2013年4月30日火曜日

牡丹の「乙訓寺」へ参拝

長岡天満宮の「キリシマツツジ」の後、すぐ近くにある牡丹で有名な「乙訓寺(おとくにでら)」へも数年ぶりに訪ねた。「乙訓寺」のホームページによると、ここの牡丹の始まりは昭和15年頃とのこと。牡丹が咲き誇る以前の乙訓寺は表門から本堂まで続く松の並木が美しいことで有名であった。それらが昭和9年の室戸台風でほとんどが倒木し応仁の乱も生き延びたと伝わるモチノキ、弘法大師お手植えの菩提樹も多大な損害を受けることになった。そこで「乙訓寺」第19世海延の伯父にあたる長谷寺の第68世能化(住職)海雲全教和上が被害著しい境内をみて、本尊への供花、荘厳花として、また同時に参拝者にしばしの安らぎをと念じられ、多年ご愛育の牡丹のうち2株を寄進されたのが当寺に牡丹のある初めである。その後、乙訓寺歴代住職らの尽力により株数も年を追って増加し、今では約2000株の花が美しく境内を彩っている。(以上、「乙訓寺」のサイトより抜粋)
写真撮影で2~3回は訪れているが、初めてみた牡丹のきれいさの印象が今でも強く残っている。 が、今回みると3~4日遅かったためか? もう一つで、少しガッカリ! それでも良く咲いてきれいな牡丹もあって写真を撮りながら楽しめてよかった。(*^_^*)

長岡天満宮の「キリシマツツジ」へ

長岡天満宮(京都長岡京市)には、樹高が約2.5m、樹齢は130年前後と推定され、市の天然記念物に指定されている有名な「キリシマツツジ」があり、久しぶりに見に出かけた。
「長岡天満宮」のホームページに開花情報が掲載されているので見ると2日程前に満開は終わっているとのことだったが、とりあえず行ってみた。 遠くからみると真っ赤な「キリシマツツジ」が大変きれいであるが、近くでは花びらも萎れたりしてきれいさはあまりなかった。少し残念! ただ、この境内や周辺には赤・白・桃色のツツジが沢山植えられて、それが丁度満開で凄くきれいだった。(^○^)
上の写真が真っ赤なキリシマツツジ」、下の写真の遠方にみえるのが「キリシマツツジ」。
 

2013年4月26日金曜日

開業の「グランフロント大阪」へ

本日、JR大阪駅北側の再開発地区「うめきた」の先行開発区域「グランフロント大阪」が26日、開業したので出かけた。最先端技術の実用化を探る拠点「ナレッジキャピタル」を中核施設とし、併設された都心部最大級の専門店街(266店)は年間2500万人の来場と売上高400億円を目指すもの。超高層ビル4棟にオフィスやホテル、マンションも備えた新しい「街」は、関西経済再生の拠点として期待されている。新聞等の報道によれば、約1000人が行列を作ったため、予定を30分早めて午前9時30分に開業したとか。入場者数は夕方で14万人、午後9時には32万人とか、さすがに午前11時頃から約2時間ほど南・北の専門店などを見て回ったが、すごい人で非常に疲れた。
パナソニックセンターは大阪駅から入ってすぐの南館右側の一等地、地下1F、地上1・2Fにあり多くの人で賑わっていた。 北館6Fにある近畿大学水産研究所の初めての養殖魚門料理店には2時間待ちの行列ができていたため、残念ながらあきらめたが、一度は養殖マグロを食したいものだ。 また、2Fの植物(野菜)工場を併設したサブウエー野菜ラボ、6Fの同じく植物(野菜)工場を併設したロート製薬直営の薬膳レストラン「旬穀旬采」などにも一度は入ってみたいなぁ~と。
まだまだゆっくりと見ていない専門店や「THE世界一展」とかも多く、またの機会にしょう。


2013年4月24日水曜日

南座「歌舞伎鑑賞教室」へ

歌舞伎を観たいと思いながら行く機会がなく、今回歌舞伎が初めてでもあり、まず第21回南座の「歌舞伎鑑賞教室」(4月20日~25日)に出かけた。観客はほぼ満席で女性が多く、それも和服を着ている人が目立った。男性は1割程度?
一部は「南座と歌舞伎」について、落語家の桂九雀さんにより、大変おもしろく解説があり歌舞伎のことがよく分かった。(●´ω`●)  また、当日きれいな若い女性5名を客席から選び赤姫・花魁・街の娘姿など女方の衣裳で花道を歩く、「歌舞伎ファッションショー」も行われ観客から拍手喝采を浴びていた。第2部では第1回でも上演したという南座「 歌舞伎鑑賞教室」の原点でもある『藤娘』を上村吉弥が19年ぶりに踊り、続く『供奴』では初役で勤める上村吉太朗(12歳)が溌剌とした舞台を見せて、万雷の拍手喝采のうちに幕が下りた。
歌舞伎とは、歌(音楽)、舞(舞踊)、伎(伎芸)をそれぞれ意味するが、日本固有の演劇で、伝統芸能の一つである歌舞伎をほんの少しだが楽しむことができた。(^○^)  5月は「五月花形歌舞伎(市川海老蔵出演)」があり、行ってみようかなぁ~。

