2017年7月28日金曜日

新城市の「鳳来寺山東照宮」

新城市の鳳来寺山パークウェイから上り駐車場から鳳来寺山東照宮と鳳来寺を訪れて参拝した。 まず鳳来寺山東照宮に参拝した。東照社縁起によると家康の父母である松平広忠と正室於大の方(伝通院)が、子のできないことを憂い、祈願のために夫妻そろって鳳来寺に参篭したところ、伝通院が東方より現れた老翁に金珠を与えられる夢を見て、間もなく家康を懐妊したという。鳳来寺の伝説によれば、家康の出生は壬寅年寅月寅の日にあたる天文11年(1542年)12月26日の寅の刻(午前5時頃)であったとされる。由緒あるこの「鳳来寺」に3代将軍徳川家光が日光東照宮参詣の折、「日光東照宮御縁起」を見て、家康の父松平広忠が於大の方と鳳来寺に祈願して徳川家康が生まれたことを知り、報恩のため東照宮の建築を命じたとのこと。ここは日光東照宮・久能山東照宮とともに、日本三東照宮と称されている。
その後、鳳来寺本堂(下の写真)に参拝した。もっと立派な本堂かと思っていたが、意外な感じだった。
ここ鳳来寺山は1300年前に利修仙人が開山したと伝わる霊山で、中腹に古刹・鳳来寺がある。本来は麓から1425段の石段が続く長い鳳来寺の参道を行くと樹齢800年、現存するものとしては日本一となる高さ60mを誇る傘杉や徳川家光公によって慶安4(1651)年に建立された仁王門もあるそうだが、パークウェイから車で上がったので見れなかった。少し残念だった。

新城市四谷「千枚田」

千枚田のある新城市四谷地区を訪れた。ここは鞍掛山(標高883メートル)の南西斜面に広がる山間集落で、石積みの棚田は、標高220メートル付近から鞍掛山頂に向かって標高420メートル付近まで広がっており、その標高差は約200メートルにもなっている。また、棚田は、鞍掛山を水源に持ち、四谷の千枚田を囲むように山あいに大代、大林、身平橋、田の口の4集落で構成されている。
傾斜地山林を苦労して開墾し、構築された石積みは、鞍掛山の転石や山崩れで流出してきた石だけを積んだ棚田であり、また石積みの土地に家屋も建築しており、独特の石垣風景を呈している。これらの自然石による石積み棚田、鞍掛山が正面から一望できるなど素晴らしい風景となっていた。
ここは、特に田植え前に田んぼに水をはった時期の夕方か朝方の風景がよいだろう。また稲が黄金色になる秋もよいだろう…と思う。

遠山郷土館「和田城」「龍淵寺」

遠山郷土館[和田城]は、南信濃村和田の街をのぞむかつての和田城跡地にあり、戦国時代、この地の領主であった遠山氏の 当時の栄華を偲び、「和田城」の再現を図ったもの。ここでは、伝統芸能をマルチビジョンで紹介し、 霜月まつりに使う面の複製面を200点余り展示するなど、 芸能文化の里にふさわしい施設となっていた。 また、野外には、遠山土佐守・徳川家康対面像があった。
その敷地の横には「龍淵寺」があり、境内の観音大杉のもとに遠山氏一族の墓所があった。この観音大杉は樹齢約500年、幹周り20mといわれるもので、その迫力には圧倒された。
また、南アルプスの最南端・遠山郷唯一の独立峰・盛平山の麓にこんこんと湧き出る「龍淵寺 観音霊水」は、今や日本一の鉱物物質含有量を誇るナチュラル・ミネラルウォーターとして注目されているという。 多くの町民の人たちが軽自動車などでくみに来ていた。


2017年7月27日木曜日

遠山郷「しらびそ高原」

南信州遠山郷の宿泊は、しらびそ高原の標高1918mにある「ハイランドしらびそ」。天候は曇りで到着の午後5時頃は濃い霧に覆われ、夕景や星空がすばらしいことを期待していたが全くダメだった。また、朝日や南アルプス山脈の風景も雲で全くダメ(´・ω・`) ただ、気温は20℃程で大変涼しくてよかったぁ~(*゚▽゚*)
しらびそ高原ライブカメラ【星空配信!!】されています(*゚▽゚*) まだ、長野は曇り空が続いているが、快晴になれば南アルプスの山々、夜になれば星空が見られるでしょう(^O^)
http://tohyamago.com/…/%e3%81%97%e3%82%89%e3%81%b3%e3%81%9…/


