岸和田だんじり祭(18日~19日)の初日に見物をかねて写真を撮りに出かけた。
岸和田だんじり祭は、岸和田市北西部の岸和田地区で毎年9月に行われるだんじり祭。その高い知名度もあって日本を代表する祭の一つとなっている。岸和田市にはだんじりを所有する町会が82町あり、郷・荘・氏地・町村制の旧町村などをベースにした8つの地区にまとまって祭礼が行われる。そのうちの2地区35町が9月に、6地区47町が10月に祭礼を行う。両者とも2日間にわたって行われ、それぞれの氏神社へ参る「宮入り」を行い、五穀豊穣・無病息災などを祈願する。この岸和田の「だんじり祭」は、元禄16年(1703)時の岸和田藩主・岡部長康公が五穀豊穣を祈願して行った稲荷祭りが始まりだそうだ。町民たちは地車を曳きいれて藩主の面前でさまざまな芸事を演じて見せるのが、唯一の悦びであり、大いに人々の支持を得た、そのよき伝統がいまも続いている。
見所や醍醐味は速度に乗っただんじりを方向転換させる「やりまわし」で、曳行コースの曲がり角は大勢の観客であふれる。もとは関西の一地方の祭であったが、昭和の終わり頃から多くのメディアで紹介されるようになり、一気に全国区の祭となった。近年、だんじりを所有する町会がさらに増加しており、規模が拡大しつつある。(wikipediaから抜粋)
その後、岸和田城へ。天正13年(1585)年、豊臣秀吉は叔父の小出秀政を岸和田城主とし、秀政は城郭整備にかかり、天守閣もこの時に築かれた。豊臣氏滅亡後、松平(松井)氏三代を経て、寛永17(1640)年、摂津高槻から岡部宣勝が入城し、以後、明治維新まで岡部氏が13代にわたって岸和田藩5万3千石を治めた。この間、文政10(1827)年、落雷によって天守閣は焼失し、以後長らく再建されなかったが、昭和29年、鉄筋コンクリート造りで三層の天守閣が再建され、また昭和44年には城壁と櫓が再建された。(岸和田城のサイトから抜粋)
岸和田城の1階、2階には資料展示、3階(天守閣)は展望になっていて、岸和田市内を一望できたが、少し北側なのでだんじりの曳行をみることはできなかった。
このだんじり祭をみて、町内での地車の保守管理や幼児から大人まで総出のお祭りで、伝統を守るには大変だろうと思うと同時に、参加している人たちは生き生きとした表情で祭りを楽しんでいた。
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