2008年12月31日水曜日
2008年の回顧
2008年もあと2時間で終わりだ。日が過ぎ去るのは早いものだ。今年を振り返ってみると、
1)枚方市「生涯学習情報プラザ」での運営管理・パソコン教室運営(テキスト作成・講師)の仕事が4年目となり、週2日程度の仕事を行ってきた。今年は、新たな取り組みとして小学3・4年生を対象に「動物のアニメーション」づくり、小学1・2年生対象に「カード・カレンダーづくり」の教室を行い大変好評を得たことは大変よかった。
2)田舎(滋賀日野)で野菜づくりを始めて7年となった。あまり手のかからない野菜(春から夏は、玉ねぎ・かぼちゃ・ナス・キュウリ・ジャガイモ・サツマイモ等、秋からは水菜・ジャガイモ・大根・日野菜等)を中心に楽しみ、作り方などようやく分かった感じだ。特に目新しい収穫(成果)はなかった。
3)写真撮影は3月ごろより出来るだけ時間を取って出かけるようにした。その結果、「eizouの部屋」HPに季節の写真等を多数アップし充実させることが出来た。
4)合唱は第九に特化し、今年も「鳴門の第九」、「かがわ第九」、「一万人の第九」に参加した。それなりに合唱の歴史をつくることだ出来た。
5)ボランティア活動では、NALC「天の川クラブ」・「いわふねクラブ」・「彦機会」のHP更新と「松愛会枚方支部」のHP委員としての活動。そして子ども達との「楽しいおもちゃづくり」は、枚方市の小学校や枚方市で行い、それなりに成果を得た。 (月平均1~2回開催)
6)昨年から始めた「阿波踊り」も徳島の本場に参加できたことはよかった。しかし、この歳になると体力的にも精神的にも苦痛を伴う。仕事ややりたいことも多く、9月以降は休会中だ。
来年は何か新しいものへ挑戦するか、それとも過去にやったテニス・海釣り・尺八・カラオケ・ゴルフ・料理等をするかだ。 来年、早々によく考えてみよう!
琵琶湖のコハクチョウ
シベリアから4000km離れた琵琶湖南岸の草津市志邦浜に、毎年10月末頃より3月初め頃まで越冬のため十数羽のコハクチョウが飛来する。
今年はどうしてか? 近くの野洲川河口付近には数羽飛来しているとの情報があるが、この志邦浜には待てど一羽も飛来しない状況が続いて、「草津コハクチョウを愛する会」の世話する人達が心待ちにしていた。 世話人と話をしている12時頃だったが、北の方から二羽のコハクチョウが西約200mの沖合に飛来、そして徐々に志邦浜に近づいて来た。 やっと待ちに待ったこの浜にやって来たことになる。 世話する人達はホットしていた。 見れてラッキだった。 動画はこの浜に近付いて、他の渡り鳥と一緒に泳いでいる風景。
今年はどうしてか? 近くの野洲川河口付近には数羽飛来しているとの情報があるが、この志邦浜には待てど一羽も飛来しない状況が続いて、「草津コハクチョウを愛する会」の世話する人達が心待ちにしていた。 世話人と話をしている12時頃だったが、北の方から二羽のコハクチョウが西約200mの沖合に飛来、そして徐々に志邦浜に近づいて来た。 やっと待ちに待ったこの浜にやって来たことになる。 世話する人達はホットしていた。 見れてラッキだった。 動画はこの浜に近付いて、他の渡り鳥と一緒に泳いでいる風景。
2008年12月27日土曜日
小学3・4年生のPC教室
冬休みの26日と27日の午前10時から12時、小学生3・4年生を対象にした第2回「楽しいおもしろパソコン教室」(動物のアニメーションづくり)を開催した。小学3年生が7名(内1名女の子)、4年生が3名(男の子)の10名(定員)が参加。第1回目と比べて背景や動物のトナカイが引くソリに乗ったサンタクロースのアニメーションが大変好評だった。 子ども達も大変喜んでくれたので嬉しかった。次回(第3回)は春休みだ。 背景や動物は何にしようか、今後の検討課題。 動画は作成したアニメーション。
2008年12月21日日曜日
「私は貝になりたい」を鑑賞

