに待ったこの浜にやって来たことになる。 世話する人達はホットしていた。 見れてラッキだった。 動画はこの浜に近付いて、他の渡り鳥と一緒に泳いでいる風景。
2008年12月27日土曜日
小学3・4年生のPC教室
2008年12月21日日曜日
「私は貝になりたい」を鑑賞
「私は貝になりたい」の映画が11月21日から公開されて、すぐ観たいと思っていたが時間が取れず、本日となってしまった。中居正弘、仲間由紀恵主演の「私は貝になりたい」は戦争に巻き込まれた加藤哲太郎と言う人の悲劇の物語だ。清水豊松(中居)は高知の漁港で理髪店を営む。丁稚奉公で理髪店でやっと働き始め、免許を取った矢先に同僚の房江と知り合い、今で言うできちゃった婚をする。この時代では、実家に住むことも許されず、理髪店の店主からもつまみだされる。おなかの子健一と3人で、高知の町でひっそりと理髪店を開き仲睦まじく暮らしていた。やっと仕事も順調でこれから…というときに届いたのが赤紙。本土防衛のために配属された中部軍の部隊で、虫けらや牛や馬のような扱いを受ける。そして、任務として命じられた捕虜の始末を豊松にはとうていできないが仕方なく行う。が、銃剣は捕虜の右腕のかすかにかすっただけだった。後に、その捕虜が自然に亡くなったことを知ることになる。戦地から帰り、またもとの暮らしにもどり、房江のお腹の中の子が生まれるのを心待ちにしていた豊松、そこにまた戦犯を犯したとして東京の巣鴨の収容所に連れて行かれる。そこでは、同じ捕虜となった鶴瓶とのやりとりなど微笑ましい場面もあるのだが・・・。 1年もかかってロケをされたように、房江(仲間由紀恵)が豊松のために署名をもらいに行った雪の場面など本当に寒くて雪深くて大変だったと思う。やっと署名も集まり、刑が軽くなったと思った豊松の運命は・・・それは変わらぬ死刑だった。つまらない人生だった・・・。人を殺すような悪いことはしていない・・・。命令されればそれに背くことはできない世の中・・・。虫けらや馬や牛同然の扱い。今度生まれ変わるなら、そうだ!海の底に人知れず静かに住んでいる貝になりたい・・・。「私は貝になりたい」だった。
あの第二次大戦の始まる10カ月前に生まれ、大戦中は幼少であまり記憶はないが、終戦間際に田舎にもB29が飛んできて、物陰に隠れたり電燈に黒い布をかぶせたりした記憶や終戦後の大変な時代が思い出された。 それに比べると今は何と平和な時代に生きているのだろうかと幸せに感じた。
それにしても、高知だろうか山陰だろうか海岸の景色がとってもすばらしく、ここが日本かと思うほどだった。 調べたら島根県隠岐の雄大な名勝「国賀海岸」(西ノ島町)であった。ぜひ一度行ってみたいものだ。
2008年12月18日木曜日
嵐山花灯路2008
2008年12月7日日曜日
今年最後の第九
今年最後の第九、「サントーりー1万人の第九」へ参加した。昨日(12/6)はリハーサル、本日本番だった。2008年12月4日木曜日
最後の紅葉へ
何とか時間を取って、今年最後の紅葉の写真を撮りに京都の南禅寺(南禅寺境内の写真のみ)⇒永観堂(外から見るとほとんど紅葉は散っていて、よい写真が撮れそうにない。以前に拝観しているし拝観料1000円は痛いので止める)⇒哲学の道を歩いて安楽寺(通常は未公開のお寺、拝観したが、紅葉の写真は余り撮れなかった。拝観料400円)⇒法然院(拝観なし)⇒真如堂(庭園があるが紅葉の写真が撮れそうにないので、止めて境内の写真のみ)を回って来た。写真を撮るには少し遅かったが、散り紅葉などそれなりに撮ることができてよかった。 写真は安楽寺の山門で、多くの観光客の出入りがあったが、人がいなくなるのをしばらく待っての撮影だった。
2008年11月30日日曜日
東福寺、泉涌寺へ!
