2011年10月13日木曜日

高校クラス会「優遊三四会」に参加

後方の高台にあるのが、蒲郡プリンスホテル
蒲郡市の蒲郡プリンスホテルで高校のクラス会「優遊三四会」(第12回)があり出席した。出席者は当初17名の予定であったが、急きょ2名欠席で15名(男性6名、女性9名)。
今回、ゆっくりと行こうとJR京都駅で新快速に乗車したあと、米原駅と大垣駅で2回乗り換えし蒲郡駅で下車、所用時間は最寄りの京阪牧野駅から約4時間50分だった。(帰りも同じ)新幹線を使ってもよいが、たまにはゆっくりと行くのもそれなりに良いものだ。
出席者はいつもの顔ぶれで、久しぶりの再会でもあり懇親会(フランス料理)や二次会で話も弾み楽しいひと時を過ごすことが出来き、大変良かった。宿泊した蒲郡プリンスホテルは、昭和9年に建設された日本を代表するクラッシクホテルで、竹島や大島など三河湾が見渡せる高台にあり素晴らしい所。たまには、このようなホテルの宿泊もよいものだ。
蒲郡プリンスホテルの歴史は、このホテルのサイトに以下のように掲載されている。『昭和9年3月に営業を開始した「蒲郡ホテル」が前身です。 当時の外貨獲得政策の一環として外国人を多く来日させるリゾートホテル建設のため鉄道省に設置された観光局が、国際観光ホテル建設計画を発表して全国から名乗りをあげた40の候補地の中から、横浜、雲仙、大津とともに選ばれたのが蒲郡でした。大蔵省30万円、常盤館の経営でもあった名古屋の織物商・滝信四郎氏の私財から10万円、合わせて40万円の資金で着工。設計は元鉄道省の建築家久野節(くのみさお)氏と村瀬国之助技師、施工は大林組でした。当初の予定名称は、「蒲郡遊園地ホテル」でした。菊池寛、川端康成、志賀直哉、三島由紀夫などの文人が滞在し、作品を残した料理旅館「常盤館」(1980年廃業)の洋風別館的なスタンスで営業が開始されたこのホテルは、数多くの皇族(昭和32年天皇陛下が2日間宿泊など)、有名人に愛され、映画のロケなどが行われ、蒲郡のシンボルとして華々しい歴史を持つ一方、太平洋戦争開戦により日本陸軍病院に提供、米軍の接収など、悲運の歴史をたどります。石油ショック、その後の大不況のあおりを受け廃業。数年の後(昭和62年8月4日)、蒲郡プリンスホテルとして生まれ変わり、現在に至ります。また2007年11月に経済産業省より「近代化産業遺産」にも認定されました。』

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