公開されている映画「沈まぬ太陽」を観賞した。8年前に原作を読んだことがあったので、楽しみに観賞することができた。物語は省略するが、
2009年10月31日土曜日
「きららマナビスト講座:自動車づくり」開催
2009年10月22日木曜日
時代祭へ

秋晴れの下、明治維新から平安時代へとさかのぼる約2千人の行列が、軽やかに笛や太鼓を奏でる維新勤王隊列を先頭に、幕末の志士が続き、江戸時代の大名や安土桃山時代の武将は衣冠装束や甲冑(かっちゅう)姿で堂々と歩いた。女性たちも優美な十二単(ひとえ)や清らかな小袖姿を披露した。
時代祭は平安遷都1100年を記念して、1895(明治28)年に始まった。時代行列は戦争などで中止の年もあり、今年で105回目を迎えたとのこと。祭が行われる10月22日は、桓武天皇が794年(延暦13)に長岡京から平安京に都を移された日に決められて行われる。
2009年10月20日火曜日
九州鹿児島、桜島へ

3日目(19日)は9時40分、定期観光バスで「桜島めぐり」観光。湯之平展望台からの桜島や鹿児島市内を眺める。大正3年に爆発し埋まった黒神埋没鳥居は車窓から、有村溶岩展望所からは南岳昭和火口からの噴煙を眺めた。 桜島火山の有史以後の山頂噴火は南岳で起こっており、その度に溶岩流出や火砕流によって大災害となっている。近年1000年間に起きた代表的な噴火は、文明噴火、安永噴火、大正噴火(大正3年)、昭和噴火(昭和58年)の4つ。最近での大噴火は10月3日にあったが、今年になってから2月、3月、4月、5月に大噴火が起こっている。今回みた噴火の様子は、時々噴火をするが穏やかなものだった。写真は桜島の空が朝日で焼けたもので、噴火はあまり見られない。
帰りは鹿児島15時14分の新幹線で新八代⇒在来線の特急で博多⇒博多18時発で新大阪20時35分着だった。鹿児島桜島は随分と昔(昭和47年10月だから37年前)に和田・東川氏と行ったことがあるが、その時の記憶はあまりない。
九州鹿児島、知覧へ

この基地からは20年4月から6月にかけて、女学校の生徒たちがたかく激しくふる桜花に送られて、特攻機が飛び去った方向には、富士山のような整った山「開聞岳」(薩摩半島の南端に立つ,924メートル)があり、特攻隊は、その上を越え特攻隊員の誰もが、この山の姿を、これが最後と、眺めて行ったとのこと。その時の心境はいかほどのものであったのか、計り知れない。
この会館は当時の真情を後世に正しく伝え、世界恒久の平和に寄与するもので、二度と悲劇が繰り返されぬよう、戦争の悲惨さ、平和・命の尊さを教えてくれるところである。今では考えられない状態だったのだと深く考えさせられた。
2009年10月19日月曜日
九州鹿児島、指宿へ
2009年10月16日金曜日
「天の川クラブ」の「秋のつどい」

第二部は15周年記念行事での「チアリーディング」とソル デ ロス アンデスの「コンドルは飛んで行く」などのラテンの演奏があった。(写真)
今回の参加者は240名と過去最高、天候も秋晴れに恵まれ楽しい最高の一日を過ごすことが出来たようだ。写真とビデオ撮影の担当で、思うように楽しむことができにくかったことが残念だった。
2009年10月9日金曜日
関西医科大の取材

ここ牧野キャンパスは、昭和3年(1928年)6月に大阪女子高等医学専門学校を設立し、今日の関西医科大学になった発祥の地である。約9000坪の校内に本館、講堂、体育館、図書館、1・2・3号館の教室、食堂等があり、入学した1学年(116名、男性65%、女性35%)が1年間学ぶ場所になっている。2~6学年は滝井キャンパスで学び、医師国家試験合格後医師として育っていく。その合格者のうちで付属病院等に残る医師は20%、それ以外の人は条件の良いところへ行ってしまうとのこと、昔は50%だったが、何とかこの数字に近づけることが一つの課題とのことであった。
本館は約80年が経過し、正面の壁にはツタが張い独特な校舎になっている。これらの校舎は平成25年4月には、現在の付属枚方病院横に新校舎が建設され、専門部との合同校舎になり引っ越しとなるとのこと。この校舎・敷地は売却はしないという話であるが少し気になるところ。
2009年10月3日土曜日
京阪電車の撮影

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