初めて、総本山東福寺と御寺泉涌寺へ参拝を兼ねて紅葉の写真を撮りに出かけた。東福寺は京都を代表する紅葉の名所で、休日であり観光客が多く通天橋・普門院庭園へ入るのに長蛇の列が出来て約40分かかった。 紅葉の写真を撮るには少し遅かったが、それなりに写真を撮ることが出来た。通天橋からの紅葉の眺めは最高であったが、人が多くて思うような写真が撮れなかった。ここ東福寺は摂政九条道家が、奈良における最大の寺院である東大寺、また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で、「東」と「福」の字を取り、京都最大の大伽藍を造営したのが東福寺である。嘉禎2年(1236)より建長7年(1255)まで実に19年を費やして完成した。 創建750年の歴史が脈々と引き継がれているお寺だ。2008年11月28日金曜日
乗馬初体験!
乗馬クラブクレイン京都(1971年大阪府羽曳野市で発足、全国展開し30カ所のクラブを数える日本最大の乗馬クラブ、このクレイン京都は京都府八幡市欽明台にあり車で約20分のところ)にて、初めての乗馬無料体験をした。無料といっても靴・帽子・ボディープロテクタのレンタル料(1250円)が必要だった。約30分程度で、馬に触れることからスタートし、乗馬、ゆっくり歩く常歩、とまれ、速歩、乗馬での姿勢やバランスのとり方、下馬などであった。 ここには110頭がおり、平日でも100人程の乗馬があるとのこと、休日には子ども達の乗馬も多いとのことだった。2008年11月18日火曜日
京都大原の里へ
2008年11月15日土曜日
「レッドクリフPartⅠ」を鑑賞
帝国を支配する曹操(チャン・フォンイー)は、「天下統一」を掲げ、80万の大軍で、対抗勢力に襲いかかる。標的となった劉備軍は、撤退が遅れ、敗走をよぎなくされる。精強ながら、その軍勢わずか2万となり、窮地に追い込まれた劉備に、軍師の孔明(金城武)は、敵軍である孫権と同盟を結ぶことを進言。 ひとり孫権の許へ向かう。
孔明の同盟提案に戸惑う、若き皇帝孫権(チャン・チェン)。孔明は、孫権が兄と慕い、事実上のキーパーソンである司令官の周瑜(トニー・レオン)に出会う。始めは孔明に対し疑心暗鬼を抱く周瑜だが、その人柄に触れ、次第に信頼を覚えるようになる。孔明もまた、周瑜のカリスマ性に惹かれ、遂に孫権軍と劉備軍は、同盟を結ぶ。二人の姿に、同盟軍の心も、一つになっていく。
一方、80万の大軍で、決戦の地へと向かう曹操には、秘められたもうひとつの目的があった。それは、絶世の美女と言われる周瑜の妻、小喬(リン・チーリン)を我がものにすることだった。
80万の曹操軍に対する連合軍は、わずか5万。圧倒的不利な状況を覆すため、連合軍は、勇気と結束を武器に、孔明の奇策にかけることを決める。歴史に残る大激戦、"赤壁の戦い"の火蓋が切って落とされた。 次はPartⅡへ、2009年4月公開だそうだ。
大変迫力がある、雄大な高原での曹操軍と連合軍との決戦は見事だった。
2008年11月4日火曜日
船橋小学校2年生とおもちゃ作り
2008年11月3日月曜日
「かがわ第九」演奏会に参加
2008「かがわ第九」演奏会に参加のため2日、午前10時5分発のJRなんば駅より高速バスで高松へ。午後3時半より発声練習、4時から6時まで飯守指揮者による指導だったが、ずう~と立っての練習で非常に疲れ、ぐったりだった。 夕食は割烹料理「天勝」で。本番当日(3日)は、9時半より12時半まで発声練習後、指揮者の再度の指導とゲネプロだった。これも立っての練習のため疲れた。 2時に合唱指導(Mのところを入場者と一緒に歌うため)のメンバー(80名)と舞台へ、そして第2楽章が終わって再度全員で舞台へ。すべて終了は4時前だった。 合唱の参加者は323名(内県外109名)だった。
帰りは、午後5時20分発の高速バスにて、帰宅は10時だった。
今回、3回目の参加であったが、前日の指揮者の指導は立っての約2時間はきつかった。 また、新しい第九の歴史の1ページが刻まれた。
2008年11月1日土曜日
「湖風会テニスの集い」に参加
