2015年11月30日月曜日

善法律寺の紅葉

 京都府八幡市にある「石清水八幡宮」の近くの「善法律寺」の紅葉をみに出かけてみた。この寺には足利義満の母、良子が寄進したモミジが境内に植えられていることから紅葉寺とも呼ばれている古寺。
モミジの紅葉の見頃は、例年11月中旬から始まり、12月上旬まで境内全体が燃えるような赤で覆われた美しい風景が満喫できるらしいが、今年はどことも同じで、ここももう一つ綺麗に紅葉した木もなく、葉っぱもあまり綺麗でないなどの状況だった。写真は少し赤色に編集しているので、綺麗に紅葉しているようにみえる。
今年は諦らめて、来年に期待したいものだ!
ここは石清水八幡宮検校職であった善法寺宮清の建立で、宝冠阿弥陀如来坐像をはじめ、僧形八幡坐像が安置されている。また足利義満の母良子の菩提寺でもあった。

2015年11月29日日曜日

佐渡練に参加

2015年「サントリー1万の第九」も今週(12月5日リハーサル、6日本番)に迫り、夏から始まったレッスンも最後の佐渡練(佐渡指揮者による合同レッスン)で終わりとなる。
今年は新神戸駅前にある神戸芸術センター芸術劇場にて、森ノ宮1・2・6クラス及び森ノ宮E・H・Iクラスの約1100名参加のもと行われ参加した。 指揮者の細かな歌い方指導もあり最後の仕上げだった。
この会場でのレッスン風景などのビデオ撮り(12月23日の放送用映像)も行われた。
さあ~本番に向けて風邪などを引かないように注意し、今年の最後を飾ろう。

下の動画は、当日のレッスン風景。 Facebookの「サントリー1万人の第九」コンサートツアーから借用。

2015年11月27日金曜日

お笑いのなんば花月

久しぶりに「なんばグランド花月」にアサヒメイト会員割引(約半額)で行ってきた。
この日の出演者は、ミサイルマン・メッセンジャー・POISON GIRL BAND・ザぼんち・大木こだま、ひびき・西川のりお、上方よしおの漫才、坂田利夫スペシャルコント、西川きよしの漫談と最後に吉本新喜劇であった。
久しぶりのおもろい漫才やコントなどを楽しんできた。本日、2回目の午後2時半からの公演であったが、1階2階ともに満席で、遠く広島や三重などからの観客が多いことが紹介されていた。 すごい人気だなぁ~と改めて感じた。

2015年11月25日水曜日

フォト同好会で奥嵯峨散策

フォト同好会で奥嵯峨の紅葉の写真を撮りながら楽しんだ。天候は曇りで午後2時半頃から小雨となったが何とか無事に終了した。
概略コースは、JR京都駅に10時に集合し、JR嵯峨野線の嵐山嵯峨駅下車⇒「二尊院」⇒7時半からNHKが紅葉中継した「祇王寺」⇒昼食は「泉仙」にて京料理「ラン」⇒「あだし野念仏寺」⇒「奥嵯峨鳥居本の町並み保存館」⇒「清涼寺」⇒嵐山嵯峨駅~京都駅で17時頃に解散。
今年の紅葉は、どこに行っても温暖の影響でさっぱりダメな状況。 「二尊院」の総門を入った「紅葉の馬場」と呼ばれる参道は紅葉の名所として知られるが、まだ紅葉していない木やすでに落葉したりなどでその面影もない。一番期待していただけに(´・ω・`)ガッカリ…
「祇王寺」や「あだし野念仏寺」などもよく似た状態でもう一つだった。しかし、その中でも紅葉したきれいな葉っぱや遠くから見るときれいな紅葉の木もあり撮影をしながら奥嵯峨を楽しむことができた。

