2011年4月28日木曜日

ふれあい散策クラブ「カワセミ」に参加

ナルク「天の川クラブ」のふれあい散策クラブ「カワセミ」(2009年3月に発足した散策クラブで、月1回開催されている)に、2年振りに参加した。参加者は33名(男性:11名、女性:22名)と多かった。
地下鉄で京都国際会館駅まで行って、10時頃出発→宝ヶ池を回り→深泥池→京都府立植物園に12時半に到着の約6kmのゆっくりとしたウオーキング。
府立植物園内にて昼食、その後植物園内を散策して3時頃に現地解散となった。来月はJR京橋駅から鶴見緑地公園までのウオーキングの予定。 写真は府立植物園での記念写真。

2011年4月23日土曜日

島津製作所創業記念資料館へ

島津製作所創業記念資料館が、リニューアルオープンされた記念として、23~24日無料公開されたので訪れた。(通常入場料300円)
この島津製作所創業記念資料館は、島津製作所が創業100年(昭和50年)を契機に、創業者島津源蔵氏の遺徳を偲ぶために開設された。
創業の地である高瀬川の北端の木屋町二条(京阪三条駅から徒歩約7分)は、島津製作所の創業の地であるとともに、明治初め、京都府が欧米の最新技術を導入した実験所や工場など多くの産業諸施設を設立した近代科学発祥の地でもあった。現在は、京の落ち着いたたたずまいが感じられる場所であり、その中に建つ木造の2階建ての外観は、初代、二代目が居住し、店舗としていた当時の面影を今に伝えている。
館内には、創業以来製造した理化学機器、人体模型などの標本をはじめ、初期の医療用X線装置や昭和40年代での産業用製品、それらに関する文献・資料が約600点展示されていた。今回、ここで初めて医療用X線装置の開発や沢山の理化学機器も開発され製作されていたことがよく分かり参考になった。写真は島津製作所創業記念資料館。

「枚方子どもいきいき広場」へ

今年度から枚方市立小学校の土曜日開催「ふれ愛フリースクエアー」の名称が「枚方子どもいきいき広場」へ変更になり、その取り組みも少し変わった。
所属の「SAひらかた」は伊加賀小学校区を担当することになり、初めての活動として「おもちゃ作り」4枚羽のトンボ(牛乳パック、割りばし、爪楊枝などを使ったトンボ)作りを行った。
小学1年生から6年生まで約67名(約半数が1年生)が参加し、2会場に分かれてトンボ作りを行った。完成後、子ども達はトンボを飛ばしあって、キャーキャーと言いながら楽しく遊んでいた。

2011年4月20日水曜日

仁和寺(御室桜)へ

仁和寺の御室桜が満開とのことで、写真を取りに出かけた。
御室桜は染井吉野より1週間から10日遅い里桜(品種はほとんどが有明で、他に車返しなど十種類)で、丈が低いのが特質で、樹高は3m前後である。大正13年天然記念物法により、名勝に指定された。現在の御室桜は1696年の伽藍再建の折りに植えられたもので約200本ある。
2年前の17日に撮りに行ったことあるが、その時は1週間ほど遅かった。今回、ほとんど満開で散り始めていたが綺麗だった。少し雨がぱらつくあいにくの天気だったが、多くの観光客で賑わっていた。
仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まる。
しかし翌年、光孝天皇は志半ばにして崩御されたため、第59代宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和4年(888年)に完成。寺号も元号から仁和寺となった。慶応3年(1867年)、第30世 純仁法親王が還俗したことにより皇室出身者が門跡となる宮門跡の歴史を終える。また、明治20年(1887年)には御殿の焼失があったが、大正時代に再建。昭和時代に入ると、仁和寺は真言宗御室派の総本山となり、近年では平成6年(1994年)に古都京都の文化財の1つとしてユネスコの「世界遺産」に登録され、新たな歴史を刻んでいる。 (仁和寺のサイトから抜粋)
写真は「御室桜」から五重塔を望む。

2011年4月16日土曜日

第4回「淡路島一周ウオーク」沼島へ

第4回「淡路島一周ウオーク」沼島(ぬしま、神々が造った最初の島・沼島)一周に参加。参加者は大阪市内・奈良・神戸・枚方高槻方面から、バス7台(280名)で、第3回目よりバス1台分多かった。3日程前の天気予報では雨降りだったが、当日は曇り後晴れで雨具の必要もなくウオークが出来てよかった。
行程は枚方6:50出発→高槻→茨木→賀集山・護国寺に10時頃着、参拝(写真が護国寺の仁王門)、10時25分出発→土生港11時00分発で沼島港に11時10分に到着→到着後時計回りにウオークがスタート、途中「上立神岩」の見晴らしの良い所で昼食(弁当)、14時半にゴール点に到着→沼島港15時15分出発し土生港へ。 覚住寺(毘沙門天)に参拝して、16時20分に出発し途中淡路ハイウェイオアシスで約30分休憩、高速道路が混んでいたので19時45分に枚方着。今回は約8kmの短いウオーキングであったが、アップダウンが多く、結構疲れた。
第5回目は5月23日(月)で、第3回のゴール地点「立川水仙郷」から洲本市までの約15kmに参加の予定。

