14日から一般公開されている映画「キャタピラー」が近くの映画館(枚方)では上演されないので、梅田のロフトの地下「テアトル梅田」(客席97の小規模の映画館)に出かけた。今回、第60回(2010年)ベルリン国際映画祭で銀熊賞最優秀女優賞を受賞した寺島しのぶさんの演技力がどのようなものか観たかったためだ。監督は若松孝二氏で86分という短い映画だった。
あらすじは第二大戦の中頃、一銭五厘の赤紙1枚で召集される男たち。シゲ子(寺島しのぶ)の夫・久蔵(大西信満)も盛大に見送られ、勇ましく戦場へと出征していった。しかしシゲ子の元に帰ってきた久蔵は、顔面が焼けただれ、四肢を失った無残な姿であった。村中から奇異の眼を向けられながらも、多くの勲章を胸に、“生ける軍神”と祀り上げられる久蔵。四肢を失っても衰えることの無い久蔵の旺盛な食欲と性欲にシゲ子は戸惑いつつも軍神の妻として自らを奮い立たせ、久蔵の下の世話も含めてすべて尽くしていく。四肢を失い、言葉を失ってもなお、自らを讃えた新聞記事や勲章を誇りにしている久蔵の姿に、やがてシゲ子は、空虚を感じ始める。敗戦が色濃くなっていく中、久蔵の脳裏に忘れかけていた戦場での風景(戦場で女性を犯し、殺した風景)が蘇り始め、久蔵の中で何かが崩れ始めていく。そして、久蔵とシゲ子、それぞれに敗戦の日が訪れる。敗戦の日に久蔵は家の横の池に這い出て、池に溺れて死んでしまう。
シゲ子(寺島しのぶ)の演技力は至るところにあったが、その中でシゲ子の怒りが頂点に達し、生卵を夫の顔にぶつける場面がある。卵まみれの夫を前にシゲ子は「軍神さまって何なのよ」と泣き叫び、夫にすがりつく。その感情の高まりの演技力はすごいと感じた。なるほどと思った次第。
今作では四肢のない夫とのセックス(4~5回)を演じた。このキャタピラーは、セックスがなければ成り立たない作品で、夫はそれでしか『生きている』を証明できないものだった。食欲と性欲だけを残し芋虫(キャタピラー)のようにのたうち回るグロテスクな姿は、だらだらと米国に依存した平和のなか経済を拠り所に生き長らえる我々と何が違うのか。「戦後」は未だ終わっておらず、愚行は何度でも繰り返されることを、若松監督は切実な思いで訴えかけたかったようだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