遠山郷「旧木沢小学校」

遠山郷木沢地区で中心的存在の「旧木沢小学校」は、昭和7年に建てられ、平成12年に廃校となり昔ながらの木造校舎が保存され、無料で一般公開されている。 訪れたのは我々二人だった。
現在、地元住民の手で山の資料館(2年生教室)で は南アルプスに関する資料の展示、山の図書室で は小学校の旧蔵書や寄贈本など4千冊以上が閲覧可能、林鉄資料館(4年生教室)では 森林鉄道の資料の展示、祭りの資料館(5年生教室)では 木沢地区の霜月祭りの紹介などであった。
もう廃校から早や17年が経過して、何かガラクタを集めたという教室も見受けられたが、住民にとっては懐かしい校舎で捨てがたいのではないか…と思う。 また、村の財政が豊かだったのか?音楽に関心があったのか? オルガンやピアノが教室、廊下、体育館などに多く置かれていたのが目にとまった。


遠山郷上村の「下栗の里」

避暑を兼ねて南信州の遠山郷を訪れた。
「下栗の里」は、南アルプスを望む飯田市上村の東面傾斜面にある標高800m〜1,000mの地区。最大傾斜38度の傾斜面に点在する耕地や家屋は、遠山郷を代表する景観を作りあげている。
平成21年には「にほんの里100選」にも選ばれ、また「日本のチロル」とも呼ばれている。
下栗は観光地ではなく、現在も人々が畑を耕しながら日常生活を営む場(約200人)。そのため道路など交通インフラが、観光向けに整備されていないため、一般の観光地と違い不便と感じる点もある。特に、車の場合、下記の点に十分留意とのことが、案内されていた。
1)全長7m以上の車輌は進入不可能です。
2)坂道でのすれ違いは、原則として上り車が優先です。
3)道幅が狭くなる場所では、対向車を確かめてから進入してください。無理に進入するとすれ違いが出来なくなります。譲り合って通行し、スピードは十分抑えて、安全運転をお願いします。
4)車もバイクもライトを点灯して通行してください。(カーブが多く昼間でも暗い箇所があります)
カーブへ進入する際は対向車輌に十分注意してください。
5)路肩に車を停車しないでください。特にカーブ付近には絶対に停車しないでください。などで、里の入口に行くまで道も車1台ギリギリで細く、安全面で何となく心細くなり行かなかった。
「下栗の里」の全景は、「天空の里ビューポイント」(はんば亭駐車場から徒歩約20分の山林内にあり平成21年10月に完成)から見ることが出来た。あいにく小雨が降る中、南アルプスは雲に覆われ絶景には至らなず残念だったヽ(;▽;)ノ

2017年7月23日日曜日

親友の写真展

「富士フイルムフォトサロン」にて第15回フォトグループ「001」の写真展が開催されているので観に出かけた。
この写真展は写真家:大鋳真一先生の指導を受けたグループが年1回開催しているもので、親友も含めて8名のメンバーから「私の大阪スナップ」というテーマで約30点が展示されていた。 各人、それなりの観点で撮った写真が展示され素晴らしく感心する作品もあって参考になった。展示場内では撮影禁止のため、展示の写真はなし。
今日は京阪淀屋橋駅から三休橋通りを歩いて本町の丸紅ビル1Fの「富士フイルムフォトサロン」へ。その後も歩いて北御堂(津村別院)と御霊神社に参拝して淀屋橋まで。曇空だったので暑かったがそれ程でもなかった。

2017年7月16日日曜日

近江鉄道の電車

湖東地区を走るローカル電車(近江鉄道)が米原駅から貴生川駅まで、また八日市駅から近江八幡駅まで走っているが、今まであまり関心がなかったがいろんな色の電車が走っていることが分かり興味が少し沸いてきた。
今回、日野駅から水口駅の中間にある池の側を走る電車の写真を小雨が降る中で撮ってきた。
ここでは掲載枚数の関係で3車両だけあるが、まだ違った色の電車も走っているので、今後も撮っていきたい。

2017年7月9日日曜日

妙心寺塔頭「桂春院」

「法金剛院」を拝観後、慶長3年(1598年)に創建された、妙心寺の塔頭「桂春院」をはじめて訪れた。
ここには清浄の庭、侘の庭、思惟の庭、真如の庭の四つの庭園があり、国の名勝・史跡に指定されている。
清浄の庭は石組、井戸、白砂を配置した坪庭、侘びの庭は書院正面には石組・灯篭・楓が並んで、 柱が額縁のようになり、一枚の絵画のように見える。真如の庭は春にはつつじが、秋には紅葉が庭を彩る。 今回、花の季節ではなかったので訪れる人も自分ひとりだったが、庭園を眺めて心が安らぐひと時を過ごした。
また、花の咲く頃や紅葉時期に訪れたい。方丈内部には狩野山雪の障壁画が飾られている。









関西花の寺「法金剛院」

関西花の寺25カ所霊場の1つの「法金剛院」をはじめて訪れた。JR花園駅前の法金剛院は名高きハスの名所で、小雨が降る中、ハスの花が咲き始めて多くの人が訪れいた。
特別名勝の回廊式庭園に7月上旬から8月初旬にかけて約90品種ものハスが次々と咲き揃うという。庭園の池のハスの花は、あまり咲いていなかったが、鉢植えのハスは綺麗に咲いていた。
案内人の話では、ハスの花は開花初日、夜明けから10時頃まで猪口(ちょこ)のように咲き、2日目には椀のように11時頃まで咲く。3、4日目は昼過ぎから夕方頃まで咲き、そして散ってしまう、という。
この寺の起こりは平安時代の初めに右大臣清原夏野(なつの)が山荘を寺に改めたこと。その後、大治5年(1130)に鳥羽天皇の中宮待賢門院(たいけんもんいん)が都の西方に極楽浄土を求めて壮麗な伽藍を建立し、法金剛院と号したという。
















