国指定の特別史跡の安土城跡へ。JR安土駅の北東、標高199Mの安土山一帯にある織田信長の居城跡。
天正4年(1576年)から織田信長が約3年の歳月をかけて天正7年に完成した。安土・桃山時代の幕開けとして築城されたが、織田信長が倒れた本能寺の変後、天正10年(1582年)6月15日に焼失して石垣だけが残っている。わが国最初の本格的な天主の建築が、この安土城からで歴史上に名を残す名城跡となっている。
受付口をくぐると、すぐ大手道で石階段が天守閣跡まで約400段続く。登り始めるとすぐ右に前田利家邸の屋敷跡、その向かい左に羽柴豊臣邸の屋敷跡、その中腹には安土城を430年にわたり管理してきた臨済宗妙心寺派の摠見寺(現存)や家臣団(森蘭丸邸など)の屋敷跡もある。
また、二の丸跡には豊臣秀吉が建立した織田信長廟も残っている。
天主跡は背丈ほどの高さの石垣に囲まれ東西、南北それぞれ約28Mの大地にあり、礎石が、1.2M置きに並ぶだけである。が、この部分は天主の地下部で、その上に大きな天主(高さ33Mの木造高層建築物)がそびえていたという。帰り道は、大手道の途中から摠見寺本堂跡、三重塔、二王門を経てもとの受付まで戻った。
この摠見寺本堂は本丸の西方の峰にあり、天正4年織田信長が鈴鹿山の江雲寺を移して造立した臨済寺の寺で、安土城落城の際に火災を免れたが、安政元年(1484)の失火で本堂を焼いた。昭和7年に大手道の徳川家康邸跡に仮本堂を建てて、現在に至っている。通常は拝観できない。元の摠見寺跡に建てられている三重の塔、および二王門は重要文化財となっている。
440年前の当時のことを想像しながらみて廻って、改めて安土城の歴史を学んだ。上の写真は大手道の上り口で石階段がずう~と続く。中の写真は天主跡。下の写真は三重の塔。
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