2015年11月21日土曜日

奥嵯峨を散策

新聞やネットの秋の紅葉状況をみると、奥嵯峨もみごろを迎えているとのことで、その状況の確認に出かけてみた。
三連休の初日(土曜日)ということで、京都駅からの電車も満員で、奥嵯峨も多くの人で賑わっていた。
例年であれば紅葉が綺麗な時期なのに、今年の紅葉は、気温が平年より高めで朝晩の冷え込みがないためか? もみじの上の方は紅葉しているが、下の方はまだ緑の葉っぱが多い木が多く見受けられた。また、紅葉はしているが葉が枯れたり縮んだりしている木も見受けられた。 全般的には、今年の紅葉はまだ早いという感じで、もう一週間から10日かかり、見頃は11月末頃がよいのではないか? と感じた。
上の写真は清涼寺の庭園の紅葉(拝観せずに外から撮影)、中の写真は鳥居本の平野屋で上の道路から撮影、下の写真はある食事処での紅葉撮影。

2015年11月18日水曜日

安土城跡

国指定の特別史跡の安土城跡へ。JR安土駅の北東、標高199Mの安土山一帯にある織田信長の居城跡。
天正4年(1576年)から織田信長が約3年の歳月をかけて天正7年に完成した。安土・桃山時代の幕開けとして築城されたが、織田信長が倒れた本能寺の変後、天正10年(1582年)6月15日に焼失して石垣だけが残っている。わが国最初の本格的な天主の建築が、この安土城からで歴史上に名を残す名城跡となっている。
受付口をくぐると、すぐ大手道で石階段が天守閣跡まで約400段続く。登り始めるとすぐ右に前田利家邸の屋敷跡、その向かい左に羽柴豊臣邸の屋敷跡、その中腹には安土城を430年にわたり管理してきた臨済宗妙心寺派の摠見寺(現存)や家臣団(森蘭丸邸など)の屋敷跡もある。
また、二の丸跡には豊臣秀吉が建立した織田信長廟も残っている。
天主跡は背丈ほどの高さの石垣に囲まれ東西、南北それぞれ約28Mの大地にあり、礎石が、1.2M置きに並ぶだけである。が、この部分は天主の地下部で、その上に大きな天主(高さ33Mの木造高層建築物)がそびえていたという。帰り道は、大手道の途中から摠見寺本堂跡、三重塔、二王門を経てもとの受付まで戻った。
この摠見寺本堂は本丸の西方の峰にあり、天正4年織田信長が鈴鹿山の江雲寺を移して造立した臨済寺の寺で、安土城落城の際に火災を免れたが、安政元年(1484)の失火で本堂を焼いた。昭和7年に大手道の徳川家康邸跡に仮本堂を建てて、現在に至っている。通常は拝観できない。元の摠見寺跡に建てられている三重の塔、および二王門は重要文化財となっている。
440年前の当時のことを想像しながらみて廻って、改めて安土城の歴史を学んだ。上の写真は大手道の上り口で石階段がずう~と続く。中の写真は天主跡。下の写真は三重の塔。

2015年11月15日日曜日

「心根」の創作料理

孫娘(3歳)の七五三参り。そのあと娘婿のおごりで枚方市の南東部にある住宅街・氷室台にひっそりと店を構える料理店「心根」にて昼食会。
ここ氷室台は20~30年前に小高い山に開発された閑静な住宅街で、そこに建っている ごくごく普通の一軒家、行ってもすぐに分かりにくい店だった。
  「心根」の信条は、すべての食材において鮮度にこだわること。魚は室戸岬や淡路島などで揚がったばかりの鮮魚、野菜は地元の農家が
朝採りしたもの、米もつきたてだけを使用する。 などで、一切の妥協なく選び抜かれた食材を有名割烹で修行を積んだ店主が創意あふれる料理を提供する店である。
枚方のハズレで交通の便もあまりよくない店だが、やはり食材のこだわりが人気を呼んでいるみたいで結構はやっていた。
久しぶりの創作料理を楽しんで味わった。特に釜戸で炊かれた炊き込みご飯が大変おいしくかった。

