2011年5月28日土曜日

映画「プリンストヨトミ」を鑑賞

昨年8月14日の大阪府庁、25日の大阪城前(茶店)、26日の大阪城極楽橋、28日の大阪府庁、9月7日の京都東映撮影所での撮影にエキストラとして参加した「プリンセストヨトミ」が公開された。
スクリーンに映ったのは、25日大阪城前で会計監査の仕事も終わり3人(会計監査委員の堤・岡田・綾瀬さん)が大阪城をみながらアイスクリーム、ソフトクリーム、タコ焼きを食べるシーンで、3人の後の茶店左横の自動販売機から夫婦役で一緒に出て、しばらく立ち止まって小生のみが横に出ていくシーン。少しピンボケであるがバッチリと映っていた。また、同じく大阪城をみながらタコ焼きを食べる鳥居監査委員(綾瀬さん)の後の茶店左横の自動販売機から出て、まっすぐ出ていくシーンも少しであるが映っていた。28日の大阪府庁では、最前列にいたので映っていると思っていたが、残念にも役者の位置関係もあって見当たらなかった。今回、エキストラが約5000人参加したと言われている中で、スクリーンに映ったのは非常にラッキーであり嬉しく、よい思い出となった。
この映画は、“大阪が全停止した”という奇想天外な設定から物語が始まり、東京から大阪に足を踏み入れた会計検査院調査官3人と、400年間“あるもの”を守り続けてきた大阪の男たちとの攻防が描かれたもの奇想天外でおもしろいものだった。(詳しいストーリは こちら
写真は8月25日、猛暑の中大阪城前の茶店前で行われた撮影風景。

「きららマナビスト講座:楽しいおもちゃ作り教室」の開催

2011年度第1回目のきららマナビスト講座「楽しいおもちゃ作り教室」を開催。今回は「皿回し用の紙皿と回し棒」を作って、皿回しをして遊ぶもの。いつもは30名ほどの参加があり、人気の教室であるが、今回はなぜか子ども6名で非常にさびしいものだった。SAメンバー(7名)と一緒に紙皿を作って、皿回しをして遊んだ。
簡単なようで回すのに苦労するメンバーもいたが、子ども達はすぐ上手に回して遊んでいた。
ラジオ放送「FMひらかた」から平上アナウンサー(女性)が来室し、実況中継された。子どもへのインタビューもあって、「きらら」(市立生涯学習情報プラザ)でのおもちゃづくりのPRも出来たのでよかった。写真はおもちゃ作りの様子と上手に紙皿を回す子ども。

2011年5月26日木曜日

玉ねぎ収穫とサツマイモ植付け

昨年11月7日にサツマイモを収穫した後、赤い玉ねぎ120本、早生の玉ねぎ50本、長期保管可能の白い玉ねぎ50本の計220本を植えた玉ねぎを少し早いが(1週間程度)収穫した。
今年の玉ねぎも昨年と同様にほぼ満足のいくものだった。1週間後にはサツマイモを植える予定。写真は赤い玉ねぎを収穫した様子。
6月2日、サツマイモ(バイオ苗アズマニジキ)50本、普通のサツマイモ25本を玉ねぎの後地に植えた。いつもより25本ほど少ない。
バイオ苗とは、組織培養(無菌状態)から外の環境に出して1年以内の苗のことを「バイオ苗」という。無菌上で生長点を採取し寒天培養で増殖する。生産性に優れ、生育も良好で成長が早く、つるが良く伸びる事によって良質多収が実現するとのこと。バイオ苗は手間がかかっているので1本48円と高いが、良質多収に期待したい。普通の苗は30円。(6/2記)

