第3回「淡路島一周ウオーク」に参加。参加者は大阪市内・奈良・神戸・枚方高槻方面から、バス6台(257名)で、第2回目よりか少なかった。
行程は枚方6:50出発→高槻→茨木→三熊山・洲本城に10時頃着、桜が満開ではと期待したがつぼみで期待外れだった。(写真が洲本城、模擬天主閣)、10時35分出発→11時30分に第2回のゴール点「灘黒岩水仙郷」着、昼食後12時20分出発→淡路島モンキーセンター小休憩→立川水仙郷(第3回ゴール点)に15時30分に到着。16時15分に出発し、途中淡路ハイウェイオアシスで約30分休憩→高速道路が混んでいたので19時50分に枚方着。今回は約13kmのウオーキングだった。
<洲本城の歴史>大永6年、安宅治興が三熊山に築城した。天正9年、安宅清康は、羽柴秀吉・池田元助によって由良城(古城)を攻められ降伏、その時に洲本城も開城した。天正10年、仙石秀久が入り、天正13年に脇坂安治が城主となった。 脇坂氏により洲本城は大修築された。 慶長14年、安治は伊予大洲へと移封となり、慶長15年には池田忠雄が63,000石で入封した。元和元年、池田忠雄は兄忠継の養子となって備前岡山城主となり、淡路一国は大坂の陣の功により、阿波徳島城主の蜂須賀至鎮に加増された。蜂須賀氏は、寛永12年、淡路の拠点を由良城(成山城)から洲本城へ移し、城下町を形成させた。洲本城代には、稲田示稙が任命されて以来、江戸時代を通じて、代々稲田氏が城代を務めた。(関連サイトから抜粋)
第4回目は4月16日(土)、神々が造った最初の島・沼島の一周ウオーキング(約8kmと短い)と淡路島七福神・護国寺、覚住寺の参拝。
行程は枚方6:50出発→高槻→茨木→三熊山・洲本城に10時頃着、桜が満開ではと期待したがつぼみで期待外れだった。(写真が洲本城、模擬天主閣)、10時35分出発→11時30分に第2回のゴール点「灘黒岩水仙郷」着、昼食後12時20分出発→淡路島モンキーセンター小休憩→立川水仙郷(第3回ゴール点)に15時30分に到着。16時15分に出発し、途中淡路ハイウェイオアシスで約30分休憩→高速道路が混んでいたので19時50分に枚方着。今回は約13kmのウオーキングだった。
<洲本城の歴史>大永6年、安宅治興が三熊山に築城した。天正9年、安宅清康は、羽柴秀吉・池田元助によって由良城(古城)を攻められ降伏、その時に洲本城も開城した。天正10年、仙石秀久が入り、天正13年に脇坂安治が城主となった。 脇坂氏により洲本城は大修築された。 慶長14年、安治は伊予大洲へと移封となり、慶長15年には池田忠雄が63,000石で入封した。元和元年、池田忠雄は兄忠継の養子となって備前岡山城主となり、淡路一国は大坂の陣の功により、阿波徳島城主の蜂須賀至鎮に加増された。蜂須賀氏は、寛永12年、淡路の拠点を由良城(成山城)から洲本城へ移し、城下町を形成させた。洲本城代には、稲田示稙が任命されて以来、江戸時代を通じて、代々稲田氏が城代を務めた。(関連サイトから抜粋)
第4回目は4月16日(土)、神々が造った最初の島・沼島の一周ウオーキング(約8kmと短い)と淡路島七福神・護国寺、覚住寺の参拝。
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