2011年4月15日金曜日

造幣局の通り抜けへ

昨年と同じ14日~20日まで、恒例の造幣局の通り抜けが始まり、2日目の午前10時に表門(南門)から入った。人出も多く随分混雑していた。まだ5分咲の桜の木もあり、今週末が見ごろを迎えるのではないかと思う。毎年写真を撮りに来ているが相変わらず綺麗だ。今年は震災の影響で夜間のライトアップが中止されたので、平日は午前10時から午後5時までだ。
この通り抜けは、明治16年(1883年)、時の遠藤謹助局長の「局員だけの花見ではもったいない。市民とともに楽しもうではないか」との提案により、構内の桜並木の一般開放が始まり、「桜花縦覧のため表門(現在は南門)から入り、造幣局構内を通って裏門(現在は北門)へ抜ける、約560M」、つまりは文字どおり構内を通り抜けることが、その名の由来。「あともどりできない通り抜け」がいつしか「通り抜け」という固有名詞となった。現在、大阪の年中行事の一つとして、人出は約80万人に及んでいる。桜は、関山、普賢象、松月、紅手毬、芝山、楊貴妃など約120品種、約350本を数え、大半は遅咲きの八重桜で、満開時の美しさはたとえようもなく、今では浪速の春を飾る風物詩となっている。その中でも紅手毬、大手毬、小手毬及び養老桜などは、他では見られない珍種と言われている。 

2011年4月11日月曜日

京都嵐山での同窓会に参加

10日(日)~11日(月)、高校の同窓会に幹事として参加。(参加者は43名) 会場は京都嵐山、ご清遊の宿「らんざん」で京都「吉兆」の西隣りで嵐山では最高の場所。
今回、開催に当たり日本でも有名な桜の名所嵐山で『参加者には、ぜひ満開の桜を観てもらおう』との強い思いで、日程を決め準備してきた。それが見事にズバリ命中、嵐山で10日に満開を迎え天候もよく最高になり、幹事の思いが通じて非常に感激した。 
写真は「らんざん」の中庭の枝垂れ桜で満開で綺麗だった。
終わった後、毎年桜の花が咲く頃に来ているが、これだけ満開で綺麗な桜が観られることが少ないので、写真を撮るため嵐山野宮神社~嵯峨野の二尊院~清凉寺辺りを散策した。

2011年4月5日火曜日

桜の名所「背割堤」へ

自宅から自転車で、約30分のところにある京都府八幡市の背割堤に出かけた。
木津川と宇治川を分ける背割堤は、自然の大パノラマが広がり、約250本のソメイヨシノが1.4kmにわたって歩道の両脇に立ち並ぶ桜の名所である。
もう満開に近いかと思っていたが、まだ5~6分咲きで少し早かった。今週末から来週初めが満開の見ごろかと思われた。写真は歩道から下流に向かって撮ったもの。

2011年4月2日土曜日

第3回「淡路島一周ウオーク」へ

第3回「淡路島一周ウオーク」に参加。参加者は大阪市内・奈良・神戸・枚方高槻方面から、バス6台(257名)で、第2回目よりか少なかった。
行程は枚方6:50出発→高槻→茨木→三熊山・洲本城に10時頃着、桜が満開ではと期待したがつぼみで期待外れだった。(写真が洲本城、模擬天主閣)、10時35分出発→11時30分に第2回のゴール点「灘黒岩水仙郷」着、昼食後12時20分出発→淡路島モンキーセンター小休憩→立川水仙郷(第3回ゴール点)に15時30分に到着。16時15分に出発し、途中淡路ハイウェイオアシスで約30分休憩→高速道路が混んでいたので19時50分に枚方着。今回は約13kmのウオーキングだった。
<洲本城の歴史>大永6年、安宅治興が三熊山に築城した。天正9年、安宅清康は、羽柴秀吉・池田元助によって由良城(古城)を攻められ降伏、その時に洲本城も開城した。天正10年、仙石秀久が入り、天正13年に脇坂安治が城主となった。 脇坂氏により洲本城は大修築された。 慶長14年、安治は伊予大洲へと移封となり、慶長15年には池田忠雄が63,000石で入封した。元和元年、池田忠雄は兄忠継の養子となって備前岡山城主となり、淡路一国は大坂の陣の功により、阿波徳島城主の蜂須賀至鎮に加増された。蜂須賀氏は、寛永12年、淡路の拠点を由良城(成山城)から洲本城へ移し、城下町を形成させた。洲本城代には、稲田示稙が任命されて以来、江戸時代を通じて、代々稲田氏が城代を務めた。(関連サイトから抜粋)
第4回目は4月16日(土)、神々が造った最初の島・沼島の一周ウオーキング(約8kmと短い)と淡路島七福神・護国寺、覚住寺の参拝。

2011年4月1日金曜日

祇園・白川舞妓さんの撮影会へ

毎年恒例の祇園・白川の舞妓さんの撮影会が午後3時よりあった。昨年は雨降りであったのでカメラマンも少なかったが、今年は天気もよかったので、多くのカメラマンが来ていた。舞妓さんは二人と、少し寂しかった。
白川沿いの枝垂れ桜が満開で、そこに立つ舞妓さんも綺麗だった。ほかの桜(ソメイヨシノ)はまだつぼみで、昨年と比べると4~5日遅いようだ。
舞妓さんの名前は、左から満奈葉さん、つる葉さん。