2009年10月20日火曜日

九州鹿児島、知覧へ

2日目(18日)、「休暇村指宿」を8時半前に出発して、特攻基地の「知覧」へ。この「知覧」は、太平洋戦争末期、陸軍の特攻基地が置かれた町で、特攻平和会館には、その当時、人類史上類のない爆装した飛行機もろとも肉弾となり敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員(出撃した特攻隊員452人)の遺影、遺品、記録等貴重な資料を収集・保存・展示してある。
この基地からは20年4月から6月にかけて、女学校の生徒たちがたかく激しくふる桜花に送られて、特攻機が飛び去った方向には、富士山のような整った山「開聞岳」(薩摩半島の南端に立つ,924メートル)があり、特攻隊は、その上を越え特攻隊員の誰もが、この山の姿を、これが最後と、眺めて行ったとのこと。その時の心境はいかほどのものであったのか、計り知れない。
この会館は当時の真情を後世に正しく伝え、世界恒久の平和に寄与するもので、二度と悲劇が繰り返されぬよう、戦争の悲惨さ、平和・命の尊さを教えてくれるところである。今では考えられない状態だったのだと深く考えさせられた。

0 件のコメント: