新島襄・八重の墓を訪れて下山し、新島旧邸のある御所の東側(寺町通り丸太町)へ徒歩約1時間で。この旧邸は大河ドラマ「八重の桜」放映に伴い、特別公開が昨年9月から今年12月まで行われている。 予約申込みはインターネットで、予約なしでは入れない。
新島旧邸のサイトによると、この新島旧邸は襄・八重の私邸で、ボストンの友人J. M. シアーズの寄付によって1878年(明治11年)に建てられた。この場所は同志社英学校が開校したさいに仮校舎として借家した高松保実邸の跡です。外観はいわゆるコロニアルスタイルの洋風ですが、造りの基本は和風寄棟住宅です。間取りは日本的な田の字型であり、壁は柱を露出させる旧来の真壁造りとなっている。床が高く、三方にべランダをめぐらし窓には鎧戸をつけ、白い壁面に茶褐色の木部を見せる簡素な二階建住宅です。設計者・施工者とも明らかではありませんが、当時の同志社教員で医師・宣教師でもあったW. テイラーの助言を得ながら、新島襄が設計したとも伝えられています。日本人のために建てられた和洋折衷の木造二階建て住宅として、また、同志社創立者の旧居としての価値が認められ、昭和60年(1985)に京都市指定有形文化財に指定されました。
当時の台所や食堂、応接室、八重夫人が愛用したオルガンや椅子や机、書斎、風呂場、木で作った洋式風のトイレなどもそのままでの状態で、当時を偲ばせるに相応しい旧邸だった。(●´ω`●)
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