2018年5月26日土曜日

京都「源光庵」参拝

新緑を求めて京都北区鷹峰の「源光寺」を訪れた。ここへは京阪三条から直通バスがないので(北大路バスターミナルで乗換えが必要)、金閣寺方面行の市バス(59号系統)にて北大路千本で下車し、徒歩約25分で到着。バス停からはずう~とのぼり坂のため時間がかかった。
ここは貞和2(1346)年に徹翁(てっとう)国師が開山した寺院で、もともとは臨済宗大徳寺派の寺院として創建された。
源光庵は「迷いの窓」と「悟りの窓」で有名である。この窓からみる新緑のもみじは美しく、紅葉の時期にも再訪したいと思う。
以下関連サイトから抜粋すると「『迷いの窓』は、迷いの窓の四角い形は、人間が誕生し一生を終えるまで逃れることのできない過程、つまり「人間の生涯」を4つの角で象徴しています。この「迷い」とは「釈迦の四苦」のことで、この窓が生老病死の四苦八苦を表しているといわれています。『悟りの窓』は、悟りの窓の丸い形は、「禅と円通」の心が表されています。ありのままの自然の姿、清らか、偏見のない姿、つまり悟りの境地を開くことができ、丸い形(円)は大宇宙を表現しています。」
また、源光庵の天井をよく見てみると、血痕が付いていることがわかり、この天井を血天井と呼ばれている。京都・伏見桃山城の遺構。慶長5(1600)年、徳川家康の忠臣であった鳥居彦右衛門元忠の一党の約1800人が、石田三成の軍勢と交戦し、多くの武将が討死した。生き残ったおよそ380人全員も自刃し、流れた血痕が床に残された。亡くなった一党の魂を冥福しようと、血痕の残された床板は5つの寺院にわけられ、一部が源光庵にも奉納された。そして床板を天井にあげ、一党の魂の供養が行われたという。ところどころに血で染まった足跡があり、それはここ源光庵にしか残されていないのだという。

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