本日、封切の映画「十三人の刺客」(監督:三池崇史氏)を観に行った。この映画は、先般「プリンセス・トヨトミ」の撮影を手掛けた楽映舎(東京にある映画を企画立案、制作する会社)が同じく手掛けた映画であり、またベネチア国際映画祭で話題を集めた作品でもあり興味があった。
あらすじは、弘化元年9月明石藩江戸家老の間宮図書が老中土井家(平幹二郎)の門前で割腹し果てた。間宮の死は藩主松平左兵衛斉韶(なりつぐ、稲垣吾郎)の暴君ぶりを訴えていた。斉韶は将軍家慶の弟君、この事件は時の幕閣を動揺させた。これに対し老中土井は、非常手段として御目付役島田新左衛門(主演:別所広司)に斉韶暗殺を命じた。大事決行をひかえ新左衛門は十一人の協力者を集めた。新左衛門の知友の倉氷左平太(松方弘樹)、三橋軍次郎、樋口源内、他十一人の強者達だ。暗殺計画は極秘裡に進められたが、この暗殺計画を事前にキャッチした人物がいた。それは鬼頭半兵衛(市村正親)で、明石藩側用人千石の身分を自分で掴んだ傑物である。不詳事発生以来1ヵ月余、明石藩が突如参勤交代の途についた。行列を追う刺客団は、中仙道で奇襲作戦を練ったが、鬼頭半兵衛の奇計にあい失敗に終った。新左衛門の計略は、斉韶が尾張を通る時、その尾張藩の通行を阻止すれば、勢力を削られた行列は新左衛門が襲撃の場所に選んだ「落合宿」に出る。「落合宿」は襲撃には絶好の要地だ。尾張藩通行を阻止する方法は、尾張藩木曽上松陣屋にかつて息子夫婦を斉韶に惨殺され、深い恨みを抱く牧野靭負がいる。倉永が早速松陣屋に飛び、他の刺客は「落合宿」へ急行した。郷士の倅木賀小弥太がこの計画に加わり、今はただ、時を待つだけだった。運命の朝、深いもやの中を「落合宿」に乗り込んだ斉韶公以下53騎は、先ず真新しい高塀にさえぎられた。混乱の中、退路の橋が大音響と共にくずれ落ちた。53騎は、半兵衛の意志とは逆に障害物にはばまれて、刺客の誘導に乗っていった。十三人と53騎の死闘は続いた。虚しい死体の群の中に新左衛門、半兵衛の死体もあった。最後、島田新六郎(新左衛門の甥、山田孝之)のみ生き残り、帰りを待つ女房が玄関で迎えた時の表情は、うれしさか悲しさかの複雑なものであった。しかし、島田新六郎の姿は映らずに終わった。最後の字幕に「弘化元年斉韶参勤交代の途中発病、帰城と同時に死去と届けられた。」と書かれていた。(「十三人の刺客」のサイトから引用)
後半の約50分に及ぶ十三人対300人の大軍団との戦いは、物凄い迫力とリアルさがあり、本当に見ごたえがあった。これらの戦いのシーンをどうして撮影したのであろうかと考えさせられることも多かったが、全体的にうまく撮影しているなぁ~と非常に感心した。
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