2011年5月24日火曜日

第5回「淡路島一周ウオーク」へ

第5回「淡路島一周ウオーク」(14.5km)に参加。参加者は大阪市内・奈良・神戸・枚方高槻方面からバス6台(約200名)で、月曜日の関係もあってバス1台分少なかった。自宅を出るときは曇りだったが、枚方を出発する頃には雨が降り出し、現地到着では本降りの雨となった。
行程は枚方6:50出発→高槻→茨木→10時半頃玉ねぎ収穫体験をする畑に到着(雨のため玉ねぎ収穫体験ができず、すでに収穫しているものをポリ袋に15個入れての持ち帰りだった)→第3回の到着点立川水仙郷に12時到着しスタート→生石公園「エトワール生石」に13時着、会議室で昼食(弁当)後13時50分出発→中間地点で小休止後、洲本温泉、洲本港を通り駐車場16時20分頃に到着(所要時間約4時間半)→16時45分駐車場を出発し、途中淡路ハイウェイオアシスで約30分休憩、19時55分頃に枚方着。
今回初めて本格的な雨降りで、合羽を着て傘をさしてのウオーキングであったが、前日防水対策の靴を買ったが雨もりがして靴下にしみ込んだし、ズボンの下も随分と濡れた。次回は梅雨でもあり、雨対策をしっかりとしないといけないと思う。写真は洲本港で、遠方の山の上に洲本城がかすかに見える。

2011年5月22日日曜日

TVドラマのエキストラに出演

TBS系ドラマスペシャル「上条麗子の事件推理9~死を呼ぶ琵琶湖~」(主演:眞野あずさ)で、浜大津びわこ競艇場の3階自由観客席において、渡辺徹さんと1名の俳優(男性で名前?)が来場し、撮影が行なわれた。午前7時半過ぎから8時半頃まで、観客役として男女25名(男性10名程)が出演、観客席に座っての観戦風景だった。(詳しいことは省略)
午前10時に開門されてボートレースが始まるので、一旦浜大津に戻り時間を費やして、10時過ぎに再びびわこ競艇場へ。本日は2011女子リーグ第2戦「第20回びわこプリンセスカーニバル」が行われていて、1レースのみを観戦した。観客席(スタンド)は、天気がよいと琵琶湖、対岸の風景(草津方面、三上山など)が見渡せて素晴らしいが、本日は雨で残念だった。

2011年5月19日木曜日

京都岩倉圓通寺へ

知人から岩倉にある臨済宗妙心寺派圓通寺の庭園は素晴らしいとのことを聞いたので訪ねてみた。
ここ圓通寺は、寛永16年(1639)後水尾天皇が造営された幡枝(はたえだ)離宮の跡であり、幡枝小御所、幡枝茶園とも呼ばれていた。延宝6年(1678)文英尼を開基とし、後水尾上皇より山号を大悲山、寺号を圓通寺とする勅額を賜り、霊元天皇の祈願所となった。この地は後水尾天皇が長い年月をかけて探された土地で、真東を向いた約400坪の平坦な杉苔に覆われた地に、40個余りの紀州の海石を配した枯山水平庭がある。その周囲は躑躅、山茶花などの低い混ぜ垣で囲われ、その外に植えられた杉と檜の間から比叡山を望むことが出来る借景庭園である。ここから望む比叡山はその稜線の美しさから「みやこ富士」とも言われている。借景とは「景色を借りる」というように庭園の背景に在る景色自体を庭園の一部として利用するもので、この比叡山の借景を得るために後水尾天皇は各所をまわってようやくこの地を探し当てたという。修学院離宮といい、ここ圓通寺といい、後水尾天皇のセンスの良さには脱帽である。(関連サイトから抜粋)
外に植えられた杉と檜の間から比叡山を望むことが出来る借景庭園は素晴らしく見事であった。庭の左右にはもみじがあり(写真の左右の緑色がもみじ)、特に秋はもっと素晴らしいと思う。今日の比叡山は霞んでいたので、もう一つだったが、比叡山の山の景色によって、この庭園が変化するのは見事だ。