2013年4月18日木曜日

新島襄・八重の旧邸見学へ

新島襄八重の墓を訪れて下山し、新島旧邸のある御所の東側(寺町通り丸太町)へ徒歩約1時間で。この旧邸は大河ドラマ「八重の桜」放映に伴い、特別公開が昨年9月から今年12月まで行われている。 予約申込みはインターネットで、予約なしでは入れない。
新島旧邸のサイトによると、この新島旧邸は襄・八重の私邸で、ボストンの友人J. M. シアーズの寄付によって1878年(明治11年)に建てられた。この場所は同志社英学校が開校したさいに仮校舎として借家した高松保実邸の跡です。外観はいわゆるコロニアルスタイルの洋風ですが、造りの基本は和風寄棟住宅です。間取りは日本的な田の字型であり、壁は柱を露出させる旧来の真壁造りとなっている。床が高く、三方にべランダをめぐらし窓には鎧戸をつけ、白い壁面に茶褐色の木部を見せる簡素な二階建住宅です。設計者・施工者とも明らかではありませんが、当時の同志社教員で医師・宣教師でもあったW. テイラーの助言を得ながら、新島襄が設計したとも伝えられています。日本人のために建てられた和洋折衷の木造二階建て住宅として、また、同志社創立者の旧居としての価値が認められ、昭和60年(1985)に京都市指定有形文化財に指定されました。
当時の台所や食堂、応接室、八重夫人が愛用したオルガンや椅子や机、書斎、風呂場、木で作った洋式風のトイレなどもそのままでの状態で、当時を偲ばせるに相応しい旧邸だった。(●´ω`●)

新島襄・八重の墓地を訪れる

NHK大河ドラマ「八重の桜」の放送回数も増えるに連れ、新島襄・八重の墓所と旧邸を訪れたいと思い出かけた。 まず墓地へは、京阪三条で市バスに乗り「永観堂・南禅寺」前で下車し、「哲学の道」の南側始発点(終着点)のそばにある熊野若王子神社脇に山道の登り口がある。そこから墓所までは徒歩で20分ほど。山道は整備できるとは言い難いもので、雨でも降れば靴はドロドロになりそうだし、足場も悪そうな山道。 新島襄・八重の墓石がある同志社墓地は京都市営の若王子墓地の中で、一般の人の墓も沢山ある共同墓地(霊園)の一角にあった。 結構きつい山道で、ここへの墓参りも大変と思う。 楽しむような雰囲気の場所ではなかった。 大河ドラマ「八重の桜」の影響で多くの人が訪れているようで、沢山の花束が供えられていた。 この同志社墓地には、八重の兄の会津藩士山本覚馬と父母(山本権八・佐久)の墓碑もあった。この山道沿いには、杉の木立が続きよい森林浴になったのはよかった。(上の写真は熊野若王子神社の脇の山道の登り口、下の写真の正面が新島襄の墓碑、その左が八重の墓碑)
 

2013年4月16日火曜日

造幣局の桜通り抜け

今年も大阪の春の風物詩である「造幣局の桜の通り抜け」が本日16日から22日まで行われ、昨夕のTV放送の実況をみて早く行かないと綺麗な桜が観れないと思い初日に出かけた。 今年はいつもの年よりか早い開催だったが、行ってみると満開の木も多いが、満開の時間が過ぎて花びらが萎れていたり、またすでに花が散っている木も多く、初日でありながら通り抜けが終わったあとのような感じだった。一週間程遅いように感じた。残念ながら今年の通り抜けは素晴らしい、綺麗だぁ~とあまり思えないものだった。 造幣局では、通り抜けの桜に親しみを持ってもらうために数多くの桜の品種のうちから一種を「今年の花」として選び毎年紹介されている。今年は「天の川」で、この花は東京荒川堤にあった里桜で、樹姿がほうき状となり、淡紅色の花が上向きに咲く珍しい品種、花弁数は10~20枚ある綺麗な花だった。 初日で天候に恵まれて凄く沢山の観客で賑わっていた。 また、各TV局があっちこっちで実況放送をしていた。(上の写真が今年の花「天の川」で、ほとんど花が萎れたり散っていた中で撮った1枚)