中居正弘、仲間由紀恵主演の「私は貝になりたい」は戦争に巻き込まれた加藤哲太郎と言う人の悲劇の物語だ。清水豊松(中居)は高知の漁港で理髪店を営む。丁稚奉公で理髪店でやっと働き始め、免許を取った矢先に同僚の房江と知り合い、今で言うできちゃった婚をする。この時代では、実家に住むことも許されず、理髪店の店主からもつまみだされる。おなかの子健一と3人で、高知の町でひっそりと理髪店を開き仲睦まじく暮らしていた。やっと仕事も順調でこれから…というときに届いたのが赤紙。本土防衛のために配属された中部軍の部隊で、虫けらや牛や馬のような扱いを受ける。そして、任務として命じられた捕虜の始末を豊松にはとうていできないが仕方なく行う。が、銃剣は捕虜の右腕のかすかにかすっただけだった。後に、その捕虜が自然に亡くなったことを知ることになる。戦地から帰り、またもとの暮らしにもどり、房江のお腹の中の子が生まれるのを心待ちにしていた豊松、そこにまた戦犯を犯したとして東京の巣鴨の収容所に連れて行かれる。そこでは、同じ捕虜となった鶴瓶とのやりとりなど微笑ましい場面もあるのだが・・・。 1年もかかってロケをされたように、房江(仲間由紀恵)が豊松のために署名をもらいに行った雪の場面など本当に寒くて雪深くて大変だったと思う。やっと署名も集まり、刑が軽くなったと思った豊松の運命は・・・それは変わらぬ死刑だった。つまらない人生だった・・・。人を殺すような悪いことはしていない・・・。命令されればそれに背くことはできない世の中・・・。虫けらや馬や牛同然の扱い。今度生まれ変わるなら、そうだ!海の底に人知れず静かに住んでいる貝になりたい・・・。「私は貝になりたい」だった。
あの第二次大戦の始まる10カ月前に生まれ、大戦中は幼少であまり記憶はないが、終戦間際に田舎にもB29が飛んできて、物陰に隠れたり電燈に黒い布をかぶせたりした記憶や終戦後の大変な時代が思い出された。 それに比べると今は何と平和な時代に生きているのだろうかと幸せに感じた。
それにしても、高知だろうか山陰だろうか海岸の景色がとってもすばらしく、ここが日本かと思うほどだった。 調べたら島根県隠岐の雄大な名勝「国賀海岸」(西ノ島町)であった。ぜひ一度行ってみたいものだ。
2008年12月18日木曜日
嵐山花灯路2008
2008年12月7日日曜日
今年最後の第九

第1部は、まずオープニング「歌のある星へ」のテーマのもと、4人のソリストがさまざまな国の歌を歌い継ぐもの。(「とても、いとしい方」:田村麻子、韓国民謡「舟歌」:キュウ・ウォン・ハン、「オ・ソレ・ミオ」:吉田浩之、「翼をください」:坂本朱の各氏) 演奏は中世バロック期の古楽器リュートで、演奏者は高本一郎氏。 次にCHEMISTRYの歌で、「恋する雪 愛する空」、「冬の星座」(第九オーケストラ、合唱団)、「約束の場所」(淀川工科高等学校吹奏楽部、合唱団)であった。
第2部はもちろん第九で、指揮者は今回で10回目の佐渡裕氏。ソリストはソプラノ:田村麻子、メゾ・ソプラノ:坂本 朱、バリトン:キュウ・ウォン・ハン、テノール:吉田浩之の各氏。オーケストラは一万人の第九オーケストラ(兵庫芸術文化センター管弦楽団を中心に現役の音大生、音大卒業した人で構成された総勢120名)。
今回の席はアリナの最前列の左側より(テレビカメラの後)で最高だった。 もう少し中央寄りであればテレビにも映るし超最高だったが、なかなかそうはうまくいかない。 今回の位置ではテレビに映るかぎりぎりのところではないかと思う。12月23日(祝)午後4時から放映されるとのこと、映っていることを期待したい。
終わってから仲間の女性達に見放されて?男性3名のみで京橋で打ち上げをした。 今年の第九は席がよかったこともあり最高の気分で終わってよかった。
2008年12月4日木曜日
最後の紅葉へ

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