第5回「湖風会テニスの集い」が彦根市新海浜「琵琶湖コンファレンスセンター」であり参加した。参加者(宴会の参加者)は「湖風会」会長、濱田・内藤・山本先生の3名、彦根工業会12名、保育2名、県大4名の計22名。 午後1時にロビーに集合、2時からソフトテニスの練習、試合を行い4時50分で終了。入浴後、浴衣に着替えて午後6時から8時半前まで宴会。2008年10月26日日曜日
Panasonicの新社歌
<Panasonic新社歌の歌詞(一部)>
遥か先人が描いた未来に 今 私達は生きてる
だから信じよう たおやかな科学を
この夢が次の 未来になることを
一人ひとりが希望のかけら
繋がりあえば光に変わる
Let's get together at panasonic 世界を結ぶ
先進の響き
ブーリン家の姉妹
10月25日から公開された「ブーリン家の姉妹」を鑑賞した。 あらすじは16世紀のイングランド。新興貴族のトーマス・ブーリン卿は一族繁栄のために才気あふれる美しい娘アンを国王ヘンリー8世の愛人に差し出すことを目論む。ところが、王の心を捉えたのはアンの妹で凡庸だが気立ての良いメアリーだった。一家は宮中に移り住み、メアリーは王の子を身籠る。一方、妹に栄誉を奪われたアンは一時フランスへ追放されるが、やがて呼び戻され、大胆にも王妃の座を狙って策略を巡らすのだった。国王を王妃キャサリンとの離婚のためにローマ・カトリック教会と決別させ、自らが王妃となったが、念願の男子を産むことがないまま、事実無根の姦通罪(弟ジョージと)の咎を受けて二人とも処刑されてしまう。 メアリーは故郷に戻り結婚し、エリザベスを引き取り王子と一緒に暮らす。一方トーマス・ブーリン卿はその3年後に死去、叔父は処刑されてしまう・・・・・。 アンはイギリスに大きな足跡を残した。第一に、キャサリンとの離婚のために、ヘンリー8世をしてローマ・カトリック教会と決別させ、国教会を設立する口実を与えたことである。それによってイギリスの風土は大きく変貌していく。 もう一つの功績とは、息子にこそ恵まれなかったが、一人の女の子を遺児として残したことである。後のエリザベス1世である。メアリ1世(ヘンリ8世とキャサリンとの娘)亡き後に即位した彼女の治下、イギリスは安定を回復し、世界の強国へとのし上がっていく。それがゆえに、アン・ブーリンはイギリスの歴史の礎を築いた母として、イギリス人にとって密かな敬意の対象になっている。歴史上は無名だった妹メアリーの関係にスポットを当てたフィリッパ・グレゴリーの同名ベストセラー小説を原作に、どちらか一方が日の目を見れば、もう一方は影となる姉妹の愛と葛藤が描かれていた。 演じるのはハリウッドの若手トップ女優ナタリー・ポートマンとスカーレット・ヨハンソン。
2008年10月22日水曜日
京都時代祭へ
一度見物に行きたいと思いながらも今日まで行けなかった時代祭、はじめて京都御苑に出かけて見物した。 この時代祭は、1895年(明治28年)、平安遷都1100年を記念して平安神宮が創建され、その時平安神宮の大祭、建造物、神苑の保存のため、市民により平安講社が組織され、記念事業として、この時代祭が始まった。 祭が行われる10月22日は、桓武天皇が794年(延暦13)に長岡京から平安京に都を移された日。 この祭の特色は、神幸祭、行在所祭、還幸祭の神儀のほか、時代風俗行列が行われることである。 明治維新から延暦時代へさかのぼって、順次風俗、文物の変遷が再現される。 本日は20列、約2000人に達した行列で、長さは2キロに及んだ。 祇園祭、葵祭とともに京都三大祭の一つに数えられている。 山国勤王隊を先頭に正午、京都御所建礼門前を出発⇒烏丸通⇒御池通⇒河原町通⇒三条通から平安神宮まで4.5キロ間に華麗な一大時代絵巻を展開するものだった。2008年10月18日土曜日
中之島ウォーク&トークに参加!
第4回「中之島の明日を考えるウォーク&トークのつどい」があり、はじめて参加した。 参加者は約1500名。 2008年10月5日日曜日
天満宮参拝と繁昌亭へ
本日は生憎の雨ふりであったが、午前10時に大阪天満宮を参拝して、隣にある天満天神『繁昌亭』へ、初めて聞きに行った。 
















