白樺派の文豪「志賀直哉」が昭和4年から9年間住んだという旧居(敷地435坪、建物134坪)が「春日大社」の南側上高畑町にあり訪れてみた。現在は奈良文化女子大学のセミナーハウスになっているが、有料で中を見ることができる。
大正14年(1925年)、 京都・ 山科から奈良・幸町に居を移した志賀直哉は幸町の借家で4年間を過ごした後、この上高畑町に宅地を求めた。昭和3年に志賀直哉自身が設計したとされるこの旧居は和風、洋風、中国風の様式を取り入れ当時としては、大変進歩的で合理的なものであったようで、数奇屋作りの書斎はわざわざ京都から名大工を呼んで作らせたとのこと。ほとんどが当時のままで、あの「暗夜行路」はここで完成した。ここは静かで、しかも窓から若草山が借景になった庭が見え、最高の環境で執筆活動していたようだ。有名な高畑サロンと言われるところは、文化人や画家などの憩いの場となっていたようで、ここを訪れた人の名前、武者小路実篤、谷崎潤一郎、・・・と知った名前が書かれた額や写真も展示されていた。当時のここの情景が浮かぶようだった。
随筆「奈良」(志賀直哉全集7巻)の最後に「兎に角、奈良は美しい所だ。自然が美しく、残っている建築も美しい。そして二つが互いに溶けあってゐる点は他に比を見ないと云って差支えない。今の奈良は昔の都の一部分に過ぎないが、名畫の殘欠が美しいやうに美しい。御蓋山の紅葉は霜の降りやうで毎年同じやうには行かないが、よく紅葉した年は非常に美しい。5月の藤。それから夏の雨後春日山の樹々の間から湧く雲。これらはいつ迄も奈良を憶う種となるだろう」と書いているように志賀直哉が奈良が好きだったことがよくわかる気がした。
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