2017年5月8日月曜日

京紫野・大徳寺本坊

春季京都非公開文化財特別公開(4月28日~5月7日、18カ所)が行われ、4月28日にはじめて「大徳寺」の本坊を訪れて拝観した。
唐門、方丈、玄関、狩野探幽筆襖絵など詳しく説明を受けながら見物し、歴史やいろいろな重要文化財などをみて知ることができてよかった(´▽`) ここに掲載した唐門・方丈の写真は、撮影禁止であったので大徳寺のサイトから唐門、方丈をコピーして掲載した。
臨済宗大徳寺派の大本山とは、大燈国師(宗峰妙超)が紫草の茂る洛北の野原に大徳という小庵を結んだことに始まる。大燈国師の教えは次第に世に知られるようになり、後に花園・後醍醐両天皇の帰依を受け、勅願所として嘉暦元年(1326)に現在の龍宝山大徳寺と命名された。 室町時代には幕府から冷遇されるが、それが厳しい禅風を残す要因ともなる。優れた禅僧を多数輩出し、桃山時代には豊臣秀吉や前田利家、細川忠興など多くの大名が自らの帰依した禅僧を開祖として、塔頭寺院を創建する。千利休が建てた金毛閣は、この楼上に利休木造を置いたことから秀吉の逆鱗に触れ、利休切腹の要因になったことでも知られる。(以上、サイトから抜粋)

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