2017年7月6日木曜日

会社訪問「高橋金属㈱」

7月6日(木)14時~、2017年度会社訪問(工場見学会)が行われ参加した。 訪問先は高橋金属株式会社(〒526-0105 長浜市細江町864-4 http://www.takahasi-k.co.jp/)で、『私達の成長で世の中が良くなる会社に』を経営スローガンに掲げ、主に部品加工事業、環境商品事業を展開されている会社である。
ここの会長は滋賀県立大学工学部の旧支援会の会長を務められ、また県短・県大のOBが14名も在籍されている、県大にとっても縁の深い会社でもある。
参加者は昨年に引き続き滋賀県立大学工学部機械システム工学科3回生の学生諸君のカリキュラムとしての工場見学の扱いでもあったので、計63名の大勢であった。
多人数での訪問であったが、事前の計画・準備が周到になされ、会社役員の挨拶、会社概要説明、3グループに分かれての工場見学、質疑応答などあり有意義な会社訪問(見学会)であった。
詳しい報告は、近日中に湖風会「工学部学友会」HPに掲載する。当日の写真はFacebookの湖風会「工学部学友会」に掲載されている。

2017年7月5日水曜日

関西花の寺「浄瑠璃寺」

「岩船寺」の近く(車で約10分)にある「浄瑠璃寺」を、ここもはじめて訪れた。
ここも当尾の山里(京都府木津川市加茂町)でひっそりと千年の歴史を刻む。小さな山門がある北側だけが開かれ、東から南、西の三方は深々とした山に囲まれている。山門をくぐると、宝池を中心に西側に九体阿弥陀堂(本堂・国宝)、東側に三重塔(国宝)を配した浄瑠璃寺庭園(特別名勝及史跡)が広がる。気負いもなく、山の自然を生かした悠然たる雰囲気。この庭は鑑賞ではなく、深く篤い祈りの庭。煩悩の河を越え、阿弥陀仏に迎えられて西方浄土に至ることが感じられる仏の庭だ。今回、本堂内の拝観はやめて外からの参拝、浄瑠璃寺庭園を一回りした。関連サイトによると九体阿弥陀堂(本堂)に入ると、その圧倒的な迫力に引き込まれ、息をもつけない。丈六像(224cm)の中尊と半丈六像(139~145cm)の8体の阿弥陀如来像(国宝)が金色を放って一列に並んでいるとのこと。この阿弥陀如来は未熟な私たちを理想の未来へ迎えてくれる仏様。祈らずにはいられない存在感があるそうだ。また、五穀豊穣、天下泰平を授けるたおやかな吉祥天女像(重文・開扉日限定)なども祀られているとのこと、後で考えると拝観しなかったことを少し後悔した。

関西のあじさい寺「岩船寺」

関西花の寺25カ所霊場の1つで「関西のあじさい寺」と呼ばれる岩船寺へはじめて訪れた。
ここは摩崖仏や石地蔵が数多く見られる当尾(とうの)の里(京都府木津川市加茂町)にあり、三方を深い樹林に囲まれ、緑の中にすっぽりと入ってしまったようなたたずまい。その境内にそこかしこにアジサイが咲く。その数は35品種・5000株ほど。淡い紫、赤紫、青紫と一雨ごとに微妙に色を変え、その幽玄な景色はまさに花曼荼羅。 昭和12年頃に先代住職が植え始め、現在の住職が引き継いで育て上げたという。
ここのアジサイは境内を埋め尽くす壮観の美ではなく、背後の緑や本堂・三重塔の建造物、庭の木々などを考慮に入れた配し方が素晴らしい。
この岩船寺は、天平元年(729)に聖武天皇の勅願によって行基が阿弥陀堂を建てたのが始まりと伝わる。その後、弘法大師と智泉大徳(弘法大師の姉の子)によって堂塔伽藍を建立。最盛期は広大な境内に39坊が立ち並ぶ大寺だったが、承久の変(1221)によって大半が焼失した。しかし、貴重な寺宝は数多く残されている。まずは本尊の阿弥陀如来坐像(重文)である。平安時代の行基作と伝わり、そのおおらかで包容力のある表情に自ずと心が鎮まる。これは10世紀彫刻の基準作例となる。平安時代の普賢菩薩騎象像、鎌倉時代の石室不動明王立像も重要文化財だ。また、平成の大修理が完了し、朱色と白色の対照美が樹影に美しく映える三重塔と十三重石塔も重要文化財である。(関連サイトから抜粋)