2013年4月11日木曜日

胸中の山水「細川護煕展」へ

10日(月)~22日(月)まで、阪急うめだギャラリーにて「細川護煕展」が開催されているので出かけた。 一般の入場料は800円であるが、アサヒメイト会員のため無料。
ご存知の細川元首相が60歳を機に政界を引退され、祖母の代から住まわれていた神奈川県湯河原の地に「不東庵」を構え、晴耕雨読の生活に入られた。 そして、陶芸を始められ十数年、その作品は今やトップレベルと高い評価を得られている。 近年、油絵や水墨画にも精力的に取り組まれ、磨かれた感性を幅広いジャンルで表現し、さらに注目を集めておられる。
今回の展示は、細川家ゆかりの京都の地蔵院、建仁寺塔頭正伝永源院の襖絵26面展のほか油絵、墨書、陶芸などが展示され、楽しむことができた。 特に地蔵院の襖絵の「蕭湘の景」、永源院の襖絵「知音」(月闇で、山に咲く桜の風景)はすばらしくそう簡単に描けるものではない、非常に感心した。 この襖絵は、初めての作品で2012年春、2013年春に完成したもの。 出口には陶芸品の即売所もあり、たとえばお茶椀などは価格60~100万円がずら~と並び、すでに予約カードが張られているものもあった。
第2の人生を「くらしをとことん楽しむ」をモットーに、晴耕雨読にいそしみ、陶芸、油絵、墨書を楽しみ、最近では東日本大震災と大津波に被害を受けた岩手県~福島沿岸に、命を守る森の防波堤を作る活動にも精力的取り組まれるなど、さすがだなぁ~~と。

2013年4月7日日曜日

ニプロのCM「元気になあれ篇」

医療機器・医薬品メーカー「ニプロ」が、日夜、患者さんのために一生懸命、治療に取り組んでる医師、看護師、薬剤師の皆さんなど医療の現場で働く人にエールを送るTVーCMを全国ネットでオンエアしている。CMは全部で4テーマあり、その「3.元気になあれ篇」にエキストラとして参加。 この撮影は3月9日、阪神電車「武庫川駅」徒歩約5分にあるH調剤薬局で、9時半頃から4時過ぎまで薬剤師(松本さやか)さん、赤ちゃん、母親、幼稚園児、若い男性、お年寄り、そして患者(エキストラ約12名)により行われたもの。 その概要は、薬局のカウンターに次々と来る患者さんに応対する薬剤師(松本さやか)さんが主役。 会社勤めの男性、赤ちゃんとお母さん、お年寄り、様々な患者さんそれぞれにお薬の用法をしっかりと伝えながら「ゆっくり休んでくださいね」「お大事に」と声をかけている。薬剤師さんが調剤室に向かってやりとりをしていると、「すみませ~ん。お薬くださ~い。」と呼ぶ男の子の声が、振り向くと小さな男の子が背伸びしてカウンターごしにやっと顔をのぞかせて呼んでいる。その姿に思わず笑みがこぼれる薬剤師さん。「今日もどこかで誰かの元気をお手伝いできますように。」「そんな願いを込めて私たちニプロは、よりよい医薬品の研究・開発をつづけています。」薬剤師さんが、薬局の前で、男の子とお母さんを見送りながら「早く元気になあれ」と呼びかける。「その技術は人のために。信頼の医療機器・医薬品のニプロです。」というもの。(ニプロのCMサイトから抜粋)
患者さんに対する薬剤師さんの対応が大変爽やかで気分のよいCMになっているし、イメージキャラクターの松本さんのにこやかな笑顔がとってもよかった。(^○^) 
このニプロのCMは、次の提供番組でオンエアされている。
・行列のできる法律相談所全国30局ネット毎週日曜21:00~21:54
・みのもんたの朝ズバッ!全国28局ネット毎週月曜~金曜5:30~8:30(CM放送は1日おき)
・報道ステーション全国24局ネット 毎週月曜21:54~23:10
・BSフジLIVE PRIME NEWS(BSフジ) 全国BS 毎週月曜~金曜20:00~21:55

2013年4月2日火曜日

「天の川クラブ」2地区会に参加

ボランティア団体ナルク「天の川クラブ」の2地区会(会員を住居毎に10地区に分けた1つの地区の集い)があり参加(18名参加)。
9時半に枚方八景の一つ牧野公園に集合し、まず満開の桜を満喫してから船橋川公園の桜を見るため約4Kmのウオーキング。 そして10時半から近くのレストラン「ガスト」で三津代表の挨拶後、歓談しながら昼食して12時過ぎに(・ー・)オワッタナ・・・。 今回、入会され初めて参加の方も数名おられ交流が図れたようだ。 
この牧野公園には、「史跡 伝 阿弖流為(アテルイ) 母禮(モレ) 之塚」がある。 約1200年前、時の朝廷の国土統治にあたり、東北地方には蝦夷(エミシ)と呼ばれる人々がいて、その支配を拒否していた。このため朝廷は、彼らを辺境の人々として征討部隊を派遣したが、人々はこれに対し、激しい抵抗を繰り返し容易には屈しなかった。延暦21年(802)4月、征夷大将軍坂上田村麿呂(さのうえのたむらまろ)は蝦夷の首長アテルイと副将モレが同族500余人を引き連れてようやく降伏したことを朝廷に報告し、7月に2人を伴って帰京した。2人の処遇について田村麿呂(たむらまろ)は強く助命を嘆願したが、8月に2人は河内国で処刑された。 その地がここ牧野阪(公園)で、アテルイとモレのゆかりの地とされている。(石碑の刻印から)
上の写真が「伝 阿弖流為(アテルイ) 母禮(モレ)」の石碑で、その裏に塚がある。下の写真はその前にある満開のしだれ桜の下で観桜。