

清水寺「成就院」の後、東山の「石塀小路」を初めて散策した。この「石塀小路」が出来たのは比較的最近のことで、大正時代の初期の頃。「石塀小路」の土地は、当初は圓徳院の所有地であったが、明治時代になって税金を納める必要が出てきたため、圓徳院庭園の一部を取り崩して、通り抜けの道を造ったことから始まる。
第52回「京の冬の旅」非公開文化財特別公開(1月6日~3月18日)が開催されていて、その一箇所の清水寺塔頭の一つである「成就院」を訪れた。
ここの庭園は相阿弥が作庭し小堀遠州が補修したとも、また松永貞徳の作とも伝えられる江戸時代初期を代表する名庭で、国の「名勝」に指定されている素晴らしく趣のある庭園である。
庭園の面積は約1500㎡と、さほど広くないが、庭境の生垣を特に低くして、北正面の高台寺山を大きく借景し、更に山中に1基の石灯篭をたてて、巧みに遠近法を活用して庭と周辺の山景とをひとつに結びつけ、庭に無限の広大さを感じさせている。模範的な借景式庭園である。
参加人数が4名と少ないため、出し物はいつもの歌体操(4曲)→舞踊(2曲)→皿まわしと南京玉すだれ→踊り「どじょうすくい」→踊り「おてもやん」(熊本のおてもやん民謡)で、約束の予定時間は1時間だったが45分程度で終わった。時間がある場合、踊りの「炭坑節」「河内音頭」などをやるのだが今回、舞台が狭くて踊りができないこともあって中止した。
京都清水五条の本願寺大谷本廟(西大谷)に、義父と両親の納骨をしており初参りに訪れた。まず仏殿にお参り、その後6階建ての第一無量寿堂(むりょうじゅどう)の5階の「かー14号」にある「本誓寺」の納骨仏壇(両親の納骨)にお参りした。
この大谷本廟は、浄土真宗本願寺派(西本願寺)の祖廟で宗祖親鸞の遺骨を祀る。龍谷山(りゅうこくざん)と称し、俗に西大谷とよばれる。もともと鳥辺野の北、大谷の地にあった親鸞の墓所に建てられた廟所が本願寺で、1478年(文明10)本願寺が蓮如(れんにょ)によって山科に再興されるまでは、寺は長い間さびれてはいたけれども、いわば浄土真宗の本山であった。その故地は現在の知恩院の境内である。現在地には1603年(慶長8)に移し変えられ、旧名を継いで大谷の名を用いた。仏殿その他の建造物は1867年(慶応3)に火災によって焼失したので、1870年(明治3)以降に再建されたものである。現在、門信徒のための近代的な納骨堂(無量寿堂)がある。 (関連サイトから抜粋)


妻の誕生日であり次女家族と(大人4名と孫娘2名)で、枚方「杉・五兵衛」にて昼食会(ランチ)を行った。

京都の祇園や先斗町などの花街で7日、芸舞妓さんらが今年の精進を誓う「始業式」があった。正月用の稲穂のかんざしに黒紋付き姿の芸舞妓さんらが「おめでとうさんどす」と新年のあいさつを交わし、お世話になっているお茶屋に挨拶まわりが行われた。