干し柿作り

田舎の渋柿が毎年なるが今年は、昨年庭木の剪定時に柿の木(10本の内、渋柿は2本)もしたら豊作となり干し柿作りに挑戦してみた。以前は家内がやったりしていたが、出来上がるとカビも生え、色も黒くもう一つ見栄えが悪いものしかできなかった。今回、ネットのCookPadの「おじいちゃん秘伝♪干し柿の作り方♪」をみて作ってみた。
その作り方は、①柿を洗い皮をむく。②鍋に塩を少々(小さじ1)を入れ沸騰させて柿をお湯に少しつける。(煮沸消毒をする)、③焼酎に柿をつける。(アルコール消毒、カビを防ぐため)、④串に刺して風通しの良い、雨がかからないベランダに干す。⑤4~5日して表面が乾いたら1つ1つ全体的に指でもみ柔らかくする。⑥そのあと4~5日干して完成。⑦保管は冷蔵庫に。
その結果の写真は、上の写真が皮をむいてベランダに干した状況(11月5日)。下の写真が約10日後(11月15日)の状況で、まだ完全には干し上がっていないが見かけも良いし、味も甘くて美味しい仕上がりとなった。まぁ~まぁ~かと思われる。
この渋柿は釣鐘型で少し大きいので干し時間が多くかかった。また、干している途中で、雨降りの影響か?サビがでる柿もあったので、焼酎の霧吹きをしてサビ防止もやってみた。

2015年11月12日木曜日

湖南三山

田舎に行く途中、湖南三山(常楽寺・長寿寺・善水寺)に立ち寄り「常楽寺」を拝観した。長寿寺と善水寺は、まだ紅葉が始まったばっかりで、4年前に拝観しているので、今回は門前で参拝。
「常楽寺」は、石部駅の南東約3.2kmにある天台宗の寺院。平安時代初期には長寿寺とともに歴代天皇の尊崇が厚かったという。山門に続く広い境内の木立の参道の奥に、国宝指定の和様の大きな本堂がどっしりと立ち、古寺らしい落ち着いたたたずまいを見せている。現在の本堂は、南北朝時代に再建されたもので、中央には秘仏の木造千手観音坐像が安置されている。また、本堂横の石段を登ると、すぐれた形姿の国宝三重塔があり、背後の樹林とで美しい調和を見せている。
建造物・彫刻・絵画・工芸品と多彩な古文化財が多くあり、これらに興味のある場合はみる価値が十分ある寺院だった。
写真上は、「常楽寺」の山門を入って撮ったもので、紅葉も見頃を迎えていて綺麗だった。
写真中は、「長寿寺」で入口辺りは紅葉が始まっていたが、山門を入っての参道の紅葉トンネルがまだだった。あと一週間から10日後が見頃と思われた。
写真下は「善水寺」、入口から撮ったもので、ここも紅葉が始まったばっかりで、これからという感じだった。

2015年11月8日日曜日

エベレスト3D


昨日(7日)から公開の映画「エベレスト3D」を鑑賞。
ヒマラヤ山脈に位置する世界最高峰のエベレスト(8848M)は世界中の登山家を魅了し続ける、同時に地球上で最も危険な場所でもある。1996年にエベレストで繰り広げられた実話を基に、登頂の夢をかなえるため世界各国の登山家たちが、自然が猛威をふるう『デス・ゾーン』と呼ばれる危険領域で生き残りを賭けた闘いに挑む姿を、3Dならではの圧倒的な迫力で映像化したもの。
本物のエベレストで撮影されたものであり雄大な映像(景色)や臨場感あふれる映像は、極限状況に置かれた人々の群像劇を緊張感満点に描き出していたし、みる側にも体感させる超大作のものだった。久しぶりに3Dの映像を楽しんだ。