2011年5月12日木曜日

「ウオーキング&小旅行」に参加

「彦機会」同好会の「ウオーキング&小旅行」の第7回「湖南三山巡りと甲賀忍者屋敷」に参加した。(湖南三山とは「善水寺」「常楽寺」「長寿寺」をいう)
概略の行程は、JR草津駅9時半に集合、マイクロバスに乗車→甲賀の忍者屋敷→善水寺→(磨崖不動明王は時間がなく参拝中止)→「レストラン潮」で昼食・懇親会→長寿寺→タイキ農場→北島酒造→草津駅に6時半頃着。
甲賀流忍者屋敷は、甲賀武士53家の筆頭、望月出雲守の住宅として元禄年間(1688~1703)に建築された。外見は一般的な日本建築の住宅そのものであるが、建物内部には忍者の住まいにふさわしく、侵入者から身を守る為のさまざまな工夫が凝らされている。
国宝善水寺は、和銅年間(708-715)に元明天皇勅命により国家鎮護の道場として草創されたのがはじまり。織田信長の兵火の時にも焼失を免れた本堂は国宝に指定されている。天平時代から平安時代にかけての多くの仏像(本尊薬師如来座像、梵天立像・帝釈天立像、四天王立像の広目天・多聞天や増長天・持国天、不動明王座像など)が本堂に安置されていて一見の価値がある。長寿寺は、阿星山の北東麓にあり、湖南三山の常楽寺の西寺に対して東寺と呼ばれる天台宗のお寺。奈良時代後期、聖武(しょうむ)天皇の勅願によって良弁が創建したと伝えられている。善水寺と同じで紅葉のシーズンに訪れるとよさそうだ。北島酒造では、蔵の見学と磨きに磨き抜いた「山田錦」を使い、丹精こめて醸造した全国新酒鑑評会金賞受賞の大吟醸を試飲した。
生憎の雨降りであったが、「甲賀忍者屋敷」の見学、湖南三山の「善水寺」「長寿寺」の参拝など盛り沢山の計画であったが楽しめてよかった。この同好会も発足して7年になるが年々盛況になってきている。

2011年5月7日土曜日

香雪美術館へ

神戸東灘区御影の香雪美術館で「田渕俊夫、澄みわたる四季」( ~5月8日)が開催されていたので出かけた。
ここ香雪美術館は、朝日新聞社の創立者で茶人でもあった村山龍平(むらやま りょうへい、1850年 ー1933年)の収集品を収蔵展示するため、1972年(昭和47年)に財団法人香雪美術館が設立され、翌1973年(昭和48年)に開館した。館名の「香雪」は村山の号である。
村山は伊勢国(現在の三重県度会郡)の出身で、上野理一とともに朝日新聞の創設者である。岡倉天心らが中心になって1889年(明治22年)から発行された美術雑誌「国華」(2004年現在、引き続き刊行中)の苦境を救うため、朝日新聞社が同誌の発行元となったことが、村山が古美術に関心を持つきっかけになったという。収集は刀剣武具から始まり、仏教美術、茶道具へと広がっていった。なお、香雪美術館の収蔵品のなかには、村山の娘婿で、のちに朝日新聞社長となった村山長挙(むらやま ながたか、1894年 -1977年)の収集品も含まれている。運営主体である財団法人香雪美術館は、株式会社朝日新聞社、朝日放送、テレビ朝日の大株主でもある。
田渕俊夫画伯は1941年(昭和16年)東京に生まれ、東京藝術大学大学院修了後、アメリカ・イタリアへ遊学し、帰国後は院展を舞台に活躍。29才の時、平山画伯に師事し、その後東京セントラル美術館賞展や山種美術館賞展で受賞し、注目されるようになった院展では、二度の日本美術院賞(大観賞)をはじめ、文部大臣賞、内閣総理大臣賞を受賞するなど、現代画壇で高い評価を受けている。この間、愛知県立芸術大学や東京藝術大学で後進の指導にあたり、2005年(平成17年)には東京藝術大学副学長に就任。(関連サイトから抜粋)
日本画を代表する多くの作品を鑑賞することができた。繊細な爽やかな画風は素晴らしいもので、心を強く引き付けるものがあった。デッサンを徹底的に行い、対象を丹念に描き込む細やかな筆遣いが印象的であった。特に印象に残ったのは、すぎばやし(写真の上、杉の繊細な描写)、刻(霞が関、写真の下)だった。久し振りに日本画を楽しむことが出来た。写真が展示されていた作品の一部。