映画「杉原千畝」を「海難1890」に続いて見に行った。これは第2次世界大戦中、リトアニア領事代理として日本政府に背く形で多くのユダヤ難民にビザを発給し6000人もの人たちの命を救った杉原千畝(当時40歳)の波乱に満ちた半生を描いたものである。
諜報外交官として日本にさまざまな情報を送ってきた杉原を主演唐沢寿明さんが演じ、彼を支える妻に小雪さんがふんするほか、日本、ポーランドの実力派俳優が集結した作品である。
「命のビザ」発給の舞台のリトアニアに赴任されたのは、第二次世界大戦開戦を直前にひかえた1939年。当時の日本は、友好国であるはずのドイツが、共通の敵国であったソ連と「独ソ不可侵条約」を締結したことで、まさに大混乱に陥っていた。ヨーロッパ全土がナチスの脅威に飲み込まれる中、迫害され逃げ場を失うユダヤ人にとって、最後の望みの綱が「命のビザ」といわれる日本通過ビザであり、このビザを取得し第三国に逃げる以外に生き残る方法はなかった。彼らのの運命は文字通り杉原の双肩にかかっていた。杉原は急いで外務省本省にかけ合うが、日独伊三国同盟の締結を間近に控えた本国からは、むやみにドイツを刺激したくないとの国内の政治事情もあり、ビザ発給の許可はおりなかった。戦時下という緊迫した状況のもと、日本から遠く離れた異国の地で無断で大量のビザを発給すれば、自分はもちろんのこと家族の身も危険がおよぶ可能性もあった。しかしながら、命からがらリトアニアまでたどり着き、ビザの発給を懇願するユダヤ人たちを見捨てることもできず、ユダヤ人の人命救助、かたや外交官として本国の指示に従うべきとの判断の狭間に立たされ、迷い、悩んだ杉原が出した答えは、人間としてなすべきことを優先させるとの強い意志で、ついに杉原は独断で「命のビザ」発給を決断する。
杉原が発行した「命のビザ」を手に入れたユダヤ人難民たちは、シベリア鉄道でおよそ2週間かけて極東のウラジオストクへたどり着き、そのあと幾多の困難もあるが無事に日本にたどり着く。そしてアメリカなど第3国に逃れる。(関連サイトから抜粋)
映画の中で杉原千畝という人物像と、周囲を取り巻く人たちの物語が描かれており、6000人のビザを発給したとされ子孫を含めると杉原千畝に助けられた命は60000人にもなるという。いくら外交官とはいえ、日本政府の許可なしでビザを大量に発給するって、ものすごい決断と行動力だと思う。
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