2015年11月4日水曜日

世界遺産の高野山


高野山1Dayチケットを購入し、816年に弘法大師・空海によって開かれて1200年を迎えた世界遺産・高野山を訪れた。当初は1200年祭に行く予定であったが、都合で今日になってしまった。
行程の概略は、牧野駅7時21分に乗車→淀屋橋経由でなんば駅で南海高野線急行で橋本行に乗車、乗り換え極楽橋で下車→高野山ケーブルカーで高野山駅に10時14分に到着。
その後は、高野山1Dayチケットのパンフレットに掲載の周遊モデルコースで回ってみた。まず、高野山駅でバスにて奥の院口で下車⇒奥の院参道を歴史上の人物の墓碑などを見ながら歩き、燈籠堂・御廟に参拝、奥の院前に戻る⇒バスに乗車し千手院橋で下車⇒金剛峯寺で、歴史に名を遺す絵師の筆による豪華な襖絵で飾られた部屋や豪壮な台所などを拝観した。⇒壇上伽藍に続く蛇腹路の紅葉トンネル⇒金堂・根本大塔は時間の関係で外観のみ、紅葉の写真撮影⇒霊宝館で国宝、重文、県文化財や貴重な資料を拝観⇒あと大師教会前などで写真を撮りながら千手院橋からバスで高野山駅へ。高野山駅14時34分発のケーブルカーに乗車し、極楽橋駅でなんば行き快速に乗車して18時前に帰宅した。
丁度紅葉が見ごろであり、紅葉写真を撮り楽しむことができたし、燈籠堂・御廟の拝観もできて大変よかった。また、参道沿いに会社の墓所があり、故松下幸之助相談役や社員(物故者)の供養塔に参拝できたこともよかった。
今回、金堂・根本大塔、徳川家霊台、女人堂など時間の関係で行けなかった所もあり、シャクナゲが咲くころか夏場に再度訪れてみたいものだ。

2015年11月3日火曜日

冷泉家住宅と京都御所

 京都非公開文化財の特別公開の「冷泉家住宅(れいぜいけ)」と、ついでに京都御所の一般公開の見学に行った。この日が両方とも最終の公開日で、また祝日でもあり相当賑わっていた。
冷泉家の住宅は、寛政2年(1790)の建築で、京都御所にあった公家屋敷の中で最後に残った貴重な建物として重要文化財に指定されている。冷泉家は藤原定家という歌人の子孫で、和歌の家として一般によく知られるようになった。また、文庫(白い倉)には国宝の藤原俊成自筆「古来風躰抄(こらいふうていしょう)」他、多くの貴重な典籍が保存されていて、これらもまた重要文化財に指定されている。
現在の公家で先祖伝来の家宝を守れているのは冷泉家と近衛家くらいで、多くの公家はサラリーマンしたりして普通に暮らしている。公家らしい公家の家が冷泉家だけになってしまったため現在に残る公家の代表みたいな家になっているとのこと。 今回、各箇所に若い説明員が簡単に説明してくれたので、よく分かりよかった。(´▽`)
「冷泉家」は京都御所の北(同志社に囲まれた一角)にあり、京都御所の一般公開(今まで4回程度見学あり)は、ついでに見学した。

2015年11月1日日曜日

八幡商人のまちなみ


八幡商人のまちなみの郷土資料館・歴史民俗資料館・旧西川家住宅・旧伴家住宅の見学と八幡掘りを散策した。
郷土資料館は、かって海外で活躍した近江商人・西村太郎右衛門邸跡に昭和49年3月に開設され、旧市街地の中心の新町通りに位置し、八幡商人のふるさととしての歴史を伝えている。建物は、明治19年(1886)八幡警察署として建設され、昭和28年に大幅にヴォーリズ建築事務所の設計により改築されて現在の形となった。 歴史民俗資料館は、江戸時代末期の民家を修復し昭和54年に開館し、近江八幡の商人が使用した道具類を展示したり、当時の生活ぶりをそのまま再現している。 
旧西川家住宅は、西川利右衛門の住宅で、八幡商人を代表する一人で、初代から昭和5年に11代が没するまで、約300年間に亘って活躍した家。昭和58年1月重要文化財に指定、昭和60年より保存修理が行われた。
旧伴家住宅は、伴庄右衛門家が江戸時代初期から活躍した八幡商人の一人で、屋号を「扇屋」といい、主に畳表・蚊帳(かや)を商い豪商となった。今に残る旧伴家住宅は7代目が文政10年(1827)より天保11年(1840)の10数年をかけて建築したもの。(その後の経過は省略)
今回、八幡商人の特徴などを日野商人・五個荘商人と合わせて、近江商人を改めて知ることが出来た。(´▽`)