国技館の第27回「5000人の第九コンサート」の参加のため東京へ。
参加申し込みが遅れて格安のフリープランの手配が出来ず、いつも利用するホテル「アワーズイン阪急」、新幹線の「ぷらっとこだまエコノミープラン」の格安切符を手配し出かけた。
26日は京都駅10時5分発こだま646号(グリーン車)で東京に13時47分着。この日はオケ合せの練習があるが、今回初めてサボって東京見物に。
まず、山手線の御徒町で下車し「湯島天神」に参拝と観梅、土曜日で境内は大分混雑していたが、梅花は見ごろであった。
その後、地下鉄「本郷3丁目」で乗車し、「飯田橋」で下車、小石川後楽園の庭園(観梅)→JRで東京駅に戻り、4時45分頃からランニングコースとは逆を皇居前広場から一周ウオーキング(約5kmで1時間)したが、土曜日でランニングする人が多く、イギリス大使館前辺りなどは道幅が狭く(約70cm)、ぶつかりそうになることもあり、問題(危険であること)になっていることがよく分かった。
<参考>
「湯島天満宮」は古来より江戸・東京における代表的な天満宮であり、学問の神様として知られる菅原道真公を祀っている。そのため受験シーズンには多数の受験生が合格祈願に訪れるが、普段からも学問成就や修学旅行の学生らで非常な賑わいを見せている。また境内の梅の花も有名で、この地の梅を歌った「湯島の白梅」(1942年)は戦中時の歌として大ヒットした。長野県長野市に湯島天満宮の分社がある。「小石川後楽園」は水戸藩二代目藩主「水戸黄門」光圀が完成させた水戸藩江戸上屋敷内の庭園。日本三名園である岡山の後楽園と区別して、「小石川後楽園」と呼ばれる。「後楽園」は現在では東京ドーム周辺一帯の地名として、人々に親しまれているが、この小石川後楽園がその名の由来である。
上の写真は「湯島天神まつり」が行われていた「湯島天満宮」の入口、下の写真は「小石川後楽園」の入口。
参加申し込みが遅れて格安のフリープランの手配が出来ず、いつも利用するホテル「アワーズイン阪急」、新幹線の「ぷらっとこだまエコノミープラン」の格安切符を手配し出かけた。
26日は京都駅10時5分発こだま646号(グリーン車)で東京に13時47分着。この日はオケ合せの練習があるが、今回初めてサボって東京見物に。
まず、山手線の御徒町で下車し「湯島天神」に参拝と観梅、土曜日で境内は大分混雑していたが、梅花は見ごろであった。
その後、地下鉄「本郷3丁目」で乗車し、「飯田橋」で下車、小石川後楽園の庭園(観梅)→JRで東京駅に戻り、4時45分頃からランニングコースとは逆を皇居前広場から一周ウオーキング(約5kmで1時間)したが、土曜日でランニングする人が多く、イギリス大使館前辺りなどは道幅が狭く(約70cm)、ぶつかりそうになることもあり、問題(危険であること)になっていることがよく分かった。
<参考>
「湯島天満宮」は古来より江戸・東京における代表的な天満宮であり、学問の神様として知られる菅原道真公を祀っている。そのため受験シーズンには多数の受験生が合格祈願に訪れるが、普段からも学問成就や修学旅行の学生らで非常な賑わいを見せている。また境内の梅の花も有名で、この地の梅を歌った「湯島の白梅」(1942年)は戦中時の歌として大ヒットした。長野県長野市に湯島天満宮の分社がある。「小石川後楽園」は水戸藩二代目藩主「水戸黄門」光圀が完成させた水戸藩江戸上屋敷内の庭園。日本三名園である岡山の後楽園と区別して、「小石川後楽園」と呼ばれる。「後楽園」は現在では東京ドーム周辺一帯の地名として、人々に親しまれているが、この小石川後楽園がその名の由来である。
上の写真は「湯島天神まつり」が行われていた「湯島天満宮」の入口、下の写真は「小石川後楽園」の入口。
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